新装版 翔ぶが如く (6) (文春文庫) (文春文庫 し 1-99)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105990

作品紹介・あらすじ

台湾撤兵以後、全国的に慢性化している士族の反乱気分を、政府は抑えかねていた。鹿児島の私学校の潰滅を狙う政府は、その戦略として前原一誠を頭目とする長州人集団を潰そうとする。川路利良が放つ密偵は萩において前原を牽制した。しかし、士族の蜂起は熊本の方が早かった。明治九年、神風連ノ乱である。

感想・レビュー・書評

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  • 熊本を見る目が変わった気がする。
    神風連の一人一人は教養もあって礼節もあってまともそうなのに。
    世の中を変えたければ、これくらいの覚悟と行動が必要なのだろうが。

  • 明治9年、西南前夜の不穏な政情。神風連の乱の描写は、司馬遼太郎の立体的描写が躍動し、まるで現場に居合わせたかのように一気に時間が過ぎて行く。これまでの愚直なまでの政治の駆け引きの重苦しさから一気に軽快へと転じた感がある。この勢いで西南戦争の描写へと突き進んでほしい。司馬遼太郎作品の醍醐味がそこにあると思うから。

  • ※2008.7.12購入
     2008.7.14読書開始
     2008.8.25読了
     2017.5.6売却@Book Off

  • 飽きて来た

  • ついに明治9年、神風連の乱が起こる。

    まだ出来たばかりの政府軍は無理矢理徴兵された農民中心で弱い。反乱軍にズタズタにされる描写は凄惨。

    先日、葉室麟さんの『人斬り彦斎』を読んだ時に狂信的で恐ろしく思ったが、肥後藩には林桜園の教えで攘夷思想が根付いていると読んで納得。河上彦斎が育った背景にはこういう土壌があったのか。

    若き日の児玉大将やら乃木大将も出て来て、いよいよ物語が大きく動き出した。次の巻が楽しみ。

  • 本筋を見失うほどの、余談のオンパレード(しかも重複多い)。
    もちろんスピード感などまったくなく、唯一神風連の乱の描写だけは多少なりともスリリングだった。
    変わらない構造に辟易。

    しかし、これは、それぞれが独立したコラムなのだ、と思うようになってから、遅滞がなくなった。

    また、もともと西郷の人格に興味があり手に取ったが、読み進むに連れて、本当にえらいのは大久保だったのではないか、と思うようになってきた。
    彼の沈黙と実行、忍耐はなみではない。

  • 静かなる西郷。
    明治に入り、様々な思想が沸騰直前のようだ。
    まるで富士山が噴火しそうでしない感じの日本の状態が書かれている。

  • 前半は地方官会議や島津久光について書かれている。
    このあたりから、地方士族が同盟して、太政官政府に対する一大勢力を築こうとする動きが出てくる。しかし、まだ勢力が大きくなる前に神風連が暴発してしまった。占いで行動を決めるというのはどうなんだろうね。

  • まだつまらない。けど、次回、西南戦争がはじまりそう…!?西南戦争前夜のきな臭い時期の日本の空気が伝わってくる。



     藩閥政治に辟易し始める頃合い。結局いつの世も、政権は嫌われる。それは今の世も。

     一番狙いのは、自分の生きる時代を、自分の理想のために、全力で生き抜く人間たちである。

     それにしても、昔も今も、前原はカッコ悪いなぁ。

    _______
    p24 薩摩の農民
     薩摩藩は他の土地と違って、富農がいない。他藩では農業生産が飛躍的に伸び、富農が生まれ読書階級になったが、薩摩では戦国時代から変わらず藩によって厳しい搾取が行われてきた。それゆえ薩摩の農民は教育を受ける時間が無く、軽侮されてきた。
     薩摩の士族にとって農民とはそういう存在である。それゆえ明治の薩摩人もその程度にしか市民をとらえていないから、民主主義などあり得ないと考えていた。

    p38 植村正直の後は進歩無し
     明治初年に植村正直が実施した開明的な政策以後、彼がやめて半世紀近く京都では正直以上の前進はなかった。それほどの手腕を持つ男だった。
     しかし、それゆえ市民議会など信用しない男だった。

    p53 島津久光への厚遇
     島津久光は結局、薩摩藩では置物だった。しかし、新政府では左大臣に任官するなど異例の厚遇を受けた。藩政でも政治実績は皆無だったが、薩摩藩主として保守派の頂点におり、政府転覆の頭目におかれかねない危険人物だった。敵に担がれるくらいなら、新政府の管理下に置けるよう異例の厚遇を与えられたようである。

    p62 西郷は復帰させよ
     久光は三条実美と岩倉具視に「西郷・大久保の免職」をもとめていたが、明治7年頃、征韓論を取りやめ薩摩に帰臥した西郷にたいして「容易にはできがたいだろうが、これを復職させよ」という請願を出している。大久保よりは西郷の方が保守的だと感じたのだろう。ただ、これも取り上げられることはなかった。

