カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
- 光文社 (2007年7月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751333
感想・レビュー・書評
-
【作品全体(1〜5巻)を通しての感想】
「世の中には二種類の人間がいる。カラマーゾフの兄弟を読破したことのある人と、読破したことない人だ。」と、村上春樹氏が『ペット・サウンズ』という小説のあとがきで語ったことは、あまりにも有名だ。
正直読了するまでは、「いやいや、村上さん、それはあまりにも誇張しすぎでしょう!」と思いつつ読み始めた。エピローグを読了後にあまりの感動から、その後5巻目の続きの解説を読もうと思うまで、半日ほど掛かってしまった。小説を読了後に、半日も日々の生活が手につかなく、フワフワとした気持ちになったのは、生涯初めての体験だった。村上氏の発言で、注目すべき点として“読破“したかどうか、ズバリここがポイントだと思う。そう、一番感動するのは、最後の5冊目の60ページ程のエピローグだ。ここでアリョーシャが子供たちに語った言葉があまりに素晴らしく、感動の渦にのみこまれた。
坂口安吾氏が小林秀雄氏との対談集で、「僕がドストエフスキイに一番感心したのはカラマーゾフの兄弟ね、最高のものだと思った。 アリョーシャなんていう人間を創作するところ……。アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。」という発言もおそらく、最後のエピローグの部分を指しているんだろう。
もし途中でカラマーゾフの兄弟を読むのをやめてしまった方がいれば、ぜひもう一度チャレンジして頂きたい。
エピローグがあまりにも素晴らしいので。
作品のあらすじとしては、実は結構シンプルで、以下となる。
父親のフョードル・カラマーゾフは好色家で、淫蕩の限りを尽くし、自堕落な生活を送りながらも、地元の貴族の娘と結婚したことをきっかけとして財産を築き、小貴族となる。小貴族となったフョードルは、最初の妻との間に長男ドミトリーを、2番目の妻との間に次男イワン、三男アレクセイ(アリョーシャ)をもうける。最初の妻はフョードルと喧嘩別れ後に別の男と逃げ出すが、ある日突然亡くなる。2番目の妻もフョードルの女性遊びや毎日の乱痴気騒ぎにより気がおかしくなってしまい、亡くなってしまう。そして、残された兄弟は父親からその存在をすっかり忘れられ、見捨てられ、育児放棄される。3兄弟が大人になって、父親の元に帰ってくるところから物語はスタートする。そしてある事件をきっかけに父親のフョードルが何者かに殺される…。
そう、これだけ読めば、単純なミステリー小説だ。だが物語の奥に、神の存在の是非、人間の矛盾や両面性、良心また残虐性、科学の功罪や家族の愛憎劇、希望と絶望などなど、数え切れないほどの、著者の祈りにも似た思いがつまっている。約2,000ページにわたる物語の中に、ドストエフスキーが生前最後に生み出した集大成としての世界観が、この上なく濃縮されており、圧倒的な重厚感を持って迫ってくる。
今回カラマーゾフの兄弟を読んで、ドストエフスキー作品の凄さは、圧倒的な生への執着を、誰よりも生々しく描けるところだと思った。それはドストエフスキー自身が、実際に体験した人生経験からきていると思う。具体的には、死刑直前までいった臨死体験が、他の作家では決して描けない、生々しすぎる生への渇望や、死が目の前に迫った臨場感を、ありありとリアルに描けるのだろうと。
実際に銃殺刑直前まで体験し、恩赦という幸運から、奇跡的に生き延びた経験を持つ作家など、世界広しといえどもドストエフスキーを除いて、まずいないだろう。
そういった特異な体験が、ロシア正教への偏執的な啓蒙にも繋がり、作品に対して圧倒的な重厚感を演出できるのだろうと感じた。
【本書から得た気づき1.】
