- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150309848
作品紹介・あらすじ
9・11以降の、"テロとの戦い"は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす"虐殺の器官"とは?ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化。
感想・レビュー・書評
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戦争を引き起こすことができる構文。
9.11のテロは様々な作品で俎上にあがる問題である。その後の問題としてある種の風刺的な作品かと感じた。
戦争を引き起こすのは決まって人ではないか。その国の人間が望んで起こす場合にも他国との関係は切っても切り離せない。
そんな世界の情勢を考えさせられる作品だった。
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勧められなければ手に取るジャンルではなかった。一部グロテスクな表現はあるものの、それほどではなく読み終えることができた。立場によって変わる正義。正義とは何かを改めて考えさせる作品だった。
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物騒なタイトルと繊細な心理描写。荒っぽい戦闘シーンと知性溢れるやり取り。
ストーリーはもちろんだが、披露される知識や概念、考え方が非常に面白い。でも決して衒学的ではなく、その匙加減が素晴らしいと思います。 -
この人は頭かなり良いんじゃないかー。
私の頭じゃ大変でした。
近未来SF?近々ここに出てくる技術は確立してしまうような感覚になる。
SFだが、自由、戦争、テロ、人間の思考など現実的に語られていて考えさせられる本。
見聞きしたいものだけを選ぶのが人間で、他を知らんぷりか…確かにあるかも。 -
タイトルの言葉に、ぐっと心が反応した人は、本書を読んで損はない、と思う。
ここで指す「反応」には、もちろん拒否反応も含まれる。
本の雑誌などで、かなり高い評価を受けていた伊藤計劃。
本書を読んで、その理由がよく分かった。
伊藤氏は、神林氏に匹敵する才能を持った作家さんだった。
その早すぎる逝去は、ただ惜しいのひと言に尽きる。
卓越した言語感に裏打ちされた骨太の物語を、もっともっと読んでみたかった。
本書は、その残虐なシーンの数々に眉をひそめる向きもあろうかと思う。
けれど、どこまでも静謐で淡々と綴られていく筆致の冴えは、その残虐さを限りなく薄めている。
さらさらと流れる清流のように。残虐なシーンは流されていく。
それは、モノクロの記録映画を観ている感覚に近い。
作品としての完成度は、おそらく高くはないのだと思う。
しかし、ここには歴とした「可能性」が煌めいている。
兎にも角にも、ただただ惜しい。
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初めましての作家さん。故人だったとは・・・
SFって、苦手意識が強く働いてしまうので
普段は避けているんだけれど、読んでみたら、
頭の中に知らないうちに忍び込まれた様な
やられた感に打ちのめされてしまいました。
なんか、リアル過ぎて惚けてしまいました。
アニメ映画化してるということなので、探してみましょ。 -
「虐殺器官」のアイディアと、ラストの主人公の決意(決して良いとは言えませんが……)が、知的で新しい!
