- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122050761
感想・レビュー・書評
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哲学者と共同で『誰にでもわかる哲学本』を執筆している作家のもとへ、1927年のウィーンから灰色の毛並みの「シュレ猫」がやってくるところから、本書の物語ははじまります。生と死、時間と空間、存在と存在をかさねあわせる能力をもつシュレ猫が、さまざまな哲学者や文学者の意識と一体となり、彼らの思想を語ります。
とりあげられている哲学者・文学者は、ウィトゲンシュタイン、サルトル、ニーチェ/ソクラテス、カーソン、サン=テグジュペリ、ファイヤーアーベント、廣松渉、フッサール、ハイデガー/小林秀雄、大森荘蔵の10章12人です。
それぞれの哲学のイントロダクションにとどまっていて、あまり哲学の勉強にはならないように感じました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ウィトゲンシュタイン
私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する
実存主義
自らの責任で自らを将来に向けてプロジェ(投企)すること。それが人間の形成である。
いつから人間が動物の主人になったのか?
人間が飼ってる動物しか生きる権利はないのか?
ただの人間じゃないか!
文化的免疫力
サリンは、純粋培養された科学者が宗教に傾倒してしまった説。小さい頃から「良いこと」しか学ばなかった人たち?
フッサール
エポケー(カッコ入れ)
セザンヌ
小林秀雄
徒然なる心がどんなに沢山のことを感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか
文理の垣根を超える事。どちらかしか知らないのは世界の半分しか知らない。それができていた文筆家は、小林秀雄、宮沢賢治、サン=テグジュペリ
科学をしているからといって、神や霊を信じていけないことはない。
科学的でないものが悪かというとそうではない。
どちらも知っている幅が必要。 -
哲学
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本書の帯には、こんな言葉が書かれています。<blockquote>古今の哲学や思想の
最も美味なる核心部を
平易に面白くそして深く描き
見事な料理=一級の文学作品に仕上げた
<big><b>本書は『快挙』である。</b></big>
――――筒井康隆</blockquote>まさに、まさにその通り。読了後、心から同意出来ました。
これ以上、もう書き足す言葉が見つかりません。
でもまあ、もう少し頑張ってみます。
まず、「文学作品」と言っても、決して難解なそれではありません。
エッセィを読んでいるかのような、とても軽快な文体で紡がれていくのは、『誰にでもわかる哲学本』の執筆に四苦八苦している「わたし」と、「わたし」の愛猫であるミケコに「重ね合わさった」シュレーディンガーの猫、通称「シュレ猫」との日常です。
シュレ猫は、その特性(?)を遺憾なく発揮して、様々な哲学者たちが「重ね合わさって」出現していきます。
そしてまた、各章ごとに、共著者である「僕」から送られてくる原稿が挟み込まれていきます。
本書は、「シュレ猫」と「わたし」の不思議な生活と、「僕」から送られてくる哲学コラムとの「重なり合い」がそれぞれの章ごとに一纏めにされ、それが積み重なって進行していきます。
その結果、なんとも幻想的な世界観が構築されていくのです。
本書で取り扱われている哲学者たちは、各章立ての通りに記すと下記のようになります。<blockquote>・ウィトゲンシュタイン
・サルトル
・ニーチェ/ソクラテス
・カーソン
・サン=テグジュペリ
・ファイヤアーベント
・廣松渉
・フッサール
・ハイデガー/小林秀雄
・大森荘蔵
</blockquote>
始めにウィトゲンシュタインを持ってくる時点で、もう個人的には大満足なのです。
やっぱりここからスタートするべきだよな、と。
そして、サン=テグジュペリに一章を割り当てているのも素晴らしいです。
似たような作品に、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802235/mdmk-22/ref=nosim" target="_blank">ソフィーの世界</a>があります。
何を隠そう、ぼくが初めて哲学というものに触れたのもこの作品だったりします。
本書は、ソフィーの世界からさらに深く哲学の世界へと踏み込みつつ、決して難解な言葉ではない、出来る限りの平易さでもって語ることに成功しています。
「僕」から送られてくる哲学コラムが、本当に素晴らしいと思います。
哲学は、その独特の性質のために、日常的にはあまり接することのない、極めて異質な言葉によって表現されることが殆どです。
しかし、それらは「哲学」の本質ではないのです。それらはあくまでも、単なる「言葉」に過ぎないのです。
本書から引用しましょう。<blockquote> 哲学するためには、分厚い書物も必要なければ、専門用語の知識もいらない。必要なのは「不思議」に真正面から取り組む謙虚な姿勢である。
眼を見開いて、今、あなたに見える情景について考えてごらん。</blockquote>そう、これこそが「哲学」の本質だと、ぼくは信じてます。
「わたし」の過ごす日常と、「僕」から送られるコラム。
それぞれがそれぞれを補完し合いながら、物語は紡がれていきます。
哲学者がシュレ猫と重なり合い、その哲学者に対して「わたし」が素朴な問いを投げかける。
哲学者たちは、それぞれの特徴を遺憾なく発揮して、その問いに答える。
そこに、「僕」が書いた、その哲学者についてのコラムが挿入される。
この一連の流れが、淀みなく滑らかに繋がっていくのです。
考えることは、愉悦だと思います。
哲学は、その中でも極上のものだと思うのです。
本当の自由は、思考の中にしかないのですから。
本書は、その手引き書として最適の一冊だと思います。
入門書なんて堅苦しいものではなく、「哲学という名の遊園地」のガイドブックだと思いました。
読了後、読みたい本がぶわっと増えてしまって、ちょっと困ってます。
まあそれも、微笑を浮かべながらの「まいったな〜」なのですけれど、ね。 -
シュレディンガーの哲学する猫 (中公文庫)
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もっとファンタシーか、もっと現実路線かに寄ってて欲しいなぁと思ったけれど、あえてのどっちも取りなのでしょうか。
解らないながらも興味があって哲学の授業を受けていた大学時代を思い出しました。(そして、今も変わらない) -
正直ある程度知識がないと難しいかと思った。
ニーチェの所でアポロン的、ディオニュソス的といきなり言われて違いがイメージできるかなと言った感じ。
取り上げている人物は面白いし、優しく伝えようとする気持ちは伝わる。 -
なんだか絵本のような多次元構造なので、哲学者の名前は記号として頭に想起しても、その内容が理解しにくいようだ。
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シュレ猫のストーリーと共に、色々な哲学者について書かれている。
今まで哲学のバックグランドが無い私にとっては難しく、2度読んでなんと無く理解が出来た。