きれぎれ (文春文庫)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167653033

感想・レビュー・書評

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  • 駄目な男の目を見張るような逸脱した駄目っぷり満載でもういっそ笑うしかない感じでした。ふと思い出したのが『アイデン&ティティ』という映画の中で「俺は不幸でさえなかった」という主人公の述懐で、ミュージシャンとかアーティストとか呼ばれる類いの人たちは、不幸な生い立ちや境遇が一種のステイタスになるような傾向を鋭く指摘していて、「ああ」と納得共感させらたのですが。町田康の作品の主人公たちにも、同じにおいがするなあと思います。「不幸でなくてスミマセン」。

  • ふざけた文体や内容がまさに世の中に対する強い批判であり、天邪鬼な人たちの気持ちを代弁しているように感じます。

    主人公の心の奥にある暗い感情が妄想を生み暴走していくのだけれど、しかいながら現実に生きているというジレンマをどのように消化していけばいいのか?みんな持っている心の叫びのように感じます。そして、みんなぎりぎりで消化しているだけなのでしょう。

    最後の一文
    「穴の手前で振り返ると、青空。きれぎれになって腐敗していて。」
    を読んだとき愕然した気持ちになりました。
    暗闇から覗く青空の美しさの描画の美しさに加えて、腐敗していてというギャップ。何より本の内容を集約した表現に胸が苦しくなり、余韻が残りました。

    世の中が少し辛いと感じたときや何か自分だけ浮いているように感じたときに読んでみてはいかがでしょう。決して救われる感じの優しさはないかもしれませんが、少し楽になるかもしれません。

  • 凄いの一言。全然面白くなかったのに、その凄さだけで4点。

    この文章がどういう意味で、次にどう繋がり、如何にオチをつけるか、という小説脳で読もうとしても、多分4頁くらいでやめたくなります。私は何度もやめました笑

    言うなれば「きれぎれ脳」、とにかく文を追っている最中は文自体を楽しもうとすれば、徐々にですがハマってしまうのが言いようもなく新鮮です。
    そして個人的に1番印象的だったのが、上述のようにハマり出したまさにその瞬間、ほくそ笑むかのようにブツンと物語が終わる、その感覚。
    いくつか短編が入っていますが、そのどれもがそう。いやー凄い

    あ、あともいっこ。
    ひらがなを駆使した独特の擬音語が面白い。
    終始頭の中でドカドカ鳴っているように感じました。(園しおん作品のようだ)

    町田康、何を読んでもこう感じるのか?
    はたまたいろんな技を持った作家なのか?うーん、興味深い。

  • 2000年芥川賞。「くっすん大黒」同様、独特なテンポの文体。現実と想像の境が曖昧で、出来事は突然始まり突然終わる。傍若無人で無能、無一文の主人公の行動は支離滅裂だが、文章が面白く笑ってしまう。

  • NHKのお昼の定番といえば、朝の連続テレビ小説の再放送とスタジオパークからこんにちはである。ながら視聴をしてるとたまにおもしろかったり意外な人がゲストで来たりして、それで知ったのが町田康だった。
    町田康はパンクバンドのボーカリストにして芥川賞作家という肩書きを持っている。「INU」というバンドはなんとなく聞いたことがあるような気もするが、パンクバンドを好んで聞かないので頭脳警察のPANTAがライブ中ステージの上でマスターベーションをした、なんていうスキャンダルの方が興味深いジャンルである。
    それで興味本位でブックオフで「夫婦茶碗」と芥川賞受賞作の「きれぎれ」を購入。ぱらっと軽く読み始めたその文体に驚愕してしまった。

    誰かのブログに、町田康が芥川賞取ったんなら舞城王太郎にもあげていいじゃん、ってのがあったけど、確かにそんな感じの破天荒な文体である。こんな感じの文体で芥川賞といえば、庄司薫の「赤頭巾ちゃんに気をつけて」を想起する。

