猫を抱いて象と泳ぐ

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163277509

感想・レビュー・書評

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    小川洋子
    1962年、岡山県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で第7回海燕新人文学賞、91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。2004年「博士の愛した数式」が第55回読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞。他の主な作品に「ブラフマンの埋葬」(2004年第32回泉鏡花文学賞)、「ミーナの行進」(2006年第42回谷崎潤一郎賞)などがある


    アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・アレヒン
    (Alexander Alexandrovich Alekhine, ロシア語:Александр Александрович Алéхин、1892年10月31日 - 1946年3月24日)は、ロシアのチェスの選手である。1927年にフランスに帰化した(発音は、「アレヒン」と「アレキン」の中間、時に「アリョーヒン」と表記されるが母音にトレマはなく読み誤りである)。

    生涯
    モスクワの裕福な家庭に生まれた。父親は地主でドゥーマの一員だった。1914年サンクトペテルブルク大会で3位に入り、他の入賞者4人とともにグランドマスターの称号を贈られた。ロシア革命後、結婚を機にフランスに、のちドイツに移住した。

    同じ1927年にキューバのホセ・ラウル・カパブランカに挑戦、マッチに勝利して世界チャンピオンとなった。この時の契約にはチャンピオンのリターンマッチの権利が定められていたが、アレヒンはカパブランカとの再戦を避け続け、1929年と1934年にエフィム・ボゴリュボフを相手にチャンピオンを防衛した。

    1933年には世界ツアーの一環として来日、目かくしでの同時対局を帝国ホテルで行ない全勝、将棋棋士の木村義雄との対局にも勝利したという。[1]

    1935年に格下と見られていたマックス・エーワに敗北、失冠した。敗因は準備不足と過度の飲酒習慣にあったとされる。断酒して臨んだ2年後のリターンマッチでは雪辱を果たし、再びチャンピオンとなった。

    第二次大戦中にはナチス・ドイツ占領下のフランスで行なわれた競技会に参加、対独協力者と見なされた。そのため戦後は主な競技会に招待されず、移住先のポルトガルを中心に小規模な大会とマッチに出場した。1946年にチャンピオンのままポルトガルのエストリルで死去。

    アレヒンの死後、エーワ、ミハイル・ボトヴィニク、サミュエル・ハーマン・レシェフスキー、パウリ・ケレス、ワシリー・スミスロフの5人でチェスの新チャンピオン決定戦が行われ、この決定戦に優勝したボトヴィニクが新チャンピオンとなった。

    逸話
    アレヒンはその創造性豊かな棋風から「盤上の詩人」と称えられ、映画『ロシアの白い雪』(1980年)のモデルとなった。
    チェスの実力は誰もが認めていたが、ホセ・ラウル・カパブランカを嫌い、一度タイトルを奪った後は徹底的に対戦を避け、自分の参加するトーナメントからカパブランカを締め出すことに注力し、人間的な評判はあまりよろしくなかった。しかしカパブランカが死去したとき、「二度と現れない偉大なプレーヤーを失った」との言葉も残しており、複雑な感情を抱いていたと言われる。

    関連する作品
    『猫を抱いて象と泳ぐ』 - 小川洋子の小説。チェスで優れた才能を発揮する少年が、アレヒンになぞらえて〈リトル・アリョーヒン〉と呼ばれる。


    なんか儚いというか幻想的というか

    淡々と小さなことを謙虚に頑張る人の、世界が広がっていくイメージ。

    小川洋子さんの小説に救われるという感覚は無かったのだけど、あらためて考えてみると、現実世界でを少数派な存在や浮いてる存在、歪んだところなどを魅力的に書いてくれていることで「少数派な存在の自分も肯定された」みたいな気分になっていたのかもなーと思ったりした

    この人の文章はまさに「静謐」という感じがする。淡々と冷たいようでいて、穏やかさもある。


    自分、中村うさぎ、小川ようこ どちらもすきふたりとも、宗教を信仰している。クリスチャン、金光教 小川氏だと、祖父が「神父」的職業


    全体がセピア掛かってるイメージ。

    フランス映画みたいな、絵画の中みたいな、独特の雰囲気に浸れます。

    全部読んでいませんが、文章が美しくてとても好きです。登場人物に、知的・精神的・発達の面にやや障害がある人が多い気がします。いわゆる「普通」の人が普通にできる言動を普通にできなくてもがきながらもゆっくりおだやかに静かに優しく生きている様子、そしてそういう人をそばで優しく見守っているのが印象的です。


