評価と贈与の経済学 (徳間ポケット)

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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198635671

感想・レビュー・書評

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  • まあ、対談集としてはまあまあの出来だと考えている。しゃべりだすと止まらない岡田に対して内田樹がそれに対応するといった状況が目に浮かぶ。内容としては若者論と経済論といった話だが、踏み込んだ場所まで話しておらず、岡田のつくったシステムを称賛するといった話になっているのが少々残念
    。二人共知識力やら会話力はあるのだから、もう少し深い内容が欲しかった。

  • 内田樹と岡田斗司夫の評価と贈与の経済学を読みました。
    内田樹と岡田斗司夫という全く異なる考え方の二人が、若者たち論、これからの日本論と言ったテーマについて対談しています。

    途中の議論も面白く読んだのですが、これからの日本人はどうあるべきか、という議論で、これから求められる人間像はまず自ら与える側に立つ人間だ、というのが面白いと思いました。
    まず、贈与する。その後に他の人からの支援があればうれしい。

    投資したものは決められた期間内にリターンがなければならない、という性急な成果主義ではこれからの日本は立ちゆかなくなるだろう、という主張でした。
    内田樹の主張は他の著作と同じでしたが、岡田斗司夫がそれにコメントをしていくことで面白い議論になっていると思いました。

  • タイトルだけ聞くと難しそうだけど、ぜんぜん読みやすい。

    岡田斗司夫さんのに関して初めて知ったのは、去年11月の内田先生の講演の時だった。
    それ以来、Twitterでフォローしているので、岡田さんの活動されていることや考え方も分かってきた今の段階でこの本を読んで、お二人のケミストリーが一層おもしろく読めた。

    岡田さんは現代の若者の文化というか考え方がなぜある傾向をもっているのか、内田先生に伝えようとしている。
    若い世代の日本人と交流がない私にとっても目から鱗だ。
    http://big-river.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c92e-1.html

  • ネタバレありです。

    |今は本質的な議論がなくて、世論の流れというか、流行りだけがある。
    ランキングが上位だから良いに違いない、という発想。日本人のイワシ化。

    |自分の気持ち至上主義。
    「もういいんです症候群」自分の中の盛り上がった気持ちが絶対なので、
    その盛り上がりが無くなった時に、責任を請求しにくい。自分の気持ちが否定されると落ち込むので、その前にもういいんです、となる。

    世の中の情報は、自分の気持ちを補助する為に存在する。
    何かを否定するとしたら、否定的な情報。肯定するとしたら、肯定的な情報ばかり集めるようになる。

    |草食化について。
    今の若い男子が一番嫌なことは、誰かにいいように利用されるっていうこと。欲望を持つ、またはそれが知られてしまうと、匠に利用されてしまうと思っているから、欲望を持たなくなった。

    今は、完全記録時代。全ての記録がブログ等のネットに残って生涯指摘されてしまう。昔と今では、失敗に対するリスクが違いすぎる。

    |イワシ化する社会というのは、脳化する社会。みんなが頭だけで、脳だけで判断するから、・・・ふらふらマジョリティについていく。身体から送られる”こっちに行ったほうがいいよ”という生命についての情報を無視して、頭だけで考えているからだと思う。

    |ロスジェネ論。
    ロスジェネ世代は、団塊の世代よりも賢いといわれると、それは違うと思う訳。自分たちが不遇がゆえに、賢いのだ、というようなことを言うと、
    不遇な立場から離れられなくなる。社会的にいい思いをしていると、バカになると言っちゃうと、いい思いが出来なくなる。

    |明治以来、いつも若者の目の前に拡がる未来には、どうなるか分からなくて、いつも不安定だった。大学に入るためにこれだけの努力すれば、その報酬は確実にありますよ、っていうのは本当に作り話なんだよ。

    |よく1960年代の高度成長期には。日本社会は希望に満ち溢れていた、なんていうけど、あれは嘘。その当時の日本人の気がかりは、核戦争だった。

    |努力と報酬は基本的に相関しない。報酬は運である。
    運だからこそ、成功したら他人に与えないとバチが当たる。
    成功とは他人が手を差し伸べてくれて、あ、すいません、という感じで
    引き上げてもらう感じ。自分だけの力で這い上がった訳じゃない。

