韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで (中公新書 2712)

著者 :
  • 中央公論新社
3.86
  • (6)
  • (20)
  • (9)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 254
感想 : 26
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027122

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 久々に読み応えのある本に邂逅した。

    本書はそのサブタイトルにもあるとおり、大韓帝国の成立(1897年)から崩壊(1910年)までの、主に日韓中(付随的に露も)を中心とした歴史を扱う。

    大韓帝国成立以前、朝鮮は中国(清)の属国のような地位にあり(朝貢・冊封体制)、その支配から脱した結果、大韓帝国が成立した。

    ただ、属国といっても朝鮮の内政外交の自由は保たれており、日本が大韓帝国に行った保護国化・植民地化とは大きく異なる。

    また、朝鮮は中華(中国、端的には明朝)の正当な承継者を自負する、「小中華思想」「朝鮮中華主義」という意識を持っていた。

    そのため、儀礼上は清朝皇帝に朝貢し冊封を受けるが、内心は明朝中華を慕っていた。

    また、大韓帝国は朝鮮人自身による革命などで成立したものではなく、清と日本が朝鮮の利権を争った日清戦争の結果、日本が清に勝利した結果もたらされたものだった。

    そのため、大韓帝国成立といっても、それは朝鮮が隷属する先が清から日本に変わったに過ぎなかった。
    むしろ、清は、前述の通りその後の日本に比べれば朝鮮の自治を認めていたため、朝鮮人にとって何が良かったのかは一義的には理解できない。

    また、大韓帝国の崩壊(1910年)の端緒はと言えば、日本による併合、すなわち、本書のタイトルである「韓国併合」である。

    つまり、大韓帝国とは日本により誕生し、日本によって崩壊させられたのである。

    日韓両国は今日でも、太平洋戦争の賠償(従軍慰安婦問題や徴用工問題)など多くの歴史問題を抱えているが、大韓帝国の成立はまさにその契機といって良かろう。

    他方、本書の特徴として著者は次の3つを挙げる。

    ①大韓帝国を主語にした韓国併合の歴史である

    ②資料を最重視した歴史学による手法である

    ③ここ30年近い間に発表された新たな研究成果を組み込んだ

    ①について著者は、今までの韓国併合を扱った書物は、日本を主語に書かれてきた。「日本がなぜ/どうやって併合したのか」という具合に。これを本書は、「大韓帝国はなぜ/どうやって併合されたのか」という視点で描いた。

    ②は歴史に関する書物を著す人間の最も重視すべき基本的かつ重要な姿勢だと思うが、こと韓国や中国の話しとなると、昨今は、一方的で非理性的な嫌韓・嫌中論が跋扈していて辟易する。
    著者もこのことについては、「結論ありき、個人の心情による書物もある」と婉曲的ではあるものの、同趣旨のことを述べている。

    そして、結論として、韓国併合の手続きの有効性は如何にという最大のポイントについて、日本及び韓国の歴史学の泰斗といわれる学者たちの著書を渉猟し、それらを公平に紹介している。

    私は朝鮮の歴史についてさほど明るくないので、ここで紹介される学者の論旨を深く理解することはできなかったが、重要なのは片面的な意見のみを採り上げるのではなく、相反する意見双方を公平に取り上げ、それを実証的に検証する姿勢ではないか。

    その意味で本書は、学者の意見をフラットな視線で紹介している点は評価できるが、更に深く「実証的に検証する」というところまでは踏み込めていない感があり、その点は食いない。

    しかし、本書の最後に日本と韓国の意見の相違が生じる理由、そして韓国併合とは何かが書かれている。

    まず、両国では政治の在り方(アジアでいち早く近代化した日本と儒教思想に基づき中華を追求しようとした朝鮮)も、それに伴う史実の記録や整理の在り方(日本の外交文書には分刻みの電報から長文にわたる事後報告まで多様な文章の蓄積があるのに対し大韓帝国では外国使臣とのやりとりを克明に記録した文書はいまだに発見されていない)も大きく異なるため、それぞれの国の記録を突き合わせて議論しても平行線をたどることになる。

