新装版 竜馬がゆく (4) (文春文庫) (文春文庫 し 1-70)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105709

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    歴史小説としては、いよいよ攘夷が無謀なものだという世論に満ちてきて、「攘夷派の後退⇒開国」という流れに傾き始めた点がこの4巻でした。
    何度読んでも個人的に勉強になるのは、歴史の流れという大きな視点ではなく、その時々に登場人物が垣間見せる考え方であったり、台詞の1つ1つですね。
    やはり竜馬の考え方やトラブル回避術、自分と人との関係の在り方(「君子の交わりは淡きこと水の如し」など)は、今の時代にもとても有効だなと舌を巻いた。

    最近自分の生活において個人的に重要視しているのは、「いかに対人的なトラブルを減らすか」ということです。
    やはり、怒ったり揉めたり争ったりしてしまうと、時間や人間関係、その他あらゆる問題点が生じて、トータルで大きなマイナスになってしまう。
    その点、新撰組の土方・沖田と遭遇した際の竜馬のように「いかに相手の気を抜くか」という考え方は、現代人でも特に持つべき考え方の1つだなーと読んでいて思いました。

    「アンガーマネジメント」という言葉が出て久しいですが、僕自身あまりムキにならずに冷静に考えれる様、日々過ごそうと思います。


    【あらすじ】
    志士たちで船隊を操り、大いに交易をやり、時いたらば倒幕のための海軍にする――。
    竜馬の志士活動の発想は奇異であり、”ホラ吹き”といわれた。
    そして世の中は、そんな竜馬の迂遠さを嘲笑うかのように騒然とする。
    長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権の瓦解。
    激動の時代に、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れた!


    【引用】
    1.幕末における長州藩の暴走は、侍とのゲリラ戦に手を焼くという厄介さを列強に与え、また列強間の相互牽制と国内事情によって、結果的に国を守ることにつながった。
    いずれにせよ、長州藩は幕末における現状打破のダイナマイトになった。
    が、「これでいける」という無知な自信をその後の日本人の子孫に与えた。特に長州藩がその基礎を作った陸軍軍閥にその考え方が濃厚に遺伝した。
    昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロを起こし、内政・外政を壟断し、ついには大東亜戦争を引き起こした。
    彼らは長州藩の暴走による成功が、万に一つの僥倖であったことを見抜くほどの智恵を持たなかった。

    2.禁門ノ政変
    京都の政界に明るく、手管が擦れている薩摩藩が、会津藩と組んで天皇と密かに意見を交わし、天皇の許しを受けて勅旨をもって、長州藩の京都における勢力を失わせた。
    朝廷が長州藩を蹴落としてその藩論を否定した以上、土佐藩の上層部はおそらく勢いづき、長州と通じている武市半平太らを遠慮会釈なく弾圧するに違いない。
    長州だけでなく天下の勤王党にとって最悪の時代が来たのである。

    3.新撰組との接触時
    新撰組と対面したが、道端にいたネコを追いかけて難なく隊の中央を横切った竜馬。

    「やつら、気が削がれたようですぜ」
    「そういうものだ。」竜馬は言った。
    「ああいう場合に良くないのは、気と気でぶつかることだ。闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば、気がついた時には斬り合っているさ」
    「また、闘る・逃げるでも、積極と消極の差こそあれ、同じ気だ。この場合はむしょうやたらに追いかけられる。人間の動きの八割までは、そういう気の発作だよ」
    「こういう場合は、相手のそういう気を抜くしかない。相手の気をみるみる融かすことができれば、相手も和やかとなり、争い事など起こらない」

    4.君子の交わりは淡きこと水の如し
    礼記(らいき)の言葉。信義のある紳士という者、いかに親友に対してもさらさらした態度でおり、そのくせ実が深い。
    手を取り肩を抱いてことさらに親しみも表さなければ、弱点で引き合ってのめり込むような付き合いの仕方もないとのこと。