    本を読む幸せを教えてくれた作家です。全ての作品それぞれ好きですが、短編集「いつも彼らはどこかに」の、主人公たちの、誰にも気づかれず隅っこに小さく生きているさまを、執拗に描く容赦のなさは、小川さんしか書けないなと思います。


     少年は極端に口数の少ない子供だった。近所の人たちは寡黙な祖父に似たのだろうと思っていたようだが、実はもう一つ、原因と思われる秘密があった。生まれた時、上唇と下唇がくっついていたのだ。そのために産声さえ上げることができなかった。  新生児の唇の奇形は珍しくないが、少年の場合、唇の形そのものに異常はなく、ただ薄い皮膚と粘膜の境目が、どう引っ張っても剥がせないほどしっかりと、上下癒着してしまっていた。医師にとっても初めて目にする症例だった。  生まれたばかりの赤ん坊の様子は、口の中に隠した暗闇を、決して他の誰かに見せたりなどするものかと決心しているようでもあり、同時にまた、出口を失った声の響きに胸を詰まらせ、途方に暮れているようでもあった。

     しかしいくら寡黙であっても、言葉を喋りだすのが遅かったわけではない。それどころか反対に彼は、ようやくつかまり立ちをはじめた頃から、すべてのものに名前があることを理解し、驚異的なスピードでそれを覚えていった。彼の頭の良さに最初に気づいたのは祖母だった。ある日彼女が「縫い針、縫い針……」と言いながら裁縫箱をかき回していると、よちよち歩きの少年が、自分の唯一のおもちゃである熊の縫いぐるみを差し出してきた。 「ああ、お前にはおばあちゃんが何を探しているか、分かるんだね。何て賢くていい子なんだ。ありがとうよ」

     少年の友だちはインディラとミイラの二人だけだった。学校ではいつも一人ぼっちだった。自分からは誰にも話し掛けず、授業中、先生に指された時だけしぶしぶ小さな声で答えた。唇の産毛はたいてい、元気なくうな垂れていた。  しかし一人でいることは少しも苦ではなく、むしろ同級生たちが寄ってくる時の方が危険だった。彼らは少年をプールの裏に引きずってゆき、三人がかりで押さえつけ、犬を服従させる時のように下顎をつかんだ。

    男はひどく太っていた。何段にもたるんだ腹はベルトからはみ出して垂れ下がり、腰もお尻も太ももも区別できないほどの巨大な贅肉の塊と化し、顎は首周りの脂肪に埋まっていた。短く刈り上げられた髪の毛には白髪が混じっていたが、肌は脂ぎってつやつやとし、声には張りがあった。 「こう見えてなかなか手が込んでいるんだ。床はアイスランド産のクロマツ材、 梁 はアルメニア産のオリーブ材、タイルはカタルーニャ地方で焼いたものを取り寄せた。ステンドグラスはノルマンディ、漆喰はレバノン、レースはベトナム。いちいち挙げていったらきりがない。どんな小さな棚一段から取っ手一つに至るまで、お座なりな仕事はしておらんよ」

    「バスを家にするのは、ゼロから家を建てるよりずっと難しい。何を取り外し、何をどう生かすか、常に適切な取捨選択が求められる。スペースの狭さに囚われて多くをあきらめ過ぎれば、面白みのない家になり、欲を出しすぎれば収拾がつかなくなる。バスである事実に敬意を払いつつ、いかに自分の主張を表現してゆくか。そこのところの調和が大事なのだ」

    「ここでチェスを指したあと、一人でプールへ泳ぎに行ってたんだ。ヒートアップした頭を冷ますのには、プールが一番だって言ってな。冷たい水に浸ると、ぐっすり眠れるんだそうだ。チェスとプールだけが楽しみの男だった。奔放に攻撃するスタイルの持ち主だが、それに見合う犠牲を払う勇気も、ちゃんと備えていた。チェスは攻撃よりも、犠牲の形に人間が現れ出る。立派なチェスプレーヤーであり、立派な運転手でもあった。あの晩、俺が引き止めるべきだったんだ。もうそろそろ寒くなってきたぞ、いい加減にしとけよ、ってな。あの一瞬だけ、犠牲を払うタイミングが遅れた。もう、取り返しがつかなかった。どんなにささいなミスだと思っても、絶対に許してもらえない時がある。チェスはそういうゲームだ」

