- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309207728
感想・レビュー・書評
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子どもを出産した幼馴染みに頼みによって、「子どもをフェミニストに育てるために」という方針で15の提案をまとめたもの。
基本原則として挙げられた2つの「フェミニストの道具」。1つ目は「自分は相手と対等に大切なんだ」ということ。2つ目は「それを逆にすると同じ結果になるか」という問い掛け。これからまず実践してみようと思った。
「フェミニズムの勉強」「意識のアップデート」、と思って手に取ったけど、当然子育てにも関係があり、自分にとっても直接参考になる内容だった。
「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」と併せて手元に置いておきたい。 -
子を持つ親でも、そうでない人でも、全ての人に読んで欲しい。
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性の多様性についてたくさんの人が声をあげているなかで、私はどう自分の立場を保とうか、どうやって自分の意見を述べていこうか考えます。そんな中、この本を読んで自分のおかれている環境について深く考えることができました。
読みやすそうだな、本の表紙の色合いが可愛いなと軽い気持ちで手にとったのですが、中で話されていることは広く、深く、まだ私にとって身近ではないことでした。
普段考えもしない事に気付かせてくれるものって大切ですよね。
沢山の人とこのテーマについては話し合いたいです。 -
https://www.google.com/search?q=chimamanda+ngozi+adichie+dear+ijeawele&rlz=1C1RXWP_enJP784JP784&oq=chimamanda+ngozi+adichie+dear+ijeawele&aqs=chrome..69i57j0l4.17406j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8
これまでと違った方法で子どもを育てることについて、もっとフェアな世界を創造しようとすることについて、誠実に言葉を交わすことは、モラルの面で急いでやらなければいけないこと。
生活のいろんな場面でフェアであるためにどう振舞うべきか、いつもわかっているわけじゃない。
フェミニズムは前後の文脈によるもので、これが絶対というルールは無い。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェにとって大切な「フェミニストの道具」はふたつある。
ひとつめは「自分が相手と対等に大切」であるという堅固で屈しない信念。
ふたつめは問いかけ。それを逆にするとおなじ結果になるか?おなじ結果なら、それはジェンダー的不平等による押し付けではない。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェによるフェミニスト宣言
第1の提案
完全な個人であること。自分のための時間をつくり、自分が必要とするものに滋養を与えること。
「働いているからって謝ったりしないこと。自分のしていることを愛すること、自分のやっていることを愛するのはあなたの子どもへの大いなる贈り物です」マーリーン・サンダース
人が「伝統的」と言うのは自分の都合を正当化するため。
第2の提案
一緒にやること。そのために、完璧主義を抑えて、社会的に条件づけられた義務感を鎮めて。
世話や責任を対等にシェアする。それぞれの必要に等しく配慮しながらやりくりして。
「本当に対等であれば恨むことなんてない」p.21
第3の提案
社会から期待される性別による役割分担をジェンダーロールと呼ぶ。ジェンダーロールは全くナンセンスなものだ。性別を理由に、何かをやるべきとか、やるべきじゃないとかを言う必要はない。世の中はジェンダーロールをすごく早い時期に刷り込み始める。ジェンダーロールという拘束衣を幼い子供に着せなければ、それぞれの子どもに自分の可能性を十分発揮できるスペースを与えることになる。
「女の赤ちゃんはより小さなスペースとより多くのルールを与えられ、男の赤ちゃんはより大きなスペースとより少ないルールを与えられる」p.34
「彼女の弱さと強さを個人のものとして見てあげて」p.31
第4の提案
「フェミニズム・ライト」には警戒すること。フェミニズム・ライトとは女性の平等に条件を付ける考えであり、全面的に拒否する必要のあること。フェミニズム・ライトとは中身の無い、苦痛をなだめて人を破綻させる考えだ。
フェミニストとは、性別に関わりなく、全ての人は完全に対等であるという信念を持っていること。
フェミニズム・ライトには「生まれつき優れている男性」が「女性を大切に扱う」べきなのだという考えがある。それは完全な間違いだ。女性の幸福がもっぱら男性の善意を頼りにするなんてあり得ない。
フェミニズム・ライトは「許可する」という表現を使う。「許可する」とは権力のことであり、承認や許可が一方的に使われるなら、それは対等な関係性の言葉遣いではなくなる。
第5の提案
本を読むこと。本を愛すること。本は人が世界を理解し疑問を持つことを助け、自分を表現することを助けてくれる。そしてなりたいものになるために、読書がもたらすスキルから大いに利を得るはず。
第6の提案
言葉遣いに疑問を持つこと。「言葉遣いは私たちの先入観の、信念の、思い込みの収納庫です。」p.47