今回生涯で初めて、目的の小説を読む前に予習をした。理由は、20代前半で読んだ村上春樹氏の長編小説に対して、もうかれこれ20年以上も苦手意識が消えないでいる。一度読書で苦手意識を持ってしまうと、本当にずっと長年引きずってしまう。今回ドストエフスキーに対して、同じ轍はどうしても踏みたくなかった。予習の効果は想定以上だった。なぜなら「罪と罰」の読了時には、苦手意識があったのに、今は過去読んだ中で、最も影響を受けた著者に変わったのだから。
ほんの1日予習をするだけで、苦手な作家から好きな作家に変わるのであれば、これほど費用対効果の高い手法はないなと実感した。
【本書から得た気づき2.】
個人的に勝手に想像しただけだが、ミーチャ(ドミートリー)に対して、ドストエフスキーが自分自身を投影していたんじゃないかなぁと。そう思ったのは、ギャンブルをどうしてもやめられないドストエフスキー(詳しくはカラマーゾフの兄弟2の感想欄にて)と、纏まったお金が手に入ると、すぐ使えるだけ使ってしまうミーチャ。長期的視野に立てば、そんなことをすれば、自分で自分の首を絞めているだけなのは、本人含めてすぐに分かることなのに…。
だけどやめられない、ミーチャ。
ミーチャ、本当にバカだなぁと思いつつ、ふと普段の自分を振り返ってみた。
腹八分目で毎回食事を制限していると、最も健康体を維持しやすいのに、たまにお腹一杯食べてしまったり、残業してでも今日中にその仕事を終わらせてしまった方が、休日を気兼ねなく快適に過ごせるのに、ついつい仕事を後回しにしてしまったり…。
そんなこと日常茶飯事だなぁと。
そう、所詮完璧な人間などいないんだということを今回改めて再認識できたし、そういう欠陥があり、完璧じゃないからこそ、だからこそ人間なんじゃないかと。
そのことを上っ面じゃなく、完全に腹落ちし納得出来たので、今後の実生活でもぜひ活かしていきたい。今後他人がとんでもないミスをしても、そのミスをあるがまま受け入れ、相手を許せる度量を今回の体験で作れたと思うので、あとは実生活で実行するのみだ。
過去の知識と今回の読書体験で得た知識を融合することで得た、新たな知恵(詳しく知りたい方は過去読了した書籍、「行き先はいつも名著が教えてくれる」の感想欄をご覧ください)を、自分の血肉と出来たのが、今回最大の収穫だ。
【雑感】
さすが、世界文学の最高傑作の喧伝は、伊達ではなく、素晴らしい作品だった。だが内容を咀嚼するのに結構疲れた。なので、次はライトなエッセイでも読んで、気持ちを切り替えよう。次は、村上春樹氏の「村上さんのところ」を読みます。今回カラマーゾフの兄弟の本編を読む前に、100分de名著のカラマーゾフの兄弟編を読み、事前予習をしたことがかなり良かったと思う。いまだに苦手意識を拭えない村上春樹氏をそろそろ克服したいので、今回のエッセイ?を読んで、村上春樹氏をもっと知ることが目的です。 -
約1年をかけて、ついに僕が自分に課した一大読書プロジェクトであるドストエフスキー・チャレンジが終了した。
ドストエフスキー・チャレンジとは、ドストエフスキーの5大長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』を読破するというものである。
このドストエフスキー・チャレンジの最中にドストエフスキーの名作の2作品『賭博者』『死の家の記録』、そして、レフ・トルストイの傑作『アンナ・カレーニナ』も合わせて読了した。これでロシア文学の古典については、それなりに
『読んだことがある』
ということくらいは言えるのだろう。
このドストエフスキー・チャレンジを始めたのは、トルストイの『戦争と平和』を2019年7月に読了したことがきっかけだ。
この『戦争と平和』が思いのほか面白かったし、歳を重ねたからだろうか、結構、登場人物たちの心情がよく理解できたのだ。
この歳になって、やっとロシア文学の古典名作の深い人生観に基づいた文章の面白さに気づかされ、改めてロシア古典文学を再度読んでみようと思い立った。