     これが、少年とチェスとの出会いだった。男はチェス連盟からマスターの称号を与えられているわけでも、国際トーナメントで活躍したわけでもない、ただの平凡なチェス指しだが、チェスとは何かという本質的な真理を心でつかみ取っているプレーヤーだった。キングを追い詰めるための最善の道筋をたどれる者が、同時にその道筋が描く軌跡の美しさを、正しく味わっているとは限らない。駒の動きに隠された暗号から、バイオリンの音色を聴き取り、虹の配色を見出し、どんな天才も言葉にできなかった哲学を読み取る能力は、ゲームに勝つための能力とはまた別物である。そして男にはそれがあった。一回戦であっさり敗退しながら、ライバルたちが指す一手一手の中に一瞬の光を発見し、試合会場の片隅にたたずんで誰よりも深く心打たれている、そんなプレーヤーだった。

     最初、ルールを教えてもらった時、まず少年が心惹かれたのはチェス盤のデザインだった。マスターが持っているのは五十センチ 五十センチ四方ほどのテーブルを兼ねた珍しい種類で、白と黒に色付けされた正方形の木材が市松模様に埋め込まれ、本を読んでいる途中でもお茶を飲んでいる時でも、思い立ったらすぐにチェス盤に早替わりさせることができた。マスターはベッドに、少年は食卓の椅子に陣取って盤に向き合った。二人の足元には必ずポーンが控えていた。

     一体この上で何局のゲームが繰り広げられたのか、テーブル兼用のチェス盤はかなり磨り減っていた。所々の升目が窪んでいたり、白と黒の境が薄くなっていたりした。しかしそのことは少年を少しもがっかりさせなかった。むしろ、そうした傷一つ一つが溺死運転手の刻んだ 証 のように思え、よりチェス盤に対して親しみの気持が込み上げてきた。運転手について少年が覚えているのはプールの水に揺らめいていた腋毛だけだったが、チェス盤を眺めているうち、マスターの丸々した指と、手袋を脱ぎハンドルから駒へと持ち替えられた運転手の指が、盤の上を往き来する様が浮かんできた。

     少年は一人ボックス・ベッドに横たわり、扉を閉め、興奮を抑えながら天井を見上げた。枕元の電球に照らされるとそれは薄暗がりの中にくっきりと姿を現し、祖父の引いた輪郭はますます際立ち、まるで宙に浮いているかのように見えた。それは彼が生まれて初めて手に入れた、自分だけのチェス盤だった。実物の駒が並ぶことは一度としてないにもかかわらず、目に見えない少年だけの駒が自由自在に旅をするチェス盤だった。

     少年はチェスについて、毎晩ミイラに話して聞かせた。 「キングは一番偉いお父さん。そのお父さんを守るために家族皆で協力し合うわけだ。協力者の中で最も力を持っているのがクイーン、つまりお母さん。長女ビショップと次女ルークは男勝りのお母さんの分身で、長男ナイトは母親にできない働きを買って出る……なんて言われてもピンとこないよ。だって、パパの顔は覚えていないし、ママはもういないんだから」

    「おかしいと思わないかい? だって、偉いお父さんなら、自分が真っ先に犠牲になっても家族を守るはずだろう? なのにキングは最後まで痛い目に遭わない。一番苦労して活躍するのはクイーン、お母さんなんだ。だから僕はこのキングお父さん説には納得がいかない。僕の考えはこうだ。キングは村の長老、他の誰も知らない法則や伝承や教訓を知っていて、世の中を救う力を持っている。ところが何百年生きているのか分からないほどの老人だから、あまり大きく動き回れない。自分の升目の隣に一歩、どうにかよろよろ移動できるだけなんだ。そして村の若者たちは協力し合って長老の知恵を守る。若者たちはそれぞれ異なる役割を背負っている。八方好きな方向へ行ける者もいれば、天空を飛べる者もいる。皆、互いを補い合いながら、自分に与えられた使命を果す。偶然が勝たせてくれるんじゃない、与えられた力をありのままに発揮した時に、勝てるんだ」