    ところで、芥川賞といえば日本純文学最高の賞であるとされるが、そのイメージ的な敷居の高さからぼくなんかはずっと避けてきた気がする。どちらかというと大衆文学の最高峰である直木賞の方が読みやすそうだ、と純文学に慣れないぼくなんかは思うのだ。
    そんな芥川賞の受賞者をざっと見てみるとやはりぼくには縁のなさそうな作家たちが列挙されている。読んだことのある作家といえば・・・

    「海と毒薬」の遠藤周作
    (第33回、1955年上半期「白い人」で受賞)

    「赤頭巾ちゃん気をつけて」の庄司薫
    (第61回、1969年上半期受賞作)

    「教師宮沢賢治のしごと」の畑山博
    (第67回、1972年上半期「いつか汽笛を鳴らして」で受賞)

    「コインロッカーベイビーズ」などの村上龍
    (第75回、1976年上半期「限りなく透明に近いブルー」で受賞)

    「ドーン」の平野啓一郎
    (第120回、1998年下半期「日蝕」で受賞)

    と思ったとおり、ほとんど読んでない。

    まあもともとぼくの読書歴が高校卒業してからで、それまでのぼくは漫画やアニメやアイドルにどっぷりだったのだ。読書なんて眉村卓、光瀬龍、加納一朗、高千穂遙などの朝日ソノラマやコバルト文庫のSF児童小説か、那須正幹のズッコケ3人組か、富野由悠季の初代ガンダム3部作の2部でアムロとセイラのエロシーンにドキドキしたぐらいだ。
    そんなもんだから、高尚なものなど自分に読破できるわけがないと開き直っていた。大学生の頃、河野多恵子の「みいら採り猟奇譚」を友人から借りて読んだが、ただのSM官能小説だろと嘯いたりもしたくらいだ。なんとも読解力のなさにいまでは反省している次第だ。

    さてそれで今回の「きれぎれ」だが、文庫の解説で池澤夏樹も書いているように、町田康を論評するなどおこがましいような気がしてくる。池澤夏樹は解説で町田康の文体を「粋」という言葉でまとめているが、この人の作品世界はそれぞれが読んだまんま、感じたまんまでいいんじゃないのかなと思うのだ。言葉巧みなのとマシンガントークは町田康の専売特許なのだろう。それも粋な感じでね。
    ただぼくが感じたのは、町田康が韻を踏むように言葉を紡ぎ繋いでいくところがラップのそれとよく似ている気がして、さすがリズムを商売としている音楽家だけはあるのかなあ、なんて思うのだ。さらには、池澤夏樹も指摘しているように舞台劇のような展開、ユーモアというよりもギャグに近い表現は斬新でおもしろい。映像がイメージできて笑ってしまう。ジャンルの垣根を超えて、日本文学が進化するならいいじゃん、って感じで気楽にゆるく読めるのが町田康を読み解くためのノウハウなのかもしれない。

    この「きれぎれ」が芥川賞を受賞できたのは、菊池寛が言うように芥川龍之介らしかったからであり、ちなみに芥川龍之介の作品でぼくがもっとも好きなのは「歯車」と「侏儒の言葉」である。だからこそ舞城王太郎にもそろそろあげてもいいんじゃないって思うのである。

  • 文体について行けず一旦積読。

    暫く置いて、再読。 今度は読めた、しかも面白い。笑いのつぼもかなり好み
    オフィスをオフィースっていうなんか明治、大正っぽい表現とかかなりすき。

    町田さんは、凡人の僕らが記憶できない脳の活動って言うか
    夢とか想像の部分を見たりしてるひとなのかなーって、何冊か読んでると
    より感じます。 それくらい、高速で次々と展開して気づくと元の場所に戻ったりしてる、すんごく集中力のいる小説。 

