- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120050213
作品紹介・あらすじ
仕事が終わった。今日は金曜日。明日あさっては休みで、特にこれといった用事もない。つまり今夜から日曜の夜まで、子どものころの「放課後」気分で心おきなく本が読める!
――小さなアパートで父と母と3人で暮らした幼少期の思い出を軸に、いつも傍らにあった本をめぐる断章と、読書のススメを綴った柔らかい手触りの書き下ろしエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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吉田篤弘さんの12歳までの自叙伝的エッセイ。
エピソードがトツトツと語られていく。ホントに間の繋ぎがなく、ポツリポツリと進んでいく…
吉田さんの本は、すごくリラックスして読める。精神安定剤のような…心の奥がじんわり温かくなる…そんな文章…風景、心情、人物がすぐに現れて…
まず、「金曜日の本」ってタイトルがイイ。
相変わらずの挿し絵もイイ。
たった125ページなのに、そして、もちろん生きた全ての出来事を書いてるわけではないのに、吉田さんの少年時代がありありと浮かび上がってくる。
本好きで、壁新聞をやってみたり、日記を書いていたり、詩を書いていたり…
小説家になる人は、須く、多読、アウトプットもたっくさんやってるよなぁ
親戚のおじさんおばさんたち、友達たち。吉田さんが出会ってきた人たちが、小説作品に出てきたキャラクターの原点なんだなぁと感じた。
「神様のいる街」(高校生から大学生くらいの自叙伝)と同様に吉田篤弘小説ファンには、たまらない一冊だ。
読む順番が逆になってしまったけれど、それはそれで、遡っていく感じも楽しめたかな。
人生には小説的要素が多分にあるんだなぁと感じた。おそらく誰の人生にも…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
吉田篤弘さんの子ども時代の思い出が語られます。実体験ということですが、読むにつれて、あの物語、その小説に登場した、心がほっこりする場面が出没して、ハッとします。吉田さんの、古き東京への懐かしさが、物語の世界とつながっているのですね。都会ではなく、田園地帯で生まれ育った私ですが、私の懐かしさとも確かに通じていると感じました。
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914.6
「仕事が終わった。今日は金曜日。明日あさっては休みで、特にこれといった用事もない。つまり今夜から日曜の夜まで、子どものころの「放課後」気分で心おきなく本が読める!
――小さなアパートで父と母と3人で暮らした幼少期の思い出を軸に、いつも傍らにあった本をめぐる断章と、読書のススメを綴った柔らかい手触りの書き下ろしエッセイ集。」
子どもの頃の僕は、「無口で」「いつも本を読んでいた」と周りの大人は口を揃える―小説家にして装幀家の、忘れがたい本をめぐる断章と、彼方から甦る少年時代。何度でも、どのページからでも読み返したくなる澄んだスープのような16の随想。文庫化にあたり、新規書き下ろしエッセイ「九人のおじさん」を特別収録。
目次
路地裏の猿
架空バス
夕方の手品師
舞台袖
ポータブル・レコード・プレイヤー
蛇口とヘビイチゴ
ブレーキのない自転車
赤鉛筆
ピザを水平に持って帰ること
枕の下のラジオ〔ほか〕 -
『神様のいる街』のあとがきで知ってから、読みたかった本。私の好みの本。
そして、このあとがき(のようなつづきの話)に『おるもすと』が出てきて、あれ、これ持ってるなと思い、本棚から取り出して、なるほどぉと思った。
本と音楽。うんうんと共感することがいろいろあった。
経験というか体験というか、生きてきて触れてきたものが吉田さんを通して、ものがたりがうまれるんだろうなぁ、と思った。 -
著者の子ども時代の頃が、ゆるゆると綴られている。
同年代なので、地域は違えど状況に懐かしさを覚える。
図書室に通い本好きであったことも共感できた。
本には「読む時間」の前に「選ぶ時間」がある。
もしかすると、読んでいるときと同じくらい選ぶ時間を愉しんできたかもしれない。
このことばにも頷けた。
私の中での記憶も小学生低学年か中学年頃だろうか…叔父さんがプレゼントしてくれたタイトルは、「あゝ無情」だったと思うが、この一冊の本が読書好きになるきっかけだったと思う。
本によって感動を覚え、図書室に足を運ぶようになった。
そして、いろいろな本を探し、選ぶということも愉しみにしてたのだと思う。
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湖永さん、こんにちは。
いつもいいね!をありがとうございます♪
『読んでいるときと同じくらい選ぶ時間を愉しんできたかもしれない』
うん!うん...湖永さん、こんにちは。
いつもいいね!をありがとうございます♪
『読んでいるときと同じくらい選ぶ時間を愉しんできたかもしれない』
うん!うん!そうですね!