    また、民主化以降の韓国では国民の合意が得られない取り決めは意味を持たない。そして、韓国の国民が持つ歴史認識は道徳に価値が置かれている。韓国の場合は「歴史(認識)とはこうあるべき」という道徳的価値観から史実を見ていると言える。韓国史は「ウリヨクサ」(われわれの歴史)と呼ばれる韓国人の歴史なのである。

    一方、日本は歴史には複数の見方があるとの前提で、自国史も客観的に、淡々と史実を教えようとする。両国の歴史教育には明らかに距離がある。

    これも日韓が互いを理解し得ない理由のひとつであろう。

    そして、これが本書の結びの文章。

    史実に対する理解は決して一つではなく、それゆえさまざまな歴史の見方が成り立つ。

    ただ、そうしたなかでも大韓帝国の資料から抽出される史実がある。それは多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず、歓迎しなかったことである。

    一方、細部まで逐次叙述される日本の史料から抽出される史実がある。それは、日本が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことである。

    これこそが韓国併合ではないだろうか。

  •  朝鮮末期から韓国併合までを、朝鮮・大韓帝国国内の動きを主に描く。分かりやすいと共に実証的で、さすが中公新書と思わされる一冊。
     中華秩序から脱し保護国化が始まるまでの大韓帝国前期を中心に、その他の時期でも、朝鮮・韓国は単なる受動的な被害者ではなく、内政・外政とも様々な立場から方向性が模索されていたことが分かる。
     また、著者が特定の立場に肩入れしていないのもあるが、各立場の善悪や正邪を単純に評価できない。甲申事変と政府。甲午改革と高宗の旧本新参。対露接近と専制君主志向の高宗と、これに反対する独立協会。儒教・儒者を取り込んだ義兵運動。
     だいたい高宗自身すら、西洋文化に関心が高い一方で旧本新参、当初は清との関係に配慮するが後には下関条約で独立国となったことに喜び、更に「皇帝」即位を熱望、后を殺されても皇帝即位のためには日本に秋波、様々な費用に莫大な費用をつぎ込み国家財政とすべき財源を独自に確保、など様々な顔を見せる。西洋式軍服を着た高宗の姿は明治天皇とよく似ている。
     同時に、儒教から脱し西洋風近代化を図った明治期日本を無意識に正解としがちな自分の思考に気づかされた。ただ著者も指摘しているように、大韓帝国が立憲君主制になっていたらその後はどうだったか、とは考えた。
     日韓議定書から併合条約までの有効・無効をめぐる議論については、著者は様々な主張を紹介しつつ断定は避ける。それでも、多くの朝鮮人が日本の支配に合意・歓迎しなかったことと、日本が「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことは史実とする。この点は否定できないのではないだろうか。

  • 日清戦争から日本による韓国併合までの詳細が分かる。
    日本の学校教育では、韓国との関係をほとんど教えてくれなかった。そのため、韓国側の日本への対応に関して理解が難しい。この本を読むことによりそれらの疑問への解があるていど得られる。朝鮮半島の歴史を知り、日本の植民地となった経過を詳しくしることがなければ日本と韓国の関係を語ることはできない。
    非常に近い隣国である韓国と日本が有効的な関係を築くことは両国国民にとっての幸せであることは間違いない。しかし、それが進むのではなく足踏みとか後退が多い。打開の基本は歴史を踏まえることだろう。