    あと、100冊くらいほかの本を読んだらもう一度よんでみよ。 楽しみだな

  • 町田氏の作品は初です。
    独特なリズムに乗れさえすればずんずん読んでいけるタイプの文体。

    大きく期待していなかったせいか、とてもおもしろく読めた。
    「きれぎれ」の終わり方がとても好みで、気持ちがほろっとした。

  • 一度目はいまいち話に入り込めなかったので、続けてもう一回読んでみると頭がきれぎれ仕様になってきたのかすごくおもしろかった。
    私はどちらかというと一緒に収録されている「人生の聖」の方が好きだった。

  • 『男の声は、ぴーぎー云う音にかき消されがちで、ぴーぎー第四十九回ぴーぎー…ぴーぎーでは…を記念いたしましてピーぎー…ぴーぎー昨年の…苔野壱念さんごふぴーぎー…によるピーギーおめでたい鶴亀のピーギー…をお願いしまピーギー…、と何を云っているのかよく分からない。ピーギー。』

    『どうすんだろうねこの店。という目で俺を見るから、そら俺だって腐る、ええええそうですとも。そら俺のやってることは褒められた事じゃないかも知らんが、貴様に云われる筋合いじゃねぇぜ、それにアルサロなんていまはもうねぇんだよ。と言い返したくもなる。しかし席が席だし、向こうだって口にして云ったわけではなく、そういう目をしているだけなので、俺も言い返すことができない』

    『あなたの目は死魚のようだ。あなたは穢れそのものだ。わたしに触れるな。わたしの名を口にするな。あなたは生涯、恐怖と汚辱のなかで呪われる。立ち去れ偽善者。立た去れ部外者』

    『俺もパン屋を馬鹿にするみたいないい方されて、ついかっとなっちゃってさあ、斧で女房の頭を ー いや、柄のほうで』

    『猿橋は、「ど、どう思う?」と心配・不安げな口調で感想を聞く。素直に、ヘドロに古ブラシを混ぜて食っているような味だ、と答えると、猿橋は、「やっぱりそうか」と暗い口調で云った。』

    『あなたの脳を誰かが鍋に入れている! このままでは僕らは終わります』
    『いったいなんのためにそんなことを?』
    『おそらく誰かがあなたの脳と白子と間違えたのでしょう』

    『「執行補助52迄未経験可固給47万20円出来高歩合有交給梵語優遇社団法人法務執行会44218(1)8184」というのが目にとまった。字面からなにかいい感じ、未来が開けるようなものを感じた。』

    『婆さん、歳はいくつだい?』
    『百八つ』
    『あんらーまー。そうかい、元気だねー。何年の生まれ?安政三年?』

    『空が真っ黒になっていた。強風が吹いていた。凶風が吹いていた。』

    『その個人の純粋な悲しみのようなテロル。魂のテロル。純粋テロリスト、通称純テロ。純トロのようで格好いいね。』

    『よかった。脳が透けててほんとよかった。後は俺の独り舞台。』

    『まあ、僕はコーヒーのことをちょっとひねってコルヒと言ったのだが、そういう言葉の遊びが分からぬような鈍感な女は駄目だね。じゃあ、分かるように云ってやるよ。カァフィーを呉れ給えよ。いや、それともビアにするかな。ビールじゃないよ。ビア』

    『おまえは才能がない。根性もない。性根も据わらないただのガキだ。おまえが理屈を言うのは百万年早い。なにかいわれたら無条件にはいといえ。相手が外人だったら、イエッサーといえ。』

    『理不尽な叱責をされて土砂降りの雨の中、傘を買うタイミングを失し続けて帰宅した時点で俺は肉体疲労児、精神困憊児。』

    『人生というものは、複数の原因と結果が美しい幾何学模様を描いて交錯、重なったポイントが発光して輝くものだと思っていた。』

  • この小説には人生の教訓とか啓示的なものが無い。文体も流れるような非常に独特なものなので、活字であるにもかかわらず何も考えずに頭を空っぽにして読むことができる。ただし人を選ぶかな。なんとなく女性は苦手そう。

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著者プロフィール

町田 康(まちだ・こう)
一九六二年大阪府生まれ。作家。九六年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

「2022年 『男の愛 たびだちの詩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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