赤ちゃん取り違え事件の十七年 ねじれた絆 (文春文庫 お 28-1)
- 文藝春秋 (2002年10月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167656416
感想・レビュー・書評
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やはり、産みの親も育ての親も、正しく愛情をもって育てなくてはいけない。そうすればいつからでも、母親、になれる。
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照光切ない
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これが現実にあったなんて・・・
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ドラマを見て興味を持ち、購入。映画「そして父になる」の参考図書でもある本書。実在の家族からは、映画に対して「内容が違う」という趣旨の物言いがついたというワイドショー的な好奇心もあって、読み始めた。
内容は、赤ちゃん取り違え事件を記者の立場から書いたノンフィクション作品。
取材を重ね、年齢を経て取り違えられた家族の姿を描いている。
ドラマでは、それぞれの家族が抱える苦しみやせつない心情が伝わってきたが、この本では記者がたんたんと事実を書き記していく。
小説的な展開や登場人物の心情に深く入り込むことを望む方にとっては、少し物足りないかもしれない。
けれど、客観的な視点で描かれているがゆえに、この事件の悲しさが伝わってくる部分もあるかと思う。
なにより、ドラマで描かれていない、より詳細な事実と、せつない現実にやりきれない気持ちになる。
読んでいくうちに「もし、取り違えられなかったら、この家族たちの人生は違っていたのだろうか」という疑問は、きっと多くの人が感じるだろう。
「子を育てる親の愛」「血のつながり」など、家族という深いテーマについて考えさせられた一冊。 -
沖縄で実際に起こった赤ちゃん取り違え事件。
今話題の映画「そして父になる」の参考書籍だそうです。
取り違えが発覚したのが、子供が6歳の時です。
うちの娘がちょうど今6歳なんですが、どうしても自分ならどうか?と考えてしまいました。
子育てにおける6年ってすごく長いですよね。
しかも0歳~6歳って、すごく大変で、子供はすごく可愛い時期。
それを急に「その子はあなたの産んだ子じゃないですよ。あなたの
産んだ子はこっちですよ。」って見ず知らずの子に会わされたら・・・
そんなの「交換なんてできるわけない!」って私は思いますが、それも今育てている子が自分の産んだ子だって確信があるのでそう思うだけかもしれないし。
実際、本書に出てくる伊佐・城間2家族の両親は最初は「交換なんてできない」と思っていましたが、実際自分達の実の子を見た時に「血の繋がり」を強烈に感じています。まず単純に顔が似ているという事。やっぱりそれは衝撃でしょうね。
結局子供たちは交換され、実の親の元に帰るのですが、もう子供たちの気持ちを考えると胸が締め付けられました。
もちろん親の葛藤にも・・・
特に美津子が痛々しくて見ていられない気分でした。
そして読み進むにつれて、この2家族の特殊な事情も浮き彫りになってきました。特に城間家は色々ありすぎて、これは取り違え事件の中でも特殊な事例だったのでは?と思いました。
6歳まで城間家で育ち、伊佐家の実の子であった真知子はそれなりに段々馴染んでいきます。
6歳まで伊佐家で育ち、城間家の実の子であった美津子は全く城間家に馴染もうとせず、隙あらば(次第に隙なんてなくても)伊佐家に戻って来ています。
「血」か「情」か?なんて書かれ方をしていますが、結局は親の愛情ではないかなと、本書を読んで思いました。
結局どちらの子供も伊佐家の方へ行ってしまうのですから。
そして親の愛情以外にも、「ある程度の経済力」・「親の教養」。
これはものすごく大事だと改めて気付きました。
総合して子育てにおいて「家庭環境」と言うものは非常に大事だなと思いました。
「血」とか「情」とかじゃない大事な物が確かにあるんだと思います。
今回、この2家族には、片方には健全な家庭環境があり、もう一方にはなかった。それが事態をより複雑にさせた気がします。
文庫化の際には、美津子・真知子が30歳になった近況も綴られています。これを読むと、少しは救われる思いがしましたが、それにしても根の深い問題で、本当に答えも解決策も何もない。
ただ当事者達は乗り越えて前に進むしかないんだなと思います。 -
そして父になる、の原案的なノンフィクションですが…一方の家族に、取り違え以前の重大な家族の問題があって、取り違えどころではなくなったのは私だけ…?ご本人たちが出版を許可したのが謎。
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ドラマを見ました。映画とは異なり子どもは娘。生活水準学力水準が低下する家への交換はつらい。映画はかなりソフトに描いていたんだな。「血か情か、正解なんてあるわけがない」と親が言っていた。そう思う。
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S46沖縄の女児取り違え、6歳で交換、その後17年24歳までのドキュメンタリー。
生まれて6年間を育てる重み。沖縄の血縁優先社会。嫁にでる女の子。育て方の違い。家風の違い。夫婦の事情。 -
最終的にはやはり「情」。と思わざるをえない。
病院で取り違えられ、6歳で発覚。小学校入学前に本当の家族の元に戻された女児二人。スグにとはいかなかったが、次第に実の両親になついた初子(真知子)に対し、いつまでも実の両親に懐かず育ての親の智子の元に通い続けた美津子。
似たような家庭環境にありながら、ここまで違うのには母親の育て方が大きく関係するのだろう。最初は手づかみでモノを食べたりするような野生児だった真知子が最終的には学力でも美津子の上を行く。6歳時点では恐らく美津子の方が上であったろうに。
美津子が懐かないのも当然で母親は夜遊びに男遊び。父親の愛情は少し押し付けがましく、さらには義姉と不倫し義姉と家族が同居。
おかしな家庭環境だし、思春期の女子が反抗するのは当然。
母親があんなだから、父親の照光が義姉とそういう関係になったのは致し方ない部分もあるのだろうし、照光に愛情が無いわけではないと思うので、ある意味彼が一番貧乏くじな気もしなくもない。
沖縄という親族関係が密接な社会では生きにくいだろうと感じた。
あと、親の意識の大切さ。どちらの両親もあまり学があるとは言いがたい。日記には「寝むられない」「言ゆ」「ふわん」など、誤字だらけ。夏子に「北」の反対語を聞けば「きた」と解答。
そういうまともに教育を受けられなかった時代と場所に育った親でもやはり育て方なのだ。
美津子がいつもどこか遠慮しながらも智子に甘えていたという感じが健気で仕方ない。
本当は2倍になるはずだった親の数が美津子は危うく0になるところだったのだと思う。取り違えられたおかげで彼女は智子という母を得たのだ。
ま、もしかしたらそれがなければ状況からして下の妹達と同じく母の義姉の敏子に懐いたのだとは思うが。
美津子には幸運にも智子がいたからそっちに行っただけとも取れる。
家族とはあたりまえのようにそこにあるのではなく、「状況」が作り出しているようにも感じた。とにかく考えさせられる作品であることは間違いない。 -
今まで我が子と疑わず育ててきた子どもが、実は自分の子ではなかったら?
この本を読んで、もしそうだったら・・・・とつい考えてしまいます。
親子でそっくりなので、間違いはないけれど・・・。