韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで (中公新書 2712)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027122

作品紹介・あらすじ

日清戦争で清が敗北すると、朝鮮王朝は清の「属国」から離脱し大韓帝国を建国、皇帝高宗(コジョン)のもと独自の近代化を推進した。だが、帝国日本は朝鮮半島での利権を狙い同地を蚕食していく。日露戦争下、日韓議定書に始まり、1904~07年に三次にわたる日韓協約によって外交・財政・内政を徐々に掌握、10年8月の併合条約によって完全に植民地化する。本書は日韓双方の視点から韓国併合の軌跡を描く。今なお続く植民地の合法・不法論争についても記す。

感想・レビュー・書評

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  • 【請求記号:221 モ】

  • 近年の研究成果を反映しながら、大韓帝国が成立して崩壊していく過程に着目し、韓国併合に至る軌跡と実態を史料に基づき実証的に描く。また、1990年代以降の韓国併合をめぐる合法・不法等の論争についても整理している。
    これまで日本視点での韓国併合論についてはいくつか読んだことはあったが、大韓帝国の視点から韓国併合までの歴史をたどるというのは新鮮で、知らなかった史実も少なくなく、勉強になった。
    特に、大韓帝国や高宗が当初明朝をモデルとした(小)中華思想に基づく国家を目指していて、西欧流の近代国家にいち早く切り替えた大日本帝国と最初から齟齬があったという点は興味深かった。このことを象徴するものとして、日朝修好条規締結前に、日本使節をもてなす宴会で日本側が西洋式の大礼服を着用しようとしたことについて、朝鮮側が明朝中華の服装こそ正式で、西洋式の衣服の着用を認めることは夷狄・禽獣の文化を受け入れることだとして一悶着あったというエピソードが印象的だった。
    大韓帝国側にも、独立協会や一進会など、日本を利用して近代化を進めようという動きが相当程度あったということも理解した。
    最後の韓国併合をめぐる論争の整理もよくまとまっていて、ありがたかった。韓国併合や第2次日韓協約の国際法的な合法・違法の論点はなかなかどちらが妥当なのか
    判断しがたいところがあるが、紹介されている坂元茂樹氏の当時の国際法では有効であるが明治政府の行為は正当化できないという「有効・不当論」の立場に一定の説得性を感じた。
    少なくとも、著者が史料的根拠から結論づけているように、多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず、歓迎しなかった一方、日本が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたというのはそのとおりなのだと考えるので、そのような事実は踏まえた議論が望まれよう。

  • 19世紀後半の列強諸国の東アジアへの関わりから、当時の朝鮮及び日本の立場を説明する。

    長い間中国の所謂「属国」として朝貢体制をとり、正統な中国として見ていなかった清に対し、朝鮮こそ中華思想を継承できる国であると考える非近代的な国家であったようだ。そこに植民地を拡大する列強が侵食してくる。日本にとっては脅威であり、また列強の仲間入りを目指すチャンスでもあったのは確かだ。

    日清戦争、日露戦争、韓国の植民地化は、同じ文脈で語られるが、本書ではそれを含め韓国併合までの日韓両国の条約締結までの背景や史実を淡々と述べてくれているので、読者に正統性の判断を任せているように感じた。

    日韓はよく言われるように近くて遠い国だ。
    歴史認識の合意を探るとしても、政治の在り方や、それに伴う史実の記録や整理の仕方も大きく異なる両国で、現在にまで残され確認できる史料を突き合わせて、日本ではこう記されている、大韓帝国ではこう記されていると議論しても、合意を求めることは難しいだろうと言う。
    そもそも条約体制の外交を実践した国とそうでない国の記録を、対等に突き合わせて議論すること自体が難しい。

    文在寅大統領の登場で、再び最悪の関係となったが、先日訪日した尹錫悦大統領と岸田首相との会談で、お互いの国に対する感情が少しだが改善したようだ(岸田首相に直接お詫びの言葉を発して欲しかったが)。

    私たちは互いに良い未来を構築していく必要があるが、多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず歓迎しなかったこと、一方、日本が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことは事実であり、これこそが韓国併合ではないだろうかと結んでいる筆者の言葉は、我々も認識しておくべきことだろう。