    p82 河野は卑怯
     木戸曰く、征韓党・封建党・民権党みな十巴一絡げに単なる不平家である。という。その持説を半年間も維持させられない、ただただ不平しか言うことしかできず、芯のある対抗論をぶつけられる奴もいない。と。
     特に佐賀の乱で裁判官に任官された河野敏鎌をあげる。河野は大久保に任官され、民権的思考を持った江藤新平を裁き首をはねた。しかし、その一年後には板垣と一緒になって民権論を吐いている。
     不平のために転身を軽々として、卑劣極まりないという。

    p157 会津の恨み
     会津は薩長を憎む。
     幕末、薩長は徳川慶喜の首をあげて新時代の到来を天下に知らしめようと画策していたが、当の慶喜が簡単に恭順してしまい、人柱を失った。
     そのかわりに会津を人柱にした。というのも、幕末の京都で新選組とともに市内巡査をした会津藩士に恨みを持つ長州藩士がたくさんいたからである。
     
    p203 萩の乱をハメる
     萩の乱の首謀者:前原一誠は大久保や川路に泳がされていた。
     長州人のことは新政府の長州人に任せる方が反感を買わない。下手につつくより、早期蜂起を誘導し早期誅滅を目指した。そこで、前原は薩摩の西郷に連絡を取ると考え、大久保は密偵をもぐりこませ偽の西郷からの密書を前原に届けた。

    p204 密偵
     川路利路による密偵政治が明治初期の歴史を陰惨なものにした。とはいえ、密偵のしくみは江戸中期からある。奉行所の人員不足を補うための、岡っ引きなどがそうだし、井伊直助の安政の大獄も密偵の公安調査がなければできなかった。

    p217 長州軍人は金に汚い
     長州奇兵隊の幹部だった奴は金に汚い。奇兵隊の幹部は給料をだいぶ不正に多く得ていたようである。その気質は新政府の軍幹部になってもかわらず、山形有朋などは山城屋事件という大汚職事件を起こしたりした。

    p252 江華島事件
     明治9年、江華島事件が起き、黒田清隆全権のもと日朝修好条規をむすび不平等条約を獲得し、朝鮮を開国させることができた。
     これによって征韓論は不要になり、浮いた対外戦力を国内平定に動かすのではないかという流説が広まった。

    p254 廃刀令
     明治9年3月28日に布告された廃刀令は旧士族に強い衝撃を与えた。武士のアイデンティティを捨てることは今では想像を絶する衝撃だったようである。これが、神風連や萩の乱の決定的引き金といえるほど。
     新政府は東京ではすでに文明開化が進んだことを根拠にこの法律制定に踏み切ったようだ。武士たちは、帯刀がダメでも手で持っているならいいのだろうと、屁理屈で抵抗した。

    p260 ワシントン
     ワシントンは独立革命を実らせた後、すべての栄職を捨て、マウント・ヴァーノンに退陰し百仕事にふけったそうな。それから4年後、ワシントンは乞われて米国初代大統領として政治に復帰した。
     明治維新の革命後、退隠し畑仕事にいそしむ姿は西郷隆盛と重なる。

    p305 日本の文化大革命
     明治維新後の廃仏毀釈運動、これは日本の文化大革命と言えるかもしれない。神社の神官は寺院の仏像を投げ捨て焼き払った。罰が当たることを恐れた農民たちの嘆願も無視し、「それが迷信なんだ」と吐き捨てた。
     どこの革命にも、革命に加担することで自分が時代の最先端に立っているという昂揚をもとに、自分の正義を推し進めることこそ人のためになると理性を失う者がでるのだな。

    p323 神事と神意
     熊本:神風連(敬神党)は国学と神道を教育の中心にした肥後藩の派閥である。
     彼らの理念は神道に拠っている。宗教を盾に政府転覆をはかった。

    p344 神風連のせいで
     神風連の乱が西南戦争誘発の原因と言える。
     また、神風連が熊本城を軽く落とした。それほど熊本鎮台は弱かったのだが、それを参考にした西郷は、西南戦争において一直線に東京を目指さず、手始めに熊本を落としに行く。
     しかし、強くなっていた熊本鎮台にてこずり、失敗したといえる。
     神風連のせいっちゃせいだ。

    p352 児玉源太郎
     当時24歳の児玉源太郎が熊本鎮台に駆けつけ、神風連の乱を鎮圧した。このころから児玉は一目置かれていたようだ。
     さて、この翌年の西南戦争で乃木希佐も登場する。各作品がつながっていく感じ。

    _______


     我慢の時がこの巻で終わりそうである。次回から、胸熱の展開が予想される。

     しかし、西南戦争の原因となるこの時代、しっかりと解説してもらったので西南戦争も表面的な楽しみ方だけじゃない、味わい方ができるだろう。…かな。

     
     思ったより、藩閥政治への嫌悪感が薄かったな。木戸孝允の言ったように当時の人間はただの不平家なだけだったから、あまり響かないのかな。

     少佐の名言が思い出される。
    「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…」

  • 歴史小説の大家による主役不在の明治政府史第6弾。
    いよいよ西南戦争への足音が聞こえてきたものの矢張クソ遅い展開。
    乱の首謀者である前原一誠の小物臭が出ててくるが故人にとっても気の毒である。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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