作品紹介・あらすじ
俵万智の第五歌集。東日本大震災を間に挟み、第一部、第二部と分かれる。俵は、放射能被害を逃れ、西へ西へと移動し、幼い息子の手を引き、運命的に石垣島への定住を決める。そこで出会った自然や人々。冒険心を掻き立てられる幼子。さまざまな経験や観察の中から生まれた341首。母として、3・11以降を生きる日本人の一人として、世界を受け止める。新たな生命力の獲得をベースに詠まれた傑作歌集。
感想・レビュー・書評
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先日新聞の書評欄で万葉学者の上野教授が評されていた文があまりにも印象的だったので、読んでみました。
若くして、その才能が認められた人は不幸である。しかも、それでいて美貌の人は、もっと不幸かもしれない。
なぜならば、人びとは、いつまでたってもデビュー作を想起するからだ。
うん。
本当にその通りだと思う。
今
万智さんの生き方を非難する人もいるとかいないとか・・・
だけど万智さんは詠む。
子を連れて 西へ西へと逃げてゆく
愚かな母と言うならば言え
子を守る 小さき虫の親あれば
今の私はこれだと思う
......................................................
この歌集には
『チョコレート革命』の時のような
過激な歌はない。
焼き肉とグラタンが好きという少女よ
私はあなたのお父さんが好きよ
だもん・・・!
怖いわーー!!
だけど
お忍びの恋愛中の女性にとっては
憧れや共感されたりしたんだろうな。
そして
今の万智さんはお母さん。
お父さん役も。
抱っことは抱き合うことか子の肩に
顔うずめる子の匂いかぐとき
無垢無邪気無心無防備笑顔とは
無から生まれるものと思えり
ゆきずりの人に貰いしゆでたまご
子よ忘れるなそのゆでたまご
......................................................
万智さん、頑張ってる。
強いな。
恋愛をして
誰かを愛したり泣いたり
出産して
子どもを愛でて守り抜く
きっとこの先にも
万智さんの人生は続いていく。
若い時に認められたからこそ
色々な聞きたくない声を
聞いてしまったかもしれない。
だけど
若い時からの万智さんの声が
残っているからこそ
恋愛中の女性の声として
子育て中の母の声として
共感出来るファンは多いはず。
そして
これから万智さんの人生が
進めば進む度に
また共感出来るファン層も
増えるんだろうな。と
同じく女性として応援しつつ
期待しています。
きっといつの日にかは
マリオくんとピーチ姫の物語なんて♪
楽しみです!
オレが今マリオなんだよ島に来て
子はゲーム機に触れなくなりぬ
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仙台、高齢出産、親族の死。
歌人の手にかかると、こうなるのかと。
偉大です。
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俵万智「オレがマリオ」、2013.11発行。 ①空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず ②ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご ③チェルノブイリ、スリーマイルに挟まれてフクシマを見る七時のニュース ④寅年の話になりてママ友は一まわり下と気づく園庭 ⑤訃報欄に父より若き人の死を見ること多し冬の朝刊
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無邪気な息子さんとの愛おしい日常の歌から
震災後の母としての覚悟を感じる歌も。
沖縄の歌は表紙のデザインからも見られる
鮮やかさを感じました。
・いのちとは心が感じるものだから、
いつでも会えるあなたに会える
ハァ...切ない。
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短歌とは日記・フィクション・ため息で
心の色さえとどめればよい
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読みやすいのに真似できない。
感情の切り取り方。
ムスコ君の感性も素晴らしい。
今回のLIKE 15首を引用に登録。
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震災以降、沖縄石垣島に移り、その選択を肯定し、一時的な旅人の目線から、定住する様にかわっていく短歌。さらに息子も成長して会話や行動が活発になっていくので、石垣島の自然とマッチした生き物を感じる短歌でした。
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『サラダ記念日』が一世を風靡した年、私は二十歳の大学生だった。世の中はバブルに浮かれ、前年に雇用機会均等法は施行されていたものの、女のコは学校を卒業したら2~3年の腰かけ入社、いいオトコを捕まえて寿退社、という生き方が望ましいとされていた時代。そんな中私は、女性が能力を評価されて脚光を浴びる姿に力づけられ憧れつつも、我が身を顧みれば何らかの才能を持ち合わせているかどうかも見当つかず夢に向かって努力を続ける甲斐性もなく、思い通りにならない事にただ地団太を踏んでいた。