  • 高校までの歴史授業では、明治維新時の内政改革を列挙した後、議会開設と大日本帝国憲法が・・くらいまでしか、聞いた記憶が無い。おそらく時間切れ、あとは自習ということであったろう。日清・日露、大正デモクラシー、太平洋戦争、また、小村寿太郎、原敬・・という単語はもちろん記憶にとどめる。しかし、「韓国併合」について、高校生がどのように理解するかと言えば、征韓論→日清日露の勝利によって日本も版図を広げ帝国主義列強の一員に??という、単視眼的な理解でのインプットを促す書き方でしか、サブテキストなどにも載っていなかったと思う。東学党だの義和団だの閔妃だのというのも片隅に書いてあったとは思うが、あまりにも断片的で頭に入らなかった。
    本書を読んで思いを至らせることになるのは、当時、清、露、欧米列強、日本がグローバリズムの中で少しでもよいポジションを占めるために複雑な政治、軍事の施策を矢継ぎ早に行っていたことである。朝鮮半島は地理的に、そして歴史の時間軸の中で、非常に不幸な位置におかれたようだ。高宗をはじめ、当時の朝鮮の指導者エリートたちは様々なやり方で必死に自分たちの国家をまとめようとした。が、及ばず、現代の私たちがイメージする独立国家への遷移は、そこでは叶わなかった。
    もう一つ、本書で印象に残るのは、他国に乗り込み、駐在して、自国にもっとも有益な結果を生むために、その国の国情を分析し、協力者を作り、工作し、世論、数的優位を整え、交渉カードを準備して、為政者に抜き身を引っ提げ交渉するという生々しい「外交」の姿である。

  • 久々に読み応えのある本に邂逅した。

    本書はそのサブタイトルにもあるとおり、大韓帝国の成立(1897年)から崩壊(1910年)までの、主に日韓中(付随的に露も)を中心とした歴史を扱う。

    大韓帝国成立以前、朝鮮は中国(清)の属国のような地位にあり(朝貢・冊封体制)、その支配から脱した結果、大韓帝国が成立した。

    ただ、属国といっても朝鮮の内政外交の自由は保たれており、日本が大韓帝国に行った保護国化・植民地化とは大きく異なる。

    また、朝鮮は中華(中国、端的には明朝)の正当な承継者を自負する、「小中華思想」「朝鮮中華主義」という意識を持っていた。

    そのため、儀礼上は清朝皇帝に朝貢し冊封を受けるが、内心は明朝中華を慕っていた。

    また、大韓帝国は朝鮮人自身による革命などで成立したものではなく、清と日本が朝鮮の利権を争った日清戦争の結果、日本が清に勝利した結果もたらされたものだった。

    そのため、大韓帝国成立といっても、それは朝鮮が隷属する先が清から日本に変わったに過ぎなかった。
    むしろ、清は、前述の通りその後の日本に比べれば朝鮮の自治を認めていたため、朝鮮人にとって何が良かったのかは一義的には理解できない。

    また、大韓帝国の崩壊(1910年)の端緒はと言えば、日本による併合、すなわち、本書のタイトルである「韓国併合」である。

    つまり、大韓帝国とは日本により誕生し、日本によって崩壊させられたのである。

    日韓両国は今日でも、太平洋戦争の賠償(従軍慰安婦問題や徴用工問題)など多くの歴史問題を抱えているが、大韓帝国の成立はまさにその契機といって良かろう。

    他方、本書の特徴として著者は次の3つを挙げる。

    ①大韓帝国を主語にした韓国併合の歴史である

    ②資料を最重視した歴史学による手法である

    ③ここ30年近い間に発表された新たな研究成果を組み込んだ

    ①について著者は、今までの韓国併合を扱った書物は、日本を主語に書かれてきた。「日本がなぜ/どうやって併合したのか」という具合に。これを本書は、「大韓帝国はなぜ/どうやって併合されたのか」という視点で描いた。

    ②は歴史に関する書物を著す人間の最も重視すべき基本的かつ重要な姿勢だと思うが、こと韓国や中国の話しとなると、昨今は、一方的で非理性的な嫌韓・嫌中論が跋扈していて辟易する。
    著者もこのことについては、「結論ありき、個人の心情による書物もある」と婉曲的ではあるものの、同趣旨のことを述べている。

