ねじれた文字、ねじれた路 (ハヤカワ・ミステリ 1851)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150018511

作品紹介・あらすじ

ホラー小説を愛する内気なラリーと、野球好きで大人びたサイラス。1970年代末の米南部でふたりの少年が育んだ友情は、あるきっかけで無残に崩れる。それから25年後。自動車整備士となったラリーは、少女失踪事件に関与したのではないかと周囲に疑われながら、孤独に暮らす。そして、大学野球で活躍したサイラスは治安官となった。だが、町で起きた新たな失踪事件が、すべてを変えた。過去から目を背けて生きてきたふたりの運命は、いやおうなく絡まりあう-。アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作家の感動ミステリ。

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの作家トム・フランクリンの長篇ミステリ小説『ねじれた文字、ねじれた路(原題:Crooked Letter, Crooked Letter)』を読みました。
    ここのところミステリ小説はアメリカの作家の作品が続いています。

    -----story-------------
    デニス・ルヘイン、ジョージ・ペレケーノス、デイヴィッド・ロブレスキー絶賛。
    アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作家が贈る感動のミステリ

    ホラー小説を愛する内気なラリーと、野球好きで大人びたサイラス。
    1970年代末の米南部でふたりの少年が育んだ友情は、あるきっかけで無残に崩れ去る。
    それから25年後。
    自動車整備士となったラリーは、少女失踪事件に関与したのではないかと周囲に疑われながら、孤独に暮らす。
    そして、大学野球で活躍したサイラスは治安官となった。
    だが、町で起きた新たな失踪事件が、すべてを変えた。
    過去から目を背けて生きてきたふたりの運命は、いやおうなく絡まりあう――。

    ロサンゼルス・タイムズ文学賞受賞。MWA賞最優秀長篇賞、ハメット賞、バリー賞、アンソニー賞候補。
    英国推理作家協会(CWA)賞ゴールド・ダガー(最優秀長篇賞)にノミネート中の傑作ミステリ。
    -----------------------

    2010年(平成22年)に刊行された作品です……小口と天・地が黄色に染めてある、懐かしく、心ときめく装丁のハヤカワポケミス(ハヤカワ・ミステリ、HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOK)版で読みました。

    ホラー小説好きの内気な少年ラリー・オットと野球選手になれそうなほど才能ある少年サイラス・ジョーンズ……まったくちがう二人が育んだ確かな友情、、、

    が、ある出来事を境に関係は断絶した……25年後、自動車整備士になったラリーは、住人から疎外され、孤独の中で暮らしていた。

    そんな時、町の有力者の娘が失踪……ラリーに疑惑の目が向けられ、治安官になったサイラスは事件の捜査に関係していく、、、

    かつての友との再会がもたらすその先には……。

    25年前に未解決となった少女失踪事件と新たに起きた町の有力者の娘の失踪事件巧みに結びつけ、登場人物たちの複雑な人間関係と心理を深く掘り下げた物語……人種差別や貧困、冤罪といった社会的な問題を背景に、友情や希望、そして再生の可能性が描き出されていました、、、

    少年時代の友情、過去から目を背けてきたふたりの運命……ラリーとサイラスの成長過程を丁寧に描写していることに感動しましたねー ミステリとしてのスリルとサスペンスを愉しみつつ、人間の弱さと強さ、そして運命の不思議さ、そして人生の選択や運命について深く考えさせられるヒューマンドラマとしても愉しめる作品でした。

    深い満足感を与えてくれ結末も心地良く、好みの作品でしたね。

  • しかしアメリカ人はこういうのが好きだなぁ~。
    デニス・ルヘイン、ジョン・ハート……
    閉鎖的な田舎町、貧困、人種差別、レイプ、銃、酒、麻薬、家庭内暴力……。

    ミシシッピの田舎で友人だった二人
    白人でホラー好きで人付き合いの苦手な子と、黒人で母と二人シカゴから流れてきた野球好きの子。仲が良かったはずの二人がいつの間にか離れていく。
    二人の距離が広がった少女の失踪から25年、再び事件が起こり二人は……。

    25年前と現在が二人それぞれの視点で描かれ、最初の100ページは苦労した。
    ミステリーではなく文芸小説だと思って、唐突に切り替わる時間と視点に慣れ始めると、独特の雰囲気の中、ドーンと沈み込み浸ることに……。

