タモリ
~芸能史上、永遠に謎の人物
文藝別冊(ムック)
河出書房新社
2014年1月30日
昨年3月の「笑っていいとも」終了から1年。
あの前後、タモリ現象のようなことが起き、タモリ本もブームになった。
何冊か読みましたが、これが最後。
図書館で予約して、順番が回ってくるまでに1年かかりました。
いろんな人が、タモリについてエッセイを書き、語り、分析しています。
そんなことがあったのか、そういうことか、と実に面白いのですが、さすがに纏めてこれだけ読むと、新鮮な話が出すぎて、段々と飽きてきます。
そんな時は、後ろのページから読み始めると楽しいことが分かりました。
さて、今回分かったこと。
タモリに名古屋差別ネタを提供したのは写真家の浅井慎平。彼は名古屋出身で、旭丘高校という県立高校では当時断トツ一番の進学校でした。二葉亭四迷や坪内逍遙とかも、出ています。スタップ細胞の時に出てきた、とっても優秀なお医者さんで、最後は自殺してしまった人も。
いろいろと面白い話が出てきました。
少しだけ、抜粋。
早稲田のモダン・ジャズ研究会のマネージャー時代に、列車の乗り換えでやったエピソードが大いに笑えます。
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南伸坊 「ホワイト」での話
タモリさんの回転ノヨギリの芸というのもこのバーで出来上がったものらしい。電動の回転ノコの音を声帯模写するのだが、はじめのうちは、丸太を切断したり、板を切ったりしていたのを、このつま楊子を切ってくれだの、あのピアノを切ってくれだの、壁にかけてある絵をはずして切ろう、だのと注文されると端から切っていく。そのうち、TVに出ている文化人を斬ろうっていう注文がでて、当時まだご存命の、寺山修司さんが、「回転ノコギリについて」講演されてる最中を演壇ごと切ってしまう、というようなものだったらしい。
高平哲郎の話
「タモリー マージャンー」ジャックのママの声がかかる。中国人、
韓国人、アメリカ人、ベトナム人のマージャンを一人でやる。中国人がリーチをかけ韓国人がコンという。それを中国人がチョンボといって大騒ぎになる。仲裁にはいるのが天皇陛下なのだ。断っておくが、この芸には、なんら思想的背景はない。
筒井康隆の話
〈四ヶ国語麻雀〉での仲裁役。あれはLPやメディア出演の際では寺山修司ですね。お店では昭和天皇だったそうですが。
筒井 そういう悪ノリの注文は僕らから出していたんです。それをすぐさま見せるというのがタモリだったんです。
平岡正明
俺はトニー谷が大好きで、「レディース・アンド・ジェントルメン、アンド・おとっつあん、おっかさん。おこんばんわ。ジス・イズ・トニー谷ざんす。さても一座の皆様がたよ。リッスン・プリーズ、聞いてちょうだい、ギッチョンチョン。人7夜は……・で(ここに番組名とか、劇場名とかをはめこんで)、はべれけれ」という彼の前日上をおぼえている。三遊亭小金馬、楠トシエと組んだ日曜夜のラジオ番組をもっていて、毎週、「小金馬、おまえ落語界の異端児なんて言っとるが、アタマ、イタンジんじゃないか」という具合に共演者をドつきまわし、女の楠トシエまでドつきまわしていた。
トニー谷はこのサディスティックなところが芸人仲間からきらわれて孤立した、と中原弓彦は書いているが、彼のサディズムはほんもののようだった。
トニー谷はタモリの試作形である。
名古屋差別ネタは浅井慎平提供
浅井慣平コンビも確立している。タモリに名古屋差別のアイデアを出したのは浅井慣平である。俺は見たことはないが、名古屋人がドライブインクルマのキーをちゃらつかせて入ってきて、エビフライを注文するまでの所作をやってみせるのが浅井慎平で、かれは戦争中、名古屋郊外に疎開し、小学校は中村遊郭の近くから通った。
「いいかいタモリ、かくれ名古屋というのがいてね……」
と黒川紀章、山田洋子らの名前を出したのも浅井慎平だと言われる。タモリの名古屋差別でいちばんすごいと思ったのはこうだ。
