ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (ドラッカー名著集 9)

  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478001202

感想・レビュー・書評

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  • 邦題、『「経済人」の終わり』は、原題 ”The End of Economic Man” の直訳。
    「経済人」とは、人間を「自らの経済的利益に従って行動するもの」とする、アダム・スミスに由来する規定。
    資本主義も社会主義も、人間の本性をそのように捉えた上に成り立っており、ここでいう「経済人」の終わりとは、資本主義及び社会主義の破綻を意味している。
    本書が世に出たのは1939年4月。ドラッカー29歳の処女作で、ドイツのポーランド侵攻(同年9月)の直前、まさに第二次大戦前夜に出版された。
    この時代、急速に勢力を伸ばしてきたファシズムを分析し、いち早く自由主義の立場から反論を投げかけている。

    なぜ大衆がファシズムを受け入れたのかという社会背景を探っていく中で、まず資本主義とそれを克服すべく現れた社会主義が、立ち行かなくなった理由を分析する。
    「ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の信条と秩序は、いずれも個人による経済的自由を実現すれば自由と平等が自動的にもたらされるという目論みが誤っていたために失敗した。(P.43)」
    資本主義は1929年の大恐慌もあり、失業などの深刻な問題を解決できずにいた。またマルクス主義も階級のない社会を実現できず、理論的にも破綻していた。

    そんな閉塞した状況のなか、ファシズム全体主義はそれらに替わるものとして登場した。
    経済政策の上では、脱経済至上主義社会。まがいなりにも完全雇用を目指し、軍国主義のための軍事的自足を図る。そのめたに軍拡を続け、それゆえ次々と敵を作り上げた。
    また、社会政策では、組織を自己目的化することによって、社会の維持を図ろうとした。こちらも、ブルジョア資本主義と自由主義という敵を設定し、その象徴としてユダヤ人を迫害した。

    今から考えると、大衆はなぜこのようなファシズムを選択したのか理解に苦しむが、それほど経済的、社会的な困窮が激しく、先の見えない状況に陥っていた。
    結果的には、ファシズム全体主義側の敗北で終わったが、「経済人」に替わる人間観、価値観はいまだないままで、ファシズムに突き進んだ根本原因は未解決のままである。

    「経済人」の社会が崩壊したあとに現れる新しい社会の条件は、経済的な平等が実現され、社会の中心には別の価値観が据えられなければならない。
    本書が出版されてから70年余り、まだまだ「経済人」が中心の社会から変わっていないことを実感する。

  • 1939年において全体主義を論じたドラッカーの処女作。当時のコンテキストに関して正確な知識がないのが残念なのですが、それでもある種の説得力に満ち溢れています。

    第二次世界大戦本格化直前における過去と未来の分析を、ヒトラーやスターリンなどの個人の資質に依存せず、政治システム/経済システムから欧州情勢を分析しているところが、この本の特性なのでしょう。

    本書刊行直後に現実となった、独ソの接近(不可侵条約締結等)を予測したことで有名です。
    「あらゆる観点から、独ソ同盟はほとんど不可避のことに思われる。...この同盟は必ず結ばれる。おそらく来年、1940年には結ばれる。...両国が急速に接近していくことは間違いない。」
    後に首相となる前のチャーチルでさえ、書評で激賞しながらも、独ソ関係の部分には「若干自らの論理にとらわれている」部分だと指摘するほど可能性の低いシナリオであったということからみても、突出した分析力の証に思えます。

    他にも、今となれば当然のようにも思われますが、マルクス主義社会への容赦ない否定も特筆されるべきです。
    またナチズムにおけるユダヤ人の「最終解決」に限界がないことも正しく指摘されています。