高校生の頃に読破した『罪と罰』を2019年8月に再読し、はっきり言って「感動」してしまった。
もう、こうなると止まらない。
『白痴』も、5大長編の中の唯一の恋愛小説として非常に楽しめた。ただ、『悪霊』『未成年』は結構難解で、これらは再読しなければならないと思う。
そして本書『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの最高傑作と言われるゆえんだろうが、まさに3巻からの面白さは度肝を抜かれた。
そして5巻のたった60ページのエピローグを読み終えてからの訳者・亀山郁夫先生による怒涛の「ドストエフスキーの生涯」と「解題」は、それだけでドストエフスキー好きの読者にはたまらない読み物となっている。
本書を読み終わって、本書が初めて未完の小説であるということを知った。
未完の小説だからこそ、この先を予測する楽しみというものもある。
やはり150年以上も世界中で読み続けられている本というものには、人類の英知が詰まっているのだろう。僕にとってのドストエフスキー・チャレンジは終了した。
しかし、これはまだあくまでも『第一回目』が終了したに過ぎない。チャレンジには『第二』『第三』もある。
そして、まだ、この世界には読むべき本が山のように待ち構えている。
僕にとって、まだチャレンジは始まったばかりなのだ。-
kazzu008さん
こんにちは(^ ^)
とうとう、とうとう読まれたのですね!
お疲れ様でした。
レビュー読んで相当な内容だと察しました!...kazzu008さん
こんにちは(^ ^)
とうとう、とうとう読まれたのですね!
お疲れ様でした。
レビュー読んで相当な内容だと察しました!
いつでも読めるよう本棚にスタンバイして、読むタイミングをはかっておりますが、楽しみにし過ぎて逆におり「もう読んでいいのか?」と(笑)
やなり他のドスト作品をある程度読んだ後のがお勧めでしょうか?
(まだ2作品しか読んでいないため)
ご意見いただけますと幸いですm(_ _)m
2020/07/18 -
ハイジさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。
確かにドストエフスキーの5大長編を読了するのはかなりの努力が要りました(笑...ハイジさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。
確かにドストエフスキーの5大長編を読了するのはかなりの努力が要りました(笑)。
ハイジさんもすでに『罪と罰』『地下室の手記』を読んでらっしゃるので、もう、『カラマーゾフ』、いっちゃっていいと思います。
『カラマーゾフ』は最初読み進めていくのがかなりつらいのですが、(実際、僕はここまでくるのに3回ほど1巻で挫折しています)、3巻まで読み進めていければあとは一気に行けます。新潮文庫版で言えば中巻くらいになるのでしょうか。
『カラマーゾフの兄弟』を読むために、特にほかの作品を読む必要はないと思いますが、『死の家の記録』(ドストエフスキーのシベリア流刑時代の出来事がモチーフ)を読んでおくと、ドストエフスキーの作品の重厚さの原点がわかるのかなとは思います。
もし、お時間があれば、手にとってみてはいかかでしょうか?
あとは、今までこれだけドストエフスキーを読んできて、いまのところ僕の中のマイベスト・ドストエフスキーは『白痴』『罪と罰』ですね~。2020/07/18 -
kazzu008さん
お返事ありがとうございます!
とても参考になります。
さすがドスト先輩です(笑)
そうですか…挫折ですか…
あまり身構...kazzu008さん
お返事ありがとうございます!
とても参考になります。
さすがドスト先輩です(笑)
そうですか…挫折ですか…
あまり身構え過ぎず、長期戦で挑戦してみようかなと思います。
「死の家の記録」と「白痴」は是非読んでみたいです!
