僧医として生きる

著者 :
  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393136409

感想・レビュー・書評

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  • 対本 宗訓さんの「禅僧が医師をめざす理由」のその後、無事医学生になってからのお話。
    禅僧と言う事で特に講演内容では仏教的用語も多く、決して読みやすくはなかったけれど、実際の医学生としての勉強内容はめったに知り得ないことも多く、とても興味を持って読めました。頼りなさげな研修医さんたちに対しても、これほどの勉強を積んできた人達なのかと、敬意を持ち直しました。
    個人的には「献体」と言うことについて全く考えたことがなっかったので、人間が出来る最高のお布施と言う感覚にとても共感しました。

  • 僧であり、医者である――というか立場としての僧を辞して医者になった人のエッセイ。
    さりげなく当たり前のこととして淡々と語られるけど、実はすごいことしてるよな。

    宗教の存在感がすっかり薄くなって、葬式仏教なんていわれる自分たちの現在をかえりみて、昔のような(今は心理やいろいろの専門家に期待されるような)役割をもう一度自分たちが担うべきではないかと筆者は言う。
    で、頼ってくれではなく頼れる存在になるにはどうすればいいんだろうかと考える。
    その辺に好感。

  • 身体を診る医師と心を説く僧侶。その二つの立場をあわせたところに、「僧医」という存在がある。
    「僧医」とは筆者の造語かと思っていたが、日本史の書物に登場するように、昔から存在したようだ。
    僧侶も医者もそれぞれプロフェッショナルな仕事だが、専門化がすすむとその領域にはカテゴライズされない問題が生まれ、誰も手を着けられないという状態となる。終末期医療の問題はまさにその一つであり、筆者はそれに対して真摯に向き合うために、僧侶と医者の二つの立場を併せ持った「僧医」を目指そうとしている。
    ところどころ仏教用語が解説なく使われているため分かりにくい箇所もあったが、自分なりのアプローチで問題を解決しようとする真摯さ、専門領域を飛び越えようとする勇気に心を打たれた。

  • 講演を伺いました。

    表情は柔和だけれど深い思索者といった趣の方でした。

    しかし、一宗派のトップの座を投げ打ち、40歳を過ぎてから医学生になるなんて
    並大抵ではないことの実践者でもある。

    生きるとは、命とは・・。対本さんの思索と実践に、
    生半可な言葉は恥ずかしい。

    尊敬しています。


    HPもお忙しいので更新はまれだけれど、チェックしてます。

    今後の活動(生き方)を見続けていきたい方です。

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著者プロフィール

1954年、愛媛県に生まれる。1979年、京都大学文学部哲学科卒業。京都嵯峨天龍僧堂にて修行。天龍寺派前管長平田精耕老師に嗣法。室号は岫雲軒。臨済宗師家として国内外で禅の指導につとめる。2006年、帝京大学医学部卒業。2010年より英国にて臨床研究。2014年、帰国し僧医として活動中。著書に、『禅僧が医師をめざす理由』『僧医として生きる』(春秋社)『祈る力――人が生み出す〈癒し〉のエネルギー』(角川新書)、共著に『闘う仏教――現代宗教論』(春秋社)ほか。

「2016年 『霊性の医療をひらく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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