    だからこそ、エンディングにちょっといいものがあれば、それで読書が救われる。

  • 読書を愛する気弱で内気な白人のラリーと、活発で大人びた黒人のサイラス。少女の失踪事件を軸に、この二人の人生が交錯していきます。1970年代のミシシッピ州の風土や人種問題を背景に、サスペンスを盛り込んだヒューマンドラマになっていました。

    25年前の少女失踪の容疑をかけられたラリーの人生は、街の人々から疑われ、虐げられ続けた孤独なものです。周囲からの冷たい視線や仕打ちは残酷なものですが、それ以上に、その状況を甘んじて受け入れ、孤独に慣れ親しんでしまうラリーの弱さが悲しい。

    対して、活発で明るく、現在は治安官として活躍するサイラスも、過去から目を逸らし続けて自分の弱さを見ないように生きている、これまた悲しい男です。

    周囲の状況にとことん受身なラリーと、貧しい境遇でたくましさを培ったサイラスという対照的な二人ですが、孤独と弱さを共有しています。

    全てが明らかになったラストで、ラリーがこれまでの人々の仕打ちを詰るわけでもなく、サイラスを受け入れようとしているのが、ラリーのこれまでの孤独を表しているようで、なんだか悲しかったです。かつて自分を見捨てた男にも関わらず、お見舞いにきてくれることに、戸惑いつつ喜んでいる姿も切ない。

    ぎくしゃくとしていて、しかし大きな希望を感じるラストは心地良いものでした。


    もらったコートに袖を通す母親の描写が一番痛々しかったです。

  • ミシシッピ州東南部のある田舎町。住民五百人ほどの緑深い土地で起きた少女失踪事件が発端だった。少年時代の奇妙な友情と、ねじれ曲がった因縁の記憶が錯綜しあう巧みな構成の本作は、アメリカ南部の汗と涙の匂う心揺さぶるミステリー小説である。ストーリーの展開とともに深い味わいに身が焦がされるような思いに駆られ、最終章を読み終えたときには、彼等の行末が安穏であることを願っていた。

  • 「ラザフォード家の娘の行方がわからなくなってから八日が過ぎて、ラリー・オットが家に帰ると、モンスターがなかで待ち構えていた」

    いかにもミステリらしい謎めいた書き出しに興味は募るが、正直なところ犯人はすぐわかってしまう。なにしろ<おもな登場人物>に名前が出ているのが11人。ミステリのお約束として、犯人は必ずこの中にいるはず。そのうち二人の被害者は除外して、残りは九人。その中の三人が捜査関係者で一人は視点人物のサイラス。警察官が犯人というのもあるが、ここは南部のスモールタウン。みな顔見知りだ。仕事以外につきあいのない都会とは訳がちがう。

    もう一人、ラリーという視点人物がいる。登場するなり何者かに撃たれて昏睡状態ということでやはり除外。これで残りは五人。ラリーの父親とサイラスの母親はすでに故人なので、当然除外。ラリーの母親は施設で寝たきりだから物理的に不可能。これで残るはサイラスの恋人とラリーの友人の二人だ。つまり、犯人あてミステリとして読むのは構わないが、はじめから、その種の読み物として書かれてはいない、と言いたいのだ。

    ラリーは、自動車整備工場をやっているが、毎日工場まで足を運んでも客は誰も来ない。十代のころ、デートに誘った少女がその晩から行方不明となり、その容疑者と考えられたことがあるからだ。自白も取れず証拠も挙がらなかったので釈放されたが、狭い町のことだ。それ以来、おっかない(スケアリー)ラリーと陰で呼ばれるようになり、家にも工場にも人が寄り付かなくなった。

    二十五年たった今、また別の少女が行方不明になる事件が起きた。ラリーの仕業と考えた者がいたとしても不思議ではない。ずっと家に石を投げられたり、郵便箱を叩き壊されたりされてきた。父が死に、母が施設に入ってからは、独りで生きてきた。朝起きると鶏に餌をやり、作業着に着替えて工場へいき、ブック・クラブから送られてくる本を相手に時間をつぶし、また家に帰ってくる。マクドナルドかフライドチキンを食べたら、「フロントポーチにつくねんと座っている。どの日もちがう、どの日もおなじ」。

    サイラス・ジョーンズは人口五百人前後のミシシッピ州シャボットのたった一人の法執行官。かつては名遊撃手として鳴らしたが、肩を壊して引退。当時の背番号から、今もみなに32と呼ばれている。この日、パトロールの最中、いつも工場に止まっているラリーの赤いフォード・ピックアップがないことに気づき、救命救急士のアンジーに様子を見に行ってもらう。自分は別件で身動きが取れなかったからだが、顔を出したくなかったからだ。