楽しみです。
ありがとうございました(^ ^)
2020/07/18
-
-
膨大なエネルギーに満ち満ちており、読み手にも多大なエネルギー消費を容赦なく要求するドストエフスキー未完の傑作。
作者の死によって絶筆となった、あまりに壮大なこの物語がもし完結していたら、一体どんな結末を迎えたのか、かなり気になります。
ロシア某地方の大地主フョードル・カラマーゾフ。彼には、三人の嫡出子と一人の非嫡出子がいたが、あまりに品性下劣で身勝手な彼は、四人の息子のいずれもまともに養育したことはなかった。
けれど息子たちは長じて後、それぞれの事情から父の周囲で暮らしている。けれどそんな父が誰かに殺され…。
粗野で直情的で、金と女のことで対立関係にある父を憎んでいることを公言してはばからないが、裏表がなく、神の存在を疑うことのなかった長男ドミートリー(愛称ミーチャ)。
理知的だが胸の内を誰にも明かさず、神の存在に否定的で独自の無神論思想を持ち、事件を機に心のバランスを崩す二男イワン(愛称ワーニャ)。
純粋で、修道士になるほど神に心酔していながら、あるきっかけから、神に懐疑的になる三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)。
そして、フョードルが物狂いの浮浪女を孕ませて生まれたとされる、周囲から蔑まれている下男のスメルジャコフ。
機能不全どころか最初から最後まで一度も家族として形にならなかった五人の血縁者たちの成れの果てを、その他大勢の登場人物たちと絡ませながら描いています。
家族、神をめぐる解釈(キリスト教的観念)の対立、教会腐敗、金、貧困、女、裁判…と、これでもかというほど、世の中のありとあらゆる要素が詰め込まれていて、圧倒されてしまう。入れ忘れた要素なんてないのでは?ってくらい、要素過多。
正直、その膨大すぎる量と熱に「あてられて」しまって、読みきるのに精一杯という感じでした。登場人物たちがそれぞれに担っていた役割や象徴性、散りばめられていた無数の暗喩を全て明確に理解できたとは言い難い。
けれどおぼろげながらもわかったのは、この物語が持つ構成の意味。
三編づつの四部構成(合計12編)にエピローグがついた構成なのだけど、四部とエピローグはそれまでの前三部とは趣が違う。いや、違うというか、一部から三部で張られた細かな伏線は四部でどれも見事なほどに回収されたのに、四部で張られた伏線はその四部内でもエピローグでも全く回収されていないのです。それどころか、それまで誰からも愛されてやまない筈だった三男アレクセイを取り巻く不穏でどことなく不気味な要素が、うっすらと、けれど確実にばら撒かれており、次はそれを回収するというのを匂わす造りになっています。
通しで読んでみての個人的な感覚では、四部のメイン構成軸は、タイトル風にしたら
●第一部:カラマーゾフ家の概要紹介
●第二部:長男ドミートリーの章(前)
●第三部:父の死 長男ドミートリーの章(後)
●第四部:父殺しの結末 次男イワンと下男スメルジャコフの章(+三男アレクセイのための伏線)
●エピローグ:カラマーゾフ家としての幕引き
という感じなのですが、
これに、
●第五部:「一人になってしまった」三男アレクセイの章 (←※作者死亡のため実在せず)
がつくはずだったというイメージ。
終焉と新しい局面を示唆するエピローグが挟まっているので、第五部というよりは、海外の連続ドラマ風に「2ndシーズン」とか言う方がしっくりくるかもしれないけれど。
なにはともあれ、ドストエフスキーがエピローグを書き上げて80日ほどで亡くなってしまったおかげで生まれなかったアリョーシャの章が気になってしょうがない。アリョーシャ、どうなってしまうん…。一部から四部まで、家族や脇役の間を行き来して狂言回し的な役割を担い、いよいよこれから彼の話になる、という感じだったのに…。
夏目漱石の「明暗」もそうですが、作者死亡による絶筆は本当に惜しまれます。
あまりに膨大なエネルギーと時間が必要なので、あまり気軽に人に勧められませんが、読む価値は確かにある作品でした。
ちなみに、この亀山郁夫訳版の特徴としては、エピローグの後に、亀山氏による、「ドストエフスキーの生涯」と、「解題」と題したものすごい分厚い解説がついています。
