南の島に雪が降る (知恵の森文庫 b か 2-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784334783051

感想・レビュー・書評

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  • 戦中の南方戦線の話だが、悲惨な箇所は殆ど書かれておらず(書きたくなかったのかも)、作者の楽観主義的な感性に救いがあってよかった

  • 戦場にあって戦禍以外に病魔とも闘うことを余儀なくされながら、これほどに生きる希望となりペースメーカーとなるものがあったとは驚いた。そして有名らしい雪の場面の悲壮さは言い尽くしがたい。

  • 俳優「加東大介」が自らの戦争体験を描いたノンフィクション作品『南の島に雪が降る』を読みました。

    この季節になると太平洋戦争に関する作品を読みたくなります… 忘れてはいけない歴史ですもんね。

    -----story-------------
    “舞台”に降る「雪」を見た兵士たちは、故国を思い、胸をふるわせた
    感動の名著、待望の復刊!

    昭和18年、俳優「加東大介」は招集を受け、ニューギニアへ向かった。
    彼は、死の淵をさ迷う兵士たちを鼓舞するために“劇団”づくりを命じられ、島中の兵士から団員を集め、工夫を重ねて公演する。
    そしてついには熱帯の“舞台”に雪を降らせ、兵士たちに故国を見せたのだった??
    感動的エピソードに溢れた記録文学の傑作!
    (解説「保坂正康」)
    -----------------------

    昭和の大好きな映画たち… 「成瀬巳喜男」作品や「黒澤明」作品、「小津安二郎」作品に常連俳優として出演し、印象に残る役柄を演じている「加東大介」が自らの体験を描いた作品です、、、

    「加東大介」が、どんな気持ちで役者という仕事を続けていたのか… そのルーツを知ることができる作品でした。

     ■四人の演芸グループ
     ■さようなら日本
     ■三味線の功徳
     ■成功した初公演
     ■スター誕生
     ■墓地に建てた劇場
     ■ニセ如月寛多
     ■本格的な稽古
     ■別れの<そうらん節>
     ■マノクワリ歌舞伎座
     ■演劇分隊の心意気
     ■この次まで生きてくれ
     ■食い気とホームシック
     ■南の島に雪が降る
     ■支隊全員に見守られて
     ■デザイナー隊長の加入
     ■ワイが女になるんや
     ■蛍の光
     ■七千人の戦友
     ■あとがき

     ■後記 沢村貞子
     ■解説 保坂正康


    弾丸や砲弾が一発も飛び交うことがなく、直接的な戦闘行為による殺傷シーンが全くない戦争文学作品… そして、素晴らしい反戦文学作品でしたね、、、

    「加東大介」は太平洋戦争(大東亜戦争)末期の昭和18年(1943年)10月に召集を受け、12月に飢えとマラリアに苦しむニューギニアの首都マノクワリに到着… そこは主力部隊から脱落し見放され、救援物資も届かない最果ての地だった。

    いつ戦争が終わるかもわからず、希望が全くなく、日々、戦友たちが飢えとマラリアでバタバタと死んでしまう過酷な状況下… 「加東」は上官からの命令により、演芸分隊を立ち上げる、、、

    熱帯のジャングルに日本を偲ぶことのできる舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人等、各部隊から集めた実に個性的なメンバーとともに公演を始める… 生きて日本に帰ることが絶望的な状況下、彼らの活躍は日本兵たちの夢となり、希望となる。

    休みのない連日連夜の興行… 各部隊にとっては月に1度の舞台… その舞台を見るまでは死ねないと、時には重病人を回復させるまでもの希望が、その舞台にはあった、、、

    いやぁ… 涙なしには読めない感動の作品でした。

    素晴らしい舞台美術により、家屋の障子や里山、柿から日本の秋を連想させ、さらには雪景色までを再現することにより冬までを連想させることにより、三百人の兵隊たちが一人の例外もなく両手で顔を覆い肩をブルブルふるわせながら泣いていた… というシーンは印象的で忘れられない場面でした、、、

