著者の「マーク・ストランド」というかたは、アメリカ合衆国のかたなのですが、母国ではとても有名な詩人のかただったそうです。2014年に、亡くなられているのですね。
村上春樹が、この作品を訳して日本で文庫版が出版されたのは、2001年。その時には、マーク・ストランドは、存命だったわけですよね。マークさん本人は、とある著名な日本人作家の手によって、自らの作品が日本語で出版されたことを、どんな風に感じたのだろうなあ。きっと、嬉しかったと思うのですが、どうなのだろうなあ。個人的には、村上春樹さんが、マークさん存命中に彼の本を訳してくれていたことは、素敵なことだと思います。
村上春樹は、間違いなくマーク・ストランドという人物のこの作品を好きで、誰かにこの作品を知ってほしい!という思いがあって、訳したのでしょうから。「人を誉めるなら 生きてるうちに」というマーシーの歌詞は、本当に真実だと思うのですよね。
で、個人的には、この作品、正直に有り体にミもフタもなく本音をそのままいいますと
「意味わからん。なんじゃこれは」
でした。うん、本当に、そう思います。
自分は、村上春樹の小説やエッセイはほぼ大好きなのですが、村上さんが訳す外国人作家の小説などは、本当に、ほとんど、楽しいと思えないものばかりで、本当に不思議。何故だ。何故なんだ。こんなに村上春樹が好きなのに。本当に不思議。
ただ、それでも、自分は、村上春樹が大好きですので、村上さんの訳す海外小説を、これからも読み続けるんでしょう。そこはもう、間違いない。読了後、「やっぱ、今回も、無理だった!!!」と叫びつつ。意味わからんが興味深いのは間違いない。そういう思いを持つことができるのは、なんだか、おもろいですよね。まあ、つまるところ、村上春樹が好きなものを好きになりたい自分がいる、ということなのです、多分。
で、この作品。とても有名な詩人が発表した、彼の初小説、という立ち位置らしいのですが、小説?というより、散文?というか、なんといいますか、「小説って何?」という疑問すら湧いてくるような、不思議な作品です。収録されているのは、基本的に全て短編集なのですが、どの作品も、ストーリー、あってないようなもの?きっと、こう、作者は、これらの作品を通して、何かを伝えたいのだろうが、その何かは、何?という感じで、むう、本当に、自分には、ほとんど、理解できませんでした。
「ふむ。なるほどね。そうなのね。ふむ。ふむふむ。
、、、、、で?で、つまるところ、なに?」という感じ、といいましょうか。
ブルース・リー的に言いますと「考えるな。感じろ!」ということなのだと思うのですが、、、すみません、基本的には、なにも感じられませんでした。ということなのです。マークさん、村上さん、ごめんなさい。まあ、人それぞれ、ということで、、、
ちなみに、無理やり日本文学界で例えると、
谷川俊太郎や萩原朔太郎が、小説を発表したとして、その作品を、日本語文化圏以外の国のとても有名な小説家が、その文化圏の母国語に翻訳した、という例なのでしょうかね?どうなのでしょうかね?
とにかく、全然理解はできなかったし、面白いと思う事もできなかったのですが、それでも、大変に興味深い、と思う事はできる作品でした。それは、良いことなのか?悪いことなのか?わかりませんが、これからもずっと、村上春樹の訳す外国小説を読み続けるのだと思います。何故ならそれは、自分にとっての、欲求だからなのですよね。