これを読むと、「カラマーゾフの兄弟」にかなりドストエフスキーの自伝的要素が含まれていることや、作者が作中に散りばめた暗喩や対称性といった技法がわかります。物語の時間軸表もついてて、文章を追うのが精一杯の身にはたいへん大助かりでした。
長編ロシア文学に尻込みしてしまう人の入門書としては比較的とっつきやすい部類に入ると思います。 -
とうとう最終巻。これまでカラマーゾフ世界の混沌とした濁流の中でなすがままに揉まれてきましたが、それもこれが最後。
さあ気合いを入れて読むぞ、と思ったら、60ページにも行かない段階で物語は終了したので、驚きました。
残りは訳者による作者の生涯と、この作品に関する論文が掲載されています。
これはこれで、非常に読みがいがあり、作品理解の大きな手がかりとなりましたが、4巻が5巻の倍もある分厚さだったので、予想外のことで拍子抜けしました。
これなら4巻の「誤審」の章を、5巻に入れてもよかったのではないかと思いますが、ミーチャの刑が確定する前と後で、分けたかったのでしょうか。
5巻の章は「エピローグ」。まさに最終章です。
刑が告げられたミーチャの元へと元恋人のカーチャを連れて行こうとするアリョーシャ、ミーチャの部屋での恋敵同士のカーチャとグルーシェニカのはち合わせ、前後不覚の昏睡状態となったイワン、脱獄と亡命計画など、息つく間もなく密度の濃いシーンが展開されます。
彼らの会話の中で、この事件が4日間内に起こったことだということに改めて気が付き、驚きます。
長い年月を経た物語のように思えていました。
ロシアでは、裁判は翌日開催されるものなのでしょうか?
事件後日をおかずに行われるのはいいことですが、あまり早すぎると証拠が揃わず、この話のように誤審が多い気がします。
ラストは、イリューシャの葬儀に向かい、コーリャたち少年に囲まれ、歓声を上げられるアリョーシャのシーンで幕を閉じます。
結局、脱獄計画はどうなったのか、イワンは回復するのか、など、気になる話は残ったまま。
少年たちの登場は、あまり本編と直接に関係してはいないような気がしていましたが、彼らが最後に登場するということで、やはりドストエフスキーは続編となる第2部を構想していたんだろうと思えます。
2部を読めないのは残念ですが、それでも1部だけで十分楽しめるというかもうおなかいっぱいというか。
アリョーシャがテロリストになると作者の口から語られていたそうですが、おそらくコーリャたち少年も、そういった過激的行為に走るようになるのでしょう。
アリョーシャが常に読者によりそう形だったので、この非情な煉獄絵図のような物語の中も突っ切っていけましたが、アリョーシャの心的描写が、ほかの人物に比べて極端に少ない点は、やはり最後まで気になりました。
あちこちに動いてよく人と会っていますが、常に受け身的立場で、主体性があまり見えません。
感じたり考えたりするのをやめているような感じ。
こうした彼の描写が、2部にはがらりと変わったのかもしれません。
また、作者がプロローグで、アリョーシャのことを変人だと名指しして書いていましたが、この作品を読む限りでは、特にそうは思いませんでした。
むしろ周りの人たちが変人ばかりのような。
ただ、周りから見れば、アリョーシャはやはり変わっていて一人浮いていたのでしょうけれど。
前の巻では、いろいろなことが起こって、どこか感覚がマヒしてしまったようなところもありましたが、つまりイワンとスメルジャコフは裏と表のような存在だったというわけですね。
スメルジャコフが実行犯ながら、彼はイワンの父殺しを望む深層心理を読みとって凶行に及んだわけで、つまりはあなたがそうさせたんだ、と面と向かって言われたイワンは、確かに内なる心の声を聞き、自分の欲望に気付いてしまいます。
スメルジャコフを拒絶しながらも、父殺し実行犯は自分だったという衝撃で心身病んでしまう彼。
イワンに拒絶され、絶望して自殺をするスメルジャコフ。
漱石の『虞美人草』の藤尾が、屈辱で憤死をするように、登場人物たちは感情の起伏が激しすぎるあまり、精神が肉体を傷つけていると思いました。
人格的にいくら問題があろうとも、彼らなりに自分を愛してくれた父や兄たちが、それぞれ不幸になっているのに、結果的に誰一人として助けられず、結婚を約束した自分の恋人さえも去っていったことについて、アリョーシャは何を思うのでしょう。
キリスト教の教義の限界でしょうか。
