選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908670

作品紹介・あらすじ

その女性は、出生前診断をうけて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。函館で医者と医院を提訴した彼女に会わなければならない。裁判の過程で見えてきたのは、そもそも現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は認められていないことだった。ダウン症の子と共に生きる家族、ダウン症でありながら大学に行った女性、家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。多くの当事者の声に耳を傾けながら選ぶことの是非を考える。プロローグ 誰を殺すべきか? その女性は出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子は ダウン症だったという。函館で医師を提訴した彼女に私は会わなければならない。第一章望まれた子「胎児の首の後ろにむくみがある」。ダウン症の疑いがあるということだ。四十一歳の光は悩 んだ末に羊水検査を受ける。結果は「異常なし」。望まれたその子を「天聖」と名づける。第二章誤診発覚「二十一トリソミー。いわゆるダウン症です」。小児科医の発した言葉に、光は衝撃をうける。 遠藤医師は、検査結果の二枚目を見落としていた。天聖は様々な合併症に苦しんでいた。第三章 ママ、もうぼくがんばれないや ついに力尽きた天聖を光はわが家に連れて帰る。「ここがお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に 寝る寝室だよ」。絵本を読み聞かせ、子守唄を歌い、家族は最初で最後の一夜を過ごす。第四章 障害者団体を敵に回す覚悟はあるのですか?天聖が亡くなると遠藤医師はとたんに冷たくなったように夫妻は感じた。弁護士を探すが、 ことごとく断られる。医師から天聖への謝罪はなく、慰謝料の提示は二〇〇万円だった。第五章 提訴それは日本で初めての「ロングフルライフ訴訟」となった。両親の慰謝料だけでなく、誤診 によって望まぬ生を受け苦痛に苦しんだ天聖に対する損害賠償を求めるものだった。第六章 母体保護法の壁母体保護法ではそもそも障害を理由にした中絶を認めていない。したがって提訴は失当。被 告側の論理に光は、母体保護法が成立するまでの、障害者をめぐる苦闘の歴史を知る。第七章 ずるさの意味光の裁判を知って、「ずるい」と言った女性がいた。彼女は、羊水検査を受けられなかった のでダウン症の子を生んでしまった、と提訴したが、その子は今も生きている。第八章 二十年後の家族 京都で二十年以上前にあったダウン症児の出産をめぐる裁判。「羊水検査でわかっていたら 中絶していた」と訴えた家族を訪ねた。その時の子どもは二十三歳になっているという。第九章 証人尋問 裁判では、「中絶権」そのものが争われた。「中絶権」を侵害され、子どもは望まぬ生を生き たというが、そもそも「中絶する権利」などない。そう医師側は書面で主張した。第十章 無脳症の男児を出産苦しむだけの生であれば、生そのものが損害なのかを光の裁判は問いかけた。一方、この女 性は、子どもが無脳症であるとわかりながら、中絶をせずにあえて出産していた。第十一章 医師と助産師の立場から病院は赤ちゃんの生存の決定を家族に委ねるようになっている。障害をもって生まれた子は、 何もしなければ死ぬ子も多い。だが現場の助産師は、そうした中疲弊している。第十二章 判決判決は被告に一〇〇〇万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。しかし、それは、「心の準備が できなかった」夫妻への慰謝料だった。光は「天聖に謝って欲しかった」と肩をふるわす。第十三章 NIPTと強制不妊優生保護法下で、強制的に不妊手術を受けた人たちが、国家賠償訴訟を始めて、全国的な広 がりとなった。私は最初に提訴した宮城県の原告の女性を訪ねる。第十四章 私が殺される 「なぜダウン症がここまで標的になるのか」。NIPTによってスクリーニングされることに 「私が殺される」という思いで傷ついている人たちがいる。第十五章 そしてダウン症の子は ダウン症でありながらも日本で初めて大学を卒業した岩元綾は言った。「赤ちゃんがかわい そう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです」。エピローグ 善悪の先にあるもの「どうして私のことをかわいそうって言ったのでしょう……」。ダウン症当事者の岩元の言葉 を伝えると、光は涙をためながら言った。