ひどいこと言ってるのに、つい感心して納得。
(つまり私には、器官にせよ紛争減少にせよ、この本の世界でこれ以上の方法を思いつけない)
外国、しかも架空の設定なのに、ここで描かれる紛争や戦闘を日本の読者に他人事ではないと感じさせる力量も、素晴らしいです。 -
近未来の混沌を描いたSF大作。
主人公はアメリカ軍の特殊部隊員であるシェパード。
軍事物のアクションが迫力があり、しっかり書かれているだけでなく、ストーリーと何よりそこで語られる哲学的問と最後に現れる皮肉的なラスト。
意味深長で考えさせられることが多い良書でした。
人の言葉・良心の本質について問いかけられました。
ストーリーのあらましは近未来において、世界は安全で管理された先進国と残虐性が支配するカオスな後進国とに分かれていた。
そんな世界の中で急激に大量虐殺を伴う内戦が頻発し、主人公を含む特殊部隊が虐殺の黒幕暗殺に奔走するが、その陰には常にある男がいた。。
これだけの才能ある人物がすでに逝去されているのを悔やむばかりです。 -
「この豚を殺したのは、間違いなく俺なんだけどさ」
そう言いながら、蛹は皿の上のソーセージにフォークを突き立てた。
半分ほど囓り、口の中で玩ぶ。多分、食欲がないのだろう。目の前の問題から逃避するために、面倒くさいことを言い出す。いつものことだ。
フォークに残されたもう半分を指さし、僕は言う。
「そのソーセージを僕が食べたら、その豚は誰が殺したことになるんだろう?」
蛹は口の中の肉片を飲み下し、答える。
「俺が食べた分は、俺が殺したんだ。先生が食べた分は、先生が殺した。当たり前だと思うけど」
そう、と僕は適当に頷く。
うん、と蛹も適当に頷く。
他愛ない、いつもの世間話だ。
それはともかく。
「虐殺器官なんてものがあるとして」
蛹は、傍らに置いてある本に、ちらりと目をやる。先ほど読み終えたばかりらしい。
「あるとして?」
僕は聞き返す。
「どうだろう、と思って」
いきなり丸投げされた。
仕方ない、考えよう。
「……平和を模索するしかないんじゃないのかな。僕はあまり死にたくないし」
僕は、思うままを述べる。
「僕らに備わっている虐殺器官が、どういう形で僕らを動かすのかは分からないけれど……どうあっても身近な人と殺し合うような状況になるというならば、生きる目的も揺らぐのかもしれないしね。そして、そういう状況になるまで、理性は現実を理解できないのかもしれない」
「実際に死体を目の前にしなければ、現実感がないのかもしれないってこと? 何が見たいんだろうね。頭を吹き飛ばされた死体とか、腹から捲き散らかされた小腸とか、そういうものを見なければ、死を想像することもできないのかな」
そんな話をしながら腸詰めを食べるというのは、どう考えても狂っているんじゃないかな、などと思いながら、僕はフレンチトーストに生クリームを塗りたくって、口に放り込む。
もっとも、僕が言う「正常」とか「狂っている」とかいう基準は、その言動が第三者に有益か不利益かという程度のものでしかない。前者の方が円滑に社会生活を営むことができるのは明白で、だからこそ、患者をそちらに誘導するのも僕の仕事だった。
ちなみに、世の中には円滑な社会生活というものに全く興味がないというタイプの患者がいて、それが目の前でロイホの朝メニューを食べている青年だ。11時ギリギリに、ソーセージとスクランブルエッグとトーストのプレートを注文し、しかも本人は昼食のつもりなのだ。
ちなみに、便乗してフレンチトーストを注文したのは僕だけど、それは甘いものを口にしないと目が覚めないからで、つまり僕にとっては朝食だということ。朝食をとる人間と昼食を食べる人間が同席するために、時空を越える必要はない。
さて。
「僕らの世界では、死はまだ近くにあるよ」
僕は拙い抵抗をする。医者として、あるいは人としての、最低限の抵抗を。
「そこら中の病院で、毎日誰かの家族が死んでいる。場合によっては、延命治療をするかどうか、判断を求められる場合もある。ちゃんと、残酷な世界だよ。心配はいらない」