    十代のころ、シカゴから転校してきたサイラスと母は、ラリーの父カールの土地に建つ狩猟小屋に住んでいた。ラリーとサイラスは、よく一緒にインディアンごっこをやって遊んだが、二人きりで遊ぶ場所はカール所有の森や草地に限られていた。ラリーは白人で、サイラスは黒人。学校では黒人と白人は別のグループに属していたし、何より二人が一緒に遊ぶことをカールは喜ばなかった。

    二人は皮膚の色だけでなく対照的だった。夜逃げ同然に家を出てきたサイラスは住む家だけでなく着る物もラリーのお古をもらうほど貧しかったが、運動神経は抜群で野球の力で進学しようとしていた。対するラリーは、幼い頃から病弱で、吃音や喘息のせいで遊び友だちもなく、一人で本を読んだり、虫や蛇を集めて遊んだりする子だったが、整備工場を営む父のところにはいつも人が集まってきて賑やかだった。

    ある日、サイラスに打ち据えられたラリーは、つい「二ガー」と言ってしまう。その日を最後に、サイラスはラリーと口をきかなくなり、やがて別の学校へ進学し、シャボットを去る。肩を壊して野球人生に見切りをつけたサイラスは、軍隊を経て警察学校に進み、治安官となって町に戻ってきたが、ラリーの家にも工場にも顔を出さなかった。サイラスはラリーに会いたくなかったのだ。

    現在の事件と二十五年前の過去の出来事が、交互に当事者二人の視点で語られる。『ねじれた文字、ねじれた路』という表題は、直接的にはサイラスの頭文字<S>を指すが、アメリカ南部の子どもがミシシッピ(Mississippi)の綴りを覚えるときに教わる言葉遊びの文句からきている。「エム、アイ、ねじれ文字、ねじれ文字、アイ/ねじれ文字、ねじれ文字、アイひとつ/こぶの文字、こぶの文字、アイひとつ」。二人の男の関係をねじれた形を持つ字で表したのだろう。クリスティーやヴァン・ダイン以来、ミステリとマザーグースのようなナーサリー・ライムは相性がいい。

    南部のミシシッピ州を舞台に、小さな町の濃密な関係の中で、誘拐殺人犯の疑いをかけられ、たった一人の友だちにも見捨てられたラリーの二十五年間の来る日も来る日も変わらない生活が冒頭に描写されている。小さな町の中で無視され続けているのに、誰を責めるでもなく、自暴自棄に陥るでもなく、実直に誠実に日々を過ごしている。責められるべきは自分だと思い込んでいるのだ。

    一方、サイラスは仕事上での付き合いも、毎日食事に立ちよるダイナーでの付き合いも卒なくこなし、誰からも愛され、信用されている。アンジーという恋人とも相性はぴったりのようだし、愛車のポンコツのジープだけはいただけないが、町にとって欠くことのできない人物と見なされている。

    この二人の関係が、娘の死体が狩猟小屋の床下から発見されることで大きく揺らぐ。二十五年前、少年だった二人が目にした事実の中にすべては明らかにされていた。ピューリタニズムに抑圧された性的情動のはけ口。支配被支配の関係からくる性的関係の強要。人種差別、とどれも今でも残る社会悪だが、当時のそれは男性優位の支配的な社会にあって、今とは比べようもなく強かった。二人がねじれた路を歩くようになったのは、それらが複雑に絡んでいる。

    小さな町だけに登場人物の数は知れている。それだけに、端役に至るまで、性格付けがしっかりされていて読みごたえがある。一つ一つの描写がリアルで手を抜くことがない。だから、出来事が生き生きと立ち上がってきて、読む者の五感を刺激する。それは南部ならではの土地や動植物の描写でも同じだ。「背後の山は熱帯のようで、雨とミミズのにおいがして、木から水が滴り、雷が落ちた直後のように空気が電気を帯びていた。樹幹の隙間の空をリスたちが跳び、頭上の木の虚でキツツキがスネアロールを打つ。サンカノゴイが叫ぶ」ディープサウスへようこそ。

  • 『そのあとは、野原の向こうの林から昼が流れ果て、夜が居つくまで、フロントポーチにつくねんと座っている。どの日もちがう、どの日もおなじ』

    テキサスの大都会の一番の通りといえども、最も賑わうショッピングエリアから西へ15分も行けば、「町はずれ」の雰囲気が漂い始めるほどに建物と建物の間隔は広がり、駐車場に車が疎らなショッピングモールも出現し始める。そんなエリアに建つホテルにて「ねじれた文字、ねじれた路」を読む。