感想・レビュー・書評

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  • ●出生前診断を受けて「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。そして医師を提訴した。
    ●医師からの謝罪はなく、慰謝料の提示は200万円だった
    ●母体保護法では、そもそも障害を理由にした中絶を認めていない。
    ●裁判では「中絶権」そのものが争われた。子供は、望まぬ生を生きたと言うが、そもそも「中絶する権利」などない。医師側書面で主張した。
    ●判決は、被告1000万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。それは夫婦への慰謝料だった。

  • 考えさせられせ本。
    出生前診断は誰のためなのか。診断をするかしないか悩むのも親、診断後の中絶するか悩むのも親。それに対するカウンセリングも不足してる。
    自分は出生前診断はしなかったけど、病院からの説明もなかったと思う。

    裁判をした親の気持ちも分かるし、批判する人の気持ちも分かるし、正解がないからこそ難しい問題。

    もし自分が障害のある子を産んだら、かわいいって思えるまでどれぐらいかからのかな。外に連れて出れるまでどれぐらいかかるのか。

  • 【感想】
    もし私が出生前診断でダウン症と診断された場合、はたして子どもを堕ろすのだろうか。本書を読み終えた後ひとしきり考えてみたが、答えは出ないままだった。
    たとえ今「堕ろす」と決めていても、当事者になれば、その気持ちは揺らぐに違いない。我が子の今を思うか、家族の将来を思うか。苦難に満ちる人生であっても、今悔いのない選択をするべきなのか。それとも、子育てに手がかからないことも幸せの一要素だと思い、悔いの残る選択をするべきなのか。

    生まないことを選ぶのは酷いという人もいれば、身体に一生消えない障害が残るとわかりながら生むほうが人命を軽視しているという人もいる。本書でも、その問いに答えが出ることはなかった。

    本書は、医療が発達した現代において、答えの出ない命題として残り続けている「中絶権」をめぐったノンフィクションである。

    本書の主人公である田中光は、出生前診断で、本当はダウン症であったにもかかわらず「異常なし」と診断された。産まれた子ども(天聖くん)はダウン症と合併症を併発しており、3か月間しか生きられなかった。その間数々の病気による地獄の苦しみと闘いながら、短い人生に幕を下ろした。それを目の当たりにした光は「生の苦痛を味あわせてしまった」という罪の意識を持ち、誤診した医師を相手取って提訴したのである。

    光の決断に対して、私たちはたじろいでしまう。それは彼女が「生まれることもなければ苦痛を受けることもなかった」と、反出生の立場を取っているからだ。しかし、光は実際には反出生と逆の考えを持っており、「生まれてきた我が子は本当にかわいかった」「産んでよかった」という感情を抱いている。そのうえで、天聖が苦しむ姿に心を痛め、その遠因となった医師に責任を取ってほしいと述べている。

    光は、誤診を下した遠藤医師にただ謝罪してほしかったのだ。そうした人と人との思いやりが最初からあれば、裁判を起こさなくても解決できた話だったのである。
    しかし、実際には裁判に踏み切った。それは遠藤医師が、天聖が亡くなってから田中家と一切の会話を絶ったことに原因があるのだろう。これは損害賠償請求を控える以上、保険会社や弁護士の介在なしに当事者間で接触することを避けたためであり、当然と言えば当然の対応だ。しかし、光は謝罪の一つもない行為にひどく傷ついた。それを不服として、「我が子に謝罪してほしい」という意味を込めての訴訟を起こしたのである。

    だが、その先は茨の道である。
    なぜなら、「誤診によって生まれてしまった子への謝罪」は、そのまま「誤診が無かったら生むことを選択しなかった」と裏表の関係になるからだ。

    光の訴訟に対して、医師側は次のような反論を行っている。
    ――医師の過失を否定はしませんが、望まれた誕生ではなく、生まれて早期に死亡し精神的苦痛を受けたとの論理は、法律論以前の問題であり、生命倫理や道義に反する論法だと思います。法律論としては知的障害児について早期死亡の精神的苦痛を認めるか否か、仮にこれを認めるとして過失との因果関係を認めるか否かであり、判例は見かけませんが、いずれも否定されるべきと思われます。
    ――原告らは、被告遠藤の過失がなければ胎児(故天聖)は中絶されて出生しなかったとする考えを前提としている。しかし、これは「妊娠中絶」、つまり、求められないダウン症児の「命の選別」を当然のこととしており、生命倫理に反することは明らかである。従って、生まれたことによる障害者の独自の損害を認めるべきだとする論理は到底認められるべきではない。