「そう?」
「そうだよ」
ちなみに蛹は先ほどから、フォークでスクランブルエッグを掬っては、僕の皿に乗せている。
「どうだろうね」
フォークをペロリと舐め、静かに笑いながら、蛹は言う。
「ねえ、生きているものが死ぬことを、どれだけ遠ざけるのかが、社会というものじゃないのかな。そういう世界では、屠殺も虐殺も同じなんだ。同じくらい遠くのものなんだよ、先生」
「屠殺と虐殺は違うよ」
僕は言う。
「そうかなあ。同じだと思うけれど」
蛹は言う。
僕は反論の言葉を探す。けれども蛹が口を開く方が、早かった。
「少なくとも、殺される方にとっては同じだよ。死は死だから。殺す方にとっても同じだ。殺すことに意味があるから殺す」
僕は、どうにも納得できないという顔をしてみせる。蛹が悲しそうな顔をしたのを、僕は見逃さない。
「先生が言いたいことは分かるよ。すごく。みんな、そうやって逃げてきたんだ」
「殺す理由を仕分けしてあれこれ言うのは、いつだって外側にいる人間だってことなら、うん、そうかもしれない。自分は外側にいると思っている人間。お前が大嫌いな人間だね」
それはそれとして今日は平日で、僕はいい加減クリニックを開けないといけないし、今日最初の予約患者といつまでもファミレスでだらだらしているわけにもいかない。
「コーヒー」
そう言ってカップを差し出す蛹には、せめて僕に対してだけは、多少の社会性を身に付けてほしいと思わないこともなかった。
「ところでこの本、映画化って、冒頭のシーンどうするのかな?」
僕は気になったことを口に出してみる。
「え、普通にやればいいんじゃない? どうせ最初にテロップだすんだろ。この作品には残虐な表現がどうこうってさ」
「いや、さすがに色々無理じゃないかなあ……」
脳漿はともかく、腸はね。 -
タイトルや表紙に何か特別なものを感じていたわけではなく、知人に教えてもらわなければおそらく手にとることすらなかったと思う。
ところどころでグロテスクな表現や受け入れ難い出来事が起こるがそれはこの作品において必要な残虐さではないかと感じられた。
良心とはなにか、残虐とはなにかといった価値観についてSFという思考実験を通して考えさせてくれるため、自分たちが当たり前だと思うものは結局周りの環境や見てきたものに左右される上で本当の正義とは何かわからなくなるのもこの作品の魅力だと思う。 -
言葉には、やはり力がある。解説まで読むべき。
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SF。軍事サスペンス。
6年くらい積読状態だった本。ようやく読んだ。
内容の濃さは確かなんですが…。
正直、ストーリーが面白くない…。
自分は基本的に、登場人物の誰かに感情移入して読む、あるいは、できる限り情景を想像して読む、というスタイルだが、この作品に関しては、どちらも上手くできなかった。
『ハーモニー』はけっこう楽しめたが、恐らく自分には合わない作家さんだったのだろう。 -
引き込まれるけれど
全体の印象はそんなに面白くはなくて、
身体の感覚を持たなくなる兵士の感情と
自分達がテレビ越しに見る戦争への感覚
小説を読んで痛みを想像する感覚
など考えさせるあたりが良かった。 -
SFというと「行き過ぎたテクノロジーが人類に牙を剥く」という未来に向けて書かれるイメージがあるけれど、この作品はそうではなかった。むしろ今現在の「ぼくらの世界」、今ある平和に対して課題を突きつける。
壮絶な戦場の描写、近未来的生活風景、「平和」を享受する人々の罪の在り処とあり得べき罰、その先にある赦しの希求、どれも面白かった。 -
以前読んだ『ハーモニー』よりこちらを評価する。第一稿を10日で書き上げたそうだが、才気あふれる作品というのはそういうものかもしれないと納得した。
以上で発言を終わろうと一旦思っていた。が、チラシ裏程度のことでも、自分のための読書メモだと考えて、自分が思った通りのことを書いておくことにする。
