- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167561024
感想・レビュー・書評
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10篇のショートストーリー。南の島を舞台とした、少年ティオを取り巻く人たちとの出会いや、別れ、生活や、ファンタジーなど、島の情景がよく想像ができるくらいの緻密で、美しい文章でした。絵はがき屋さんはどうなったのだろう。
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不思議な話もあり、人間としてのあり方を問う話もあり。
南の島のティオという少年を主人公にした短編集。 -
太陽、海、伝説、魔法、ホテル、島の暮らし、子供たち、大人たち、笑顔。童話チックなファンタジー。でも本当の意味での子供向けというよりはやっぱり大人向けの作品だと思う。南の島の生活が楽しそう。まさにスローライフでちょっと憧れる。一番最初の、受け取った人が必ず行ってみたくなる絵ハガキのストーリーが一番よかった。
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<u><b>理想郷ではなく、私の住む世界の比喩としての「南の島」</b></u>
<span style="color:#cc9966;">受け取る人が必ず訪ねてくるという不思議な絵ハガキを作る「絵ハガキ屋さん」、花火で「空いっぱいの大きな絵」を描いた黒い鞄の男などの個性的な人々とティオとの出会いを通して、つつましさのなかに精神的な豊かさに溢れた島の暮らしを爽やかに、かつ鮮やかに描き出す連作短篇集。</span>
「つつましさのなかに精神的な豊かさに溢れた島」とあらすじには書いてあるけれども、その島はいつでも私たちが憧れる理想的なとしてに描かれているのではない(もちろんそういう部分もあるけれど)。「エミリオの出発」を読めばよくわかる。ティオは、南の島と比べククルイック島に「つつましさのなかに精神的な豊かさに溢れた島」という理想郷を見ているのだろう。そんなティオの住む南の島は、私たちにとって理想郷というより、「昔は良かったのに」を内に抱え込み、理想郷を夢見る私の住む世界の比喩と考えた方が良いだろう。あんまり”良くないヤツ”に”良いヤツ”、”変なヤツ””普通なヤツ”…いろんな人がいて、そこに住んでいる人はそれなりにそれぞれ、いろんなゴタゴタを抱えており、いろんな大事な物を抱えている。じっと読んでいると、自分の住んでいる世界と共通する部分がすっと見えてくる。[more]
それにしても、池澤夏樹の言葉の使い回しってホント好きだ。カッコイイ。
<blockquote>ぼくはどう返事をしていいかわからなかった。人生でやるべきことを一通りやってしまった時に、振り返って人が何を思うのか、そんなことは十四の少年にわかることではない。ぼくはただ人にはいろいろな人生があって、みんなそれぞれに誠実に生きようとしているのだということを少しだけのぞき見たような気がした。
「ホセさんの尋ね人」</blockquote>
<blockquote>たぶん勇気というのは男らしさや元気や無謀な冒険心とはまるで違う物で、ひょっとしたら愛と関係があるのかもしれないと僕は考えた。
「星が透けて見える大きな身体」</blockquote>
<blockquote><span style="color:#cc9966;"><b>目次</b>
「絵はがき屋さん」
「草色の空への水路」
「空いっぱいの大きな絵」
「十字路に埋めた宝物」
「昔、天を支えた木」
「地球に引っ張られた男」
「帰りたくなかった二人」
「ホセさんの尋ね人」
「星が透けて見える大きな身体」
「エミリオの出発」
「あとがき、あるいはティオのあいさつ」</span></blockquote> -
不思議爽やか短編集だった。
あーーーーーっ!!!!
旅行行きてーーーーーー!!!!
島でスローライフ送りてーーーーーー!!!!
ってなります。 -
清々しい青空の下で読みたい美しい短編集。星空の下も素敵かも。
ティオの島に私も行ってみたい。童心に戻れる素敵な一冊でした。 -
「子どもを本好きにする10の秘訣」>「冒険・ファンタジー」で紹介された本。
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架空の南の島に生きる少年ティオを主人公にした短編ファンタジー連作集。
太陽の熱さが伝わってこない。潮の香が漂ってこない。ティオの裸足の足が見えてこない。
島には生活感がなく、都会の人間が田舎はこうあって欲しいと無責任に夢想するリゾートパークになり下がっている。
池澤夏樹は初めてだががっかりだ。もう買ってしまった『スティル・ライフ』には期待する。 -
タイトル通り南の島に住む少年ティオを主人公にした短編集で、池澤夏樹が書く児童文学。最後の「エミリオの出発」は本当に素晴らしい。
【いちぶん】
彼にとって大事なのは椰子の実や葉であり、パンダナスの木であり、珊瑚の中を泳いでいる魚であり、山に植えたバナナであり、症状ごとに使いわけるいくつもの薬草であり、自分が一人で生きていけるという自信だった。そう、エミリオはどんなことがあっても自分は一人で生きられるという自信を失いたくなかったのだ。楽をしようと思えばいくらでも楽に暮らせるこの島で、彼は意地になってククルイリック本来の生きかたをしようとしていた。