     初めの頃少年はよく駒の動かし方を間違えた。ついうっかりアンパサンやキャスリングのやり方を忘れたりもした。けれどマスターは一度としていらいらした表情を見せず、ただ落ち着いた声で、 「あっ、これはここには動かせないんだよ」  と言うだけだった。間違いを正すというより、残念だがチェスの世界ではこういう決まりになっているんだ、悪いな、とでもいうかのような口調だった。  おかげで少年は間違いを怖れなくなった。びくびくする必要がなかった。まずは思うがまま、自由奔放に駒を動かすことで、少年は少しずつチェスの海に潜るための準備を整えていった。

    「何となく駒を動かしちゃいかん。いいか。よく考えるんだ。あきらめず、粘り強く、もう駄目だと思ったところから更に、考えて考え抜く。それが大事だ。偶然は絶対に味方してくれない。考えるのをやめるのは負ける時だ。さあ、もう一度考え直してごらん」  と、言った。

     マスターが見抜いた少年の最もすぐれた能力は、彼が一つの間違いから実に多くを学ぶことだった。チェスを覚えはじめの子が陥りがちな罠に、少年もことごとく引っ掛かったが、普通の子が一刻も早くそこから脱出しようとしてもがくのとは違い、彼は罠に身体を預けたまま、その位置や形状や手触りをじっくり味わうのだった。そして二度と同じ穴には落ちなかった。

     ある日、マスターは少年に一冊のノートをプレゼントした。学校で使うノートよりも小ぶりで細長く、表紙はポーンの瞳と同じ水色をしていた。開くと中には、規則正しく縦線と横線に区切られ、番号を振られた、試験の解答用紙のようなものが印刷されていた。 「チェスノートだよ」  と、マスターは言った。 「ゲームを記録しておくためのノートさ。坊やがこれから誰かと対戦するたび、このノートに記録を残してゆくんだ。一ページ一ページが坊やの歴史になる」

     最初の頃、毎日バス会社の独身寮に寄り道してくる少年を祖父母は怪訝に思ったが、やがてチェスを教わっているらしいと知り、余計な口出しはせず好きなようにさせた。むしろ無口だった少年がチェスについて生き生きとお喋りをするようになっただけでなく、マスターというあだ名の友だちまでできたことに安堵していた。産毛の生えた唇のせいで、この子には無邪気に転げ回って遊べる友だちなど一人もできないのではないかと案じていたからだ。実際、マスターは少年と一緒に転げ回るには身体が巨大すぎたが、チェス盤の上ではお互い密に絡み合っていたのだから、祖父母の思いも決して的外れではなかった。祖父母はできれば、チェスにのめり込んでゆく少年を手助けしたいと願っていた。しかし手助けをしたくても、何をどうすればよいのか方法が分からず、結局は邪魔をしないようそっと見守るしかなかった。

     少年はマスターから借りるチェスの本の中でも特に、偉大なプレーヤーの伝記を読むのが何より好きだった。彼らの波乱に富んだ人生に思いを馳せ、彼らの名前を冠した定跡や、歴史に残る名局を天井チェス盤に再現していると、いくら長い夜でも時間が足りなかった。

     少年は、俳優でもあったスタントンの美男子ぶりに驚き、流星のような天才モーフィーが生み出した、調和という概念に圧倒され、美ではなく科学によって勝利のメカニズムを分析したシュタイニッツが、晩年精神を病んだことに心を痛めた。シュタイニッツが残した言葉、「もしポーンを一つ多く持っていれば神をも打ち破ることができる」という一行には、哀れみさえ感じた。あるいは、マルセル・デュシャンが目指した、動き続ける駒がかもし出す静や、顕微鏡レベルのミスも見逃さないボトヴィニクの厳密さには、ついうっとりしてしまった。  少年は棋譜さえ見れば、そのプレーヤーがどんな人間か思い描くことができた。慎重派か怖いもの知らずか、皮肉屋かお人よしか、社交的か口下手か……。性格だけでなく、駒を持つ手つきや声のトーンや体臭までもがよみがえってきた。たとえ三百年前の人でも、現チャンピオンでも変わりはなかった。ボックス・ベッドの天井チェス盤では、死者もそうでない者も平等だった。