    竜馬は男女間でもこうでありたかった。
    恋愛は、心ののめり込みである。
    愛情の泥沼にのめり込んで、精神と行動の自由を失いたくない。


    【メモ】
    竜馬がゆく 4巻


    p41
    (わずかに他人より優れているというだけの智恵や知識が、この時勢に何になるか。)
    いかに一世を覆うほどの才知があろうとも、とらわれた人間は愚物である。
    竜馬は容堂をそう評している。

    一藩の指導者でありながら、流れを白眼視し、流れに逆らい、役にも立たぬ自分の「定見」に必死にしがみついている者は所詮は敗北しかない。


    p59
    幕末における長州藩の暴走は、侍とのゲリラ戦に手を焼くという厄介さを列強に与え、また列強間の相互牽制と国内事情によって、結果的に国を守ることにつながった。
    いずれにせよ、長州藩は幕末における現状打破のダイナマイトになった。

    が、「これでいける」という無知な自信をその後の日本人の子孫に与えた。特に長州藩がその基礎を作った陸軍軍閥にその考え方が濃厚に遺伝した。

    昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロを起こし、内政・外政を壟断し、ついには大東亜戦争を引き起こした。
    彼らは長州藩の暴走による成功が、万に一つの僥倖であったことを見抜くほどの智恵を持たなかった。


    p77
    ・京でからまれた新撰組に対して
    「おれの仕事に諸君一同が参加するなら、喜んで受け入れてやるよ。船を教えてやる。
    日本は狭い。が、海はどこの領国でもない。これを舞台に大いに儲け、新しい海の日本をつくる。男子の本懐ではないか」

    「心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。その気になって背負えば、日本などは軽いものだ。いや、それがむしろ哀しい。病み呆けた老婆よりも軽い」
    竜馬は眼に涙をいっぱい溜めている。


    p94
    ・江戸で、清河八郎が非命に斃れた
    清河は、剣は北辰一刀流の達人で、秀麗な容貌、堂々たる体躯をもち、学問弁才あり、さらに謀才あり、その上に並外れた行動力と生家からの豊かな仕送りがあった。
    ただ、「百才あって一誠足らず」というところがあり、人徳の点で万人が清河を押したてて死地に赴くというところがない。

    また、清河には竜馬における土佐藩、西郷における薩摩藩、勝海舟における幕府などといった、活動の背景や基盤がなかった。

    だから清河八郎が世に大事を起こすには、あちらを操りこちらを騙すという一種ブローカー的な策謀を用いるしかなかった。

    清河八郎は、才に任せて奇策を用いすぎた。
    また、人を引きずるときに、肝心の人の心理を掴んでいない。それではいざ事成るという寸前に同志からほっぽりだされてしまう。


    p149
    「世の中は口先だけでは動かぬわい」と、竜馬はよく同志の者にいった。
    竜馬の今の時期は、「浪人艦隊」をつくる事だけが目標であった。
    ゆくゆくはそれで海運業を営み、その利益で倒幕資金を作り、いざ戦というときには荷物を下ろして砲弾を積み、その威力をもって天下に発言しようという風変わりな行き方である。


    p169
    ・禁門ノ政変
    京都の政界に明るく、手管が擦れている薩摩藩が、会津藩と組んで天皇と密かに意見を交わし、天皇の許しを受けて勅旨をもって、長州藩の京都における勢力を失わせた。

    (ただ恐るべきは、この政変が土佐藩に及ぶ事だ。)
    朝廷が長州藩を蹴落としてその藩論を否定した以上、土佐藩の上層部はおそらく勢いづき、長州と通じている武市半平太らを遠慮会釈なく弾圧するに違いない。
    長州だけでなく天下の勤王党にとって最悪の時代が来たのである。


    p204
    勝は痛烈な批評家だから、勝の日常はのべったら皮肉は言うし、聞こえよがしの悪口は叩く、やられた連中はみな根に持ってしまう。
    勝ほどの万能選手の、たった一つ他人の感情に鈍感という欠点があった。
    「ひとの感情なんざどうだっていい、というのがあの人の流儀ですよ」
    だから、事が進まなくなる。


    p230
    武市は最後に、島本、島村両人の手を握り、
    「事ここに至るのは天命である。三人それぞれ牢舎を異にするであろうから、いま別れれば今度は黄泉以外では再会できまい。たがいに、男子の大節、凛乎(りんこ)として俗吏の心胆を寒からしめよう」といった。

