イマジナリ-な領域: 中絶、ポルノグラフィ、セクシュアル・ハラスメント

  • 御茶の水書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784275004116

感想・レビュー・書評

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  • 「茶会人訪問」の開発初期に読んでいた本です。「〈学生〉から〈社会人〉へのアイデンティティの形成過程を周囲の〈社会人〉が支援すること」をいかに実現すべきかと考えながら設計していました。自分が「何か」になろうとしているとき、言い換えると「何か」としてのアイデンティティを獲得しようとしているとき、大事なのは「すでにその『何か』になっている人」との対話です。これは「妻になる」「母になる」などの大きなライフイベント全般について言えることではないかと思います。(2011/12/12追記)

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    仲正昌樹『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界』で紹介されており興味を持った。人が大きく変わったり、大きな決断を迫られる局面、例えば「就活」に携わる上で大きな示唆を得た。「茶会人訪問」も「イマジナリーな領域への権利」という概念の影響を受けている。

    ラカン理論はのちほど学ぶとして、いまのところの理解にもとづき。

    幼児は鏡に映る自分を身体的統合性の映像として自己同一化(identification)する。「母ではない私」として自他を分離・個体化(individuation)する。

    「他者」を「鏡」に置き換えたり、「鏡」を「他者」に置き換えたりしながら『イマジナリーな領域』第二章 分断された自己とさまよえる子宮(中絶権保護論)「身体的統合性と個体化のためのミニマルな条件」を読み解く。

    コーネル「自己は個体化の達成を他者に依拠しているのだから、誰であっても構成された一人格であると認識されるのだと国家が認識し確証するならば、そこには人格にとって(国家の干渉からの自由としての)消極的自由はまったくありえないことになる」なるほど。あらためてミルを読みたくなった。

    「ある人間の身体的統合性の投影と確証は、最も基本的な自己感覚にとって必要不可欠であり続ける。身体は、私たちが「それ」をまさに自分のものとして想像するまさにその瞬間に社会的に概念化される」

    「国家と法システムはそれ自体が、誰が一人格として確立されるかを確証し構成する象徴的絶対的他者として理解されるべきだと私は考える」

    「この精神分析的枠組みの中から出発することによってのみ、私たちは自己感覚がいかに他者依存的か、そして前未来を通して自己が構成されるという時間枠がなぜ未来の自己の予期される継続性と自己としての身体的統合性の保護を要求するのかを知ることができる」

    「予期(anticipation)という未来の投影なしには、自己は自分自身の継続性を投影(project)できないのである」

    ぼくはこの本を就活という自己同一化・個体化(的な契機)に読み替えてます。多くの無内定者やニートは自己同一感が傷ついているように思います。自己尊重の喪失。自分が何者でもないような茫然自失。 #嘘かも

    「中絶権の否定によって、そのような未来の全体性の予期は女性にとって不可能になる。この喪失において危うくなるのは、原初的自己感覚のための条件である」※人格性の価値の平等

    「私たちが『個体性』や『人格』と考えているものは所与ではなく、ある種のプロジェクト、すなわち私たち一人一人に等しく機会が開かれているようなプロジェクトの一部として尊重されるべきものである」

    「個体化についてのミニマルな条件がなければ、一つの人格になるというプロジェクトに順風満帆で乗り出すことはできない」「私たち一人一人の人格性の価値の平等は、少なくとも部分的には、このプロジェクトに乗り出す機会における同等性として法的に保証されねばならない」

    「この理解に基づけば一つの人格は「そこ」にある何かではなく、一つの可能性であり、可能性であるがゆえに決して最終的に実現されることはありえない強い願望なのである」

    「換言すれば、人格はペルソナと折り合いをつける終わりなきプロセスに関わる。この定義に基づくと、人格は自己でもなければ伝統的な哲学的主体でもない」

    「人格は自己の置かれている状況と折り合いをつけるための終わりなきプロセスに関わっているという私の理解を前提にすれば、男も女もそれぞれのやり方でこの闘争に乗りだす機会を持っていなければならない」

    「それは、私の定義では、想像力を更新し、それと共時的に、自分は誰であり、何になろうとするのか再想像するための空間を要求するプロジェクトである。つまり、私のイマジナリーな領域の強調は、自由の可能性それ自体にとって決定的な意味を持つのである」

    茶会人訪問(OB/OG訪問) on Facebook http://t.co/TEoZQJD 学生が社会人になるプロジェクトにおいて必要な「個体化のためのミニマルな条件」として、自己同一化のための前未来的再想像を可能にするOB/OGという他者(鏡)との出会いを提供。 #嘘かも

    つまり就活・職業選択とその自由は→「想像力を更新し、それと共時的に、自分は誰であり、何になろうとするのか再想像するための空間を要求するプロジェクトである。つまり、私のイマジナリーな領域の強調は、自由の可能性それ自体にとって決定的な意味を持つのである」

    『放浪息子』(女装中学生が主人公)におけるユキさん(大人のMtF)が重要。ぼくは就活におけるOB/OGには、ユキさんと同様の役割があると思う。「なってみないとわからない」可能的人格に関する前未来的想像力を支援する他者。

    「OB/OG訪問」という言葉では対象が「母校出身の先輩会社員」という狭い意味になってしまう。「社会人訪問」と呼びたいけど通じない。仕方なく「OB/OG訪問」と。サービス名は駄洒落で「茶会人訪問」にしましたが。 #嘘かも

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