    至極真っ当な反論ではないだろうか。

    この後、光と医師側との争いが、「中絶権」「命の選別」という困難なテーマをめぐって進んでいくことになる。
    ――――――――――――――――――――――
    この本には、さまざまな立場の人が数多く登場する。知らぬまま障害児を生んだ母親、知って障害児を生んだ母親。出生前診断を選んだ者、選ばなかった者。母親の意思のもと障害児を堕ろしたり延命拒否したりする看護師。生まれた障害児と家族を支える団体。そしてダウン症の患者自身。
    そして、その全員が「正しい」。決して倫理的・道徳的に間違っている人はいないのだ。

    例えば、無脳症(脳がない状態で生まれ、出生後数日で死に至る疾患)の男児を産むことを決断したバーク孝子のエピソード。無脳症と診断されたらほぼ100%の人が中絶を選ぶというが、彼女は生むことを決意する。それだけ見れば生命を尊ぶ行為であるが、彼女は自身の行った決断についてこう述べている。
    孝子「この選択ができたのは、どうやっても助かる見込みがない命だったからです」「重い障害を背負うけれども生き続けられる可能性があるという状況だったら、何が何でも産むという結論を出していたという自信は正直ありません。確かにどんな子でも自分の子であり、愛する人との間に生まれた子であることに変わりはないでしょうが、その子の将来、医療費の負担、特に親の死後を考えると答えを出せない卑怯な自分がいます」

    つまり、助かる見込みがない命を生んだのは、「助からないこそ」だったというのだ。光とは真逆の心理である。しかし、彼女の考えには一定の説得力がある。

    また、光と同じように誤診(こちらは羊水検査そのものを受けさせてもらえなかった)によってダウン症児を生んだ友香のエピソードがある。光と違うのは子どもが今も生き続けていることだ。
    友香は光と天聖について「死んでくれたなんて羨ましい」と語っている。
    あまりにもひどい言葉だと感じるかもしれない。しかし、友香は自分のことを「障害児を育てるのは難しい」「私には受けいれられない」と客観的に見ている。倫理的な問題は残るものの、生んだ母親本人が感じていることについて、私たちが一概に否定することはできるだろうか?
    加えてこの後に、友香が生んだダウン症の子ども自身と、その里親のエピソードが出てくる。子どもは別の家族に受け入れられ、今も元気で幸せに暮らしている様子が語られる。

    これらの話を読んで、私は「いったい、子の幸せを誰が決められるというのか」と胸がふさがる思いだった。「幸せにはなれない」とわかりながら生まれた子、「幸せにはなれない」と思い手放されたが、別の親のもとで幸せに暮らす子。かたや望まれながら生まれたのに幸福になれず、かたや望まれず生まれたのに幸福に暮らしている。

    現代においては、「子どもを産んだだけで母親の役目は果たした」とは到底言えなくなっている。母親の役目は、子を育て、慈しみ、幸せな人生を送らせてあげることだ。
    だとしたら、母親に帰せられるべき責任とは、子どもを幸せにする能力が無いことなのか。それならば、「私には無理です」といって中絶を選ぶことは、母親として最低限の責任を取っていると言えるのではないか。むしろ、「命を捨ててはならない」という理由で無理な出産に臨むことは、母親の役目を無責任に引き受けていることにならないか。

    選べるほうが幸せだったという者と、選べないほうが幸せであるという者がいる。
    ではいったい、命の価値とは何なのか。どの程度の病気や障害だったら中絶を認めるべきなのか。

    幸せと倫理観の間で、親はどこまで子どもの命を選択するべきなのか?