    役者冥利に尽きる一瞬だったでしょうね… こんな体験をしたら、役者を辞めることはできないだろうし、天職だと感じるでしょうね。

    この経験が「加東大介」役者魂を培ったんだろうなぁ… と思います、、、

    内地送還の機会があったにも関わらず、

    「これだけの観客を捨てて… 役者が舞台から逃げ出せるか」

    と絶望の地に残り、復員後に悪性マラリアの再発により生死の境を彷徨ったあとは、

    「それでも生命があったんだもの。
     これからは、もっともっと、大勢の人に喜んでもらえる役者にならなけりゃ」

    と映画やテレビに身体をぶつけて取り組んだ人生… 昭和50年7月に64歳で逝ってしまうなんて、早過ぎる死だと感じてしまいますね。

    本人主演で映画にもなっているようなので、機会があれば観てみたいなぁ。



    恥ずかしながら初めて知ったのですが、、、

    兄は「沢村国太郎」、姉は「沢村貞子」で、「沢村国太郎」の息子「長門裕之」、「津川雅彦」は甥にあたるという役者一家… そして、自らの息子「加藤晴之」は、「黒澤明」の娘「黒澤和子」と結婚と、「加東大介」は芸能一家だったようです。

  •  俳優・加東大介の従軍記。加東(加藤徳之助・市川莚司)は、1933年の現役時に千葉陸軍病院で伍長勤務上等兵、1943年の応召時には衛生伍長として東京第二陸軍病院から西部ニューギニア・マノクワリに上陸、野戦病院スタッフとして働くことになっていた。マノクワリ上陸は1943年12月8日だったという。

     しかし、加東の戦争体験が他の兵士たちと違っているのは、米軍の飛び石作戦によって前線に置き去りにされてしまったマノクワリで、上官命令で演芸分隊の「班長」として文字通り東奔西走したことだ。軍隊に入る前は会社経営者だったという苦労人の経理部長と、東大出の演劇評論家だったという輸送隊の大尉の肝煎りで、部隊の中から演芸経験者をセレクト、美術や衣裳、カツラの担当者までピックアップして、「マノクワリ歌舞伎座」という常設劇場を立ち上げていく。日中戦争では阿南惟幾の側近だったという軍司令官も、加東らの演芸分隊に肩入れし、「目標のない日常」に彩りを与える重要な任務だと評価した。

     餓死が日常だったニューギニアの地で、兵士たちは「日本」と「故郷」を求め、眼の色を変えて劇場に通った、と加東は書いている。『瞼の母』『父帰る』『浅草の灯』『暖流』『転落の詩集』など、演目もぞくぞくと増えていった。本書のタイトルともなったエピソードは、東北出身の部隊の兵たちが、長谷川伸の『関の弥太ッぺ』の舞台に拡がる雪景色を見て、300人がジッと静かに泣いていた、というものだ。加東は、演劇人としてマノクワリ時代ほど、自分が求められていると感じたことはなかった、と述懐する。ここには、人間にとってなぜフィクションが必要なのか、という根源的な問いに対するひとつの答えが示されていると思う。
     面白いのは、復員後に加東が本格的に映画界に進出するきっかけとなったのが、ニューギニア時代の戦友たちから「映画なら、どこにいても会えるからね」と言われたことだった。加東は小津の『秋刀魚の味』で、「敗けてよかった」としみじみ語る元海軍兵曹を演じていたけれど、その時かれの心中には、どんな思いが去来していたのだろうか。

  • 芸に関する知識はまるでない私ですが、楽しめました。

    戦争で西部ニューギニアに送られた男たちが生きるために劇を行う話です。

    「戦争なのに、戦地で娯楽をやってしまって上司に「何を考えとるかっ、キサマァッ!!!」とか言われるんじゃないか?…」

    と本を読みながら思っていましたが、「劇をやる事は戦地へ送られてしまった男達の生きる活力になっていた」という知り、こんな一面もあったのかと驚きました。

    故郷を思う男たちが劇に感動して涙するシーンが何回か出てくるのですが、その中で一番頭に残っているのは故郷の雪景色が再現された劇を見て泣いていた男達でした。本のタイトルをなぜこれになったのか?という事がよくわかります。これしかない。

    ユーモアのある部分あり、涙する部分あり。

    電車の中で読んじゃいけない感じがします。(シーンごとに顔の表情が変わる可能性があるので…)

  • とにかく読んで欲しい。
    この事実は、老若男女問わず忘れてはいけない。

  • 古典芸能一家に育った著者による戦場体験のノンフィクション。
    最前線に居ながら、補給物資が枯渇した中で、技術や残り少ない資源をフル活用し、仲間たちに生きる希望を与え、自らも生きる希望を忘れなかった事は、爽やかで感動できる素晴らしい作品。
    銃弾の一撃で死ぬのではなく、 じわじわと栄養失調で死んでいく戦場のリアルは、表現できないぐらいに恐怖が伝わってくる。
    題名の項目は、泣けてくる。
    今の戦争に巻き込まれていない平和に、感謝を絶えない作品。