  • 韓国併合に至るまでの過程を朝鮮側から描いた書。著者は擁護しているが高宗のビジョンの浅さが際立つ。

    従来の緩やかな朝貢体制下の宗属関係「属国自主」が西洋的条約体制に適応する際に、条約論理上の自主独立と清への完全服属を巡って日清戦争が起き、日本式の甲午改革で近代的独立国となった。
    しかし、対外独立の下立憲君主制を目指す親日改革派(都市部の独立協会)と中華の後継者として専制政治を好む親露的な高宗で対立が起き、大韓帝国成立後、露館播遷などを通じて皇帝高宗は中枢院を無効化し、儒教と洋風を混ぜた皇帝専制を志向するが、財政難に苦しむ。
    日露対立の中、高宗は対露提携・局外中立と日韓協約を天秤にかけ、前者を選んだ。日露戦争勃発後直ちに日韓議定書と第一次日韓協約が結ばれ、政府顧問や軍事利用が進んだ。戦後米英露の承認の下第二次日韓協約が強引に調印、ハーグに密使を送った高宗が退位して伊藤博文統監が政府を掌握した。在野では一進会や大韓自強会の保護国を評価する勢力もいたが、反対する義兵の抗日運動が盛んになった。統監政治の失敗を以て日本政府は韓国併合を決断した。 
    併合の不法性の議論については、日本の強制疑惑/皇帝の批准の有無/決裁過程の不備に収束しており、歴史学・国際法の観点から議論がなされている。儒教的な婉曲表現がわかりにくくさせている一面もあると言う。

    人間味のある高宗が想像できたが、君主としては資質に欠ける印象がある。特に外交姿勢では、誠実さを重視する小村寿太郎とは相容れない態度だった。これが日本の失望を招いて併合に繋がったことは否めないと思う。蹇蹇録でも感じたが、守旧派打破・改革断行こそが日本と朝鮮の差だったのだろう。その意味で徳川慶喜は傑出している。
    正直日清戦争は日露戦争の前座という印象が強かったが、東アジアの秩序変動という意味では大事件だったことを実感した。
    合法不法論争は、蹇蹇録でもあったが朝鮮や清の外交官の国際法への甘い理解が原因な気がする。詳細は下関条約交渉でわかるが、かなりいい加減で、対外交渉でそうなら国内手続だともっと酷いのではないかと予想できるものだった。(儒教的理解から脱却できていないのは現在でもそうかもしれないが)難癖のような議論が多く辟易した。まあ無効という結論ありきの意見に違いないだろうが…

    いずれにせよ、当時の帝国主義世界で日本の権益を拡張するならば、併合までに行かないにせよ保護国或いは庇護下に置いて近代化を進めるしか無かったように思える。高宗の資質次第では親日的な近代国の道を歩んでいたかと思うと残念である。

  • 韓国の文書がかなりつかわれていることが見て取れる。今までの本はほぼ日本側の政治のみであったが、韓国側の政治的な動きが丁寧に書かれている。これからの韓国併合の基本書となるであろう。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000058923

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2712/K

  • 序章:中華秩序のなかの朝鮮王朝、第一章:真の独立国家へ、第二章:朝鮮王朝から大韓帝国へ、第三章:新国家像の模索、第四章:大韓帝国の時代、第五章:保護国への道程、第六章:第二次日韓協約の締結、第七章:大韓帝国の抵抗と終焉、終章:韓国併合をめぐる論争。大韓帝国の側から見た韓国併合の様子を描く。清を頂点とする中華冊封体制から抜け出した朝鮮だったが、小中華の考え方から離れられず、高宗が専制主義を目指したため、近代資本主義を目指した日本の体制に抗うことはできずに保護国、そして日本と併合せざる得ない状況になってしまったことがよく分かる。併合が合法か、不法かの結論は出していないが、主な争点は、①通常の決済過程を経ていない、②高宗皇帝が認めていない、③日本側による強制があった。の三点であることはここ120年の間変わっていないという。

  • 221.06||Mo

全26件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1983年生 東京女子大学現代教養学部准教授
著書 『朝鮮外交の近代』(名古屋大学出版会、2017年、大平正芳記念賞)

「2021年 『交隣と東アジア 近世から近代へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森万佑子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×