- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121501714
作品紹介・あらすじ
大人と対等と信じ、他人を気にかけなくなった子ども。「プロ教師の会」代表の著者は教職40年で、この変化と格闘してきた。本書はオレ様化の原因を探り、個性化と社会化のあり方を問う。
感想・レビュー・書評
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初めて諏訪先生の本を読んだ。昭和臭い部分もあるので、諏訪先生は、まあ上司にしたくはないタイプの人かもしれませんね。なるほどって感じ。教育論者の比較・検証をする章は圧巻だった。変わる子ども変わらない教師も面白かったかな。すぐ一般化するから、単語を理解しながら読まないと苦しくなる。
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子どもは親(教師)の思い通りに行かないと思うのだが、それでも80年代90年代と子供たちは代わってしまったと感じることがある。
「プロ教師の会」というのがあるらしい。論争を煽り、批判する集団なのか?
2部構成になっており、第1部は子どもが悪い、といことの検証。第2部は教育論者の子ども観。
ゆとり教育はうまくいかなかった。変わる子ども、変わらない教師。
教育が贈与から商品交換となった。
子供たちは、個性=自分独自=他人と異なる、という比較を嫌う。大人と対等な関係を望む。 -
「時代が変わった」
「今の子供は昔の子供と全く違う」
そんな指摘は昨今のいじめ問題を巡る報道の中でも耳にタコができるほど聞かされます。
が、昔と比べたとき、今の子供達は何が変わり、それがどういう形で現状の問題に影響しているのか、そう変化していった原因とメカニズムは何か。指摘の中身を具体的に知ろうとすると、たいていは復古主義的・懐古趣味的な道徳論だったり、どこかで聞いたような核家族化と個別化の話、そして自分の子供時代の思い出との比較という単なる印象論に終わることがほとんどです。
そんな中、本書は戦後の社会の変化をつぶさに振り返りつつ、子供達の価値観が変容するメカニズムを説明します。
本来的に教育というものは、無償の贈与だと本書では指摘されています。その教育の場に経済原理・市場原理が持ち込まれたことで、子供達は消費主体としての個を確立させ、「等価交換」をしようとします。
例えば、テスト中にカンニングが見つかった子が「自分はカンニングをしていない」と堂々と主張することがあります。昔であれば、しらばっくれる態度の中に、自分の罪悪を自覚する部分があり、ばつの悪さのようなものを抱えていたが、真剣に自分は悪くないと言い張るそうです。これって、交通事故を起こした時に「とりあえず謝るな。謝ると責任を認めたことになり、後で賠償責任が発生する。事実が明らかになるまでは余計な事は一切言うな(もしくは否認しろ)」という態度によく似ています。
また、授業中しゃべっていたことを注意されたときに逆ギレする子供の言い分を聞くと、自分が授業中に私語をしていたことで発生した害悪と、満座の前で注意されて恥をかかされた罰とが釣り合わない、という「罪刑の不均衡」に対する不満が表明されていた、という例もあるようです。自分のしたこと以上の不利益を被ることを「損(害)」と考える感性って、すごいと思いませんか?
こういうメンタリティーの子供が増えてくると、教育はなかなか機能しにくくなります。というのは、教育を受けるということは、自分自身に変革をもたらす事に他ならず、「(消費主体の)個」として対等に教師と向き合う形では、その変革自体がなかなか起きないからです。
実は、塾講師をしていたときにこういうことを感じたことがありまして、こういう子はわからなかった問題を「説明してくれ」と聞いては来るのですが、説明を聞くだけで、手を動かそうとしません。「板書を自分でノートに写しながらロジックを自分の手で追わないと身につかないよ」といっても頑なに手を動かそうとしません(二三度言ってもわからない時は、無理にでも従わせましたが)。こういう子のメンタリティって「聞いたらすらっとわかるように説明してくれ。私が理解できなかった場合はあなたの説明が下手なんだ」というものです。確かにこちらの説明がまずかったこともあるでしょうが、関数とグラフの文章題で3工程くらいかかる問題を一回説明を聞くだけで理解し、できるようになろうとするのは、さすがに虫が良すぎるというものです。本書の中で、生徒に学ぼうとする姿勢(変わろうとする姿勢)がないと教育というのはなかなか機能しないという指摘がありましたが、本当にその通りだと思いました。
この辺のメカニズムについては、本書を読んだ内田樹さんが『下流志向』の中で詳しく論じていますので、本書と合わせて読まれることをオススメします。
本書の指摘で面白かったのは、教育の目的についてでした。単なる学力の習得だけではなく、子供を「近代化させる」ことも掲げてあったのになるほどと思いました。ここでいう近代化とは、幼児的な全能感(この私)を相対化し、他者を尊重しつつその中に存在する自分(=個)の意識を獲得させる(=社会性の獲得)ことを言います。
私は、いじめが固定的・閉鎖的な環境下で起こる事象であると考えていたので、学級については解体すべきだと考えていましたが、本書を読んで学級の必要性を再認識しました。
もう一つ面白かったのが、著者の「夜回り先生」こと水谷修さんへのコメントです。夜回り先生のやっていることは教育では無く、聖者の救済であるという指摘は、私の夜回り先生に対する違和感を身もフタも無いくらいにクリアーにしてくれました。そうか、確かにあの人のやってることは「救済」だわ(笑)。
教育というものには、言語化しにくいモヤモヤした部分のメカニズムがあります。本書と内田樹『下流志向』は、それを理解し、考える上では非常に有益な本です。本書は扱っている概念自体が多少ややこしかったり前提知識(といっても入試現代文レベルの近代などの基礎知識があれば十分)を必要とする部分があって、やや読みにくい箇所もありますが、非常に示唆に富んだ一冊で、思考を誘発されるのでオススメです。 -
オレ様化とポストゆとり世代の持つ反社会性や鬱傾向は切っても切れない関係、というのが持論。解決策にはあまり言及されていないらしいが、とりあえず一読したい。
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前時代的な老害教員が書いた感じがする。
保健室に行く生徒を非難するくだりは人の心がないなと思った。 -
筆者は教師という立場から「オレ様化」した子供について、「畏れる」ものを何も持たず、自ら自己を主張して何ら憚るところがないと述べている。
また、子供たちの内面のその自信に比して、その表れの何たる貧弱なことよ、とも。
これについては、親の立場から子供と接する身としても非常に同感する。
筆者が本著でも述べているように、親は育児をする機会が一度きりであり、この子供の態度が近代化の結果なのかどうかは私にはわからないが、その根拠のない自信に満ちた態度にたじろぐことは度々経験したものである。
ただし、だからといって筆者の述べる従来の教育が子供の教育環境として今日望ましいのかどうかは、これもまた判断できなかった。
分かることは、この子供たちの相手をする教師たちの負荷はこれまでの教師たちのそれに比べて遥かに大きなものになっているであろうことぐらいだ。 -
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2017/06/27
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フロイト好き?
10年ちょっと前の著作だが、SNSが普及した今の状況をどう見ているだろうか。
現場の意見なので、ああそうなのかとも思うが、教師を唯一神の補完するものとしてとらえているのは納得しかねる。