この作品には大きな欠点がある。
最初の賞の受賞を逃したのは、この作品を真に偉大な作品にするには物足りないその欠点が原因ではないかと推測する。
まず・・・・最後まで物語を引っ張る原動力となるジョン・ポールが、あまりにも欧米の知識人「らしくない」こと。
欧米の知識人は自己について言及する能力が豊かだ。言い換えれば「物語形成能力がある」。
日本人よりはるかに抽象的な思索に富むし、自分の考えを語ることに慣れている。別の言い方をすれば言い訳がましい。それも立て板に水の名調子で語る。語る。紙面を埋め尽くすように語りまくる。ロシア文学の名作ならその本の三分の一くらいといっても大げさではない。
この本の主人公は無神論者だが、無神論者であるならあるで、自分がなぜ無神論者であるか、欧米のフィクションに登場する「インテリ」なら聞かれてもないのに長広舌を奮うだろう。主人公より知的なジョン・ポールなら尚更。
この作品はリアリティを無視してでも、物語を着地させるため、ジョン・ポールに数ページにわたって雄弁に語らせるべきだったのだ。
さらに言うなら主人公も、最後の母親のエピソード・・・・主人公に「回心」とも言うべき衝撃を与えたに違いないエピソードで、もう少し慎み深さを捨て去るべきだった。
終盤の主人公は、ある意味外国人が「理解できない」と困惑する日本人の典型を見ているよう。当然悪い意味でだ。
どうも白人の、それもエリートという設定にしては、最重要人物が二人とも「らしく」なさすぎる。読んでいる最中に耐え難いと感じるほど。(彼らの行動に説明がない)
この作品はプロットもアイデアも申し分なく素晴らしい。
けれど人間をその人のプロフィール「らしく」描けていない。
ほんのちょっとでもこの作品を強化するには、せめて主人公は日系アメリカ人でなくてはならなかったと思う。
が、それは些末事だ。
読者の関心は何よりジョン・ポールにあるのだから。
ジョン・ポールが語るべきことを語っていないこと。これがこの作品の見過ごせない重大な瑕疵である。
けれど逆にそのことによって、この本は違う重大な問題を照らし出してる。
死の淵に立っても自分を語る言葉を持たない日本人という問題を。
言葉が過ぎかもしれないが、今はそう思う。 -
SFと言えど、割と近しい未来の話なのではないかと思った。2010年に書かれてるのか、、、。
いやームズイっす。自分にはムズカッタ。
三行に要約できるほど簡単じゃないし、結論はこうだよねって解が出るような話でもない。てか、そんなことできたら戦争起きてないしな。
「どこかに監禁されて、身元も分からないようにされないと〜〜〜〜」の台詞の例えが「カスパーハウザーよろしく」なのがオシャレすぎて鼻水出た。
以下、感情と思考の殴り書き。
コイツは人を殺してるという事実があるのにそれは自己の意識かプログラムされた中での行為なのかで罪が変わると思ってるのか。思考と教養とでただただ自分を肯定しようとしてる自分を認めたくないだけではないか。と終始イライラした。
が、最後まで読むと、生死の境界線で生きてるからこそ殺害と死の実感がなかった、テクノロジーが発展しすぎて、そのテクノロジーを受け入れしすぎて、そして生体を学問的に知覚的に感覚的に理解しすぎて、生死が理解できてない子供だったのではないかと。家族の愛も実感できずに、感情の成熟度が子供のまま、頭脳と肉体とが大人になってしまった兵器だったのではないかと思った。
それがルツィアと出会うことで愛を実感し、一気に感情が成熟してしまったことで、兵器としてのクラヴィスが消え、人間になったのでは無いかと。
殺しに善悪はなく、自分の中の関心領域に明確な線引きをすることで、"守る為に殺戮する"を心から肯定できた人物が最愛を亡くしたジョンポールで、ルツィアとジョンポールを失ったことでクラヴィスは理解することができるようになってしまったのでは。
感情としての関心はルツィアにあったが、思考や行動としての疑問を解決してくれる人物はジョーンポールであると心では分かっていたのではないか。
