時間の終焉: J・クリシュナムルティ&デヴィッド・ボ-ム対話集

  • コスモス・ライブラリー
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  • Amazon.co.jp ・本 (506ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784434153952

感想・レビュー・書評

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  • おはようございます。
    午前2時前からの朝活で、ようやく読破しましたので書評を書いてみます。

    といっても、本書の内容に関しては非常に前提知識如何で解釈が異なるので、何か突っ込むことはできません。
    内容の紹介・感想にとどめます。

    本書は、広島に投下された原子爆弾の原理を確立し、アインシュタインとも共同研究を行っていた物理学者のデヴィッド・ボームと、南インド出身の孤高の知識人クリシュナムルティが、1980年に行った対話集です。

    「時間の終焉」というタイトル通り、人類が辿ってきた区別や分裂、葛藤や闘争、破壊の歴史は、そもそもどこかで人類は進路を間違えてしまっており、その一つの原因が「時間」の認識を創ってしまったこと、またそれによって人がよりよい何かに「なる」「なりたい」という発想の根拠を与えてしまったことにある、と説いてます。

    そしてそこから派生して、人間の性質・個人と社会の関係・思考・死・洞察力・宇宙秩序に対して全く新しい解釈を進めていきます。

    その中心となっている問題意識は、世界が「共生」していける可能性はあるのか、自己中心的な活動パターンを打破することはできるのか、できるとして、それを広めていくことはできるのか、ということで、まさにグローバル化があらゆる議論に影響を与えている現在に不可欠な示唆を与えてくれていると思います。


    直近で特筆すべきと思うのは、ボームがこういった研究の果てに世に出した概念の「ダイアローグ(対話)」が、原理的にはいくつかのチャネルで引き継がれ(たように見え)、違う名前ではあるが徐々に影響力を増している(ように見える。自分には)ことです。

    例えばベストセラー「最強組織の法則」「出現する未来」で知られるピーター・センゲは、その著書の中で対話の有効性を高く評価しているし、共著者のジョセフ・ジャウォースキーは、別の主著「シンクロニシティ」にも書いている通り、その研究中で実際にボームに会い、重要な示唆を得たシーンを事細かに記述している。センゲとの関係も、ジャウォースキーがボームに影響を受けてスタートさせたリーダーシップグループに参加して以来のことでした。


    本書は「どうすれば~になれるか(至れるか)」という発想自体を否定することを主張しているため、読んだからといって何かのセオリーが得られるものではありません。
    ですが、この発想にまでは至っておかなければこれから先始らない、という気にさせてくれます。
    とても頭の良い、本当に人類の行く末を案じた2人だから
    こそ進められる議論を楽しみましょう。

    ボームとクリシュナムルティはこう説いています。
    『人々は、日常生活の中で彼らに実際に影響を与えるものこそが、本当に必要なものなのだと感じているのです。彼らは、「こういった退屈な一般論にはまったく関心がありません」と言うのです。
    私たちが話しあっていることは日常生活で間違いなく役立つのに対して、日常生活の中にいるかぎり、その多くの問題を解決することはできないのです。

    問題を解決するためには、個別的なものから一般的なものへと移行する必要があるのです。』

  •  過去も未来もなく今しかない。物理学者と仏教の識者が達した結論について述べた本である。
     物理学では「時間はない」は科学的にゆるぎのない事実として認められている。実は仏教でもそれは同じことだという。
     本書を読んでいるとあらゆる事が再定義されていく。時間、宇宙、瞑想、慈悲。どのように語られているのかは本書の言葉から受け取ってほしい。
     本書は一見禅問答の様にみえる。あっちにいき、こっちにいき。堂々巡り。つまるところ、私達が使っている言語では表現するのが難しい。ひところでは言い表せない。そこに真実があるということなのか。
     本書の中でも述べられているが、知識を貯めるのではなく捨てることが大事。本書を読み進めるにも、これまでの知識が邪魔になるのは間違いない。そういう気持ちで読むことをおすすめする。

  • 仕事でもプライベートでも、人と話をしていて、
    どこかかみ合わない、対立している、と感じることがある。
    大抵の場合、無理やり論点を戻そうとしたり、
    どちらかの論理の矛盾を突こうとしたり、
    逆に対立を避けてあいまいな妥協をしたりして、
    対立しても妥協しても、結構なストレスである。

    しかもその結果、表面上は合意しても協力が得られない、とか
    中途半端な結論のため途中でやり直し、ということになり、
    それまでの話し合いの労力は無駄になってしまう。

    MITでまとめられた「ラーニング・オーガニゼーション」、
    そこで使われるコミュニケーション手法「ダイアログ」は、
    上記のような無意味な話し合いではなく、
    調和、洞察、コミットメント、協力を生み出す対話の手法である。

    この本は、そのダイアログの手法を生み出したデビッド・ボーム博士と、
    インドの思想家のクリシュナムルティの対話である。
    対話の内容は、人は思考それ自体の性質のために、
    考えれば考えるほど誤った方向に進んでいる。
    これらを捨てて、無、空をさらに越えるには・・・というもので、
    とても言葉では説明できない内容である。

    言葉にできない、言葉にした時点で誤りとなるような内容だからこそ、
    通常の論理的議論では扱えず、新たな対話の手法が生まれたのだろう。

    ダイアログの理論面については、ボーム博士の著書「ダイアローグ」で
    知ることができるが、本人の実践を読むことは、知ることから分かることに
    変わるための貴重な体験になると思う。

  • クリシュナムルティにはずっと関心がなかったが、たまたまあるきっかけがあって興味を持った。
    一読してなるほどと思ったが、彼の言うことをどのように実践していいのかまったくわからない。いや、クリシュナムルティはそれを語っているのだが、あまりにも漠然としていてひとりで実践するのは不可能だと思われるのである。クリシュナムルティの言う瞑想に近いものが禅であると分かってからは禅に興味をもつようになった。
    クリシュナムルティはこの一冊を読めば必要十分なんじゃないかと思っている。これ以上のことを語ることはできないと思うし、ここまで語ってしまったら、あとは別の視点から同じことを語るしかないのではないかと思うので。つまり、この本に触発されて、彼の他の本も読んでみようと言う気にはならなかったということなのだ。
    でもつまらなかったというわけでもない。むしろ衝撃を受けたと言っていいだろう。あとは実践するのみであると思う次第。

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著者プロフィール

1895年、南インドに生まれる。神智学協会において来るべき世界教師としての教育を受け、〈星の教団〉の指導者となるが、1929年、「真理は組織化しえない。私の関心はただひとつ、それは人々を、完全に、かつ無条件に自由たらしめることである」として、同教団を解散。以降、あらゆる権威や組織によらず、独力で真理を探究することの重要性を説き、一自由人としてさまざまな講話や対話を行いながら世界各地を巡った。その一貫した懐疑の精神と透徹した語りは、幅広い聴衆に深い影響を与えてきた。オルダス・ハクスレーやデヴィッド・ボームをはじめ、交流を深めた知識人も多い。1986年、カリフォルニア州にて逝去。

「2021年 『〈生のアーティスト〉クリシュナムルティの言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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