沈黙入門 (幻冬舎文庫 こ 32-1)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344415201

感想・レビュー・書評

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  • 自分濃度を薄くするという大切さがよくわかる。
    テレビで小池龍之介さんを見た時の印象が、そういう感じだった。
    こういう人は心地よくて好きです。
    この本は具体例があり、腑に落ちるし納得できる。

  • 仏教に基づいてはいるが、欲望やイライラから解放されたいときに単行本を読んだことがあったので自分への戒めになった。今、文庫本を読むとまた復習となって良かった。

  • どれもこれも身につまされる話。
    じゃあ、何を話せばいいの・・・?と思ってしまいそうになるのを、
    「雄弁は銀、沈黙は金」と、沈黙も適度に話すことも難しいけど両方大切と説いてあって、沈黙だけを正当化して逃げこむのもよくないともあって納得。

    わかっちゃいるけど・・・をあらためて説いてあり、
    沈黙が苦手、できないと感じたときに自戒として読むのに適する一冊。

    「自分濃度を薄めていく」
    「天皇陛下のようにゆっくりしゃべる」
    「絶望先生に習って、日頃から"批難訓練"をしておこう」
    「瞑想=意識に集中する」

    ・・・実践したいです。

  • 始めから期待しないでちょっぴり幻滅しておく生き方のすすめ。

  • やはりお坊さんのお話と仏教は興味深いです。ドライに客観的に感覚を見つめ続け、深い欲望を消すことができたら、イライラや食欲やストレスが軽減して、よく眠り少し食べてリラックスして、顔の小皺は消えてハダツヤよくなって細くなって、綺麗になれるはずです。よしっ!実践なり。

  • 小池さんの処女作のようです。
    「自分濃度を薄める」「意見あるところに欲有り」「謝罪インフレを止める」など納得するところが多いです。

    仏陀が亡くなる前に「自灯明法灯明」と言ったというのは興味深いです。
    これは「己自身を灯りとして、法を頼りとしていきなさい」ということですが、
    教祖にすがったり神を盲目的に崇拝するのではなく、あくまで己自身と法(仏陀が発見した心の因果法則と修行法)を頼りに生きていきなさい、という意味だそうで。

  • 腑に落ちる箇所がたくさんありました。

    以下、備忘録として。

    ・ケチをつけたくなる、という心理を分析してみると「これにケチをつけられる私のセンスは、すぐれているヨ」という裏メッセージを含んでおり、ケチをつける対象よりも自分を優位に見せたい、という欲望と結びついています。

    ・その場にいる相手がつまらない話や聞きたくない話をし始めたら、上手に話の腰を折ってあげることが大切です。

    ・仏道では、自分の意見・考え・見解に執着する心のエネルギーを「見(けん)」と名付け、不全な心のひとつに数えます。

    ・「愚痴」という言葉はもともと仏道の用語です。
     「愚」と「痴」どちらもアホタレという意味なので、二つ並べばどうしようもない阿呆、迷いの中でクルクル回り、というのが本来の意味です。

    ・正論というのは、大多数の人間が納得し、少なくとも理屈の上では受け入れられるものです。ということは、正論とは、それを言っている本人独自の考えではないことが明らかです。ゆえに得意そうに語ってしまうと、かなり間抜けな印象を与え、場を強烈にシラケさせてしまうことになるのです。

    ・口にして良い言葉の条件は、自分に害を与えないこと、他者に害を与えないこと、両者を含めた生きとし生けるものに害を与えないこと、の三つ。

    ・他人の服装についてぶつぶつ悪口を言うのも、評論家や学者が他人や社会を批判するのも、仏道の立場からすると変わりません。結局は怒りのエネルギーに駆り立てられての行為なのです。

    ・批判の裏には自慢が隠れている。
     =自分のダメさ加減から目をそらして「ダメなのは他人、社会、世界のほうだ」と思い込みたいからです。他を批判している間は、自分のダメさを忘れられる上に、「こんな批判できちゃっているオレ/ワタシはすごく立派だよね」という印象を醸し出しているつもりになれます。

    ・批判にしろ、悪口にしろ、つまるところ何かを「否定」することには、怪しげな魔力があるのかもしれません。すなわち『否定」とは、「私ってステキでしょ!こんな私をみて」という呪文。「あいつはダメだ。」と否定すると、その「あいつ」と比べて自分がとても素晴らしい人間になったかのような魔法がかかります。

    ・「正しいこと」は、他者を攻撃するためや、自己の欲のために使われる瞬間に、もはや正しくもなんともない、猥褻なものに転落します。

    ・自分の「正しさ」を相手にも植え付け、相手を整形してしまおうという欲望。自分の「正しさ」の領土を拡大しようという欲望と瞋恚(イヤイヤ)の攻撃性。そのような欲望は、命令めいた圧力を持っていて、よくない雰囲気を醸し出します。

    ・「相手に変わって欲しい」と思うのは欲と怒りの心なので、その雰囲気=波動をぶつけることで、相手はよけい頑なになって変わらなくなります。

  • 勉強になる

  • 「己」という部屋に、どんな家具が必要で、どんな家具が不要かを、深いところから考え直してしつらえ直す。そのお手伝いをすることが僧侶の仕事です。さしずめ、精神的インテリア・デザイナー。/仏道の視点から見れば、人があれこれとクルクル考えたがるのは、「今、ここ」に集中するのが嫌で落ち着きなく動き回りたい、動き回って貪欲や瞋恚や愚痴の業を増やしたい、という心の習性の奴隷になっているからです。すなわちエネルギーの浪費、無駄な情報処理。何も考えない空白の時間こそ、人にとっては大切な栄養素です。「念」による自覚力と、「定」による集中力を武器にして無駄な思考を削ぎ落し、ひとつひとつのことを丁寧誠実に、かつ美的意識をもって、仕上げてまいりましょう。p.103/一遍上人「六道輪廻の間には ともなふ人もなかりけり 独り生まれて独り死す 生死の道こそかなしけれ」(『百利口語』)p.130/私が申します「どうでもいいや」は、投げやりに思うことではなく、「どうなっても最終的には受け入れられるよ」という潔く軽やかな心持ちのことです。それが結果としては、互いの関係を大切にすることになり、ひいては相手に対する優しさにもつながるのです。p.138/三章、自分を高める心のお稽古、でとりあげられる、負の感情を味わいつくすことで、浄化する、というのは、書くは容易く、実行するは容易ではないのだろうな、と思った。そう心がけて、積み上げていくしかないのだろうけど。

  • 何にもケチをつけずに一日を過ごしてみる。
    天皇陛下のようにスローに・・・

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著者プロフィール

1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照(のちに空朴に改名)。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行う。執筆活動も手がけ、『考えない練習』(小学館文庫)、『しない生活』(幻冬舎新書)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、多くの著作を持つ。2018年9月に月読寺を引き払い、路上生活者に。11月には修行の旅に出る(現在は音信不通)。

「2019年 『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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