- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309409467
作品紹介・あらすじ
考える力がつけば、自分を表現することは、もっと自由になる!「おとなの小論文教室。」は、自分の頭で考え、自分の想いを、自分の言葉で表現したいという人に、「考える」機会と勇気、小さな技術を提供する、まったく新しい読み物です。「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載時から話題を呼んだコラム集。
感想・レビュー・書評
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「いま、自分の想っていることを、言葉にして表現する
このシンプルなことがなぜできないのか?小論文を通じ、ずっとずっと高校生の文章表現をサポートしてきた私は、そこに、ひとつの真実を発見しました。それは、
想いと言葉が通じるには、『考える力』が要る。
ということです。だれもが自分の存在の奥に、深い、経験の湖を持っています。『考える』とは、その湖に何度もダイビングしながら、『いま自分がモヤモヤしている、これは、いったい自分の経験のどの部分が反応しているのか?そこにどんな想いがわきおこっているのか?自分は本当はどうしたいのか?』と自分に問い、心の底にあるものをくみ上げ、整理し、言葉にしていく行為です」
長い引用になってしまったが、「はじめに」からなので、許してください。
今、自分の中でインプットとアウトプットの意味を何度も考えている所です。
その人に備わった知識や感性がなければ、上辺だけの表現にしかならない。
だとすれば、知識や感性を備えた人から滲み出るものこそ「ホンモノ」で、表現や発信を鍛えることそのものに大した意味はない。
という指摘を受けたことがあります。
単に口が上手いことが、その人を表すわけではない。それは、その通りと思います。
ただ、自分が何を考えているのか、それはどんなことなのかを、俯瞰的に見つめようと思った時、自然とアウトプットが必要になるのではないか。
それが、筆者の言う「考える力」なのではないか。
そうして、見つめたものから、またインプット(蓄え)が始まっていくのではないかなと思います。
往還をしながら、身に付いていく。
だから、どちらかが大事なのではなく、どちらも人の成長にとっては必要不可欠なのだろうな。
私たちはアウトプットと言うと、単にプレゼンテーションが上手いとか、ディスカッションが上手いとか考えがちですが、きっとそういうことではないんだろうと思わされました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の考えを伝えるということ。
私はそれが苦手だ。
この本を読んで、アウトプットの大切さや、コミュニケーションの大切さなどさまざまなことを学んだ。
とりあえず、下手でもいいから、書いて書いて書こう。
そう思った。 -
自分の考えを伝えること
相手の考えを受け取ること
の、大切さを教えてもらった。
誰も、私と同じではない。
だから言葉をつかってコミュニケーションする。
一人称がいないシリーズの
関係把握力についてに考えさせられた。
俯瞰してモノゴト見れるようにしていこう。 -
表現の自由って本当の意味で自由ではないんだなと思った本。
私は日々人にどう伝えたらいいのだろう?もっと明確に伝わる言葉や表現があるのではないだろうか?と悩むことが多い。
語彙力があったとしても気持ちが空回りしてしまう。
相手の気持ちを考えすぎると言葉を選んでしまい本当の気持ちは伝わりにくい。しかし言葉を選ばなければ相手に勘違いや不快感を与えしまう。
そんなジレンマがある中で自分を表現することはとても難しいと思った。
この本の中にある
・自分に問いを投げかける
・要約して自分の気持ちの根幹を見つける
これらは実践していこうと思う。 -
文章を書くということを通して、その奥にある、心の部分について、逃げずに向き合って、考えて考えて考え抜いている、自己啓発本の類のよう。でも、〜すべき、〜しよう、などと提示する風ではなく、一緒に悩んで寄り添ってくれて、考える力とヒントをくれる。
自分に思い当たる節があると、自分の器の小ささとか、弱さを、面と向かって、グサっと、指摘されているようで、苦しくて、涙が出る。でも、著者のズーニーさんも、その声に応えている他の読者の方々も、似たような気持ちを経験していて、皆それぞれ、向き合っているのだ。そうか、わたしも踏み出さなきゃ、と思う。
別に、答えが見つかるわけではない。というか、答えというものがあるかもわからないし、あったとして、人それぞれ違うだろう。カズレーザーが、“成功者と同じ道を歩んで成功することはできない”というような事を言っていたと記憶する。それを大前提として、ズーニーさんは、自分で考える大切さを、ここで解いているように思う。
自分のやりたい事を探している人、人間関係に悩んでいる人に読んで欲しい。 -
花田菜々子さんいわく
ズーニーさんが読者とのメールのやりとりの中で、仕事とは、やりたいこととは、コミュニケーションとは、という応えのない問題に愚直に向かい合い続ける過程を書籍化したもので、まっとうに問い続け、前へ歩き続けることの素晴らしさを教えてくれる本。 -
自分をどう表現するか、それは小論文だけでなく、日記やネットでの投稿や、他人とのコミュニケーションにも関わる話。著者の考えと、ネットで連載していた時に届いた読者からのメールを併記しており、読みやすい。
他者と関わる仕事なので、落ち込んだりどうしようっていう時にヒントをもらえそう。 -
好きだけど、表現力をつけて自由になることへのストイックさがたまに苦しくなる山田ズーニーさん。
とはいえ、わたしも自分の表現力に不自由さを感じ、他人との関係性に戸惑うひとりだ。
いま、伝えたいのに躊躇する。いま、この人に自分を表現したいのに、自分にはその能力がない、もしくは資格(なんの?)がないと諦める。そしてそもそも、いま、自分が確かに感じている違和感を「表現」に変換できない。その違和感の存在に気付かないこともある。
この本に「とにかくアウトプット」と出てくる。
このブクログもそう。
私にとっては「読後のいま、自分のが何を感じたか」を文字にしてみるアウトプットのひとつ。
とにかく思うところを書き散らしてみている。
だんだんと、自分の中の、知識や経験でできた感性の泉のようなものに深く深く潜って、そこから自分のままで他人と関わるような言葉を作り出せるようになるかな。なりたいな。