カレシがサラダ旨いっつったのが嬉しい、ってか? こちとら彼氏イナイ歴=年齢だよ、悪かったな。
羨望と嫉妬がないまぜになり、あえてこの歌人の話題は(当時の情報源は新聞・テレビ・雑誌くらいしかなかったけれど)摂取を避けていたものだった。
日々の暮らしの中で、特に和歌等に興味を持つこともないまま時が移って2011年。久しぶりに聞いた彼女の話題は、原発事故を怖がるあまり、東京から沖縄まで逃げた(詳細は不正確なのだが)、というハナシであった。
なんだそりゃ、いいご身分だな。逃げたくても逃げられないひとは大勢いるだろうに。20年以上前に感じた彼女への違和感は、はっきりした反感に変わった。関西に住む私にとっては、地震も事故も対岸の火事で、他人事として遠くから気の毒がるに過ぎなかったというのに。
彼女の歌集を手に取る気になるにのは、それから更に13年の時を要した。我が子(彼女の息子さんと同い年)が成人し、社会の中で棹もささず逆らいもせず流れてきた人生も後半に差し掛かり、際立った才能の持ち合わせがないことも漸く受け入れて、フラットな気分で自分よりずっと輝いている女性を見上げることが出来るようになった訳だ。
書いていてちょっと恥ずかしい。
新聞の、短歌・俳句の読者投稿欄を読むことが面白くなり、選者(穂村弘)の歌集を探そうと図書館に行ったら、俵万智の歌集も同じ書棚に並んでいて、何気なく手に取った、という経緯。
恋も子育ても家族の死も経験した今だから、歌が沁み込んできたのだった。
息子さんの台詞「今日は有線でお願いします」とか「コミックをめくるとき、顔に感じる風が好きなんだよなぁ」とか、流石歌人の子どもは文学的な表現をするなあと感心する。これを、この台詞が発せられた当時ーー我が子も小学生だったころに読んだら、ウチの子はこんなこと言えない、って嫉妬していたかもしれない。(2024-02-01L)(2024-02-21L)
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・「愛よりもいくぶん確かなものとしてカモメに投げるかっぱえびせん」
カモメにかっぱえびせんをあげながら、愛の不確かさを思う。
はじまりの「愛」という大きくて重たい言葉と、最後の「かっぱえびせん」のカラッとした軽さのコントラストが好き。
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・「お土産にされて売られてほんとうは誰のものでもない星の砂」
「されて売られてほんとうは」のながれるような響きが好き。
誰もが一度は目にしたことのある、星の砂。
お土産に「されて」いる、きっと誰かがお金を払って自分のものにするであろう、星の砂。
自然の一部であったはずの、自由な星の砂が瓶詰めにされている悲しみがある一方で、瓶詰めになりながらも「誰のものでもない」希望があるようにも聞こえる。
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・「お母さんの顔をしてる」と言われおり観覧車もう沈みはじめて
好きな人に、「女」ではなく一人の「母」として見られることの切なさ。
きっと観覧車には二人きりだけど、心は観覧車とともに沈みはじめている。
若さを失いつつある自分と、沈みゆく観覧車が重なる。
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・「昆虫記 子は読み終えてこの人は少し悲しい人かと問えり」
ファーブルの昆虫記を読み終えた息子さんの一言。「寂しい人」でも「可哀想な人」でもなく、「悲しい人」。美しい感性が遺伝している。
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何気ない会話や日常も角度を変えて見てみるとキラキラ輝いてくるということをこの本は教えてくれる
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◆きっかけ
2人目を出産して、生まれたての息子の顔を見ていたら、上の娘が生まれてから読んだ俵万智さんの短歌がチラチラと思い出され(生まれてバンザイ とか)、もう一度読みたい、もっと多くの育児系の作品を読みたいと思い、図書館にあった5冊を母にリクエストして借りてきてもらった。『たんぽぽの日々』『プーさんの鼻』『ちいさな言葉』『ありがとうのかんづめ』『オレはマリオ』。たんぽぽの日々については借りるの2度目。
◆感想
341首の第五歌集。第四歌集プーさんの鼻の続き。たくみんが幼稚園に上がってから、小学生になるまで。震災で仙台から宮古島へ移住する時期を含む。
たくみんの成長、島の人や環境との交わりを瑞々しく切り取った歌。
2歳ごろのうたも後半出てきた。たくみんのお父さんらしき人物も登場しドキドキ。
気になっていた『生物と無生物のあいだ』が不意にうたの中に出てきて驚いた。ますます読みたくなった。む図に無い…。2018/4/5
著者プロフィール
1987年の第1歌集《サラダ記念日》はベストセラー。歌集に《かぜのてのひら》《チョコレート革命》《プーさんの鼻》《オレがマリオ》《未来のサイズ》《アボカドの種》、評伝《牧水の恋》、エッセイ《青の国、うたの国》など。2022年、短歌の裾野を広げた功績から朝日賞を受賞。読売歌壇選者のほか、宮崎で毎年開催される高校生の「牧水・短歌甲子園」審査員もつとめる。
「2023年 『旅の人、島の人』 で使われていた紹介文から引用しています。」
俵万智の作品