    |努力とは、・・・当面の課題に対して、とりあえず真面目に取り組んだ人間と、ぼけっとしていた人間の間に大きな隔絶が拡がる。そういうもの。

    |努力したのにすぐに適切な報酬がないのは間違っている、と言う人がいるけど、社会システムなんてそんなもの。・・・我慢はしたかもしれないけど、努力はしていない。しなきゃいけない、と言われたことはしたかもしれないけど、これがしたい、と思ったことを必死でしたわけじゃない。
    納品したらすぐに金を払え、”キャッシュ・オン・デリバリー”っていうのは
    要するに相手を信用していない、ダメな取引のやり方。
    自分の納めたものに、本当は自信がないからキャッシュと引き換えという取引をしたがる。
    次はない、と思っている人だけが、等価交換、同時交換を求めたがる。

    |成果主義というのは、”無時間モデル”だということに、問題がある。
    それが結果的にどういうカムアウトをもたらすかは、相当長いタイムスパンを取らないと分からない。

    |お金は天下の回りモノ。知らないうちに、自分のところに回ってきたモノだから、それもまた、誰かの所に回してあげるのが、自然な流れでしょ。

    |日本は間違いなく、少子高齢化、市場の縮小、成長戦略というのはあり得ない。社会全体がゆっくりと勢いを失っていく。
    未来に繋がるような活動に分配していくやり方、それは"贈与"しか無いと思う。"俺たちは十分楽しんだから、あとは若い人たち、頑張って"って。

    |サザエさん家は、2人が働いて、7人が食べていける。今は、共働きでやっと生活出来る時代。
    昔に戻って、運良く仕事がある人が、弱者を抱えればいい。

    自力である程度、社会的に成功した人が、後続世代にルートを作ってあげる。自分が獲得した社会資源を次の世代に流してあげればいいと思う。
    働く人が輝くには、なるべく多くの人を食わせるっていう、簡単な原理に戻ればいいだけ。

    |自分がそこそこ努力して、社会的成功を納めて、そこそこ自由に使える資源が手に入る、というのは、もともと自分の力じゃない。周りの人のおかげで手に入れたものだから、恩には恩を持って返さないと。
    今、手元にあるものは、自分の専有物じゃなくて、一時的に"託されたモノ"だと考えるべき。

    |天賦の才能は、自己努力の成果ではない。努力しなくても出来るんだから。そういう人が、"必死に努力しても、そのレベルに達することが出来ない人"を見下すのはおかしい。
    せっかく天から才能をもらったのに、次の世才にパスしないで、自分だけで浪費してしまった。才能ある人は、既に贈り物を受け取っている。
    反対給付の義務がある、と考えるべき。

    |ネットカフェ難民。30人も1つのお店に難民がいる。一晩1,500円なら月45,000円。それなら、3人に声をかけて、アパートを借りたらいいのに。
    それが出来ないのは、"自立・自己決定イデオロギー的"で洗脳された結果。
    他人に迷惑をかけたくない、かけられたくない、という意識。どれほど生活上の不自由があっても、"自己決定しいている俺は正しい"と思っている。

    |先生の前で堂々とケータイをいじる生徒がいる。それは、生徒にとって礼儀作法である、発想。
    つまり、自分は自分のマネージャーであり、目の前の第一世界の自分、
    ネットなどの第2の自分を常にマネジメントしている。私がいくつかって、常に気配りを怠らない、それが礼儀であると。
    それは、自分の中で複数世界がレイヤー構造になっている真実を見せるという行為を通じて、あなたは大切な人だというメタメッセージを送っている。

    |リアクションする人間に徹することで、欲望を消せる。
    こういう人たちが能動的にアクションを起こすにはどうすればよいか。
    それは、最終的には身体性を取り戻すこと。自分の身体に敏感になって欲望を取り戻してもらう。
    身体性を取り戻すには、単純で原始的なことに取り組むしかない。
    田舎に放り出す、ただひたすら掃除させる。有無を言わず、掃除させて、無意味生に愕然とする。
    掃除をやっていると、人間の営みの根源的な無意味生に気がつく。
    無意味生を理解出来ると、些細なことでも感動出来るようになる。

    |贈与から始まるんじゃない。贈与が出来るようになったということは、既に誰かから多くの贈与を受けている。

    |良いパサーたれ。
    資源を持つ人と、持たない人には違いがあるように見えるが、
    資源を持つ人は、パスの流れにいて、スゴイ勢いでパスを通している。
    持たない人は、最初のパスを抱え込んで、それを次に出さないので、その人には流れが生まれない。
    ビジネスでも同じで、評価や情報、貨幣も動いている所に集まってくる。だからどんどんパスを出していると、あそこはパスが良く通る所だ、とお金が集まってくるようになる。