     なぜただの記号のつながりでしかない棋譜から、そんなにも多くのことが感じ取れるのか少年は不思議に思い、マスターに尋ねてみたことがあった。 「もしチェスが頭脳だけを使ってやるゲームなら、棋譜は単なる記号にしかすぎないだろうな」  と、マスターは言った。 「しかし、チェスは頭脳の良し悪しだけで勝敗が決まるものではない」 「運も必要ってこと?」 「いいや。運は無関係だ。運がよかったと思える試合でも、それは天から偶然降ってきたのではなく、本人が自分の力で導き出したものだ。チェス盤には、駒に触れる人間の人格すべてが現れ出る」  宣誓文を読み上げるようなかしこまった口調で、マスターは言った。 「哲学も情緒も教養も品性も自我も欲望も記憶も未来も、とにかくすべてだ。隠し立てはできない。チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」

     実はもう一つ、アリョーヒンの 虜 になる理由があった。それは彼が猫好きであることだった。アリョーヒンが右手に猫を抱き、左手でチェスを指している写真を見つけた時、少年は思わず「あっ」と声を上げた。

    「まあ、あれはお遊びみたいなものだからな。でも倶楽部の会員たちは違う。チェスの虜になった人たちばかりだ。坊やと同じようにな。もちろん皆、俺よりうんと強い。強い相手と対戦しなくちゃ、チェスは上手くならないし、チェスの喜びも味わえない。チェスの海は、坊やが思うよりずっと広くて深いんだ」

    木製の扉に掲げられた、 真鍮 のプレートに刻まれたアルファベットは、おそらくパシフィック・チェス倶楽部を表していたのだろうが、流麗すぎるデザインのせいで少年には判読できなかった。ノックをする間もなく扉は内側から開き、目の前に倶楽部が姿を現した。少年はたじろぎ、一歩後ずさりした。そこは彼の想像とは何もかもが違っていた。チェスをする人の集まりなのだから、チェス盤が規則正しく並ぶ、トレーニングルームのようなところと思っていたのに、部屋は薄暗く、重厚に飾り立てられ、目を凝らしてもどこにチェス盤があるのかよく分からなかった。革張りのソファーがいくつも配置され、あちこちに花が活けられ、天井まで届く本棚は難しそうな本で埋まっていた。チェスと何の関係があるのか、壁には油絵や絵皿や鹿の角が掛けてあった。回送バスの甘い匂いとは似ても似つかない、ひんやりとした空気が足元に漂っていた。

     そうこうしている間にたちまち少年は主導権を握られた。相手方の繰り出す手は、マスターとは随分色合いが違っていた。危うい橋を渡って果敢に攻め込んできながら、決してこちらに武器は手渡さず、時には息を殺し、静寂を保ち、バランスよく陣地を固めていった。どんなに奔放に見える手もただ華々しいだけではなく、強固な骨格に支えられていて、隙がなかった。

    「つまり、最強の手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い。だから、坊やの気持は正しいんだよ」

     喪が明けたことを示す本当の知らせ、目に見えない何ものかが天から送った真の合図、それが明らかになるまでしばらく時間が必要だった。リトル・アリョーヒンは十一歳の身体のまま、それ以上大きくならなかった。精神やチェスがどんなに成長しようとも、身体はテーブルチェス盤の下に収まる大きさを保ち続けた。

     唯一の例外は唇だった。ある日、唇の産毛が濃く太くなっているのを見つけたリトル・アリョーヒンは驚きのあまり叫び声を上げそうになった。もちろん見た目の問題からではなく、彼固有の悲劇に関わる問題からだった。

     もちろん回送バスの思い出にはマスターの姿があった。マスターはいつも心優しい隠れんぼの鬼だった。坊やの隠れ場所をとっくに突き止めているのに、気づかない振りをして、盤下の見えざる詩人と対局するという態度を貫き通してくれた。どれほど唇の脛毛がたくましく生い茂ろうと、マスターの姿を思い出す時は必ず、坊やに戻って涙ぐんだ。