    ――赤ちゃんがお腹にいる時は、「元気に生まれて来たらそれでいい」と誰もが思っているだろう。だが生まれてくれば、あれが人と違う、これができない、とあれこれ悩んでしまう。
    それほどまでに自分は、人間は、欲深い生き物なのだ。初めの気持ちを持続できれば、もっと温かい子育てができるかもしれない。けれども、と立ち止まる。「元気に生まれたら」ということは誰もが願う。
    そこを満たすことができなかった母親は、どれほどの不安を持つのだろうか。

    人が人の命を選別する、その重さとねじれに真っ向から向き合ったノンフィクション。紛れもない大傑作だった。

    ――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    0 まえがき
    2011年、北海道函館市の産婦人科医院「えんどう桔梗マタニティクリニック」で、当時41歳の母親が胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受けた。実際にはダウン症との結果が出ていたにもかかわらず、医師から「異常なし」と伝えられていた。その年の9月に、母親は男児を出産。男児はダウン症であり、ダウン症に起因する肺化膿症や敗血症のため約3カ月後になくなった。
    両親は「出産するか人工妊娠中絶をするかを自己決定する機会を奪われた」として医院と遠藤院長を相手取り、1,000万円の損害賠償を求める訴訟を函館地裁に起こしたという。

    母親には否定的な意見が多く寄せられた。ダウン症児を産むことを損害だとみなしているように感じられること、そもそもダウン症児であれば中絶していたかもしれないということ自体が差別に当たるとしてだ。

    「もしもダウン症だとわかっていたら中絶していましたか?」
    母親は筆者の質問に、静かに答えた。
    「決断というのは、迷って迷って、崖に落とされそうになって、最後の指一本でつかまっているギリギリのところで決めるものだと思うのです。だから、中絶していたかどうかということは言うことができないんです」
    「誤診をされ、あの子は亡くなってしまった。私たちは、被害者だったのではないでしょうか?」

    いったい、誰を殺すべきか。
    誰を生かすべきか。
    もしくは誰も殺すべきではないのか。


    1 誤謬と子の死亡
    母親の田中光は羊水検査で「異常なし」と告げられていたが、生まれた子ども(天聖くん)はダウン症だった。小児科医は「検査した遠藤医師の勘違い」と説明した。妊娠中のカルテには確かに21トリソミー、つまりダウン症と書かれているが、遠藤医師は「染色体異常が認められました」という記載を見落としていた。

    光「もしダウン症だったら産まない選択をするつもりだった。障害を持って生きていくのはかわいそうだし、上の子も先々ずっと弟の面倒を見ていかなければならない。何より、自分が障害を持った子を育てていける器ではないから。でも遠藤先生にも奥様にも上の二人の出産のときから良くしていただいているし、怒っても仕方がないと思っている」「ゼロにしてほしい。なかったことにしてほしい。あの子をかわいいと思えない。 良い母を演じているだけだと思う」。
    そのように話しながらも、これから天聖を育てていかなければいけないのに何を言っているんだろう、と光は自分を責める思いも持っていた。

    しかし、懸命に生きようとする我が子を前に、光はある思いを抱く。
    「生きたいからだ。生きようとしているのだ。私たちのもとに帰ってきて、我が家で過ごしたいからなんだ」「この子は一人で死を迎える恐怖を乗り越えるしかないのか。死はどれだけ苦しく、どんなに重いことなのだろう。泣くことさえできず、痛みを表現することもできないなんて......」

    出生から3カ月半後、天聖はその生涯に幕を閉じた。ダウン症による一過性骨髄異常増殖症から肝不全をきたし、さらには無気肺となり、敗血症も併発して死亡したとのことだった。

    光は亡くなった天聖を自宅に連れ帰り、3人の兄弟たちと布団を並べて夜を過ごした。


    2 死者への償いをめぐる訴訟
    死後、医師の代理人である佐藤憲一弁護士からは200万円という金額が提示された。天聖に対しての慰謝料は一切なく、それは光夫婦に対しての慰謝料であった。
    天聖が死んだために、切り捨てられたのだと光は思った。
    光「検査結果を誤って伝えられたからこそ天聖はこの世に生まれてきた。それで天聖が大きな苦痛を味わったことはまぎれもない事実なのに......」
    あれだけ苦しい思いをしてがんばった我が子に対してはどう謝罪されるのか。金額ではなく、謝罪の問題に光はこだわっていた。
    そして、誤診によって天聖の兄や姉をも苦しい立場に追いやったことの責任も重いと考えていた。