    |自分から他人に贈与出来るものは無いかと、いつも考えている。
    ファンタジスタは常に、"どこにパスを出せばゲームを楽しく出来るか"を考え続けるが故に、良きパサーになれる。常に空想すること。
    他の人間が思いつかないような使い道を妄想している所にいきなりパスが来るもの。

    |生きる根拠が無いと悩んでいる人は、他人に生きる根拠を与えることでしか、その悩みは解消されない。

    |贈与する側に立つことで、初めて自分が贈与を受けていたことに気がつく。人間は自分が誰かに贈与をする、というシチュエーションに遭遇しないと、自分が贈与を受けている側だという、へりくだった自覚をすることが出来ない。

    |仕事はもらうモノではなく、やりたい仕事場へ出向き、勝手にお手伝いとして初めてしまえばいい。今の若者は、
    "パスは受けるもので、上の世代がパスを回さないからいつまで経ってもボールが回ってこない”と考えがち。老害のせいだと。
    発想を逆転させて、自分のやりたいところで、お手伝いを始める、という行動を起こせることがポイント。

    |年上世代も、若い世代に敬意を払うべき。そして、パスを回す義務がある。もっとおせっかいに親切にしてあげて、パスを与えてあげないと、パスするゲームの楽しさを理解させることが出来ない。

    |若い人は確かに厳しい状況にある。しかし、自分に余剰が無いから今は贈与なんて出来ない。そのうちお金持ちになったら・・・なんて言ってる奴は贈与のサイクルに参入することは一生出来ない。

    |貨幣経済は、これ、いくら?と情報を少なくしていった経済。
    美味しいお米を大切な人に渡そう、ではなくて、私のお米に一番
    高い値をつけてくれた(評価してくれた)人に渡そう、

    |贈与経済の復活。デジタルネットワークにより、積み上げられた個人の情報から、信用出来る人を見極めて、貨幣に頼らなくても済む。

    |就職したら負けだ、と思わされたら負けだよ。

    |社会人とは、"スキル"”ネットワーク””人柄”で成り立っている。

    |老害だと避難していた若者も、すぐに老害世代になる。そうなると、今の老害と同じことを言い始めることは容易に想像出来るはず。
    "世代が原因なんだ。生まれた時代が悪かった"と、とらえた瞬間にその仮説で全ての理不尽さを片付けてしまった。年金だって返ってこないんだから、働かないほうがいいんだ。という情報展開。頭が悪すぎる。

    |リーマン・ショックの時、いち早く売り抜けた人がヒーロー扱いされているが、本当の勝者は、リーマン・ショック前に手を引いた人。
    前者には決断力があると思われがちだが、決断を迫られる時点で、
    それまでの過程に間違いが積み重なっているはず。
    決断を迫られた時点で、負けている。

    |アメリカ人は予防する、という意識が少ない。トラブルが発生してからの反射速度は素晴らしいが、それなら事前に防ぐほうに力を注ぐべき。
    リカバリー神話が強すぎる。

    |国家成立に王様がいないと嫉妬的なものを国民性として持ってしまう。
    国王がいると、順風満帆もありだと思うことが出来る。

    |教える側が、教わる側の知的能力に敬意を持って接しなければ、知性は開花しない。芽が出ると信じて、日に当てて、水やりを毎日続けていく。

    |若い人が、”若さには価値がある”と発言する、ということは、
    つまり老人が若者に対して、敬意を払っていないということ。
    この発言は、逆に言えば、"老人に価値がない"という意味になり、こんな発言する人間は、いずれしっぺ返しを受けることになる。

    そうならないためにも、先行者達が、愛と忍耐と敬意を持って、若者と関わる義務がある。

    |恋愛感情よりも、信頼と信義をベースに結婚を考えるべき。
    結婚のプロセスとして、恋愛を相対的に下げる必要がある。恋愛至上主義というのは、豊かで安全な社会でのみ存在するイデオロギー。

    |家族では、誰かに対して、常に”債務過剰”な状況でいい。
    そうじゃないと、家庭の中に、贈与と反対給付のシステムが機能しないから。

    |夫婦がお互い求めているのものは"母親"である。
    相手の幼児性を暖かく許容出来る人はモテる。

    |映画の中で、観客に"こいつの気持ちは俺にしか分からない!"と思わせたら勝ち。
    ミステリでは、”このあとこうなるんだろ!分かった!”と作者を出し抜いた気持ちにさせ、最終的にひっくり返すことで、観客をさらに引き込んでいく。