感情も成熟し、思考も整理され、多くの犠牲のもと、自分を理解し受け入れることが出来たからそこ、虐殺器官を行使する行動に繋がった。罪を背負うという名の諦めと絶望が、クラヴィスの自己を受け止めた結果なのではないかと。ジョンポール然り。
諦めと絶望と期待と希望とは混在する。
0,100ではなく、全てが混ざり合って存在する。
社会に生きる上で、今まで個が重要だと思っていたけど、個は国や組織の中の数字の一部で、自分もそうであるが故に、戦争や虐殺のなかの悲痛な声は社会的には無意味であり、自分が個人単位で動こうとも何も変わらないのであれば、虐殺器官を行使されても、今までの自分たちの行いだから仕方ないよね。って感じ?自由の犠牲は自分のたちでけつ拭かなきゃ。
何度も何度もでてくる「まるで○○のようである。」と有名な作品や一般的な事象に例える思考は、殺戮の世界で生きる自分とピザ食ってコーラ飲んで平凡に生きている人々と何ら変わりないものだと、言い聞かせているみたいだった。
どんな正義があろうとも、どんな事情があろうとも、殺しをした時点で罪は発生し、殺しに関わった時点で罪はあり、重さなんて関係せず、皆に等しくあるのではないかと。
殺しの正当性は、この世にどんな理由があろうとも無いと思う自分の考えは、世間知らずで、苦悩知らずで、馬鹿な人間の甘い考えですか。
許しなんてこの世になく、あるのは「地獄は頭、脳みそのなかにある」アレックスの言葉が、最後には何となくしっくりきた。
そうなのかもしれない。
とゆーか、殺しをしなければならない、戦争に参加せざる得ない、個人の力では動かせない環境下での自分の意思での殺し、どうしようもない世界で生きてる人たちの罪を和らぐために、その逆の世界で生きてる人たちが無関心という殺しに加担している罪を背負うことで相殺できないものかと、願う。
まるで自分は戦争のこと考えてます、この世界のこと考えてます、皆罪背負って逆ハッピー願いますとか、つらつらと書いてるがそんな自分もピザ食ってコーラ飲んで映画見てるんだから、悪魔だよな。
無関心も殺しも正義もぜーんぶあくまだ。
最後のクラヴィスは地獄と悪魔を受け入れ、自由を手に入れた姿だと思った。
※Audible -
圧倒されるスケールとその深淵。
難解な文章の中に、考えさせられるものが存在してる様に思う。
この今の時期に読めたことを素晴らしいと感じる。 -
現代の先進国間の戦争はサイバー空間で行われるという。それはサイバー攻撃だけでなく、SNSにフェイクニュースを拡散して国民を分断することなども含まれる(詳しくはこの本棚の #0404.FakeNews/EchoChember/陰謀論/Propaganda )。
それらは社会学、心理学のアプローチをテクノロジーでレバレッジさせる領域で各国のAIが仕掛ける新たな戦争のかたちとなっている。そしてその影響は民主主義国家で顕著に現れだしていると言って良い。つまりジョン・ポールは人でなく、アルゴリズムであり、すでに不気味にその触手を指数関数的に拡大させている。
「核の抑止力」についても僕は懐疑的だ。北朝鮮のような小さな国が持つと、政権がヤブレカブレになった時、使用も拡散も止められなくなる可能性がある。9.11のような飛行機ハイジャックもその突入先を原子力発電所にすれば核兵器に変貌する。本書で「サラエボでの核爆弾が破裂した日に世界は変わった。核兵器が使える武器に変わった」というが、その引き金は常に指かけられている。
ーーここからは伊藤計劃さんの文体についての感想。
文体から感情の熱量を感じ取れなかった。戦場の、特に殺人描写がリアルだがまるで麻酔を施されているように痛みがない。ミリタリー系ゲームを眺めているようだ。僕は痛みの共感を伴わせないこの手の暴力コンテンツが嫌いだ。作者に対して嫌悪感すら抱く。
しかし伊藤計劃さんが執筆当時、がん手術を何度も受けて片足の機能を失い、肺の一部を切除し、なおもがん転移に侵され余命に向き合っていたという事実を読後に知って、この「感情のなさ」を共感することができた。