    天聖が生きていたころは親切で協力的だった遠藤医師は、天聖の死亡について医師会と保険会社が介入するようになってから、態度を翻した。天聖への謝罪もなかった。医師が加入している保険によって賠償金が支払われるため、保険会社を通さず遺族と接触するのは危ういことになりかねないからだ。連絡は途絶え、遺族側の弁護士と医師側の弁護士が書面でやり取りするのみとなった。

    光としては自分たち両親の苦痛だけではなく、苦しんで死んでいった天聖にこそ、慰謝料を払って謝罪をしてもらいたかった。

    しかし、遠藤医師側からは次のような見解が送られて来た。
    ――この慰謝料の根拠として「幼児が死亡した際の本人の慰謝料」と言うのが、(失礼ながら)意味不明です。死亡したことについては遠藤医師に責任がないことは明白です。とするなら、遠藤医師の本人に対する責任とは何でしょうか。このことについて、これ以上議論するのは死者に対する冒涜(生命への尊厳を損なうこと)になりかねません。
    ――医師の過失を否定はしませんが、望まれた誕生ではなく、生まれて早期に死亡し精神的苦痛を受けたとの論理は、法律論以前の問題であり、生命倫理や道義に反する論法だと思います。法律論としては知的障害児について早期死亡の精神的苦痛を認めるか否か、仮にこれを認めるとして過失との因果関係を認めるか否かであり、判例は見かけませんが、いずれも否定されるべきと思われます。

    2013年5月13日、光と夫の晃は、遠藤医師と医院を相手取って1,000万円の損害賠償請求訴訟を函館地方裁判所に提起した。もしも羊水検査でダウン症であることを正しく伝えられていたら、子どもを産んでいなかっただろう。そうなると、子ども自身も生まれていなかったのだから、苦痛の生を生きなくて済んだという主張だ。
    特筆すべきは、夫婦に対しての慰謝料のみならず、天聖自身に対する慰謝料をも請求していることだ。遠藤医師が羊水検査を誤って伝えなければ、天聖はこの世に生まれず、死の苦痛を味わうこともなかったということだ。
    日本初の「ロングフルライフ訴訟」である。

    医師側は答弁書で次のように主張した。
    ――原告らは、被告遠藤の過失がなければ胎児(故天聖)は中絶されて出生しなかったとする考えを前提としている。しかし、これは「妊娠中絶」、つまり、求められないダウン症児の「命の選別」を当然のこととしており、生命倫理に反することは明らかである。従って、生まれたことによる障害者の独自の損害を認めるべきだとする論理は到底認められるべきではない。
    医師側の主張は、命を選別すべきではなく、ましてやその権利など認められていない(日本では、母体保護法による母親の身体的理由や経済的理由のみに限って中絶が認められ、胎児の障害や病気を理由とした選択的中絶は認められていない)というものだ。その上で、「そもそも中絶をする権利がないのだからこの訴訟は成り立たない」という論を展開し、原告らの請求をいずれも棄却する申立を行った。


    3 死んだなんてずるい
    「死んだなんてずるい。死んでくれたなんて羨ましい」
    光の裁判を知って、佐藤友香はそう言った。友香は光の訴訟と同時期に、望まないダウン症児を出産した責任を医療者に問う裁判を行っていた。
    友香は妊娠期間中、羊水検査を希望していたが、医師から話がないまま月日が経過してしまい、気づいたときには羊水検査が受けられる期間を大きく過ぎてしまった。
    生まれ落ちた赤ちゃんは潤と名付けられ、そしてダウン症だった。友香は「私には育てられません。この子を殺してください」と医師に迫った。

    生後3ヶ月で、潤は里親に預けられた。だが数カ月も経たないうちに、児童相談所から里親を代えるという連絡があった。里親の元ですでに養育されていた別の里子が、潤が来てから精神的に不安定になったという理由だった。
    友香は、潤がたらい回しにされるのではないかと不憫に思って、一旦は自分たちで養育することを申し出た。
    育てようとがんばってみるのだが、友香はどうしても障害を持った我が子を受け入れることができない。再び、潤は児童相談所から委託された別の里親の元で養育されることになった。

