邪悪なものの鎮め方 (文春文庫 う 19-15)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167900151

作品紹介・あらすじ

どんなお祓いよりも“効く”一冊!霊的体験とのつきあい方から災厄の芽を摘む仕事法まで。「どうしていいかわからないときに適切なふるまいをする」ための知恵の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 邪悪なもの=震災、コピーキャット犯罪、暴力とか。それまでの自分の知識やスキルじゃ立ち向かえないものに遭遇した時にどのような考え方をすれば生存率が上がるか。大雑把にいえばそういう知恵が詰め込まれている本。

    「呪いのナラティブ」は本当にそうだよ。他人の足を引っ張って相対的に自分の地位を上げようという、そういうことが自分の幸福の指数にカウントされているような世の中は本当にいやだなあと感じていました。
    「内向きで何か問題でも?」の章もそうだよなぁと。
    別に悪くないっていうかむしろそのほうがいいし。

    ひとつこの本で一番印象に残った文章を書いておく。

    「妥協」において他者と「妥協」しているのは、「存在していない私」である。「(すべてが100%うまくいった場合に)そうなるはずであった私」「そうなるといいなと思っていた私」を「それこそが現実の私」であると強弁することではじめて「妥協」という考えは成立する。

  • 現代を生きるわれわれが、ついつい取り憑かれてしまう「邪悪なもの」に、どのように対処すればよいのかというテーマを中心に、著者のエッセイを集めた本です。

    身体や暗黙知にかんする著者の議論のなかでも、とくに著者の柔軟性が発揮されている本だという印象を受けました。オカルトから脳生理学まで、多少危うさを感じさせる議論の運びがときおり見られて、結論には深く納得させられることが多いものの、そこへいたる途中ではハラハラさせられてしまいました。ある意味で、スリリングな読書体験だったのかもしれません。

  •  解説にある、処方箋という言葉が響く。まさにその通りかも。少し気楽?になった。氏の著書を数冊読んで、少しずつ考え方が理解できるようにもなり、最近は特に面白く感じるようになった。いましばらく継続して読みたい。また既読本も再読し、さらに理解を深めたい(氏の考え方だけでなく、世の中一般的な視点で物事を)。

  • 対談の後に書いたエッセイなどを集めた様々なテーマ(新型インフルエンザ、霊的体験、裁判員制度、コピーキャットなどなど)が満載です。
    私の中の記憶がまた少し書き換えられた感覚ですかね。
    特に対談後のエッセイは、対話の中で生み出された「何か」を面白おかしく語る著者の文体が子どもじみていて(著者には怒られそうですが)親近感を覚えます。

  • 内田樹20冊目
    邪悪なものの鎮めかた

    内田樹はマルクスを読む理由について、「マルクスを読むと何かが書きたくなる」というような知性を刺激する文体と論理をマルクスが持っているからと話しているが、自分にとっての内田樹についてもそうだなあと思う。この本においても、考え方のフレームであったり、陥りやすい思考の落とし穴だったり、自分が身の回りの人と生きていく上で「そうだよなあ」とうなずけることが書いてある。3年半前に、行く大学が決まり、入学前の暇つぶしに「寝ながら学べる構造主義」を読んでしまってから、3か月ほど読んでいないと、なんだか不調だなあと思うほどこの人の文章やいうことは中毒的である。読者が本を選ぶのではなく、本が人を読む―その本を読むことのできる主体に作りかえる―という内田樹の言葉は本当に深い。

    ・年齢や地位にかかわらず、システムに対して被害者・受苦者のポジションを先取するものを子供と呼ぶ。「父」を殺してヒエラルキーの頂点に立った「子供」は「この世の価値あるモノ全てを独占し、子供たちを無能と無力のうちにとどめておくような全能者」がそもそも存在しなかったことに気づく。そして「こども」は「父」を名乗り、思いつく限りの抑圧と無慈悲を人々に与えることによって、自分を殺しに来るものの到来を準備するのである。

    ・今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」-革命を目指す政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。

  • こういう時事問題や世の中の事象に対する考察の文章を久しく読んでいなかったので、けっこう刺激になった。窮乏シフトが良かった。

  • 内田先生の主張は今や数多く活字化されており、ものごとの見方や生きる術についてなど読む度に納得。もやもやしていたものがすっきりと霧散します。もちろん、構造主義などの思想に裏打ちされた文章は一読して分かるというものではないのですが、それでも何故かそうだそうだ!あっなるほどあのことだ!なんて思うこともしばしばです。
    今回もせんせいは、せんせい自身が見つけた答えを私たちに教えて下さっています。「礼儀正しさ」「身体感度の高さ」「オープンマインド」この3つが邪悪なものとの対峙する術のようです。呪術とか呪い・・の類も散見するので思想家というせんせいの肩書とどう繋がるのかと思う方もいらしゃるかもしれないのですが、古来人間は畏れなど目に見えないものとお付き合いしてきたのですから、武道家でもあるせんせいにとっては身体感覚に根差すことは根本であります。私の座右の銘でもある「まず隗より始めよ」をテーマとした文章があったので、尚満足でした。

  • センセイのブログをまとめたもの。
    まえがきにもあるが、「どうふるまっていいかわからないとき」に適切に振る舞うことができるようになるには?
    センセイの答えは、ディセンシー(礼儀ただしさ)身体感度の高さ、オープンマインド。

    数年前、立命館での姜尚中氏や平田オリザ氏と佐野元春の講演で、佐野さんが他の人への温かいまなざし、ユーモア、あとなんだったか、と言ってたなあ。と思う。

  • 「原則的であることについて」というところに、すごく大事なことが書いてあるような気がする。ということをまずは覚えておく。今、頭が回転中。

  • このタイトルにふっと惹かれるものがあったら、それはウチダ流「先験的知」の持ち主なのかもしれない。(適当)

    とにかく最初はやたらめったら登場する謎の「」と、カタカナ語にくらくらする。
    「パセティック」って当たり前に登場するけど、一体何なんだー?と思ったら、数ページ先にもパセティックが登場する。(悲壮なさま、という意味らしい。)

    でも、真ん中辺りから楽しくなってきて、ふむふむと頷いてしまうので、ぜひ真ん中まで頑張って読んでみてほしい。

    私のアンテナに引っ掛かったのは、読書の「コールサイン」の話である。夏目漱石が具体例に挙げられているが、ちょうど『書楼弔堂』を読み終わったところだったので、なんだか不思議な偶然に引き寄せられた気がする。
    と思えることも、読書の楽しみの一つかもしれない。

    もう一つは、内田樹の考える「朝読観」である。
    途中、肯定的に頷く場面があるくせに、「佃煮のラベル」と並べる辺りが何だかシニカルで笑ってしまう。なるほど。

    後半になるにつれ、読みやすい一冊であった。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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