人魚の眠る家

著者 :
  • 幻冬舎
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感想 : 743
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344028500

感想・レビュー・書評

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  • 脳死や、臓器提供・移植について、とても考えさせられました。
    もし我が子が同じ状況になったら…と考えてみたけど、想像もつかない…。
    きっと、どの道を選んでも正解なんてないのかな…って…。
    とても心に残る1冊です。

  • そうきたか!
    薫子の頭の良さにぞっとする一面あり。最後に救いもあり。
    色々な考えがあって矛盾してたり相容れない立場の意見なのにもかかわらずそれぞれの言葉に共感納得させられる。
    本当、「人の生き方は論理的でなくてもいい」と思う。
    何が正しいとか考えるのはナンセンスで人それぞれ個別の正解があって系統立てて説明できなくても単に気持ち悪いとか感情で判断してもいい、今の世の中は何かひとつの答を求めてそれから外れた考えの人を排除する方向に進んでいるような気がしてならない。


    とりあえず意思表示カードを書こう。

  • 娘の小学校受験が終わったら離婚する。 そう約束した仮面夫婦の和昌と薫子。
    彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。
    娘の瑞穂がプールで溺れた。
    病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。 そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。

    脳死や臓器提供などをテーマとして扱った作品。だけど医療的な硬質さだけではなくて、人の愛情など情緒に訴えかけるものもある。
    人はどのような状態に陥ったとき、死んだと言えるのか。心臓が止まったときなのか、それとも脳が機能を停止させたときなのか。
    考えれば考えるほど迷ってしまうようなことがテーマで、答えをはっきり出すことは難しい。
    自分には無関係の誰かの話ならば客観的に答えを出せるかも知れないけれど、自分の身近な家族である場合は、尚のこと難しい。

    幼い娘が水の事故によって脳死状態になってしまった1組の夫婦。医師から臓器提供について訊ねられ1度は答えを出したものの、眠っている娘の手が微かに動いた気がしたことからその先の道を変えることになる。
    とくに母の薫子は必死に娘との生活を守ろうとする。介護についてを学習して覚え、実母にも協力を仰ぐ。
    元々不仲になっていた夫の和昌とも離婚するのをとりやめる。
    そして機械の力を借りて娘を“生”に近いところまで持って行こうとする姿は奇異にも写るけれど、子どもを持つ親であればきっと、みんなが薫子のような感情を持つのだろうと思う。
    深い愛情は狂気にも見える。だけどその立場になってみないと実感できないこともたくさんあるのだと思う。

    現実でもしばしば、病気によって臓器提供を待つ幼い子どものことが話題になるけれど、高額のお金をかけてまで海外に行くことを希望したり、その支援者たちが募金をつのる理由がこの小説を読んでよく分かった。
    国内で実現するのなら、みんなそうしたいのは当たり前で、それが簡単には出来ないから、海外にその希望を繋ぐのだということ。

    自分の家族が「脳死のような」状態になったら、果たして自分はどうするだろうと考えた。自分自身の身体なら臓器提供をして死ぬ道を選ぶだろうけど、それが愛する人のことになると簡単には決断できない。
    僅かでも希望があるのならそれに賭けたいと願うのは自然なことだ。それが臓器提供を待つ人の命を縮めることになるのだと責められても、すぐに頷くことはできないと思う。

    どのようにして物語は決着するのだろうと思いながら読んだけれど、現実と幻想が入り混じっていて、切ないながらも良い終わり方だと感じた。
    プロローグとエピローグが綺麗に繋がっているところも良かった。

  • 正直に言えば、今まで読んだ作品のように面白いものではありませんでした
    しかし、作者がこのテーマを選んだことはよく理解できます

    現在、日本における死の定義と、移植医療における判定基準のうむ矛盾、それによって生み出される脳死を受け入れる親の苦しみと、国内で移植を受けられない親の苦しみ

    個人的には脳死は人の死として受け入れられるべきであろうと思います、しかし日本の法律では未だに決着をつけられないでいるというのです

    脳科学での解明が進めば、今よりはっきりとした線引きができるようになるのでしょうが、脳死に対する認識の国民的な議論が随時行われなければならないことを作者は主張したいのではないでしょうか

    心臓死よりむしろ脳死の方が人にとっては重要な死といえるのではないかとも思えます
    極端な例では、機械の身体で人の脳もつ個体は生きた人なのか、逆に人の身体をAIによって操る個体は生きた人と言えるのかと問われれば、前者は人であるが後者は違うように思えます

    医学が進めば脳の機能の一部を器械で補完することも可能になるかもしれません
    そうすればますます脳死の判断基準、その境界線は難しいものとなっていくようにも思います

    などと、いろんな事を考えさせてくれる作品でした

  • みんなが善人でお金持ちで 全てが都合よく..娘の死を受け入れる理由はあまりにも陳腐で使い古されてて びっくりした。一体 この本で何を伝えたかったのだろう。母としての狂気?家族の絆?それなら物足りなさ過ぎるしこれで脳死、延命処置、臓器移植についての問題提起をしようというのなら それも中途半端。東野さんの本はあらすじなどで面白そうと思って読むと内容が薄く ああ これ誰か他の人が書いてみて欲しいなぁと思わされる事が多くてせつない。なんだか本当に読後 残念な気分になってしまった。

  • 久々の東野作品。
    やってくれるなぁ。
    正直言うと、あまり自ら進んで読みたいと思う作家さんではないのですが。

    脳死、臓器提供に纏わる話。

    もし自分の大切な人が限りなく脳死に近い状態となったら、どうするか。
    主人なら、娘なら、と悶々と考え込んでしまいました。
    考えたってわからないよなー。
    答えなんて出せないと思う。

    保険証の裏にも臓器提供をするか否かの選択をする欄がありますね。
    私は悩みに悩んで、まだ選べていないんです。
    いつも手が止まってしまう。

    だけど、家族を苦しめないためにも選ばなければな。

    『この世には狂ってでも守らなければいけないもよがある。子供のために狂えるのは母親だけ。』

    この言葉にグサっとやられました。

  • 人は呼吸が出来なくなれば簡単に死んでしまうんたなと怖さも感じた。親の母親の強い愛情も感じることが出来る作品で引き込まれました。

  • 人の死ってなんだろうって考えた。自分は脳が死んだらそれは死だと思う。

  • 脳死についての小説だが、それだけではなく「救い」を見出す話でもあるのかと考えた。
    脳死状態になった娘の意識を何とか回復させようとする夫婦の努力と、その顛末とは。
    彼らが「道」を見出す事に心を揺さぶられたし、過程がテンポ良く進んでおり目が離せなかった。

  • 脳死や臓器提供に対して深く考えさせられるお話であった。彼らの判断が正しいものだったのか、はたまた、間違っていたのかは正直分からない、それは当事者になってみないと考えることはできないのだと思う。しかし、日本の脳死判定を行う基準に対しては見直すべきところがあるのではないかと思った。

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著者プロフィール

1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社文庫)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文春文庫)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者χの献身』(文春文庫)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川書店)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP研究所)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』で第48回吉川英治文学賞を受賞。

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