    面白いか面白くないかは、この時代の欧州に対する興味の有無によるかと思いますが、少なくとも当時29歳にしてすごいな、ということは感じ取れるはずです。

  •  ドラッカー教授、29歳のときの著作。マネジメントで有名な教授の処女作は、意外にも政治、それもファシズム全体主義についての本です。しかし、この著作からは後年重要なキーワードが述べられています。以下、気になった箇所。

    p55『一人ひとりの人間が位置と役割をもつ秩序が崩壊したことによって、当然、合理の秩序だったはずのこれまでの価値の秩序が無効になった。』
     後のドラッカー教授の重大な視点の一つになる「位置と役割」が、ここで出てくるとは意外でした。

    p132『農民が「民族の背骨」であるならば、労働者は「民族の精神」である。経済的地位などとは関係なく、いつでも自らを犠牲にする用意があり、自己規律に富み、禁欲的にして強靭な精神をもつ「英雄人」なる理想的人間像である』
     「経済人」の社会が崩壊したのち、ファシズム全体主義が模索したのが「英雄人」だった。本書自体は深く書いていないものの、この「英雄人」こそ、ファシズム全体主義が「位置と役割」をドイツ国民に提示できたキーワードと言えます。

    p195『ナチズムにとって、人種的反ユダヤ主義は手段にすぎない。本当の敵はユダヤ人そのものではない。ブルジョア秩序である。ナチズムは、ブルジョア秩序にユダヤ人の名を付して闘う。ナチズム反ユダヤ主義は、ブルジョア階級の秩序や人間観に代えるべき肯定の概念を構築できなかったことに起因する。階級闘争に走るわけにはいかないナチズムとしては、別の観点からブルジョア資本主義と自由主義を攻撃せざるをえない。悪魔の化身を発見したからには、その論理的、力学的帰結として、さらには、そもそもの目的からして、それら悪魔の化身との闘いには容赦なきことが求められる。』
     ドラッカー教授がどこまで予想していたかは明確ではありませんが、本書刊行後に更に激化するユダヤ人迫害、虐殺を予期させる文章です。

    p203『つまるところ、組織そのものが自らを正当化する社会的秩序であるとしなければならない。社会組織の外殻はあらゆる社会実体に勝る。容器としての形態こそ最高の社会的実体である。こうして組織が信条そのものとなる。』
     後年、ドラッカー教授は「組織は目的ではなく手段である。」と述べていますが、この考察が念頭にあるのかもしれません。

    p227『現実には、独ソ戦が希望的観測以上のものだったことは一度もない。しかし、現在の状況が続くならば、西ヨーロッパ諸国に対抗するために両国は同盟を結ぶと考えられる。』
     チャーチルでさえ見誤った独ソ不可侵条約締結を的確に見定めていたのは驚きです。

     ドラッカー教授のその後の思想を予感させる名著です。

  • "ドラッカーの処女作。

    経営の話しでなくて、全体主義が、社会的、経済的、政治的になぜ出てきたかという話しと、今後の見通しとして、ナチスはソ連と手を結ぶだろうと、だれもが電撃的な不可侵条約に驚く前に、それがほとんど必然であることの予言。

    1939年、ドラッカー29才のときの作品ということだが、この分析の重厚さ、鋭さ、先を見通す力はとんでもないものがある。それだけでも驚きなのだが、これは1933年、ナチスが政権をとったとき、つまり23才から書き始められたということ。

    ドラッカーって、そこまで好きではないので、こういう戦前の作品は、マニアが読むものだと思っていた。ところが、これはドラッカーが書いたということを外して、全体主義の分析として古典のレベルとなっている。