  • 岡田斗司夫と内田樹によるこれからのあるべき共同体のありかたについての対談。それでれ近いような団体を組織して、それを中心にすでに活動していて地に足の着いた議論で、なかなか説得力がある。

  • この対談でお二人が話していることは、まだ発展途上というか、今現在、誰にでも受け入れられる話じゃないだろうけれど、こういう理想を描き、語り、やってみせる人がいるから、道ができていくのでしょうね。

    表紙に写真が使われてますが、「イワシ化する」っていうのは、面白い表現。ほかにも、ロスジェネ論について、アメリカ人の国民性、結婚の意義など、ぼんやり感じてたことがはっきり言葉になったような、気持ち良さがありました。

  • ◆拡張型家族
    シェアハウス(住まう単位での他人と助け合うこと)や、草の根支え合いPJ的な、人々の困りごとをボランタリーに助け合う、支え合うときの他人と、私は、家族的な関係だと思う。

    本来なら、血縁、家族だからやることを、他人が担う。
    家族でも、結婚相手でもない他人が一緒に暮らして、生活のもろもろをお互いに助け合うことをシェアハウスに住んで体験した。そこに住んでいる人は見ず知らずの他人なんだけど、
    自分が作ったご飯が余ったらあげる。他人なのに、家族的な不思議な関係。

    昔の日本というのは、[仕事]として切り分けられない部分をお互いに助け合っていたのではないかと思う。

    たとえば、江戸時代なんてのは、フリーター、ニート、フリーランスや兼業だらけ。お風呂も共有し、住まいも共有していた。
    働けない人もどうにかこうにか生きていた。
    これまでの公共、共同体の概念が変わっていく、変わらざるを得なくなるんだろうなーと思った。

    家族を拡張するという考え方、名づけ方が面白いと思った。

  • 上期のトップ出ちゃったかもコレ。

    心のメンター内田先生とグル岡田による対談。明治維新以降20年おきに戦争して来た敗戦後の1950年にお生まれで、今の世代の言う先行き不透明感なんて、不透明でなかった事なんかそもそもあんのかよ?スタンスの内田先生と、1958年のお生まれでオタキング代表の岡田氏。
    前書きにもありますが、ミクロとマクロというかグリマーツインズというか、まさに2人は180度違う位置から同じものを指すような観点で物事を捉えているように思います。

    対談は大好きな内田先生に岡田氏がむしゃぶりつくスタンスで幕をあげますwが、僕が岡田さんでも同じことをしたでしょうな。しかし相手は合気道の師範代。綺麗にコカされます。それも芸のうち。

    (社員をパトロンに月額一万円を募って働く、岡田氏のFREEexについて熱心な説明のあと)
    岡田 内田先生は絶対できますよ。
    内田 ぼくは仕事するの嫌いだからダメ(笑)。
    など、思わず声をあげてしまう展開も本書の魅力かもしれません。

    インターネットを前提にしたSNSが当たり前の世の中と、収入の安定なんてなかった時代から高度成長を果たしたこの国の、明日はどっちだ。それを物凄く精度のいい双眼鏡で覗かせてくれるような一冊です。

  • おおむねその通りだと思う。

  • 「人前でケータイいじるのは礼儀」って思考には仰天した。例えば、自分がこの2人の対談のコーディネータで、対談中にケータイばかりいじっていてもOKなのか?素の自分を見せるのが信頼や親しみの表現と言ったって、人前でパンツ脱ぐわけにもいかないだろう。リアクションなんて孤立したくないという欲望イガイのなにものでもない。
    また集団として生き延びる事が第一義であり、その為には贈与経済が有効ってのもわかるんだが、それなら累進課税キツクして、再分配すればいいだけの話では?そもそも贈与の判断・タイミングは主観的決断ができないというのなら、国が客観的基準を決めるしかないような。そもそも拡張家族って最終的には国家になるのでは?
    ゲマインシャフトとゲゼルシャフト以外の第3のシャフトの必要はわかるし、サイバー空間がその役割を果たしているのかな?という気はするが、「最後は人柄」って・・・。そんないい奴を演じ続けなきゃいけない窮屈な社会で人は生きていけるのか?そんな事して神経すり減らすぐらいなら、国家統制の元で生活保護もらって生きるほうがマシかな。
    対談本ってやっつけ仕事で書籍化しやすいんだろうし、普段本読まない人には読みやすいのかもしれないが、相手に話合わせなきゃいけないので、各々の主張がぼやけるし、結局何がいいたいのかよくわからないし、活字化するとデキはイマイチになるってのがよくわかった。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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