新幹線に、若尾文子のような人妻と、品のいいその息子が乗った。かれらはずっと名古屋弁でしゃべっていた。列車が熱海をこえると、母親は、「さあ、もう静かにしましょうね」とすきとおるような標準語で言った。
大橋巨泉の話 たけしとタモリの違い
タモリは乾いた感性が好きだね。たけしはウェットですよ。浪花節的なところを大事にしてる。タモリとたけしの違いは、たけしは軍団を作るでしょ? これは萩本欽一もそうだけど、周囲に弟子を囲ませる。タモリは一匹でいる。近すぎる関係を避ける一線があるよね。
僕は群れるの厭なんだ。仕事でも「イレブン」の朝丘(雪路)さんと番組外で食事や酒はなしでした。たけしや石坂浩二とオフでも交流はあるけど、そこは線引していました。打ち上げしたらおしまいという。これは意識的なんだけど、番組内の面白さが外で付き合うと楽屋オチを引きずってしまうんです。いまは楽屋オチが面白いとされちゃってるけど、そういう狭い可笑しさが嫌いだということもあるから。
団しん也の話 たけしとタモリの違い
たけしとタモリとの違いは〈芸人)であるという自覚があるかないかの追い。だけど妥協しない居直り、媚びないところはタモちゃんと共通しているね。また、瞬発力で発揮する速さも共通する。タケちゃんはガッと毒舌を出すところ、タモちゃんはシチュエーションにサッと応じるところ。ここらへんはそれまでにない速さだった。
小林信彦の著書より
(タモリは)もともと〈実践的評論家タイプ〉なので、ラジオで新聞のテレビ評を攻撃したり、新しい芸能の審査をしたりすると、シャープである。きわめてまっとうな意見を、むきになって言うときが、いちばん面白い」(小林信彦『笑学百科』新潮文庫)
角田亮
「笑っていいとも―」より前に、タモリが新宿アルタで司会をした番組があるのをご存知だろうか。東京12チヤンネルで日曜日の正午からはじまった「タモリの突撃ナマ放送」。
「笑っていいとも」では自分から出した企画はひとつもないという。だからいつも一歩引いた批評的でもあり柔軟なアドリブを楽しむ姿勢でもあり勝手無流なスタイルを作り上げることができたといえるだろう。
テレフオンショッキングは元々、タモリが伊藤つかさのファンで、友達の友達という伝手をたどっていけば、いつかは伊藤つかさに会えるだろう、というコンセプトで始まったコーナーだった。
樫原辰郎 タモリ倶楽部「愛のさざなみ」について
「波子と義一、運命の再会であった」
ナレーションの武田広は、日本短波放送のアナウンサー出身。この番組が初のレギュラーだったというが、ダンディな語り口が人気を呼んで、後々まで数々のテレビ番組で活躍することになる。
タモリが早稲田モダン・ジャズ研のマネージャー時代(加藤芳一がタモリに取材した話、珍しく青春時代の話)
ある駅で乗り換え時間が1分しかなかった。陸橋を渡り、ドラムやベースを持って乗り換えるのが不可能だった。そこで・・・
柔道2段のやつがいた。そいつに、車掌がピーッと笛吹いたときに後ろから行って、はがいじめするように言った。で、車掌がワーワーもがいてる間に、楽器を詰め込む。俺がOKサインを出したらはずせ、と言い含んでおいた(笑)。いよいよ、そのときがきた。ベルはすでに鳴っている。とにかく、そいつがイのいちばんに走っていって、車掌がベルを止めようとしたときに、後ろから行って――そいつ、おかしかったねぇ。そのままワーッとはがいじめすりゃいいのにさ、つい柔道のクセが出て「失礼します!」って声かけてから手を出すんだよ(笑)。「何すんだ、君!?」なんか車掌は言ってるんだけども、ベルに手が届かない。そしたらそいつ「とにかく事情がございまして、ご勘弁ください。ご勘弁ください」って、まるで松の廊下みたいなもんだよ。その間に、みんな荷物つめこんで、俺が「OK!」って出すと、「失礼しましたァー」ってはずしてパッと乗った。俺たちはもう「やったァ、やったァー」の大騒ぎ。で、目的地着いたら鉄道公安官が待ってたよ。
岸川 真 の話
タモリの普通人さ。官僚っぽさ。そして心に秘める精神的な傷。与えられたシチュエーションを存分に演る密室芸が、ここでは演技として開花している。