- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166606580
感想・レビュー・書評
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絶対だな。本当になにもかも小林秀雄に教わったんだな?
えーー いきなり芥川龍之介に教えられたって言ってるじゃん。しかも第1章で。なにもかも小林秀雄じゃないじゃん。
こうしたわだかまりを抱えながら読み進めてみたところ、この本はどうやら著者の自伝的読書遍歴のようです。
戦後の鶴岡市で貪るように本を探し、買い集め、読みあさり血肉にしようという気迫。すごいですね昔の方々は。
情報は何でもすぐ入手できて広く浅くなぞらえるだけで教養ブームとか言われてる現在とは、その必死感あふれる知識欲というかモチベーションが全然違う。
なるほど「知」とはこうやって体系立てられていくのかーと、そのプロセスのほうが興味深く感じられました。
ただ小林秀雄が軸になっているかどうかはビミョー。そもそも小林秀雄そんなに出てこないし。
そしてとうとう後半になって「どうやら読書の師匠は小林秀雄に限られなかったということも明らかになってきた」などと白状しています。
『なにもかも小林秀雄に教わったような気もするが、よくよく考えるとドストエフスキーやハイデガーのほうがウェイト高いし、東京移住後は小林秀雄なんてほとんど読んでないっす。てへぺろ』にタイトル変更した方がよくない?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
後半のハイデガーと小林秀雄について語っているあたりは、哲学の知識がないと難しい。
また出直してきます。 -
11.06.26読了。難しいよ内容(´Д` )とりあえず小林秀雄、ハイデガー、サルトルに興味がわいた。にしてもカタッ苦しくて難しいな哲学、面白いけど。あと小林秀雄リスペクト感があんまりなかったのは気のせい?
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世俗的であればあるほど、向学の徒のさわやかさ、すがすがしさに感化されたいと思うのかも。メルロ・ポンティの『目と精神』ではお世話になりました。
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木田元の「なにもかも小林秀雄に教わった」でモーツァルトの話がでてきます。
この本の中に以下の小林秀雄の引用が載っていました。
「確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていたかなしという言葉の様にかなしい。」
小林秀雄は交響曲第39,40,41番に震撼されたとあります。
またハイデガーの引用もあり、「神の竪琴の演奏」という箴言で言われているものがモーツァルトであると述べられています。
ソレルスの引用もあります。
「モーツァルトはだから彼の音楽を聞くことができる者にとっては、たえずそこにいるのだ。その証拠が《交響曲第39番変ホ長調》の最終楽章である。いま、まさに、モーツァルトの信じがたい陽気さがただよっている。ぼくらは1788年6月26日にいる。レナード・バーンスタインがウィーン・フィルハーモニーを指揮している。録音は1984年だ。これらのすべての日付は、今日なのだ。」
これらを読んで今、youtubeで交響曲第39番最終楽章を聞いています。
クラッシックを哲学と絡めて聞いたり、思考したりすることはなかったので今後はそういう楽しみもしてみようかなと思っています。 -
秀雄好きならご一読を。
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試験のため、仕方なく読むことに。
小林秀雄も知らなければ、文中に登場する数々の文学者も名前ぐらいしか知らないという状況の中、読んでみたけど、ほとんどわからんかった。しかし、著者の人生(戦後の生活、どのような本に出会ったかなど)そのものを語っている部分は興味深く読めた。いくつか読んでみたいなと思う本が紹介されていたのでいい足がかりになったと思う。