ディファレンス・エンジン (下) (ハヤカワ文庫 SF キ 5-2)
- 早川書房 (2008年9月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (446ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150116781
作品紹介・あらすじ
カール・マルクスはアメリカでコミューンを立ち上げ、渡英した福沢諭吉や森有礼たちは、蒸気コンピュータを輸入するために画策する。ロマン派の詩人ジョージ・バイロンは英国で首相となり、詩人ジョン・キーツは蒸気映像作家として活躍する…蒸気機関が夢見る鏡合わせの19世紀で繰り広げられる、幻想と爛熟のモチーフに彩られた傑作歴史改変SF、ここに再臨。巻末にはアイリーン・ガンによる「差分事典」増補版を収録。
感想・レビュー・書評
-
正直に言おう、全く分からなかった。
最後まで話の全体像が見通せず、何がどうなって、話に決着がついたのか、あるいはつかなかったのか、さっぱり。
でも、個々の細部のネオヴィクトリア朝時代のロンドンの町とか、パラレルアメリカ大陸のマンハッタンコミューンとか、もちろん、蒸気機関ダービーとか、は瞠目をもって楽しんだんだけど。
肝心の?ストーリーが。さっぱり。落ちも全然分からないし。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読み終わった。
第四の反復、マロリーの一家の男たちがそろって、キャプテン・スィングと対決するところは、物語としておもしろい。ここはビクトリア朝の冒険小説みたいである。第五の反復は、マロリーはモンゴルに行ってしまい、オリファント(諜報員?)が中心で、犯罪捜査みたいな部分である。
なんとなく分かるが、ちょっと歴史小説だかSFだか分からんところがあり、すこし、蒸気系仕掛けばかりで、ちょっとうるさいところがある。もうすこし、エイダ・バイロンに活躍してほしかったし、モーダス(賭博プログラムだが、何だかよく分からん)のことをもっと詳しく書いてほしかったと思う。最後のちょっとでてくるだけになっていて、自己言及(リカーシブ・コールか)にちょっとふれている。 -
随分と日本が話に参加してる上に活躍していて驚いた。
しかも差分事典とか解説が多くて
上巻の解説が下巻を読んでやっとわかった。
そして、この話が80年代に書かれたことや訳者が亡くなられていること、もはや古典なんだなってネタ元として扱われる理由もわかった。 -
怒濤の展開に翻弄されているうちに、突然ブラックアウトして劇終となった印象。
あ、あれ?終わったの?としばし呆然とした。
なんとも掴みどころの無い物語のようでいて、でも読中はそんな事を微塵も感じさせず。
重厚で壮大で綿密なストーリィテリングは、本当にお見事のひと言。
紡がれる文章の行間から、鮮やかに描き出されていく「蒸気の世界」が溢れ出してくる。
読了後、例しにどこか適当なページを開いてみる。
一行、たった一行を読んだ瞬間に、「そこ」へ没入できる。素晴らしいとしか言いようがない。
発想力の凄さも圧巻。
「有り得たかもしれない歴史」を、実在の人物を絡みながら描き出す。
前提となるべき知識が、かなり多岐に渡るので、そのすべてを理解するのは難しい。
けれど、それを理解できる人にとって、本書の魅力はとんでもないものになると思う。
また、黒丸尚氏による訳も絶妙。
文の勢いや構成を殺すことなく、滑らかに日本語による表現に移し替えられていると感じた。
「スチームパンク」という世界は、どうしたって「向こう側」に属する。
それを、「こちら側」に引き寄せてくれるか否かは、翻訳者の力量に左右されることは間違いない。
これはファンタジィの世界でも同じ。
傑作が腕の確かな職人に訳されることは、読者にとって最大級の幸福となる。
時に、訳書は原作以上の魅力を獲得したりする事だってあるのだろうな、なんて思う。
そしてなんと言っても、巻末の解説の素晴らしさ。
『<a href="http://mediamarker.net/u/ikedas/?asin=4877282920" target="_blank">童話物語</a>』著者である向山貴彦氏の恩師でもある、巽孝之氏による解説は、濃厚で丁寧で親切。
これこそ「解説」のあるべき形であるなあと心から思えるような、そんな解説。
この解説で、本書の魅力はさらに引き出されていると実感した。
解説から引用する。<blockquote>バベッジはさらにこれを複雑化してどんな計算も可能な「<ruby><rb>解析機関</rb><rp>(</rp><rt>アナリティカル・エンジン</rt><rp>)</rp></ruby>」を考案しており、完成こそしなかったものの、じつはこちらの構想のほうがいわゆるコンピュータの走りとして、本書で主題化される「ディファレンス・エンジン」にいちばん近い。にも関わらず『アナリティカル・エンジン』という小説が誕生しなかったのは、ひとえに語感の問題につきる。物語のアウトラインからでもおわかりのように、ここでの最大の主張は「もうひとつの時空間」としての「<ruby><rb>差異</rb><rp>(</rp><rt>ディファレンス</rt><rp>)</rp></ruby>」そのものであり、ディファレンス・エンジンとは「もうひとつの歴史構築」の別名でもあるからだ。
「差異という主題」は何よりもディファレンス・エンジンという装置そのものを大幅に<ruby><rb>差異化</rb><rp>(</rp><rt>ディファレンシエート</rt><rp>)</rp></ruby>する点でその最大の努力を発揮しているのである。</blockquote>さらに、「ディファレンス・エンジン」という音の響きもあるのではないかと思う。
