国語が子どもをダメにする (中公新書ラクレ 426)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121504265

作品紹介・あらすじ

国語力とは論理的思考力である。しかし、学校では感性の授業ばかり。一方、進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い。カリスマ教師が、国語教育の大罪を内部から検証し、脚光を浴びる「ふくしま式」メソッドを伝授。革命的な国語教育論。

感想・レビュー・書評

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  • テストが返って来たら
    総合点ではなく部分を見ること
    当たり前のことだけど大切なことががたくさん書いてある本
    国語の授業が道徳化してるというのは本当、納得

  • 慶應大学入試の小論文賛辞は同感。入試問題からの小説廃除も異論なし。文学的素養は余力があればつければいいが、それよりも騙されない社会人・消費者になる必要性の方が高いはず。学校の先生方はこのあたりを本当に甘く見積もりすぎている。ただ、著者の長文速読型の入試問題批判?は異論あり。速読速解力は多様かつ大量の情報が氾濫している現代社会において、社会人や消費者の素養・リテラシーとして不可欠だからである(もっとも、現行私立中学入試ほどの難易度が必要かは些か疑義もある)。ともあれ、国語教育批判書としては参考になる書だ。

  • 義務教育での国語の授業時間は約1,500時間。そに膨大な時間が無駄に使われている、いやむしろ間違ったことを教えるのに使われている。だから国語教育を変えなければいけない。
    そんな著者の切実な訴えを強く感じた。
    「国語教育を変えるために自分のできることをしたい」そう思う次第である。

    以上

  • 中々衝撃的なタイトルに惹かれて読んでみました。

    『国語力とは論理的思考力である。』
    という福嶋氏によるそもそもの前提に、まず驚き腑に落ちました。国語は何を教えているのか?何を教わっているのか?と今まで考えてみた事もなかったので。

    英語を学ぶ時には「Grammer」と「Reading」に分けられているのに国語の場合も「文法」と「文学」などに分ければいいというような意見もあり、納得しました。
    小説を読んで登場人物の気持ちを考えるというようなものは、「道徳」だと。「国語」ではないと。納得です。

    技術さえ教えれば誰でも論理的な文章を書けるようになるらしい。言葉というツールをいかに正確に使うかの技術を習得する。それこそが「国語」。私も子どもの頃に技術を教わりたかったです・・・

  • 悔しいけれど、面白かった。

    ○○メソッドだとか、本当の力が付く○○といった類のタイトルに対し、私は胡散臭い目を向けてしまう性質がある。なので、この人の他の著作に目を通した時に、さほど興味はなかった。
    読んでみてもやはり、挑戦的な人だと思われる。

    福嶋氏が他の本でも唱えて?いる三つの方法(言い換え、対比、因果)を含め、おおよその言いたいことは、この一冊に集約されている(と思う)。

    まず、国語教育は「感性」や道徳教育ではないと言い切る所から始まる。
    答えが多種多様に存在したり、授業が生徒主導で作られていくことなどありえない!と、おそらくは鼻で笑っておられるように見える。

    小説問題不要説、論理的思考力の養い方などなど、ただ単なる批判だけではなくて、根拠と実践方法をきちんと提示されている所は重要。

    福嶋氏の言いたいことにはおおよそ肯定であり、今の国語教育は既に彼が向く方向に大きく変化しつつあるように感じている。

    本来、精読とは単にシステマティックな読みを指すだけではないのだと思う。
    深く深く螺旋状に読み進めていくことで、別の「味わい」にぶち当たるはずだと私は考えている。

    型の習得と、書くことと、「読む」ことの相互関係をもっと踏み込んで考察していきたいと思わされた。

  • 要約。
    1.
    国語教育が重視すべきは、文章の内容より形式。(内容が重視されるべきは道徳などの授業に一任すべし)

    2.
    文章の「型」を徹底して教えるべき。(文章の内容や思考を形にはめる、ではない事に留意)

    3.
    読み書きの能力とは、論理的思考能力そのものである。書く力は構成力、読む力は再構成力。論理的思考能力は、関係を整理する技術を使いこなす力を指し、具体的には、言いかえる力、くらべる力、たどる力である。

    言語を使って思考をする技術は、人間が人間であるための大事な条件だと思うので、著者の考えには賛成。
    大学でレトリックとか勉強しても、基礎ができていなきゃね…。
    英語を勉強しても、そもそも言葉を使いこなす事が母国語でできないんじゃね…。

  • ○かなり多くの形式段落が、一文で構成されている。「論理的思考力とは、関係を整理する力である」と筆者は述べている。「整理」という点では、このような文体で書かれていることはうなずける。しかし、「論理の構築」という点では、どうなのだろう。一文段落が続いているところは、どうも先を急いでいる感が強い。
    ○実践現場で行われている授業に問題点を含む授業が多いというのは、否定できない。しかし、「感性」に堕することのない、優れた豊かな実践が行われているということも紹介すべきだろう。
    ○センターテストに対する批判は同感。「評論2問・80分」という考え方には賛成。現状のセンターテストは、あまりにも過酷すぎる。

  •  前作の焼き増し感が拭えません。鮮烈なタイトルに惹かれて読んではみたものの、タイトル以上の衝撃は差ほどないです。他にも色々と不満な点はありますが、他の方がレビューにまとめて下さっているので割愛します