  • あらすじ(背表紙より)
    昭和18年、俳優・加東大介は召集を受け、ニューギニアへ向かった。彼は、死の淵をさ迷う兵士たちを鼓舞するために“劇団”づくりを命じられ、島中の兵士から団員を集め、工夫を重ねて公演する。そしてついには熱帯の“舞台”に雪を降らせ、兵士たちに故国を見せたのだった—感動的エピソードに溢れた記録文学の傑作。

  • 書店に出向くと時々こういう出会いがある。
    目指す本をネットで注文ではなく、目当ての本があるわけでもなくぶらっと書店に出かけて自分を待っていたような本に出くわす事が。
    子供の頃たしかテレビの舞台中継のような物で見た「南の島に雪が降る」だ。
    「南の島」になぜ雪が降るのかと母に聞いた覚えがある。
    役者加東大介の記録文学とも言える作品ですね。
    沢村貞子さんの「後記」も素晴らしかった
    戦時下、荒んだ兵士の心を慰撫するため、死んでいく戦友の弔いのため戦地で懸命に芝居を続ける。
    役者加東大介さんの実体験に基づくこの作品は読む物をして一人の戦友であるがごとき錯覚を起こさせる。

  • 舞台「南の島に雪が降る」を観に行き、原作を読んでみたくなって買いました。

    舞台もとても素晴らしかったのだけど、原作も本当に素晴らしかった。
    色んな人の想いがあって、そこで生きて、死んで、それでも尚「芝居をした」ということに涙が出ました。
    こんなすてきなことって、あるんだなぁ…。
    原作を読んだ上で、また舞台が観たくなりました。
    再演してくれないかなぁ(笑

  • 「兵隊ってのは世の中の縮図だから、たいていの職業がある。しかし、そう突飛なのは見あたらなかった」

    しかし、第二次世界大戦末期、西部ニューギニアはマノクワリに集結した日本軍のなかには、俳優である著者をはじめ、長唄師匠(三味線弾き)、スペイン舞踏の教師、演劇評論家、歌手、針金職人、友禅職人、男性服の仕立屋、カツラ職人、僧侶にして博多仁輪加の名手、奇術師、脚本家、節劇役者までが在籍していた……。
    飢餓と熱病に侵されて死の淵をさまよい、いつ終わるともしれない戦争の日々に荒む兵士たちを鼓舞するために、上官から「演芸分隊」をつくるよう命じられた著者は、突飛な職業の兵士たちを演芸員とし分隊を編成、「マノクワリ歌舞伎座」を建てて公演の日々を送ることに――。
    演目は『瞼の母』。
    病や飢餓で衰えた足を叱咤し、動けなくなった仲間を担架にのせて、密林の最奥から何時間も歩き続けて観に来る多くの兵士たち。舞台の書き割りや小道具に故郷・日本を見出し、快方に向かう者、そのまま「思い残すことはない」と絶命する者も。
    そうやって彼らは荒んだ廃兵から、“日本人”に戻り、ある者は生還し、ほとんどは死んだ。

    ある時の観客は東北出身の国武部隊の兵士約300人。
    雪のなかで生まれ育った彼らは、舞台に降る紙の雪を見て故郷を思い出し、一人の例外もなく両手で顔を覆って、肩をふるわせ、ジッと静かに泣いていた。
    「生きているうちに、もう一度、雪がみられるなんて……」
    末期の病人は、もう力の入らない指先で紙の雪をソーッといじっていた……。


    想像を絶する極限状態のなかで、日本人の心を支えた即席の演芸分隊。その分隊を率いた俳優・加東大介(1911- 1975)による回想の記録文学。
    引用部分は実際手に取ることのできたちくま文庫版のページ数にて記録。

  • 買え!読め!そして、泣け。

    知る限りもっとも素晴らしい“反戦”戦記。

  • 有名な本なので?期待していなかったが、いやどうしてどうして、面白い。置き去りにされた戦場で、兵士達に生き延びる意欲をかきたてる為に演芸部隊を正式の命令により組織し、連日の公演?を行う。極限の状況下における人間の不可思議さを納得させられる。芝居の力と芝居への愛情を見せつけられる一冊であった。