    もちろん、ミシシッピ川はテキサスを横切ってはいない。隣のルイジアナからメキシコ湾に注ぐ泥の河。しかし、ここもディープサウスと並ぶ保守の州。白人のみが不動産を購入できる元大統領の住む一角があり、厳然とした社会的ヒエラルキーが「機会平等」という原則の下で形成され、その階層の違いと皮膚の色の違いが寄り添うように並び、5分と行かない場所で発砲事件が起こる街である。否応なしに、本の世界が頁から溢れて現実との境を曖昧にする。

    そんな風に本に寄り添って文字を読む必要はないのだが、置かれた場所の雰囲気を身体は脳以上に敏感に感じ取る。理屈ではない、そこはかとない恐怖心が、窓の外の闇の方から忍び寄って来ては取り憑こうとする。ここは安全な場所だと脳がいくら諭しても身体は既に緊張感に縛られている。

    ミステリー風の体裁を保ちながら、この本の描くところは社会派のルポルタージュのようでもある。「評決のとき」「ペリカン文書」を連想させる雰囲気である。最後は「スタンドバイミー」のようなヒューマンドラマの要素が濃くなりはするが、そこに至る間に「羊たちの沈黙」のようなサイコパスの要素も入ってくる。そんな風に書くと何だか如何にも陳腐なハリウッド映画のようないいとこ取りのごった煮のようなものと受け止められてしまいかねないけれど、社会的な抑圧の下に粛々と生きることの描写が読むものをずっと捉えて離さず、深々とした雰囲気の中で頁をめくり続けていくことのできる本であることは間違いない。

    タイトルの言葉は、ミシシッピの綴りを教えるための言い回しということだが、そこにはどこかマザーグース風の響きが伴い、そのリドルの裏に隠されたものは何だろうという思いが常に頭の片隅に棲みつづける。そこにある筈もないアナログ時計の秒針のカチッ、カチッ、と進む響きが脳の中を満たす。ワン・ミシシッピ、ツー・ミシシッピ。頁と伴に時差で痺れた身体は夜の闇へ一歩ずつ引き込まれてゆく。

  • 白人より黒人有利の社会で暮らしている白人男性と黒人男性の物語。アメリカの闇の部分が描かれていて、そこがまたいい。と~っても暗いお話しだけど、最期は希望が持てる終わり方で良かったと読み終わったときつくづく思った。

  • ミシシッピ州の田舎町で40代の自動車修理工が銃で撃たれる事件が起きた。被害者のラリーは瀕死の重傷。しかし、ラリーはちょっと特殊な人物だった。というのも彼がまだティーンエージャーだった25年前。同級生のシンディが行方不明になり、ラリーはその事情を知っている重要参考人だったのだ。
    そして、つい最近も女子大学生が行方不明になり、ラリーは再び容疑者とされていたのだ。
    その街で治安官をしているサイラスはラリーと幼馴染だった。一度街を出て、治安官として戻ってきた彼は、疎遠になっていた筈のラリーの身辺を調べ始めるうちに、少年時代のラリーとの記憶が徐々に蘇り始める。そこには、当時は気づかなかったサイラスとラリーの以外な関係が隠されていた…。

    ミステリーではあるが、読後感の気持ちよさはミステリーとはまた異なるものを感じさせる。40代の青春小説という感じか…。いやぁ、ポケミスは面白い!

  • どんでん返しがあるようなミステリじゃなかったけど。

    読み解かれるのは登場人物たちの人生だったという事。
    二人の男がどう出会い、どう離れ、どう、もう一度近づいていくのか。
    その丁寧な描写がとても良かった。

    終盤、主人公の1人のサイラスが、もう1人の主人公、ラリーの母を尋ねたくだり。
    彼らが共に過ごしたほんの少しの瞬間、
    その子供であることの無敵さと輝きが、ある一説で語られる。
    その部分に胸を打たれた。

    この人の書く文章は美しいと思った。

    そして最後の最後の一文を読んで、私は苦しくなって暫くその余韻に浸った。
    よい本だった。

  • 過去の少年時代を回想・再構築することで、
    現在の立ち位置を浮かび上がらせる手法は、
    濃密でじわりと胸に迫るものがある。
    サイラスが鶏に餌をやるシーンが琴線に触れる。
    いい小説を読んだ余韻がなかなか消えない。

    2011 年 英国推理作家協会賞(CWA賞) ゴールド・ダガー賞受賞作品。

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