アリョーシャがもし第2部でテロリストになったとすれば、それは宗教は人の救いとならないと見限ってのことでしょう。
キリスト教についての鋭い疑問を放った兄イワンの主張(「大審問官」のくだり)に、最終的には同意したということになるのでしょうか。
社会の体制が変わらないことには、いくら宗教が存在しても、魂の平安は得られないと思ったのでしょうか。
難しい問題を提示して、物語は終わりました。彼らの今後が気になります。
当時のロシアの社会状況がわからないと、理解しづらいところもありましたが、心理ドラマとしても非常にドラマチックな作品だったので、少しずつ彼の他の著書も読み進めていきたいです。
でも今回は相当集中して全巻読みこんだので、しばらくは軽い本を読んでクールダウンさせないと、頭がもたなさそう。。。 -
▼ぼくたちは、死ぬまで忘れないようにしましょう。たとえ、ものすごく大事な仕事にうちこんでいるときでも、立派に身を立てることができたときでも、あるいは大きな不幸にあえいでいるときも、いつどんなときも、かつてこの場所でたがいに心を通わせ、率直な感情に結びあわされてすばらしい時をすごしたことを、けっして忘れないようにしましょう。
何かよい思い出、特に子ども時代、若い時代、家族や友人と一緒に暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で力強くて、健全で、有益なものはないのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。もしかするとこのひとつの思い出が、人間を大きな悪から守ってくれて、思い直してこう言うかも知れません。「ええ、私もあのときは善良だったんです」と、ね。
人間はしばしば、善良で立派なものをあざ笑います。けれどもみなさん、ぼくはきみたちに保証します。思わずにやりとしたとしても、心はすぐにこう語りかけてくるでしょう。「いいや、笑ったりして悪いことをした、だって、笑ってはいけないことなんだもの!」ってね。そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで!【本文より】
▼「カラマーゾフの兄弟 5」ドストエフスキー。初出1880年。亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫。2020年1月読了。この第五巻は文庫本で365頁あるんですが、実は「カラマーゾフの兄弟」の本編は、70頁もありません。「4部構成+エピローグ」という作りの小説なんですが、この5巻はその「エピローグ」だけなんです。残りは、訳者による解説とドストエフスキーの評伝です。
▼長男ミーチャ、次男イワン、三男アリョーシャ、そして(恐らく)私生児のスメルジャコフ。この四兄弟と、父フョードルの物語。第3巻でフョードルが殺されます。犯人は状況証拠としてはどうみても長男ミーチャ。だが決定的な証拠は無いし、やや細部に疑問も残ります。裁判が行われる前日、スメルジャコフが「自分が殺した」とイワンに告白。そして自殺。
▼第4部では、スメルジャコフの告白が法廷に晒されますが、これとても証拠はない。次男イワンは神経を病んで病人になります。そして誤審。ミーチャに有罪判決。シベリアにウン十年、という刑。そこで4部が終わっています。
▼エピローグは、第4部の冒頭に出てきた少年イリューシャの葬儀の日です。イリューシャというのは、まあ色々あって、三男アリョーシャが友人になった、可哀想な少年です。病を得て、助からなかった。
▼ミーチャはもうすぐシベリアに送られます。なんですが、イワンが立案した「途中でミーチャを脱走させてアメリカに逃がす計画」というのが進行中です。イワンはまだ病気。でも死に至ることはなさそうな感じ。
▼ミーチャとイワンについては、もうそれ以上、この小説は触れません。ひたすら、少年イリューシャの葬儀の場での、三男アリョーシャと、参列にきた少年たちを描いて終わります。個人的には素晴らしい終わり方だと感服、感動(一応再読なんですが、すっかり忘れていました)。涙のスタンディングオーベーションでした。