  • 最初はあまり期待せずに読み始めたのだが、あまりの面白さにわずか2日で読破。
    著者がニューギニアはマノクワリに行くまでの経緯に始まり、数々の戦友且つ演芸員との出会い、そして演芸分隊発足からマノクワリ歌舞伎座誕生、興行そして終戦へ、というマノクワリでの演芸がメインなのだが、さり気なく戦争下の極限状態もさらっと書いている。そのさらっと加減が、実際には相当な悲惨さを伴うはずであるのに、そう感じない。その分妙なリアリティがある。
    個人的には女形が異様な人気を得ていくところが非常にコミカルで(不謹慎かも知れないが)面白かった。
    また、この本では生粋の粋に触れることもできる。

  • 舞台は昭和18(1943)年~昭和20(1945)年、大東亜戦争の時期です。


     著者の加東さんは、陸軍衛生兵として、ニューギニア戦線に赴き、当時有名な歌舞伎役者だった特性を活かし、兵隊を慰めるために、現地で個性派ぞろいの劇団を作ります。


     ある日、雪の降る芝居を演じることになり、紙を細かく切った雪を降らして、芝居を続けていると、客席からすすり泣きをする声が聞こえてくる・・・

     遠く離れた故郷の面影を目の前に降っている紙の雪に照らし合わせて泣いているのです。


     この場面が、私にとって一番心に残る場面です。

     小林よしのりさんの『戦争論』で、この本のタイトルの付いた章があります。

     それを読むとイメージがつかめやすいと思います。


     で、著者の加東大介さんは、俳優の津川雅彦さん、長門裕之さん兄弟の親戚で、本の中にもお二方と触れ合っているシーンが書かれていますよ。



     ちなみに、私が持っているのは、ちくま文庫版です。

  • 舞台は昭和18(1943)年~昭和20(1945)年、大東亜戦争の時期です。

     著者の加東さんは、陸軍衛生兵として、ニューギニア戦線に赴き、当時有名な歌舞伎役者だった特性を活かし、兵隊を慰めるために、現地で個性派ぞろいの劇団を作ります。

     ある日、雪の降る芝居を演じることになり、紙を細かく切った雪を降らして、芝居を続けていると、客席からすすり泣きをする声が聞こえてくる・・・
     遠く離れた故郷の面影を目の前に降っている紙の雪に照らし合わせて泣いているのです。

     この場面が、私にとって一番心に残る場面です。

     小林よしのりさんの『戦争論』で、この本のタイトルの付いた章があります。 それを読むとイメージがつかめやすいと思います。

     著者の加東大介さんは、俳優の津川雅彦さん、長門裕之さん兄弟の親戚で、本の中にもお二方と触れ合っているシーンが書かれています。

    (東京都在住 50代 男性)

  • これも、ずいぶん昔に読んだものです。
    なにせ、旺文社文庫で持っていて、もうボロボロです。

    ノンフィクションです。 ホンモノです!
    実在した(する)人物もたくさん出てきます。

    もう、とにかく読んでみてくれというほかはありません。

    これは、ただの戦記ものではありませんよ!!
    特に、演劇が好きな方には、お勧めします。
    今でも、時折手に取り、ページを開きますが、
    読みだすと止まりません。毎度、涙と笑いと、、、
    祈りに近い思いに、心が揺さぶられます。

    秀逸です!

  • 戦争中の南の島で、役者が劇団を立ち上げ上演する話。淡々とかいているが、つらいところで演劇が一服の清涼剤だったことがよくわかる。

  • SMAPの草薙くんの舞台「瞼の母」の記事を読んで、
    真っ先に思いだした本。

    「瞼の母」を観て、
    亡くなっていった人たちがいるって、
    たくさんの人に知ってもらいたい。

    ユーモラスな語り口調で、笑いもあって、
    背景にある戦争との明暗のコントラストが際立つ。

    加東さんが主演した同名の映画も観たけど、
    小説の方が「暗」である戦争の部分が
    より分かりやすかった。


  • 南国の戦地で観る者と自らに笑顔と希望を与えた劇団の話。

  • 私の祖父も、南の島で戦死したという。 物語の中で、舞台に舞い降りる作り物の雪を見て泣いた兵隊の中に、祖父を見いだすことができる。故郷を思い、家族を思いつつ、多くの方が遠い南の島に眠っていることを、私は覚えていたい。

  • この本を戦争文学の枠の中に閉じこめるなかれ。立派な「芸談」の本だ。

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