     この方はTwitterをされておりますが、正直呟いて終わりにしておいた方が良いのではと思うくらい、内容が薄いです。私のような貧乏学生は読んでいてだんだん悲しくなってきます。(期待していたほど内容がないため)

     ですが国語教育を巡る様々な環境や学校教育について興味を持つきっかけには十分なりますし、なんだかんだで参考になった部分もあるので★ふたつです

     今度は500円以上のお金を出す価値のある本にしていただきたいです

  •  私自身は社会科学の研究に携わっており、20年以上に渡って学生の論文作成の指導を行ってきました。そのため、やや限定的な視点からの感想となります。
     私たちの分野での文章の作成に当っては、結局のところ、如何に論理的に筋の通った議論を明快に展開していくかということが要になります。したがって、読者の解釈を問うことが問題になるような文章を書くことはできるだけ避けなければなりません。そのため、本書で「文学的文章を出題してはならない」という点や「型が重要である」という点を強調されていることについては、大いに賛同します。実際、後者に関しては、私自身も学生の指導にあたっては、先ずは典型的な「形式」をしっかりと押さえることを求めています。もちろん、それらを踏まえた上であるならば、型を崩してもかまいませんが、「十分な基礎」があってはじめて可能となることです。
     さて、ここで気になるのは、本書自体の文章の型です。ほとんどすべての段落が一つの文章で構成されています。論理的な展開が重要となる文章においては、段落は通常ロジックの段階ごとに構成されるのですが、本書はまったくそのような形式をとっていません。形式の重要性を強調している書物が、形式を全く踏まえていないというのはいったいどういう意図に基づくものなのか(分量を増やすため?などと邪推してしまいます)、不可解極まりないことだと思います。
     さらに、著者は、「終わりに」で、本書への批判をあらかじめ封じこもうとしたのか、「本書が批判されるということは、本書の主張が正しいことの証拠である」、すなわち、「本書が批判されるならば、本書の主張が正しい」という趣旨の奇妙な文章を書いています。ここで、この命題の対偶(論理的には同値である)をとれば、「本書の主張が間違っていれば、本書は批判されない」となりますので、如何に非論理的な主張であるかが理解できるというものです。論理的な文章の構成(本書は論理的思考力の重要性も強調しています)に当っては、このような主張を展開すべきではないでしょう。

  • 「国語が子どもをダメにする」
    国語力とは論理的思考力である。しかし、学校では感性の授業ばかりで進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い。このままでは子どもは危ない。


    国語力。それは論理的思考の技術を使いこなす能力である。


    端的にいえば、論理的思考力である。


    これを身につけさせることこそが国語教育である。


    これは常識だ。しかし、現状はその常識を外れている。


    まず、その現状を知ることだ。


    そして、改革を始めることだ。


    著者福嶋氏がこの本を書いた理由は「国語教育の傷口を開き、現状を知るため」です。福嶋氏はこれまで10冊の本を出版してきました。しかし、それらの多くは治療法重視のものとのことです。この本は治療よりも痛みを伴う。それだけ福嶋氏が本気であるということと国語教育が危機に瀕しているということでしょう。


    内容は非常に重要なことだと思いますし、親や教師、学生も読むべきだと思います。福嶋氏は教育者ですから、道徳のような授業やみんなで授業を作っていこうといった子供達の自主性を生かすということで教えるという行為を投げた授業をしかも国語の時間に行う教師達に怒っています。


    ここで問題なのが、これらの感受性や自主性に任せきった道徳のような国語をやり続け、それが新聞などで理想的な授業として取り上げられ、それについて教育者も親も誰も何も違和感を感じないということ。感受性や自主性を伸ばす授業は道徳の時間にするべきであって、国語の時間でするべきではないはずです。国語は全科目の中で大きな割合(履修時間)を占める教科ですが、小学校や中学校の重要な時期に国語が意味を成していないのは痛いですよね。


    また、「進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い」ということも非常に共感出来ます。実際、私は学校のテストやセンターなどではこれらのいわゆる悪問で点数を稼ぎ、論述に繋げてましたから。しかし、結局それらが国語力の向上に繋がっていないと勉強する側もしっくりきません。


    これ以外にも福嶋氏の熱のこもった指摘が満載です。新聞やtwitterでの出来事を普通に載せているので、「これは何やら言われないのか?」と心配になってしまいますが、それだけ本気だということだと思います。実際、そのような事例を出してもらえると読者としても考えやすいですし。


    読むべきな一冊。

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著者プロフィール

株式会社横浜国語研究所・代表取締役
1972年、横浜市生まれ。早稲田大学第二文学部を経て、創価大学教育学部(通信教育部)児童教育学科卒業。日本リメディアル教育学会会員。日本言語技術教育学会会員。日本テスト学会会員。公立小学校教師を経て、2006年、ふくしま国語塾※を創設(※JR横須賀線 東戸塚駅・徒歩2分)。
著書として、『「本当の国語力」が驚くほど伸びる本』『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕』『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版ベーシック〕』『ふくしま式「本当の語彙力」が身につく問題集〔小学生版〕』『国語読解[完全攻略]22の鉄則(高校受験[必携]ハンドブック)』(以上、大和出版)、『論理的思考力を鍛える超シンプルトレーニング』(明治図書)などがある。

「2020年 『男女御三家・難関校 中学入試国語を読み解く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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