    友香の裁判の判決では、損害賠償請求は棄却された。羊水検査の申し込みを医師ではなく、友香が失念したと裁判所は認定したのだ。友香は控訴し、最高裁判所に上告もしたが、これも却下された。

    光は自身の裁判の審理期間に、友香が自分のことを「ずるい」と言っていたということを耳にした。
    光「確かに、障害を持って生きる我が子を育てていく苦悩は私にはわからないです。天聖が死んでくれて嬉しいなんてことは絶対にない。でも、死んでしまったことで、解放された苦しみがあることも事実です。苦しむだけの人生だったら生きていてもつらいのかもしれない。このお母さんがひどい母親だと言うのは簡単だけど......」

    小学生になった潤は、里親の保子のもとで愛情を受けながら幸せに暮らしている。保子の子どもたちとも仲良く暮らし、かけがえのない家族になっていた。
    保子「ですが、私は第三者の立場だから......。実子だったらと考えると、そういうわけにはいかないと思います。だから私は潤のお母さんを否定することはできないのです」


    4 中絶権をめぐる判決
    2014年3月6日、函館地方裁判所では原告の証人喚問が行われていた。
    光側の弁護士の佐久間弁護士が、光の陳述書を示す。
    「『訴訟を決断した事に迷いがない訳ではありません。なぜなら誤診に対する思いと我が子への思いはそれぞれ心の居場所が違います。しかし誤診を訴えるという事は、やはり我が子の命を否定しなければいけないことなのか』と述べていますね」
    「はい」
    「これは、なかなか難しいかもしれないんですけれども、当初は、ダウン症の結果が出れば出産は諦めようと決意して検査を受けたものの、実際に生まれてきた我が子を目の当たりにして、とてもミスがなければ本当は君は中絶していたんだよと言いたくはないというのが正直な気持ちだったんじゃないでしょうか」
    「それに近いです」

    遠藤医師側は、羊水検査の結果で「心の準備」をする機会を奪ったことは認めるが、胎児に障害がわかったからといって中絶できたわけではない(中絶権なるものは存在しない)と主張する。
    対して佐久間弁護士は、「被告遠藤は『羊水検査の結果に異常が認められた場合、中絶するか、妊娠を継続するかどうかは夫婦で決めること』と説明したと認めており、これはまさしく、原告に中絶する機会を与えるための説明であり、『羊水検査の結果を正確に告知していれば、人工妊娠中絶の方法をとった蓋然性が高』かった原告から中絶の機会を奪ったことに他ならない」と主張する。

    これに対し医師側はさらに反論する。
    ――原告らの主張は、「ダウン症であるがゆえに望まれない命」が生まれ、「当該ダウン症児が上記合併症を持っている場合には、生まれてこない方が良かった」とする論理であるが、「望まない」「生まれてこない方が良かった」と判断しているのは原告らであり、ダウン症児が
    当然にその様に考えると擬制することに疑問であり、命の選別が行われること自体についても生命倫理の観点から当然に許されることではないはずであり、母体保護法も人工妊娠中絶を限定的に許している(身体的又は経済的理由の場合のみ)ことも考え併せると、認められる論理とは思えない。

    「命の選別」は生命倫理に反するのか。
    このような根源的な問いが裁判という場に引きずりだされたのだ。

    光の陳述書にはこう記されている。
    ――DIC、敗血症を併発し消化管出血を起こし、痰を取ると出血、尿道からも出血、あらゆる箇所からの出血が始まり、体幹は紫色と化していました。もしあの状態で意思表示のできる大人であれば、あまりの痛みに殺してくれ!!と叫んでいたことでしょう......あまりに痛々しくて、目を覆いたくなるような、見るも無残な姿......面会に来る他の家族が天聖を見て驚いている表情に、お願いだから見ないで......と心は叫んでいた。とても生まれてきて良かったね、と言えるような状態ではなかった。