「アナリティカル」という響きと比べ、重く濁って響く「ディファレンス」という響きは、本書を象徴するに相応しいと思う。
本書には、アイリーン・ガン氏による<ruby><rb>差分事典</rb><rp>(</rp><rt>ディファレンス・ディクショナリ</rt><rp>)</rp></ruby>の増補版までも収録されている。
訳は黒丸尚氏と下楠昌哉氏。これも相当なボリュームで、読者の理解を助けてくれる。
題名から解説に至るまで、どこにもまったく隙のない一冊だと感じる。
傑作と呼ばれるに相応しい一冊であると思った。 -
サイバーパンクとかスチームパンクとか全然知らないうえに歴史もからっきしだから非常に厳しかったけど、そういうの押さえてたら物凄く楽しいんだろうなあ…っていうのは伝わった。
-
伊藤計劃、円城塔、ゲイル・キャリガー…
他のサイバーパンク、スチームパンクをぐるっと回ってから記念碑的作品とやらにたどり着く。
んー、欲張ってもキリが無いのは判っているのだけれど、近現代史がもっと頭に入っていれば、もっともっと楽しめたんじゃないかと思ってしまうんだよな。 -
円城塔を契機に読んだ作品だったが、これを読むと彼の『Self-Reference Engine』や『屍者の帝国』が如何に本作の影響下にあったかがわかる。その意味で読んでよかった。
ただ、同様に19世紀のフィクション、ノンフィクション織り交ぜた歴史改変である『屍者』を楽しめた一方、本作で理解が及ばない部分も多かったのは、偏に教養の無さ故だろうなと。もう少し19世紀史を事前に振り返っておくべきだったかと思う。
全体的な解析機関を巡るSF的アイディア、作品構成自体は非常に好み。 -
ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングというSF小説の巨匠二人による共著。スチーム・パンク、サイバー・パンク、歴史改変SFの古典的名作として名前をよく聞くので読んでみた。けど、とにかく読みにくい。『ニューロマンサー』もかなりキツかったけど、歴史的な背景知識がないからか尚の事。
でもこの手の古典はなんとか理解したいという思いもあるので、いつかまたチャレンジしてみようかな。
1855年ロンドン。蒸気機関が発達し、現代で言うコンピューターのような位置づけになっている世界。 -
久しぶりに、最後まで読めなかった本になるんだろう。名作と言われて手に取ったはいいけど、描かれる物語は最果てまでいかないのではないか。という印象がつきまとう。
歴史改編ものなのにもかかわらず、もとの歴史をよく知らない。という読み手の甘さは否めない。けど、それを差し引いてもあまり楽しめなかった。
なんだろ。読み方として間を開けすぎているというのもあるのだろうけど。こんなに楽しめなかった本は久しぶりだ。
もう少し大人になってまとまった時間がとれるようになったら読み返そう -
2015/4/12読了。
単行本が刊行された1991年に読んで以来、およそ24年ぶりの再読。当時は面白さがまったく分からなかった。だから再読というより再挑戦だ。
初読時に面白くなかった理由は明らかで、19世紀の西洋史や科学史の知識を僕がほとんど持っていなかったからだ。今回は付け焼き刃でも構わないから最低限の勉強をしてから読むことにした。
とりあえず下巻巻末の「差分事典」の全項目をiPhone片手にGoogleの検索窓に打ち込んで、ネット上の関連情報を読み漁ってみた。24年前に同じことをやろうとしたら図書館に通い詰めて重い百科事典と格闘せねばならなかったろう。24年寝かせておいた甲斐はあったということになる。
この勉強の結果として得た知識もさることながら、実はスマホ検索という方法によって体験した以下の二つの感覚が、本書の読解にはとても役に立つような気がした。
蒸気コンピュータの19世紀を描いて20世紀に刊行されたSF作品を読むために、21世紀の小さな電子コンピュータで巨大な集合知ネットワークにアクセスする。茶の間や喫茶店や電車の中で。なんと言うか、この行為自体がある意味では24年前に僕が想像していた24年後とはディファレントな未来世界の出来事だ。改変されたディファレントな歴史をディファレントなエンジンを使ってディファレントな未来世界で読むという、ねじれた歴史の中に身を置いている感覚があった。
また、この勉強は言ってみれば計算機たちの自意識(と呼ぶにはまだ早ければ単に記憶と呼んでもいい)をテキストで読むという行為だから、蒸気と電子の違いこそあれ、方向性においては計算機が語り手である本書を読むのとあまりディファレントなところのない相似な行為であるとも言える。小説を読む前に小説の構造を現実の世界で反復して小説の世界へ近づいていくような、メタな状況の中に身を置いている感覚もあった。
この二つの感覚は、24年前にわざわざ図書館に行って紙の百科事典をひっくり返していては決して得られなかったものだろう。スマホという器官でネットという外部記憶野に常時接続する身体を人々が獲得しつつある世界が到来して、ようやく気付くことができた感覚だ。実にサイバーパンクっぽい。やはり24年寝かせた甲斐はあったのである。
このように付け焼き刃ながら差分事典を注意深く読み直し、情報を大量に頭の中に仕入れてから小説本体を読み始めたところ、内容やノリがまあなんとか理解できた。それでも歴史ネタの大部分はネタと気づかずに読み飛ばしているのだろうなあ。何気ない情景描写に実は歴史的な出典があって、しかもそれが改変ネタになっているとか。
ともあれ、24年前はこれのどこがサイバーパンクなのかさっぱり分からなかったが、少なくとも今回はこれが紛れもなくサイバーパンクであることは理解できたので良かった。これが理解できずに24年前の自分はよく最後まで読み通せたものだと呆れるくらいだった。本書を読む前にスマホで歴史の勉強、これオススメである。