なめらかな社会とその敵: PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論

著者 :
  • 勁草書房
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感想 : 85
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326602476

感想・レビュー・書評

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  • ざ、斬新...!と思うところが多く大変興味深く読むことができた。言っていることの意味は読んで理解できる、できるけど実装するのはどうなんだ?と思ってしまう。本書の後半で、攻殻機動隊とかPSYCHO−PASSとかの世界観を連想したのはわたしだけじゃないは、ず。笑

  • レビュー省略

  • 戦争や貧困、なぜ世界に不条理がうまれるのか。
    世界のしくみを「核と膜」という生物学的な視点でとらえ、この複雑な世界を複雑なまま生きることは果たして可能なのか、を問う。
    理論を打ち立てるだけでなく、第2部以降ではその実践方法も提案している。

    人間は世界の複雑さを飼いならし、自分たちが使えるレベルに単純化するために、核と膜をつくって社会のシステムとした。
    そして、築き上げたシステムを維持するために、そのシステム自体を自己根拠としてしまう負の連鎖が起こっている、と。

    生命システム とは、
    =オートポイエーシス
    つまり、自分自身を維持するシステム であり、
    自分自身のルールを書き換える存在である。と。

    世界の圧倒的多数のシステムは、核と膜の考え方の上に成立している。たとえば企業は、膜と膜内部のシステムをどれだけオリジナルでつくれるかを競い、その競争に勝利した企業が利益を上げる仕組みになっている。
    大きな変革を起こすには、この世界を構築している大きなシステムである政治、貨幣、社会システムを変えなければいけない、と。

    うーんむずかしい…

    ざっくり言ってしまうと、インターネット系の人の考え方だな、と思った。
    インターネットの世界では、オープンソース、機能の分散、権限の移譲、といった考え方が浸透している。
    そのルーツは、1960~70年代のアメリカで管理社会からの自由をめざしたヒッピーカルチャーにたどり着く。たとえばアップル。

    とくにインターネット系の企業では、ホラクラシーといわれる命令系統が存在しなくても成り立つ会社が存在するのは事実。この本で提唱されている新しい世界のシステムのあり方が、部分的には実現されている。

    今は机上の空論で夢物語のように思える理論でも、300年後は当たり前になっているのかもしれないし、なっていないかもしれない。既存のシステムと新しいシステムが混在する世界になっているのかもしれない。

    それにしてもむずかしい本です。
    第1部だけかろうじて読み終えてヘトヘト。第2部以降はまたいずれ…。

  • 最近、社会のあり方って「個人」を前提とした社会しかありえないのだろうか…?とぼんやりと思っていたので、似たようなことを考えている人がいて、すかっとした。数式は全然わからないが。

  • 「なめらかな社会」ってのがイマイチわからないまま読了。あと5回くらいノート取りながら読み続ければある程度までは理解できるかなぁ。
    ただゲームが色々と使えそうだってのはヒントになった。
    とりまjavaとjava scriptとC#と英語の勉強しようと思います。
    また読んだらリライトします。

  • 141227 中央図書館
    よっぽどマニアしか読まないはずの専門的な本の割には、図書館からの借り出しに半年以上の待ちが必要であった。どこかの大学のゼミで教材にでもしているのであろうか。
    プロフィールから察すると、著者の鈴木氏は、物理学から複雑系社会学?に転じた実践的研究者のようだ。本書は、インターネットのように大量の情報の収集分析を可能とするインフラを利用すれば、ゼロベースから社会制度を設計できると仮定するならばという条件ではあるが、貨幣や資本や国家のように境界や帰属に絡め取られる現在の社会とは異なる、民主的な社会の設計が可能ではないか、とするもの。特にPICSYと呼ぶ「新しい」貨幣のモデルを提示している。
    生命の基本は、細胞膜で外と内を隔てることにあり、その外延で今の社会はできているのかもしれない。しかし、発想を変えれば、真に生命を持つのは生物個体ではなく、生物の集合であるネットワークそのものかもしれない。あるいは個体と社会は、ループ的に相補な関係であり、どちらが主体とも言えないものかもしれない。こういったイメージをもとに、個体の境界が「ステップ関数」から、より「滑らかなシグモイド」に移行するような、個人がネットワークのほうに染み出していくことも可能とするような、社会のあり方を考察する。
    しかし、感想としてだが、ネットワークに「構造」すなわち「組織」を仮定しないアプローチは、あまりにもユートピアすぎると思う。小規模な組合や組織で実験すればうまくいくかもしれないが、われわれはシロアリやミツバチとは明らかに違うものだと思う。

  • ある種のSF、思考実験なんだろうけど、PICSYの所は着いていけませんでした。

  • ・SNS、ネットワーキングやクラスタのベクトルをデータとして高速処理・分析が可能ないま、すぐそこの未来で、それらがもたらした利便性及び滅びポイントはなんだろ?ってのを考えるきっかけ、としては良いと思います。

    (↓以下、モダンの夢見ゴーグルをかけた滅びゆく旧人類による乱暴なメモ書き。まだ途中。)
    ・たとえば大きな怪我をしたところは腐り落ちたり、老化した皮膚がはがれおちていく…、
     そのセクションにあったものを、「人間」としてしっかり見据えているか?