    海底で綴られた詩を求めて人々が人形の前に座ってくれることを、リトル・アリョーヒンは誇りに思った。対戦相手の多くは彼よりも弱かった。勝って当然の一局をありのままに勝つことは簡単ではない、と彼は経験上よく知っていた。相手がどんな初心者であっても勝つためにはさまざまな努力がいった。そういう場合、彼が最も重視したのは棋譜の美しさだった。相手が強ければ、ギリギリのせめぎ合いから 自ずと研ぎ澄まされた手が繰り出されてくる。しかし弱い相手は、しばしば間の抜けた鈍重な一手を指してしまう。その時彼は、相手の足元をすくい鈍重さをあからさまに晒すような手ではなく、新たな風を巻き起こし視界を広げるような手でお返しをする。棋譜に記される一行が調和する方向に目を向ける。多少遠回りになっても、結局はその遠回りが勝利を導いてくれる。スパッと切り捨てる勝ち方はできなくても、相手も含めてすべての駒を星座の一点として生かしながら、勝つことができる。

    お手本はマスターにもらったチェスノートだった。それを開けば、マスターが未熟な坊やの一手にどうやって光を当ててくれていたかが分かった。か弱い音を和音に加えるために、マスターが何をしたのか、すべての記録がたどたどしい少年の筆跡で残っていた。ああ、あの頃は何も分かっていなかった、とリトル・アリョーヒンは改めて思った。…

     彼が美しい棋譜を求めたのは、ミイラにも関係があったかもしれない。彼女に醜い棋譜を書かせたくなかったのだ。長い間壁に埋まっていて、世の中の汚いものに一度も触れたことがないようなあのほっそりした指には、醜い一手は似合わない。棋譜に記される記号は、ミイラに相応…

    リトル・アリョーヒンが一番楽しみにしていた対戦相手は、“〝 老婆令嬢”〟 だった。人形のお披露目の一局以来、老婆令嬢は不定期に、二か月か三か月に一度の割合で姿を見せた。見物客が押しかけたのは最初の一局だけで、あとはいつも一人だった。チェス盤の前の椅子を目指して響いてくる堂々とした靴音で、すぐに彼女だと分かった。  勝負は最後までもつれる場合が多かった。目に見えないほどの微小なミスのために打っちゃられることもあれば、ドローが続くこともあったが、リトル・アリョーヒンにとって彼女との対局は例外なく楽しかった。老婆令嬢とは相性が良かったのかもしれない。例えばインディラと声にならない声で会話し、親しみを感じ合うのと同じように、老婆令嬢との駒と駒の会話もまた、彼を飽きさせないのだった。ルークの大胆さはつむじ風となって彼を吹き飛ばし、ポーンが犠牲になる時は哀切なメロディーを彼の鼓膜に届けた。

    「旅のいいところは、思いがけない物と出会えること。不思議な自然現象とか、珍しい食べ物とか……あっ、そうだ。今思い出した。まだ私がほんの小さな子供の頃、大金持ちのお屋敷で手品をした時、チェスセットのコレクションを見せてもらったことがあるわ」 「コレクション?」 「そう。離れがチェス博物館になっていたの。海辺の高台に建つ立派なお屋敷で、離れと言っても体育館みたいに広いの。そこに隙間なくずらっとチェスセットが展示されていたわ。チェス、チェス、チェス……とにかく全部チェス。それこそ毎晩一セットずつゲームをしていっても、全部のセットを使い切るのに何年かかるか分からないくらいの数。象牙や黒檀や水晶や獣骨や陶磁器や、いろいろな材質とデザインがあって、どれも触るのがはばかられるくらいに高価そうだった。実際、一度も誰の手によっても動かされたことがない駒ばかりだったわ。その頃もちろんチェスのルールは知らなかったけれど、ちゃんと分かったの。これはただの飾りだってね」

    「盤は縦横三センチくらいかしら。とにかくマッチ箱にも仕舞えるくらいの大きさ。駒はナツメヤシの種を彫って作られているの。キングの高さは五ミリ、ポーンは二ミリ。展示ケースには虫眼鏡が置いてあったわ。そのセットでゲームがやりたくても、小さすぎて誰もできないのね。余計な駒に触らないで目的の駒をちゃんと動かせる人なんていないのよ。だからナツメヤシのチェスセットはとっても淋しそうだった。この世に誕生した時から、駒はどこにも動けない運命を背負わされているんですもの」