▼終わり方のメッセージ、後味としては。誤謬を恐れずにすっごく簡単に言うと、「いろいろ理不尽や辛いことや恐ろしいおぞましいことが、人間関係にも愛情関係にも家族や社会との関係にも、神様や運命との関係にもあんねんけど、それでも人生恐れたらあかんでー」と、言うことだと、思います。ほとんど寅さん映画後期の渥美清と吉岡秀隆の会話と変わらないレベルなんですが、無論のこと素晴らしいのは主題そのものだけではなくて、その小説としての解釈、落とし込み方、語り口、旋律であり演奏であるわけです(寅さん映画は大好きです)。
▼村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」について、「どうしてここまで鋭く、公正に、そして心温かく世界の実相を読み取ることができたんだろう?どうしてそんなことが可能だったんだろう、考えれば考えるほど、それが不思議でならない」と書いていますが、何も足し引きせずに「カラマーゾフの兄弟」についても同意見です。
(その村上春樹さんは別の本で、人生に大きな意味を持った本として、その「グレート・ギャツビー」と「カラマーゾフの兄弟」を挙げています)
▼一冊の本としては第5巻は全体の80%以上、訳者の亀山さんによる,ドストエフスキーの評伝と、「カラマーゾフの解説」でした。評伝の方は、かなりオモシロク読めました。
▼よく知られていますが、ドスエフスキーさんは若くしてデビューして蝶よ花よと文壇のアイドルになり、その後スランプになり、社会主義者の集まりに加わり、官憲に逮捕されて死刑宣告を受け、死刑執行の場で特使が駆けつけてシベリア流刑に減刑(そういうパフォーマンスがけっこうあったそうです)、シベリアで極悪人たちと一緒に地獄の強制労働の年月を経て、数年後ようやく娑婆に出て、作家に復活。
▼「罪と罰」をきっかけに以前を上回る大ベストセラー作家になり、かつ偉大なる文化人になりますが、並行して酒に溺れ、女に溺れ、そして何よりギャンブルの沼に落ち込み、借金と下半身スキャンダルにまみれ原稿料の前借りを繰り返しながら名作を書き続けます。2020年現在の日本だったら、芸能ジャーナリズムに骨までしゃぶられていたでしょう。作品はすばらしいけれど、もしドストエフスキーさんが身近に友人として居たらかなり鬱陶しい思いをした気がします。作品が好きだったときに、作り手とは会わない方が幸せだ、ということです。しみじみ。
▼そして終生、ロシアの官憲の監視を受け、手紙は検閲を受けていました。なので、小説は全て「官憲に捕まってまた流刑や死刑にならないように」という周到な計算と打算も含めて書かれています。すごいですね。ちなみにドストエフスキーさんの生きている間は、ずっとロマノフ王朝です。
▼解説の方は、まあ実はこれまでも各巻の終わりにかなり熱心な解説があったので、若干食傷気味でした。あと訳者の亀山さんが、「いやー、俺すごいことしちゃったもんね。ほんとにこの小説最高でしょ?凄いでしょ?こういうのも秘められてるんだぜ!」的な、かなりなセンチメントと感動を、ちょっとだけ意地悪な言い方になって申し訳ないのですが若干押しつけがましく語ってくるので、ちょっと疲れました。(翻訳としては、色々議論があるそうですが、僕は読みやすくて面白かったです。どのみち原語で読めない以上は、なんであれ訳者の誤訳、意訳、超訳、解釈が入らざるを得ませんから。みんな人間なんで。)
▼30ウン年ぶりの再読ですが、前に読んだときも大感動したことだけは覚えているんです。ただ、47歳で再読して、「いやー、ホントよかったー。絶対10代の頃はこの美味な感動は半分も分かってなかっただろうなあ」というのが率直な感想。また、10年後くらいに再読したらまたそう思える気がして、それはそれで楽しみです。(そのときにこの文章を読み返すのも楽しみ)
▼ドストエフスキーさんは、「カラマーゾフの兄弟」を、初めから「前後編の長い物語の、前編」という設計で書いたんです。死んでしまったから後半は書けなかった。訳者の亀山さんが再三指摘していますが、「カラマーゾフの兄弟」の中でやや流れから浮いて見える、「三男アリョーシャと少年たちの交流」が、恐らく後編のメインになっていく予定だったのでしょう。どうやら、後編でアリョーシャはロシア皇帝の暗殺に加わる流れだったそうです。そして、少年コーリャもそのそばにいることになっていたのでしょうか。シベリア送りになったミーチャは、無事に脱走したのでしょうか?イワンは再び元気になり、悪魔的な無神論を語ったのでしょうか?