「もしも女性の「X」を批判するのに男性の「X」を批判しないとしたら、その時は「X」が問題なのではなくて、女性を問題にしている」p.50
「女性に共感できる男性でも、女性を個人という対等な人間ではなく縁故関係のなかでしか見ない男性には疑問を持つよう教えてください。レイプについて議論する時、男性たちはいつも「もしそれがぼくの娘とか妻とか姉妹だったら」みたいなことを言います。でもそういう男性が犯罪の被害者男性に共感するために、自分の兄弟や息子だったらと想像する必要はありません。」p.53
「女性は実際には擁護されたり崇拝されたりする必要はなくて、単に対等な人間として扱われる必要があるだけだと教えてください。女性だから「擁護される」とか「崇拝される」必要があるという考えには暗に女性を子ども扱いするニュアンスが含まれています。それで私が連想するのは騎士道で、騎士道が前提とするのは女は弱いということです。」p.54-55
第7の提案
結婚は必ずしもしなければならないものではない。結婚生活で人は幸せにも不幸せにもなる。そして結婚は獲得するものではない。結婚は、場合によっては選択肢の一つであるかもしれないけれど、それに価値を置きすぎるのはどうかと思う。
第8の提案
重要なのは、人から好かれるようになることではなく自分自身であること、正直で人間として他の人と対等だと信じること。正直で、親切で、勇気を持ち、率直に語ること。他の人が優しくされるように、自分にも他の人から優しくされる価値がある。
「すべての人から好かれる必要はないんだと教えてあげて。もしも誰かが彼女を好きじゃないとしても、彼女を好きになる人は「きっといる」と教えてあげて。彼女はただ人から好かれたり嫌われたりする客体であるわけではなく、人を好きになったり嫌いになったりできる主体でもあるんだと教えてあげて。」p.72
第9の提案
アイデンティティは重要なもの。自分が属する文化の美しい部分は取り入れ、そうじゃない部分は捨ててしまっていい。自分を傷つける人、他の人を傷つけたり中傷したり差別したりするつもりがない限り、すべての人を人として尊重するのは大切。
第10の提案
「身体を動かすのは、世界が女の子に押し付けてくるボディ・イメージについての不安を乗り越える助けになります。」p.79
「フェミニズムとフェミニティは相容れないものではないのだから。相容れないとするのはミソジニー的です。」p.80
第11の提案
「私たちの文化が社会規範の「理由」づけに、生物学を都合よく選択して使うのは問題だと教えてあげてください。」p.91
生物学はしばしば、社会的に優位な立場に置かれている人たちの特権を利用するために用いられる。
「生物学は面白くて人の心を強くとらえる教科だけど、それが社会規範の正当化に使われるのは認めてはいけないと教えてください。なぜなら社会規範とは人間が創り出したもの、変えられない社会規範など無いんですから。」p.94
第12の提案
性教育はなるべく早くから。そして生物学上の女性の身体と恥を結びつけるのは拒否すること。
「彼女の身体は彼女だけのもので、自分がしたくないことにも、そうしろとプレッシャーを感じることにも、「イエス」という必要はないと教えてあげて。「ノー」が正しいと感じるときは「ノー」と胸を張っていうことを教えてあげて。」p.97
「女のセクシュアリティに恥を貼りつけるのはコントロールするためです。」p.100
「女性は男性を守るために「身を覆わ」なければならない。これはとことん非人間的だと思います。だって女性は男性の欲求に対処するために使われる小道具にすぎないことになるからです。」p.101
第13の提案
愛とはただ与えるだけでなく、与えられるものでもある。愛するには自分を感情的に与えなければいけない。そして当然、与えられることを期待しなければ。愛は人生で最も大切なもの。理解し、分かち合い、そしてまた理解され、分かち合われること。
第14の提案
「抑圧について教える時に、被抑圧者を聖人扱いしないよう注意して。聖人であることは人間の尊厳にとって必要条件ではありません。不親切で不正直な人達もまた人間であり、人間としての尊厳はある。」p.111
第15の提案
差異はありふれていてノーマルなもの。差異に価値をつける必要はない。
「理由は、公平とか優しさのためではなく、たんに人間であるため、実際的であるためです。なぜなら差異は私たちが生きる世界の現実だからです。差異について教えることは、彼女が多様な世界で生き延びる力をつけることになります。」p.114-115
「彼女が知り、理解しなければいけないのは、世界中の人たちはそれぞれの道を歩んでいることです。その道が他者に害をおよぼさないかぎり、それは妥当な道であって、尊重しなければならないのです。」p.115
「決して自分の基準を、あるいは自分の経験を、誰にでもあてはまるものとして一般化しないよう教えてください。彼女の基準は彼女だけのものであり、他の人のためのものではないことを教えてあげて。これは謙虚であるために必要な唯一のあり方です。つまり差異はノーマルなものだという認識です。」p.116
私みたいな人がいるのは、そういう人がいるからってだけ。
自分の意見はたくさん持っていい。その意見は十分に情報を与えられた、人間味のある、寛容な場所から出てきたものであってほしい。 -
アディーチェは翻訳はほぼ読んでいて、初期の作品は大変好みだったのだけど、「アメリカーナ」からなんとなく「正しさ」への志向には賛同しつつも、心のどこか隅っこで「正しさ」の危うさを感じてしまう。そういうふうに感じる自分のことをまたちょっと不安に感じて、わかりたくてまた読んでしまう…