    「違うよ。駒はね、ただ升目の上を行ったり来たりしているだけじゃない。もっと違う何かを作り出していて、その作り出されたものはチェス盤に収まりきらないくらいスケールが大きくて、尊いんだ。だから、海底の人間チェスは、チェスじゃない。ルールを勝手に借用してるだけだ」

    牛や羊になど興味がないにもかかわらず、彼はただ建物を見物するためだけにしばしば牧場を訪れた。羊毛刈りショーや乳搾り大会に人々が興じている傍らで、彼はさまざまな角度から正方形を眺めてうっとりしたり、建物の周囲を歩いて本当に正方形かどうか確かめたりした。そんなある日、最も小高いところに位置する従業員寮の屋上にこっそり忍び込み、牧場を見渡していた時、ばらばらに見えた四つの建物が、更に大きな正方形の四つの角となっていることを発見し、驚嘆した。チェスの神様から啓示を受け取ったように興奮し、しばらく手すりにしがみついたまま動けないほどだった。

    老婆令嬢が手に取ったのはルークだった。疾走するように飛翔するように、盤上に迷いのない一直線を描くルークだった。 「ええ、あなたにとてもお似合いの駒です。縦横、前後左右、好きなだけ動けます。途中に相手の駒があれば、それを取ることもできるんです」

      「アリョーヒンの名に相応しい素晴らしいチェスを指しながら、人形の奥に潜み、自分などはじめからこの世界にいないかのように振る舞い続けた棋士です。もし彼がどんな人物であったかお知りになりたければ、どうぞ棋譜を読んで下さい。そこにすべてのことが書かれています」

  • リトルアリョーヒン。読み進めていくと、読んだことあることがわかった。チェスやってみたい!

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00397144

    『博士の愛した数式』で数字の不思議、数式の美しさを小説にこめた著者が、こんどはチェスというゲームの不思議、棋譜の美しさをみごとに生かし、無垢な魂をもったひとりの少年の数奇な人生をせつなくも美しく描きあげました。
    かつてない傑作の誕生です!(出版社HPより)

  • ただチェスのうまい男の話というわけではなく、活き活きとした、でも切ない子供時代があり、それを支えに青年の時代がある、考えさせられる1冊だった。
    ささやかな幸せがささやかにある、そういう人生でありたい。
    私にとってマスターはいたのだろうか。

  • 猫を抱いて象と泳ぐ 小川洋子

    自動チェス人形、リトルアリョーヒンの生涯を描いた物語。

    口が閉じた状態で生まれた少年は、廃棄の回送バスの中に居るマスターと出会い彼にチェスを教えてもらう。
    そのマスターの案内でチェス倶楽部の入試を受けるが失格。しかし失格の所以である机の下に潜るスタイルから自動チェス人形として地下倶楽部へスカウトされる。
    しかし地下倶楽部の実態を知ってしまい人形と一緒に避難する。先は老人が住むエチュード。
    エチュードに慰問で来た称号者との一局はビショップの奇跡と呼ばれ後年博物館に展示される。
    エチュードにて一酸化炭素中毒で急死。

    タイトルについて
    猫を抱いて→ポーンというマスターが飼っていた猫
    象と泳ぐ→チェスは無限に広がる海と喩え、象は幼児期に通ったデパートにいたとされる象。象とビショップを見立てていた。彼が一番好きな駒

  • 優しい
    とにかく優しい
    でも、最後は物悲しい
    小川洋子節全開だった

    あと、かなり爛々とした表現が多かった!
    小川氏としては珍しいが逆に心地よかった

  • チェスは、とても愛情深くて、思慮深い、人間の知では到底及ばないもの、そんな感じがした。長老、長老、こころの長老。聡明な老婆令嬢、壁の中のミイラ、テーブルの下には海底チェスクラブ。インディラは、すい、すい、すい。ポーンを抱いた、リトル・アヒョーリン。

  • 「2010本屋大賞 5位」
    九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/679370

  • チェスのことはこれっぽっちも分からないけれど、海のように深いチェスを学んでみたくなった。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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