    武士とは不思議なものだ。
    かれらの自律、美意識は、こういう時になると凛々として生気を帯びてくるものらしい。
    明治維新は、フランス革命にもイタリア革命にもロシア革命にも類似していない。
    徳川300年の最大の文化財ともいうべき「武士」というものが担当した革命だということが、際立って違うのである。


    p285
    「わしは早まらん。幕府がどうこうといったところで、潰す時勢というものがある。腫物もヨクヨク膿まねば針を着けられん」
    竜馬はそう見ている。
    長州人や土佐勤王党のようにああせっかちでは犠牲ばかりが多くて何もならぬ。
    時勢、幕府といった腫物は、竜馬のみるところ、まだ針をつけるところまで行っていなかった。


    p294
    ・新撰組との接触時
    新撰組と対面したが、道端にいたネコを追いかけて難なく隊の中央を横切った竜馬。

    「やつら、気が削がれたようですぜ」
    「そういうものだ。」竜馬は言った。
    「ああいう場合に良くないのは、気と気でぶつかることだ。闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば、気がついた時には斬り合っているさ」
    「また、闘る・逃げるでも、積極と消極の差こそあれ、同じ気だ。この場合はむしょうやたらに追いかけられる。人間の動きの八割までは、そういう気の発作だよ」

    「こういう場合は、相手のそういう気を抜くしかない。相手の気をみるみる融かすことができれば、相手も和やかとなり、争い事など起こらない」


    p311
    「北添、人が事を成すには天の力を借りねばならぬ。天とは、時勢じゃ。時運ともいうべきか。時勢、時運という馬に乗って事を進めるときは、大事は一気呵成(かせい)に成る。その点を洞察するのが、大事を成さんとする者の第一の心掛けじゃ」


    p316
    「幕府もまた日本人じゃ、わしは敵とは思うちょらん。とにかく、金。金がなくて、事が成せるか」


    p322★
    ・寿命は天にある。
    「乞食でも90まで生きるし、たとえ10人の医師を雇っている王侯でも儚くなる時はある」
    竜馬は、この町医の言葉が心の別の部分を打って、ふと眼がひらけたような思いがした。
    (さすれば、人間、生死などを考えるべきではないな)
    自分へそう話しかけている。
    寿命は天にある。人間はそれを天に預けっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい。


    p413
    ・君子の交わりは淡きこと水の如し
    礼記(らいき)の言葉。信義のある紳士という者、いかに親友に対してもさらさらした態度でおり、そのくせ実が深い。
    手を取り肩を抱いてことさらに親しみも表さなければ、弱点で引き合ってのめり込むような付き合いの仕方もないとのこと。

    竜馬は男女間でもこうでありたかった。
    恋愛は、心ののめり込みである。
    愛情の泥沼にのめり込んで、精神と行動の自由を失いたくない。

    • トミーさん
      素晴らしい!
      レビューです。
      一昨日、京都に行きました。
      寺田屋に行くつもりでしたが、生憎昨今のコロナの為見学出来ず残念でした。
      素晴らしい!
      レビューです。
      一昨日、京都に行きました。
      寺田屋に行くつもりでしたが、生憎昨今のコロナの為見学出来ず残念でした。
      2020/03/04
    • きのPさん
      トミーさん
      コメントありがとうございます。
      せっかくの京都観光なのに残念でしたね・・・
      また世間が落ちついたら再度京都に行ってみて下さ...
      トミーさん
      コメントありがとうございます。
      せっかくの京都観光なのに残念でしたね・・・
      また世間が落ちついたら再度京都に行ってみて下さい!
      2020/03/05
  • 長州が京から撤退。保守派の薩摩との軋轢の深化。
    土佐勤王党の弾圧、武市半平太や岡田以蔵らの無念に竜馬念願の軍艦入手と、明暗が別れた1冊。
    特に武市と富子夫人のエピソードが切なく哀しい。
    動乱の幕末を翔る志士たちの生き様、此処にあり。