    2014年6月5日、判決が言い渡された。
    原告の要求した慰謝料は全額認められた。つまり勝訴だ。
    しかし、裁判所は、誤診によって天聖が生まれ、苦しんで死んでいったことの医師の責任は認めなかった。そもそも両親が、仮に検査の結果を伝えられたとしても、「ただちに中絶したとは言えない」と光が言っていることから、その因果関係は否定した。ただ、誤診によって
    予期せぬダウン症児が誕生したことで、両親が精神的打撃を受けたことに対しての慰謝料は認められたのである。

    判決の骨子は次のとおりである。
    ①羊水検査で胎児の異常がわかった場合は少なからず中絶が行われている社会的実態があったとしても、子どもを産むか中絶するかの判断は、様々な条件を含めても倫理的な苦しみを伴う難しい決断であり、個人的な事情や価値観によるものである。故に、多くの人が中絶しているからといった傾向による判断にはなじまない。そうすると、少なからず人工妊娠中絶が行われている社会的な実態があるとしても、このこ
    とから当然に、羊水検査結果の誤報告と天聖の出生との間の相当因果関係の存在を肯定することはできない。
    ②検査結果を誤って伝えられたことで天聖が生まれたことと、ダウン症によって死亡したこととの因果関係については、ダウン症やその合併症の発症原因そのものは遠藤医師の羊水検査の誤報告によってもたらされたものではないし、ダウン症児として産まれたもののうち早期に死亡する者はごく一部であり、相当因果関係は認められない。
    ③羊水検査の結果によってダウン症だとわかれば、産むか産まないかを選択できるし、育てるための心の準備もできる。これは子どもの両親として守られるべき利益である。

    光は判決を受けてこう言った。「中絶していたと思うと言ったが、どれだけ弁護士に法定戦略上必要だと説得されても、中絶していたと断言はできなかった。言わなくてよかった」「だって、命なんて否定できるものじゃないから。どんな風に生まれてきても命は尊いのです。だから、私も障害を持って生まれてくるべきじゃないと思っているわけでもないです。誤診されたと思うから葛藤し、育てなくちゃいけないと思うから葛藤し、なかなか受け入れられないから葛藤した。(略)単純に医師が間違ったことをしたから謝って欲しかった。生まれたから損害なのではなくて、現実に子どもが苦しんだことに対して謝ってほしい、それだけなんです。そのことがあの子自身を否定していることになるなんて......」


    5 選べることが幸福なのか、選べないことが幸福なのか?
    しかし、出産前診断でなぜダウン症ばかりが検査されるのだろうか。寿命という点では、ダウン症患者は50歳近くまで生きるため、重篤な疾患とは言えない。

    日本ダウン症協会・玉井理事長はこう語る。
    「彼らが立派に生きるからです。しっかりと何十年かの人生を生きるから。だから、この子たちは、生まれてくるべきかどうかを問われるのだとしたら、いったい私たちが問うているのは、どういうことなのか?」
    長く立派に生きるからこそ、人々が接する機会がある。長く生きて社会で生活する。だからこそ、検査の対象とされ、産むことが困難だと思われる。そのねじれを明らかにしたスピーチだった。

    ダウン症当事者として、日本で初めて大学を卒業した経歴を持つ岩本綾はこう言う。
    「えらそうに出生前診断を受けないで欲しいと言える立場でもないけれども、でもダウン症当事者としては今一度見直すべきだと思います。生まれてからわかる障害もたくさんあるのに、どうしてダウン症だけが対象になるのでしょうか。検査はダウン症を否定することになると思います。出生前診断への怒りはあるけれども、どこに怒りをぶつけていいかわからない」
    そして、大きく息を吐いた。
    「怒りを通り越して悲しみの方が大きい」

    筆者は岩元に、おそるおそる光の裁判のことを話した。

    岩元は詰ることなく、怒ることもない。静かに考えた末に、こう語った。
    「赤ちゃんがかわいそう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです。検査を受けざるを得ないことがかわいそう。苦渋の選択を迫られるお母さんはかわいそう」
    岩元は誰よりも光の悲しみの核を見抜いていた。
    「私が言えることは、生まれてきて良かった、産んでくれてありがとうということです。できたら妊婦さんには授かった命はまっとうして欲しいけれども、個々人の事情によってはできないこともあるから、もしもまっとうできなかったとしても、今ダウン症として生きている命があることを忘れないで欲しい」