    そして、結論として、韓国併合の手続きの有効性は如何にという最大のポイントについて、日本及び韓国の歴史学の泰斗といわれる学者たちの著書を渉猟し、それらを公平に紹介している。

    私は朝鮮の歴史についてさほど明るくないので、ここで紹介される学者の論旨を深く理解することはできなかったが、重要なのは片面的な意見のみを採り上げるのではなく、相反する意見双方を公平に取り上げ、それを実証的に検証する姿勢ではないか。

    その意味で本書は、学者の意見をフラットな視線で紹介している点は評価できるが、更に深く「実証的に検証する」というところまでは踏み込めていない感があり、その点は食いない。

    しかし、本書の最後に日本と韓国の意見の相違が生じる理由、そして韓国併合とは何かが書かれている。

    まず、両国では政治の在り方(アジアでいち早く近代化した日本と儒教思想に基づき中華を追求しようとした朝鮮)も、それに伴う史実の記録や整理の在り方(日本の外交文書には分刻みの電報から長文にわたる事後報告まで多様な文章の蓄積があるのに対し大韓帝国では外国使臣とのやりとりを克明に記録した文書はいまだに発見されていない)も大きく異なるため、それぞれの国の記録を突き合わせて議論しても平行線をたどることになる。

    また、民主化以降の韓国では国民の合意が得られない取り決めは意味を持たない。そして、韓国の国民が持つ歴史認識は道徳に価値が置かれている。韓国の場合は「歴史(認識)とはこうあるべき」という道徳的価値観から史実を見ていると言える。韓国史は「ウリヨクサ」(われわれの歴史)と呼ばれる韓国人の歴史なのである。

    一方、日本は歴史には複数の見方があるとの前提で、自国史も客観的に、淡々と史実を教えようとする。両国の歴史教育には明らかに距離がある。

    これも日韓が互いを理解し得ない理由のひとつであろう。

    そして、これが本書の結びの文章。

    史実に対する理解は決して一つではなく、それゆえさまざまな歴史の見方が成り立つ。

    ただ、そうしたなかでも大韓帝国の資料から抽出される史実がある。それは多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず、歓迎しなかったことである。

    一方、細部まで逐次叙述される日本の史料から抽出される史実がある。それは、日本が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことである。

    これこそが韓国併合ではないだろうか。

  • 日本の併合政策を韓国側の視点や歴史で振り返る一冊。イデオロギー関係なく冷静に分析しています。

  • 海を隔てたとは言え、隣国である現在の韓国。
    何故、併合されたのか、歴史の教科書より少し深いところがありました。
    閔妃暗殺をもう少し詳しく知りたかったのですが、そこは他の書と同様にサラッとでした。

    巻末のあたりに
    併合とは日本からの見方で
    侵略、植民地化、韓国(朝鮮)からはそう捉えるのだ
    とある
    とても考えさせられる。
    李氏朝鮮が近代化していく風景を垣間見れた本です。

  •  朝鮮末期から韓国併合までを、朝鮮・大韓帝国国内の動きを主に描く。分かりやすいと共に実証的で、さすが中公新書と思わされる一冊。
     中華秩序から脱し保護国化が始まるまでの大韓帝国前期を中心に、その他の時期でも、朝鮮・韓国は単なる受動的な被害者ではなく、内政・外政とも様々な立場から方向性が模索されていたことが分かる。
     また、著者が特定の立場に肩入れしていないのもあるが、各立場の善悪や正邪を単純に評価できない。甲申事変と政府。甲午改革と高宗の旧本新参。対露接近と専制君主志向の高宗と、これに反対する独立協会。儒教・儒者を取り込んだ義兵運動。
     だいたい高宗自身すら、西洋文化に関心が高い一方で旧本新参、当初は清との関係に配慮するが後には下関条約で独立国となったことに喜び、更に「皇帝」即位を熱望、后を殺されても皇帝即位のためには日本に秋波、様々な費用に莫大な費用をつぎ込み国家財政とすべき財源を独自に確保、など様々な顔を見せる。西洋式軍服を着た高宗の姿は明治天皇とよく似ている。
     同時に、儒教から脱し西洋風近代化を図った明治期日本を無意識に正解としがちな自分の思考に気づかされた。ただ著者も指摘しているように、大韓帝国が立憲君主制になっていたらその後はどうだったか、とは考えた。
     日韓議定書から併合条約までの有効・無効をめぐる議論については、著者は様々な主張を紹介しつつ断定は避ける。それでも、多くの朝鮮人が日本の支配に合意・歓迎しなかったことと、日本が「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたことは史実とする。この点は否定できないのではないだろうか。