そして、私の読書好きになるきっかけだった本も「あゝ無情」でした!とってもとっても親近感です!
これからもよろしくお願いします♪2022/04/05
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本を読む行為ができることが、すごく幸せだと思える。
小学生の他愛のない日常が、時系列ではなく、どんな理由でそうなったかは想像もつかない順番で並んでいる。
もし、今の自分が -
作者の幼少期の思い出がぷつりぷつりと綴られたエッセイ。私は作者とは年代が違うため、昔の日記を覗き見したような感覚で読んだ。作者の他の本で出てきたキーワードや物事がこの本に少し出てきて、他の本を読んでいる時にいつも一番近い別世界のように感じていたのは、なるほどそういうことかと何だか腑に落ちた。
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本書はブクログを徘徊中に目に止まった、ただただ『題名』になんとなくひかれた本で、図書館にあったので借りてきた。
ブクログのアプリ版の方では、自分の本棚内で、自分が作ったカテゴリやタグとは関係なく検索ができて便利だとわかった。
そうして『吉田篤弘』さんで検索したら、自分の本棚内に本書を含めていつのまにか6冊もあったので、新しくタグも作った。
しかし、私は著者とどうも相性が悪いような気がする。
同年代なので時代の懐かしさから、著者の子供時代の(なんの脈絡もなく書かれている)文章をなんとか頑張って読んだが、正直言って全く面白くない。
子供時代の部分に、「緑のおばさんに怒られた」という文が出てくるけれど、私と著者よりちょっと下の年代以下の読者には全くなんのことだかわからないだろうし。
ご本人は、周りの友達が裕福な家の子達ばかりで、自分は裕福ではないことをクラスメイトに隠していたと書いているが、なんのなんの、同年代だからこそわかるが著者は充分恵まれた生活をしていたじゃないの。
お母さんも伯父さん達もいとこ達もハイカラだし、子供の頃に飛行機に乗って屋久島に旅行に行ってるし、欲しいものはアレコレ(高いもの)買ってもらってるし、お父さんは車を運転する人なので著者も乗せてもらってるし…
何よりお父さんお母さん親戚がみんな優しい。
私の子供時代とは雲泥の差。
そういう僻み根性が入ってしまって面白くないのかしら?と思ったけど、そんなことはない。
たとえ超お金持ちの嫌味で贅沢三昧なお話を読んだとしても、読ませる書き方なら普通に楽しめる。
本書に1編だけ入っている短編小説も私にはついていけないタイプで、すっ飛ばしてしまった。
単に文章との相性の問題。
申し訳ない。
たまたま今、他に題名に『水曜日』と入っている本を借りている。
『題名に曜日』というタグを新たに作ってみた。
あと3冊(3つの曜日)も図書館で揃いそうなので追々借りてこよう。 -
本は、読む以前に、
出逢うこと、選ぶことがある。
大人は、本を読みなさいと言うわりには、
出逢い方、選び方は教えてくれなかったな、と思う。
借りる本と買う本の違いなどもなるほどと思う。
本を買うことは、
その本を読むという未来を買うということ。
本当にそうだな、と思う。