うーん。
読みたかった・・・。 -
カラマーゾフ万歳!
兎にも角にも続きが気になります。。
ロシア文学は苦手意識が強かったんですが、こんなに楽しめるとは想定外でした
新訳が良かったのか、亀山さん訳が自分に合ってたのか。。時間があれば原さん訳にもチャレンジしようかと! -
第二部が!読みたい!読みたいよう!うえーん!!
最初から最後までめちゃくちゃ面白かった。
父殺しと神の存在/非存在。
疾走感あふれる物語の縦糸に、思想の横糸が絶妙に織り合わされていた。
解説も非常に面白く、ふまえてすぐまた第一部から読み返したくなる。
再読するー! -
星が5つじゃ足りません。
第二の小説は、天国に行けば読めますか?
ドストエフスキーさん。 -
「解題」のお陰で、理解が深まった。
第2の小説でアリョーシャが革命家になる構想だった話は、ちょっと複雑だけどとても気になる。
また僕の拙い文章から、カラマーゾフの兄弟にご興味を持って...
また僕の拙い文章から、カラマーゾフの兄弟にご興味を持って頂いたようで、凄く嬉しく思います。
本棚を拝見させて頂くと、僕が苦手意識を克服したいと思っている村上春樹氏の作品を数多く読んでいらっしゃるんですね!
またお手隙の際に、村上春樹氏のオススメ長編小説をお教え頂ければ、大変嬉しく思います。
今後とも宜しくお願いします。
お返事、ありがとうございます。
村上春樹氏は、とても好きな作家さんで、尊敬しています。
どの作品も、好きですが、...
お返事、ありがとうございます。
村上春樹氏は、とても好きな作家さんで、尊敬しています。
どの作品も、好きですが、中でも、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が、大好きです。この世界観、シビレます。でも、伊丹市にある実家に、置いてあるので、長いこと、読み返していません。私は宝塚市在住なので、実家と近く、ほぼ毎日曜日を、老齢の両親を見に行っているので、その時、手持ちの本を、持って行ったり、持って帰ったり、しています。『世界の終わりと〜 』は、結構分厚い本ですが、『カラマーゾフの兄弟』を、読みこなしたユウダイさんなら、楽勝で、楽しめる…… と、良いのですが。私は、世界のおわりと〜、レビューが難しくて、書いていないのですが、ユウダイさんが、その本を楽しめたなら、ぜひともレビューを拝読したいです。
私は、今日まで、仕事がありました。明日から連休に入るので、とても嬉しいです。
ユウダイさん、素敵なゴールデンウィークを、楽しんでくださいね。(*˘︶˘*).。.:*♡
確かこの作品って、最近発売された『街とその不確かな壁』と関連性がある作品でしたよね。では、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』をまず読んでから、『街とその不確かな壁』を読むように致します。いま「村上さんのところ」を読んでいる途中ですが、僕にとっては、良い意味で驚きの発見が多々ある作品です。また数日以内に感想をアップできるかと思いますので、もし宜しければ、ご覧頂ければ幸甚でございます。りまのさんも、ぜひ有意義なGWをお過ごしくださいませ。