    ドラッカーのスタートがここにあるのかと思うと、ちょっとドラッカーの読み方が変るかもですね。

    ほんとすごいよ。

  • 産業社会を経て 第2次大戦後の社会・経済を紐解いている作品

  • 【書評】
     自由と平等を達成し、大衆の福祉を向上するために経済的満足を最優先に希求するという社会的教義—経済至上主義たる「経済人」の秩序。それは「魔物」を退治出来なかったがゆえに大衆の支持を失った。ファシズムはそのような「経済人」秩序に引導を渡すことに成功した。脱経済至上主義を目指し、新しい人間観として組織に至高の価値置く「英雄人」を打ち出した。大衆は絶望から理性を放棄し、「不可能を可能にする奇跡」をファシズムに期待した。ファシズム全体主義に不満であるがゆえにそれを支持する宗教的信仰をみせた。しかし、ファシズム全体主義の提示した、人間の犠牲を正当化する概念は社会と相容れず、自己矛盾を抱えた観念であった。
     この矛盾、旧秩序への否定がファシズム全体主義の本質であった。ファシズムは矛盾を隠し自らを合理化するべく、「目に見える魔物」をつくり出した。ファシズムにとってのこの魔物は「和解不能の敵」である。そしてこの「敵」こそが西欧のブルジョア資本主義である。
     ドラッカーは、「なぜ民主主義勢力は自らの信条全てを脅かす脅威を抑制出来ないのか?」と問い、肯定的信条に基づく新しい秩序を作るため、ファシズム全体主義を正しく認識することが不可欠であるという。ファシズム全体主義への見立てを通じ、ドラッカーが本書で提示するものは、西欧の歴史が、いかに自由と平等を叶える秩序への動的な願望によって動かされ、いかに人間が社会における自らの役割を求めるかである。
     ドラッガーがじかに見聞きしたファシズム全体主義を理解することは、彼の思想の原点を理解する王道である。ドラッカー29歳のときの衝撃のデビュー作。

    【コメント】
     ドラッカーはブルジョア資本主義とマルクス社会主義が信奉した「経済人」秩序—個人の経済的自由を自由と平等を達成するために最優先する経済至上主義—の崩壊とそれに変わる秩序の不在との虚を衝いて、ファシズム全体主義が断ち現れたと喝破する。そしてファシズムは、矛盾や否定に立脚するため、大衆には夢を見させる程度のことしか提供出来ず、本質的には脆弱性を有していると考えている。むしろ、ファシズムがヨーロッパの信条を脅かすにも関わらず、正しくそれを認識出来ていないことがヨーロッパの民主主義を弱め、ファシズムの提供する虚構を真実だとみなす風潮をつくり出すという認識を軸に本書は書かれている。
     なぜファシズム全体主義が生まれたのかいついて理解することがドラッカーの世界観をみるのに一番都合がいいのではないか。ドラッカーはファシズム全体主義の登場を西洋文明の文脈で捉え、「西洋の歴史に特有の動的な性格」(p223)が生んだとしている。つまりヨーロッパには、人間本性における、ある領域—精神、知識、政治、経済など—を社会の中心として位置づける秩序が常に存在し、その領域を通して自由と平等を追及して来たという歴史的プロセスがある。このダイナミックなプロセスは「動的な性格」であり、ヨーロッパの大衆が新しい秩序が不在である、静的な現状に耐えられなかったがためにファシズムに向かったと捉える点は、筆者特有の理解である非常に面白い。
     本書では、1995年版のまえがきで述べられているように、社会を分析するために、政治や経済でない第三の方法を採用している。すなわち「社会における緊張、圧力、潮流、転換、変動の分析」をとおして「特異な動物たる人間の環境として社会」を分析するアプローチである。マックスウェーバーに準じているように、読者には非常に説得力があった。

  • ドラッカーの世界観の原点。今の時代だからこそ読むべき!