僕も大腸がんで一部切除して現在も抗癌剤治療を受けている。長い入院生活と連続体験する麻酔と手術は感情を激しく削る。感情的になるといろいろシンドイので、自分の身体に起きていることの詳細な理解にエネルギーを費やした方が心の平和を保ちやすいと知るからだ。伊藤計劃さんがわずか10日で本作品を書いたらしいが、その間、この文体のようにリアルな描写を客観的になぞることで心のバランスを保とうとしたのはとても理解できる。 -
間違いなく今まで読んだ日本のSF小説の中でも屈指、いやNo.1だろう
ショッキングなタイトルに負けないほど内容も衝撃的。緻密な構成、重厚で深遠そしてリアリティのある世界観、臨場感溢れる戦闘シーン、どれも圧倒的。
そしてラストのカタルシスで読んだあとしばらく放心状態に。とてつもなく高い完成度でエンタメ性とメッセージ性を両立させた傑作。 -
遂に話題の虐殺器官を読んだ!確かに面白かったが…
うーん、もっと鬱々とした気分の時に読めば良かった。
自分はかなり晴れやかな気分の時に読んでしまったのでイマイチ感情移入出来なかったが、沈んでる時に読めばかなり面白いはずだ。もったいなかった…
内容的には哲学的なところが大半で、ストーリーとミステリもありつつ。
色々と救いがなかったり、哲学的過ぎて理解し切れなかったりしたところもあるがそれもまた良し。
SFというよりは言葉だったり死生観だったりを考えるのが好きな人は好きだと思う。 -
近未来のSFでありながらも現代が抱える苦悩、テロ、認証システム、貧困、軍事、環境問題、DNAそして人の倫理観や家族愛を盛り込みつつ、虐殺を促す言語という魅力的な仕掛けを軸に物語は展開する。
軍事的ディテールや哺乳類の筋肉を使った機器、モジュール化された意識をON-OFFする発想なども秀逸。多数の文献が盛り込まれているであろう、圧倒的な情報量、そして残忍性に独特な世界観を感じる。濃密な読者体験。
これを映像化するのは無茶な話だと感じる。
自分の置かれた環境を守るために遠い国を内戦にするという発想は、愛するものへの懺悔が根底であることを考慮してもいささか無理はありそう。そういう意味では主人公であり語り部であるジョンシェパードが起こした内戦も、愛するルツィアを失ってなければおよそ実行しなかったろうし思い読了感に少々の疑問符が。
人の死を強く意識する内容は作者が置かれた病魔との戦いにも無縁ではないであろう。人生を紡ぐ渾身の物語を。 -
三部作の中では最も好み。
言葉がもたらす洗脳をテーマに戦争・テロリズムに切り込んだSF小説。かなりストイックかつハードボイルドな趣。登場人物の掛け合いは映画みたいにオシャレだし、シェパード大尉と同僚の軽口など楽しめましたが、全編ほぼシリアス。
作中ギクリとする言葉が何個もあり考えさせられた。
人は基本見ないものしか見ないし自分の半径50メートルが平和ならそれでいい。
よその国で今起きてる虐殺より、自分を取り巻く日常を守る習性が悲劇を拡散させている。
フィクションの壁を挟んで安全圏にいた読者をも共犯者にひきずりおろすような底力がある(引きずり下ろすといったが、ただ当たり前の事実に気付かされるだけかもしれない)
知らないでいることは悪なのか。知ろうとしないこそ悪なのか。善悪とはなにか、正邪とはなにか。
妻子を亡くしたジョン・ポールの選択は非情で過激だが、カウチに寝そべってピザやポテチを摘まみ、テレビの戦争映画に一喜一憂する私達は聖人気取りで彼を断罪できまい。
映画も視聴済みだが、エンターテイメントしてはあちらのラストのほうがまとまりがよかった。
原作のラストは蛇足と見る向きもあるが、個人的には気に入ってる(なんとなく浦沢直樹「MONSTER」と同種の雰囲気を感じる……)
シェパードと亡き母の確執も挿入されるが、記録された言葉や映像は現実を補強するだけで事実を担保するに足り得ない皮肉が、作品の主題に通底していてぞくりとする。