- Amazon.co.jp ・本 (637ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122018518
感想・レビュー・書評
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久しぶりの黒岩重吾氏の小説、読みごたえは十分です。そしてどれほどたくさんの資料を読み込まれ勉強されて書かれたのかもずっしりと伝わってきます。なにしろ6世紀、謎の・・・と接頭語が付く年代ではないものの、文献資料はあまりに少なく発掘資料も雄弁には遠く及ばずの古代の物語。現在も継体天皇の出自については諸説紛々、不在説まである中ですが、本の中では確かに継体天皇も蘇我の稲目も実在しその時代を生きています。
最大の謎とされる都の所在地問題と即位の経緯、なぜほかの豪族が取って代われなかったかという現在の感覚からすると理解しがたい氏族感情、生活の方法、地理、連と臣の違い、渡来氏族と大陸の情勢などなど、断片的な知識が物語の中で整理され統合されて、確かにあったこと(かもしれない)として立ち上がってきます。この物語は黒岩重吾氏の古代史解釈のひとつの答えなのです。その答えは今読んでも見事というほかありません。人物設定も面白く、少し持ち上げすぎ?と感じる部分もありますし、異論反論違和感を含めて、古代史ファン必読、と感じました。シリーズ、もう一度読み直してみよう!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
北風に起つ
黒岩重吾
中公文庫
ISBN4-12-201851-X
1991年11月10日発行 -
謎の大王とされる継体天皇が即位するまでの物語。
日本書紀では別の天皇の時代に起こったとされる事件が無理やり挿入されていて違和感を持ったけど、圧倒的な筆力でぐいぐいおしてくる。
その押しの強さに、「もしかしてそうだったのかも」と思ってしまう自分がいる。
良くも悪くも筆者の情熱を感じられる作品。
あと、女性があまりにも男性に都合よく描かれていて、いろんな意味で「男が書いた男の物語」だと思った。 -
男大迹王(継体天皇)が大和で正式に即位するまでの紆余曲折の物語。蘇我稲目が渡来系の新興氏族である蘇我氏の隆盛の基礎を築いた時代。継体天皇は、近畿の豪族からは蕃夷と蔑まれながらも力を蓄え、大王の血筋が途絶えた空白を埋めるように大王として迎えられた。
古代の物語は、地理的なスケールが小さいのが逆に面白いなあ。 -
412201851x 637p 2006・10・25 8刷
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応神仁徳王朝が途絶した後、空白の王位に就くのは誰か!?
越前・近江の北方勢力を背景に大和への進出をねらう男大迹王(継体天皇)と、次の時代に優勢な地位を得ようと画策する蘇我稲目。6世紀初めの倭を舞台に、大王位をめぐり知略を尽くして繰り広げられる豪族達の戦いの物語。 -
蘇我入鹿の高曽祖父、つまりひいひい爺さんの蘇我稲目と、疑惑の天皇・継体が主人公。
継体天皇と言えば、やっぱ万世一系議論ですね。
日本って特殊だなーって思うのは、いわゆるヤマト政権から今日まで「倭」→「日本」と1回しか国名が変わってないし、王様もずーーっと125代、今の天皇家なんですよね。(あくまで日本書紀によればですが。古事記あたりは欠史ありまくりですごく怪しい)
中国やお隣の朝鮮半島は、バンバン国名も王様も変わっちゃってるのに。
しかし戦後、天皇家に関する規制が解けた時から天皇家の万世一系が疑問視されるようになりました。
その最大の疑惑の天皇こそ、この小説の主人公である継体天皇なのです。
5世紀の日本。
時の大王(天皇)・武烈が跡継ぎを決めずに、病死してしまいます。
後を継ぐべき太子がいないとなれば、このままでは倭の大王家が絶えてしまう、どうするよ…ってなった時に、大和から遠く離れた越(近江とも言われています)から招かれ擁立されたのが、継体天皇です。
でもこの継体さん、100年ぐらい前の大王・応神の4世代後、なおかつ母系の子孫でした。
血薄すぎない?とみんなザワザワしたはず。
いくら大王・応神の血を引いているとは言え、遠い土地で4世代を経過したなら、ほぼ他人だろうと。
あまつさえ大和の人たちからしたら蛮夷と罵られていた土地の人。
当然のように「待った!」の声が上がります。
そんな大王擁立問題に加わり、当時の朝鮮半島南部の利権問題も重なり、倭国は騒然となって行きます。(磐井の乱ですね)
いわば本小説は、歴史小説の中でも「戦国もの」だと思います。
智略合戦にワクワク出来る人には特におすすめですよ。 -
全1巻。
ぶあつい。
日本史上の二大「え?男なの?」
蘇我馬子。
の、父ちゃん、稲目の話。
まあ。
知りません。
なじみがないのは当然なんだけど、
なんか最後まであんまり理解できなかった。
人間関係。
ぼんやり。
主人公は相変わらず男前だし、
わくわくするんだけど、
いまいち印象に残ってない。
なぜか。
聖徳太子の馬子の方が強烈で、
それに比べると少し薄い。
でもなんか最近読んでる黒岩作品は
小説として読みやすい。
あの急さはなんだったんだろう。 -
520年ごろ。継体大王と蘇我稲目の攻防を描いた作品。
登場人物としては,物部尾輿や大伴金村等がいるが,稲目と比較するとやはり見劣りする。
そんななか,継体大王は稲目に太刀打ち出来るほどの知略を備えた王であった。
継体は越の出身であり,これを蛮族視し,物部をはじめ大和の豪族は大王としてみとめず,継体の大和入りを阻んだ。
稲目も当初はその一員だったが,筑紫磐井氏が大和から百済への交易船を襲ったり,大王不在の大和に対し強硬姿勢をとりだしており,大和地方の争いは,筑紫磐井を喜ばすだけだと感じ,稲目は継体の大和入りを承諾する。ただ単に承諾するのではなく,継体の次の大王に自分の娘を嫁がせるよう仕組むなど,10年先を見越していたのである。稲目の娘である堅塩媛は後の欽明大王の妃となり,用明,推古を生み,稲目の子の馬子の時代に蘇我氏は隆盛を極めるのである。
また,一時は物部尾輿と手を組んだ稲目だが,後々は,物部氏を倒すべく百済から仏教を輸入し,倭の神の祭祀権を持つ物部氏と真っ向から争い,馬子の時代に物部守屋を倒すのである。
その辺まで考えていた稲目やはり尋常でない先見性を持っていたといえる。