構造主義的日本論 こんな日本でよかったね (文春文庫 う 19-5)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167773076

感想・レビュー・書評

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  • ブログのぞいてみたいです。

  • 2003〜2008年にかけて起こった出来事に対して、内田先生がどう捉えたかブログに掲載した内容を編集したもの。当時こんなことがあったな〜と振り返りながら教育や家族の在り方について考えさせられました。少し前のトピックとはいえ、現在にも繋がる問題ばかりで興味深かったです。

  • 内田樹の本は結構読んでいるけど、どれもクオリティのアベレージが高い。

    前々から思ってたことだけど、この人の本は読みやすい。結構難解なことを言ってたりすることもあるんだけど、それでも読みやすい。

    その答えがこの本に書いてあった。というのも、結局この内田樹という人が心地の良い文章を書いているからだ。

    もちろん自分が作文の名手であるというような自画自賛はしていないんだけど、そういったことが暗に示されている。

    この人は語彙力も豊富で、硬軟多彩な語を使い分けている。それでいて、その語彙の選択が間違いないのである。これはこの人の読書量の豊富さと共に、センスのよさを物語っている。

  • おむつとコミュニケーションの話や教育の問題は責任の所在が曖昧になったことにあるといった話や思考と言葉の関係など、興味深い内容も多かった。

  • 「構造主義的」と言っているけど別に「構造主義的」という副題を付ける必要は全くもって無いような内容に思えました。
    本書では構造主義において本質的な議論を、言及していたとしても周縁的にしかしていない気がします。1章1節、1章5節あたりの話が一応構造主義そのものに触れている節になりますが、その他の節では特段「構造主義的な分析をしている」と仰々しく言う必要性を感じませんでした。

    内田樹は「構造主義」をあまりに広く捉えすぎているのでは無いかと思います(本人に言わせれば、「捉え方なんて人それぞれ、それこそ構造主義的じゃないか!それでいいんだ!」ということなのでしょうが)。

    「最近構造主義って聞くけど、よくわかんない。身近な場面で使われていれば…」という読者が「構造主義的に日本を分析するのか!読んでみよう!」と思って読むと間違いなく構造主義を勘違いする(あるいは結局全くわからない)と思うので、気をつけた方が良いのではないかと思いました。

    単なるエッセイとして読むなら、確かに面白い視点を提供してくれると思うので良いとは思いますが…

  • 働かないことが「労働」である根拠として、他人が存在する不快に耐えることを「貨幣」としているという洞察がしっくりきた。ゆとり世代の自分にも経済的価値観の一つとして体内に流れていることは間違いない。

  • いつものように、内田さんのおもしろい視点で家族、教育、日本などの話題について語られている。
    むずかしい部分と読みやすい部分がある。前半一〇〇ページくらいはかなりむずかしかった。
    内田さんの著書の内容は多岐に渡るので、一冊読んで文字通りぜんぶ頭に入れるということはなかなかできないのですが、自分はこの人の考えにかなり影響されているんやろうなあとめちゃくちゃ感じます。

  • 例によって、なるほどと納得する快感を味わった。線を引いた箇所の抜き書きだけ読み返すと、普通のことしか言っていないみたいですが、そこにもっていく展開に説得力があり、エンタメ的サービス精神にもあふれています。以下、ページ数はすべてバジリコ刊の単行本のページ数。

    「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。(111ページ)

    法規と現実のあいだに齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない(中略)
     だが、「超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を取ります」と固有名において引き受ける人間がいる限りにおいてである。 (157-9ページ)

     誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方法はないと思う。(176ページ)

     社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。
     私はあらゆる「一気に社会をよくする」プランの倫理性についても、そのようなプランを軽々に口にする人の知的能力に対しても懐疑的である。(256ページ)

    人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。
    (中略)
    そういうお前は愛国者なのか、と訊かれるかもしれないから、もう一度お答えしておく。
    そういう話を人前でするのはやめましょう。
    現に、愛国心をテーマに書き始めたら、私もまた「愛国心」のありようを私とは異にする同国人に対する罵倒の言葉をつい書き並べ始めているではないか。
    愛国心についてぺらぺら語ることは結果的に同国人を愛する動機を損なう。(259-62ページ)

  • (以下引用)
    人生はミスマッチである。私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでも結構幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることができる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。チェーホフが看破したとおり、私たちは誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっている。「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。(P.155)

    たしかに「予防」は仕事をふやす。場合によっては「自分のミスではないミスの責任者」というかたちでネガティブな評価を受けることもある。けれども、それがいちばん
    効率の良いシステム防御策である。「いいよ、これはオレがやっとくよ」という言葉で未来のカタストロフを未然に防ぐことができる。けれでもカタストロフは「未然に防がれて」しまったので、誰も「オレ」の功績を知らない(本人も知らない)。そういうものである。成果主義は、この「成果にはカウントされないが、システムの崩壊をあらかじめ救ったふるまい」をゼロ査定しする。だから、完全な成果主義社会では、システム崩壊を未然に防ぐ「匿名で行われ、報酬の期待できない行為」には誰も興味を示さない。私たちの社会システムはそんなふうにして次第に危険水域に近づいている。(P.177)

    政策の幅が狭いというのは、悪いことではない。それは社会が成熟して、大きな変化を受け付けなくなったということであり、言い換えれば「誰がリーダーになってもあまり変わらない」ようになったということである。(P.267)

  • 頭がよくなった気がする。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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