  • 再読中。いよいよ神戸海軍塾ができて塾頭になった竜馬のもとに続々と人材集結。陸奥陽之助(宗光)やっと出てきた!生意気な小僧っぷりが可愛い。

    一方京都では、かつての仇討騒ぎで竜馬を逆恨みしている信夫左馬之助が新選組に入隊しており、浪士狩りの名のもと公然と竜馬を付け狙ってくる。竜馬と同門の藤堂平助が新選組でありながら竜馬を庇ったり、意外と出番がたくさんあった。土方&沖田も竜馬と擦れ違う場面あり(ファンサ?)

    さらに京都では「八一八の政変」で薩摩と会津が手を組み長州追い落としに成功、勤王派は一気に不利に。土佐でもその影響で武市半平太が捕縛され・・・。武市さんってそんなに好きなタイプじゃないんだけど愛妻家なところだけはとても泣かせる。那須信吾、吉村寅太郎らの天誅組も壊滅、土佐の勤王派で生き残ったのは竜馬の海軍塾の面々だけに。

    恋愛面では結局おりょうさんとラブラブなくせに、さな子さんにも思わせぶりな態度をとる竜馬、これは非道い。優柔不断にもほどがある(おこ!)

  • 苛烈を極める攘夷思想に対して幕府は弾圧の動きを取り、勤王攘夷思想の武市半平太も遂に切腹となる。勤王攘夷を掲げ暗殺を繰り返した武市と、当初は一緒にやろうと誓いながらも、開国論者勝海舟の門人になっている竜馬。お互いの思想が異なっていることはお互いが一番理解していたが、竜馬が「まあ、長い目で見ろや。わしを」と、武市に言い、いつかぶつかる可能性があることを分かっていながらもそれぞれのやり方で進むことを認めるように語り合うシーンが2人のやり取りの中で印象に残っている。この時に竜馬が武市に言った通り、奇策を嫌い、周りからはのらりくらりと見られながらも、着実に物事を進め、期が熟すのを待つ。それを徹底してきた竜馬は確固たる自分の道を見つけ、切腹となった武市の一方で、神戸海軍操練所の資金繰りや船の調達に奔走、ついに軍艦を手に入れたのである。竜馬のブレないやり方には感心するばかりである。

  • 時代の流れを待つ竜馬。半平太をはじめとする他の志士たちに苦難の時が流れても、じっと自分の出番を待つ。英雄って時の流れが目に見えるんだなあって実感します。いつ竜馬の機は熟するんだろう。待ち遠しく思いながら、四巻終了です。

  • この巻の主役は武市ですかねぇ。 自分的にはさな子さんです。 司馬さんは、「竜馬がゆく」には、ちょいちょいこういうエピソードを入れてきますよね。それがまた堪りません!

  • この時代に政変の波に流されずにひたすら船を求めるところは偉人か変人か紙一重の気がしますが、結果的には彼に時代が付いて来て英雄になったのですね。
    一歩間違えば歴史上の奇人として別の名を残したんだろうと思う。

  • 武市半平太の捕えられる直前の潔さ、妻富子の気丈さは今では考えられないのではないか。

  • 竜馬と藤堂平助のやり取りが面白かった。武市と岡田以蔵の拷問。船を手に入れ今後も気になります。

  • 京から尊王攘夷派かが退去し、佐幕派が力を持ち始める頃、龍馬の海軍訓練施設が動き始める。土佐でも山内容堂が藩主として指示しだし、勤王党の弾圧がいよいよ激化。武市半平太の投獄、切腹。とてもやるせない。
    観念で行動する武市の最後は武士らしい。
    ただ、子飼いで使っていた岡田以蔵が拷問に耐え切れず京での暗殺に関与した勤王党志士を吐露。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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