  • 読書の目的
    ①ドラッカー思想の原点を知る。
    ②この著書で行った未来予測(「ナチスはユダヤ人を迫害する」、「ヒトラーはスターリンと条約を結ぶ」)の手法を学ぶ。

    言わずと知れたドラッカーの処女作。
    ドラッカーは、序文の中で本作を「20世紀前半における最大の社会現象としての全体主義の興隆を理解するための最初の試み」としています。

    ・「経済人」とは何か。
    自らの経済的動機(経済的地位、報酬、権利)に従って行動し、そのための方法を知っているという概念上の人間。自由な経済活動をあらゆる目的の手段として見るブルジョア資本主義社会とマルクス社会主義社会の基盤となるもの。

    ・何故、全体主義は発生したか。
    ヨーロッパの基本的価値観は、正統な権力の下で人間を自由と平等の存在と見ることだった。

    18世紀後半の産業革命以降、ブルジョア資本主義は経済発展をもたらしたが、格差と疎外を生んだ。
    これに対する秩序として期待されたマルクス社会主義も、特権階級による大衆支配を生んだ。ブルジョア資本主義とマルクス社会主義は激しく争いながらも、その本質は「経済人」の概念を基礎とする「経済至上主義」であり、ヨーロッパの価値観である自由と平等をもたらさなかった。そして「経済至上主義」に代わる秩序が現れない中、第一次世界大戦による破壊と大恐慌による大量失業が発生し、旧秩序は完全に崩れ去った。

    国家社会主義という名の全体主義は、このような状況下で発生した。その本質は「経済至上主義」を否定した「脱」経済至上主義である。当時、経済至上主義に代わる概念は、この国家社会主義という名の全体主義だけであった。イギリスやフランス等、歴史的に国民が自らの手で民主主義を勝ち取った国々は、全体主義に進むことを踏み止まった。しかし、民主主義を国家統一の手段としていた国、つまりドイツとイタリアが耐え切れずに全体主義に走った。日本も同様であった。

    ・新たな社会秩序の出現
     国家社会主義という名の全体主義は、あくまで「脱」経済至上主義である。これは“「経済至上主義」ではない”と言っているに過ぎない。ヨーロッパ伝統である自由と平等を基礎とした新しい秩序を一切提示はしていない。したがって、旧い秩序に代わる新しい秩序を作ることが出来れば、全体主義を克服することができるとドラッカーは本作を締め括っている。

    【感想】
    正直な感想は、「疲れた」です。内容は非常に難解。理解できるまで何度も読み直しが必要でした。
    上記で掲げた目的意識がなければ、途中で挫折したでしょう。
    ドラッカーは冒頭で、本書を「政治の書」としています。私は、政治書であると共に、歴史書、思想書、哲学書でもあると感じました。

    一方で、本作を読み進めるうち、ドラッカーの問題意識が「正統な社会の下で人間は位置付けと役割を必要としている」という点を理解することが出来ました。この考えがドラッカーの思想の原点と言えるのではないかと考えます。

    この「経済人の終わり」では、旧秩序に代わる新たな秩序の提起には至っておらず、その具体的な提起は、次回作の「産業人の未来」で改めて行われるようです。

    【参考文献】ドラッカー入門(上田惇生著 ダイヤモンド社)

  • 東洋経済新報社 岩根忠訳 昭和38年 を読んだのですが、このバージョンは流石に手に入らないかというので、こちらを本棚に。

    ドラッカーが、1939年に書いた著作です。
    全体主義、共産主義、ファシズムについて、語っています。…
    ファシズムといえば、ヒトラーが、ユダヤ人を滅茶苦茶に殺したとか、ヒトラーがあの地位に就くにあたっては、支持を受けていたとか。そのくらいのことしか知りませんでしたが、実に読み応えがあるというか、必読。という内容です。

     絶望がファシズム支持の背景にあったという指摘は、説得力がありまして、且つ、未だに現代社会でも無視はできないのではないと感じました。怖いものがあります。

  • [ 内容 ]


    [ 目次 ]
    第1章 反ファシズム陣営の幻想
    第2章 大衆の絶望
    第3章 魔物たちの再来
    第4章 キリスト教の失敗
    第5章 ファシズム全体主義の奇跡|ドイツとイタリア
    第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
    第7章 奇跡か蜃気楼か
    第8章 未来

    [ POP ]


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