  • 日清戦争から日本による韓国併合までの詳細が分かる。
    日本の学校教育では、韓国との関係をほとんど教えてくれなかった。そのため、韓国側の日本への対応に関して理解が難しい。この本を読むことによりそれらの疑問への解があるていど得られる。朝鮮半島の歴史を知り、日本の植民地となった経過を詳しくしることがなければ日本と韓国の関係を語ることはできない。
    非常に近い隣国である韓国と日本が有効的な関係を築くことは両国国民にとっての幸せであることは間違いない。しかし、それが進むのではなく足踏みとか後退が多い。打開の基本は歴史を踏まえることだろう。

  • 韓国併合に至るまでの過程を朝鮮側から描いた書。著者は擁護しているが高宗のビジョンの浅さが際立つ。

    従来の緩やかな朝貢体制下の宗属関係「属国自主」が西洋的条約体制に適応する際に、条約論理上の自主独立と清への完全服属を巡って日清戦争が起き、日本式の甲午改革で近代的独立国となった。
    しかし、対外独立の下立憲君主制を目指す親日改革派(都市部の独立協会)と中華の後継者として専制政治を好む親露的な高宗で対立が起き、大韓帝国成立後、露館播遷などを通じて皇帝高宗は中枢院を無効化し、儒教と洋風を混ぜた皇帝専制を志向するが、財政難に苦しむ。
    日露対立の中、高宗は対露提携・局外中立と日韓協約を天秤にかけ、前者を選んだ。日露戦争勃発後直ちに日韓議定書と第一次日韓協約が結ばれ、政府顧問や軍事利用が進んだ。戦後米英露の承認の下第二次日韓協約が強引に調印、ハーグに密使を送った高宗が退位して伊藤博文統監が政府を掌握した。在野では一進会や大韓自強会の保護国を評価する勢力もいたが、反対する義兵の抗日運動が盛んになった。統監政治の失敗を以て日本政府は韓国併合を決断した。 
    併合の不法性の議論については、日本の強制疑惑/皇帝の批准の有無/決裁過程の不備に収束しており、歴史学・国際法の観点から議論がなされている。儒教的な婉曲表現がわかりにくくさせている一面もあると言う。

    人間味のある高宗が想像できたが、君主としては資質に欠ける印象がある。特に外交姿勢では、誠実さを重視する小村寿太郎とは相容れない態度だった。これが日本の失望を招いて併合に繋がったことは否めないと思う。蹇蹇録でも感じたが、守旧派打破・改革断行こそが日本と朝鮮の差だったのだろう。その意味で徳川慶喜は傑出している。
    正直日清戦争は日露戦争の前座という印象が強かったが、東アジアの秩序変動という意味では大事件だったことを実感した。
    合法不法論争は、蹇蹇録でもあったが朝鮮や清の外交官の国際法への甘い理解が原因な気がする。詳細は下関条約交渉でわかるが、かなりいい加減で、対外交渉でそうなら国内手続だともっと酷いのではないかと予想できるものだった。(儒教的理解から脱却できていないのは現在でもそうかもしれないが)難癖のような議論が多く辟易した。まあ無効という結論ありきの意見に違いないだろうが…

    いずれにせよ、当時の帝国主義世界で日本の権益を拡張するならば、併合までに行かないにせよ保護国或いは庇護下に置いて近代化を進めるしか無かったように思える。高宗の資質次第では親日的な近代国の道を歩んでいたかと思うと残念である。

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著者プロフィール

1983年生 東京女子大学現代教養学部准教授
著書 『朝鮮外交の近代』(名古屋大学出版会、2017年、大平正芳記念賞)

「2021年 『交隣と東アジア 近世から近代へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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