    ・それよか、そもそも「人間」とは?ってのが、自由意志って幻想ダス的なところからはじめることによって、無視せざるおえなくなっている。結果として、近代自我や個人をベースにした資本主義社会や自由競争、暴力装置としての国家…なんかよりも、ここで提案されているのはずっと暴力的で野蛮なシステムではないのか。

    ・思考実験とはいえ、こんなことなら、幻想としての自由意志とか中途半端な事を言って、せっかく手にした自我とコントロール(神になれるチャンス)を手離すべきではないのではないか。

    ・今は脱落した者たちには、精神の死とともに、ケーブル(貧困者用スーパーマーケット)づたいに糖が与えられているわけなんだけれども、この提案システムだと、なめらかでもゆるやかでも無い死が、波のようにざあっとやってきて、彼らをさらっていくのではないか。
    (生存競争に勝ち抜く体力・若さ・精神力の無いもろもろたちがどのように包摂されるのかわからなかった。)

    ・脱落したもの達は無能か?というと、強者のために弱者が発生したのであり、弱者が排除されれば、強者のなかなら誰かが弱者になるだけで、それは傾向として人(データ)の絶対数を減らし、質を低下させていくのではないか?

    ・逃げ場はもう無い。
     1つのからだを持った人間が、属する複数のクラスタへと分散される。意見は隈なく吸い上げられリアルタイム反映…。思考のブレさえも、蓄積データから補正され…。
      →残された選択肢があるとしたら、PCやスマホをネットワークから外すか叩き壊すかして、動物園から脱走することだ。
    退行?いや、退行、はどこか正しい方向があるときにだけ使える。

    ・もう、わたしたちはコンピュータに捕食され、あっ、ココはもうお口の中なんですね、みたいな気づきがやってくる。

    ・あと、ありえる確率の未来とは絶妙にズレたコウジャナイ感が正直いうと気持ち悪かった。

  • 権力・貨幣・財・資源をどんどん流動化・分散化する。権力を特定の組織に固定化させない。
    ガバナンス単位をどんどんアドホック化する。パラレルワールドにする。

    社会システムの起動によって、これらの作用が自動実行(bootstrap)される、そんな制度をデザインし起動させる。そして、複雑な世界を単純化せず、複雑なまま生きることができるような社会をデザインする。

    官民協働トレンドや地方分権・エリアマネジメント・BID・PPPについても、このベクトルで肯定的に捉えることができる。例えば、エリアマネジメント・BIDは、まさに、公共財の運営管理権について、権力と規律単位の「流動化・分散化」をはかるシステムである。

    また、それらシステムの作用を蓄積することで「公的所有・私的所有の二元論から、境界のなめらかな共有感覚(share)」へと人間の持つ所有感覚・思考様式を変容させる仕掛けとして利用できる。

    情報技術(ライフログ・CyberLang)による法・契約の自動実行は、早期に社会実験化していくべきであるし、行政は実験場を提供しなくてはならない。
    システムコードのオープンソース化(公開性)や絶え間ない自動更新(可謬性)は、まさに公共性の理念に適っている。

    ただし、危惧もいくつかある。
    情報システムによる法・契約の自動実行は、将来的には、強力に人間存在の有り様を拘束することになる。
    また、シュミットの言う「政治的なるもの(公的な敵と味方の区別)」の減衰を目指すとは言うものの、フーコーの言う生政治、アガンベンが言う生権力が露骨に実体化する気がしてならない。
    サイコパス(Production I.G制作アニメ)に描かれるようなシビュラシステムが、これら社会システムの成れの果てかもしれない。(それはそれで面白いけど)
    伝播社会契約という法システムの中で、責任論がどのように位置づけられるのかも気になる。

    結論から言うと、それでも私は、これらシステムの起動のために荷担していくことになるし、そうしたいと思うわけで、葛藤することと考え続けることを忘れないようにアガンベンを読み直す必要がある。

  • 20世紀型のあらゆる制度に対して反旗を翻し、新しい次元の世界を構築しようとする意欲作。この手の研究は、恐らく既存の枠組みを背景とする各種ジャーナルでは高い評価を受けないかもしれないが、しかしだからこそ既存社会にはない新しさをもたらしうる力強さと鋭さを内包しているとも言える。

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著者プロフィール

南カリフォルニア大学客員教授及びケンブリッジ大学客員研究員を経て、現在、明治大学情報コミュニケーション学部教授。ノースウエスタン大学よりコミュニケーション学博士(PhD)/メディア批評及びカルチュラル・スタディーズ。
主な編著書に(共編)『説得コミュニケーション論を学ぶ人のために』2009年, (共編)『パフォーマンス研究のキーワード』2011年, The Rhetoric of Emperor Hirohito: Continuity and Rupture in Japan's Dramas of Modernity. 2017年, The Age of Emperor Akihito: Historical Controversies over the Past and the Future 2019年, Political Communication and Argumentation in Japan 2023年、翻訳書に(共訳)『議論学への招待ー建設的なコミュニケーションのために』2018年がある。財部剣人のペンネームで『マーメイドクロニクルズ 第二部 吸血鬼ドラキュラの娘が四人の魔女たちと戦う刻』を2021年出版。

「2023年 『ポップ・カルチャー批評の理論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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