    「どんな子でも産めるだろう」とか「障害児は絶対産めない」と漠然と思っていることは、いざその立場になると足元から崩れることも多い。
    「それでも」と光は言うと、躊躇するように押し黙った。そして、噛みしめるように言った。
    「それでも、検査を受けても、『いや私は絶対に産めますよ』と言えるお母さんが増える世の中になると平和になっていくのかもしれません。子どもを持つというのは未来に対する希望なんですね」

  • まずタイトルに衝撃を受ける。出生前診断というのは命の選別に繋がり、遺伝病のリスクやダウン症児の出生の可能性が高くなった時に中絶を選ぶのかというのは本当に難しい問題だと思う。人は知識を持たずによく知らないものを体験すると正しい判断が出来なくなるもので、この本に出てくる医師も母親に正しい結果をなぜ伝えなかったのか、見たら一目瞭然の検査結果が送られてきているのに誤診をしたのか。結果の見落としなんてあるのだろうか。私は意図的に正しい結果を伝えなかったのではを邪推してしまう。

  • 出生前診断で検査をしたにもかかわらず、主治医の見落としで生まれるまでわからなかったダウン症の赤ちゃん。

    陽性だったら中絶をしたのか、しなかったのか。

    何より衝撃的だったのは、生まれてから治療をせず、亡くなるまで何もしないという選択があるということ
    看護師たちのメンタルも想像して以上だろう

  • ダウン症だと告知なく謝罪してほしいとの訴えやダウン症のとりまく家庭、世間についての話
    苦しんで亡くなった命、告知していなかったことはよくないと思うがダウン症で苦しんだのは医師のせいではない。生まれなかったら倫理的問題が無いとも言えない。
    世の中の全ての障害は医師が背負えない、医療措置で障害が残る例もある
    生まれてみないとわからない、ヒトはミスをする、したくてする人はまずいない、だからといってそれが免罪符とはならない
    命の選別、改良など、人に許される行為ではないが、当事者でないとわからない
    ただ非難するのは誰でもできる
    非難するのではなく、命に対しての見識をただしくもち、お互いを労りあう社会が必要
    ただ訴訟を起こしていなかったら問題提起できず、人が傷つき苦しんだことは風化していったでしょう

  • 今年の一冊目。
    診断が手軽になっていく中、根本の議論や法律は置き去りで、当事者が苦悩しぶつかり合う構造を知る。
    白黒つけられるものでもなく、誰かが絶対的に正しいわけでもない。ただ、一つ一つの命を大切に考えながら、たくさんのケースのこと、気持ちを共有しあって考えあうことが、市民レベルでは現状の最善なのかなと思う。

  • ロングフルライフ訴訟。この世に生を受け、苦しみに耐え、短い人生をまっとうした子。苦痛は避けられた。21トリソミー。責任は見落とした医師にもある。我が子に謝罪して欲しい。それが動機で起こした提訴。勝訴判決。だが、主張は汲み取られていない。訴訟は議論を巻き起こす。生きたことが”ロングフル”なのか。そもそも胎児の障害を理由での堕胎は法的に許されない。現実は違う。きれいごとで済まされない。生きにくさを拭えない程度にしか進歩していない科学。”障害”を与え続ける社会。「答えがない」は逃げ。たどり着けなくても考え続ける

  • 月並みだが、大きな問い。

    生まれてくる子供が障がいを持っていると分かっていても、生むという決断を下せるか?

    そして、それでも尚、出生前診断を実施する意味とは何か?

    当事者にはなり得ない立場となった私には、到底答える事はできない問いだ。

    しかし、そういった当事者の周縁にいる人ではあるのだ。

    誰もが、障がいを持つ子供を、何の心配もなく産める社会を目指すべきではないのか。

    問いは深く、重い。

  • 出生前診断で誤診があり生まれた我が子はダウン症だった。
    子どものことに関するノンフィクションは、読んでいても辛いものがある。
    子どもを持つ親であれば気持ちに寄り添えるところもある。

    両親が、精神的打撃を受けたことに対し、慰謝料は認められた。
    判決は勝訴。
    お金より子どもが苦しんで亡くなったことに対して謝罪が欲しかった…と。


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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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