そういう自由を手に入れたい。 -
結局、自分の考えや思いがないと周りと気持ちよく関わることはできないことを実感。他者をただ迎合するのではなく、相手の世界を正確に理解し、自分の思いを乗せることで、「つながった!」と実感できるコミュニケーションができる。コミュニケーションは安易な技術でできるようになるものではないなあ。
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小論文のテクニックを学ぶというより、文章で自分を表現することの難しさ、もどかしさを再認識したり、共感する一冊だった。
「一人称がいない」の章は特に、心理学や人類学の領域に及ぶ踏み込んだ意見があり、とても興味深い内容だった。
自身もフリーズ現象に身に覚えがあり、言語化され、筆者によって解きほぐされていくことで、当時の自分は透明になりたかったのかもしれない、と思わぬところから答えを貰った気がした。
筆者の経験談もさることながら、読者からのメールに気付かされる事も多く、読んで良かったと感じた。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/63404 -
ほぼ日で連載している「おとなの小論文。」ふと読んでみたらおもしろかったので、文庫になっていることを知り読んでみる。
私は人になにかを伝えるのが下手で、とにかく場数を踏むしかないのだと思った。
一人称がいない③の鬼瓦権助さんのメールはとてもよかった。人に言われたことに対して時間差で怒りが込み上げてくることがあるが、これは言われたときに自分が傷付けられたと認識していない、つまり「自分の大切な部分」がよく分かっていないということなんだな。
それから一人称がいない⑤の自分をとりまく関係性について。もやもやしたときに、こういう状況把握の仕方があるんだなぁ。 -
そのままの自分自身を認めて、自分に問いかけてみようと思った。
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「ほぼ日刊イトイ新聞」連載、2006年刊行。うんと自由になって、嘘つかず、自分の想いを人に伝えられるというのは、なんとうれしく美しいことなのだろうと思いました。
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人と出逢いたいならまずは「一人称」を身につけることから。温かな励ましを与えてくれる、本気で考えて書く喜びを教えてくれる、とても素敵な本。
大学生だった頃に書いていた、レポートとはとてもいえない感想文のようなものをゼミの教授が喜んで読んでくれていたことを思い出した。かなり拙い代物だったと思うけど、たしかにあの頃は本気で切実な気持ちを込めて文章を書いてた。苦労したぶん喜びを得られていた幸福な時期でもあった。いまの自分はSNSで手短に言葉を垂れ流してるだけな気がする。 -
オンでもオフでもコミュニケーションを良好にするには、表現力が重要。
それを高めるためには「読む→考える→書く」の実践が良い。
読書をした後は、感想を書くようにしよう。 -
思索
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何回読んでもその時々に応じた発見がある深イイ本。特にコミュニケーションや表現についての記述は山田ズーニーならではの学ぶことの多い良書。
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この本を読みたいと思った私自身も本の中で言及されている、21世紀の情報の海に溺れている一人です。この本を通して、自分の言葉で表現するよりも受信することの方が圧倒的に多い日々を過ごしていると、周りの人や社会とのリンクを張れず、一人称がない状態に陥りやすいことを認識することができました。出来合いのありきたりな言葉ではなく、五感を使って自分の言葉で表現したい、と感じている方に是非読んでいただきたいです。
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読んでいて色々考えたり、思い出したりすることもあり、毎週コラムで読んでいたにもかかわらず、電車で涙ぐんでしまった。第2弾も出して欲しい。
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「表現」は生きることそのもの。
やっぱり面白いことなのだと思った。
真摯であればあるほど、情熱があればあるほど、その分辛さも難しさも苦しさも同じだけやってくる。
向き合うことは山ほど。
それが生きている実感となる。
書かれているテーマの一つ一つが、深く考えさせられることばかりだった。
「理解という愛が欲しい」を先に読んでしまったのだが、これら二冊は、迷った時、行き詰まった時にまた手に取るだろう。 -
平易な表現で難解な物事を説明するという理想の形の一つを提示しているような本。筆者の経験が読者に伝わってくる。
再読リスト入り。 -
自分の考えていることをまとめたり、文章を書いたりしたくなる本でした。
今私が漠然と考えていることを、すっきりとまとめられるんじゃないかと思わせてくれる内容です。
第3章の「一人称がいない」はとても興味深かったです。
何となく、後輩や実習にくる学生などに「フリーズ」する人が増えている気がしており、前半ふむふむと読んでいました。
そして、ある大学生のコメントである、「○分の1」現象に凄く心当たりがあった私は、自分も1人称のない一人だったのではないかと不安になってしまいました。
個性のないただの「生徒」となり、ランダム性で身を守る――。
今の職場でも、誰かが引き受けなければならない係を決める際には、皆がそうなっている気もしてきました。 -
職場の休憩室、電車の中で、勝手に涙が出てくるので、疲れて読むのに5ヶ月位かかってしまった。
とても熱い、濃い素晴らしい1冊でした。
高校生の頃の自分に読ませてあげたかった…こんな私でも大人になれたから良かった。
アウトプットが大事。今をちゃんと生きていきたい。 -
前作、伝わる揺さぶる文章を書くが素晴らしかっただけにちょっと残念だった。
一人称について書かれているいる章や私はどこにいったの読書との問いのやり取りは正直退屈だった。
モー娘の話で「なぜ、つかみにいかない」の部分は時代背景が違うせいかあまり響くものがなかった。
昔、こういう番組あったな位で何を突っ込みたいのか、結局の所、だからどうすれば良いのかがわからなかった。