生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! (筑摩選書)
- 筑摩書房 (2020年10月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480017154
作品紹介・あらすじ
自分が生まれてきたことを否定する思想は、長い歴史を持つ。古今東西の哲学・思想、文学を往還し、この思想を徹底検証。その超克を図る「生命の哲学」の試み!
感想・レビュー・書評
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2021年6月
この本を手に取る人は自分の誕生について否定的、あるいは疑問を持っている人なのだろう。自分の生命について無意識に肯定的な人がたぶん多数派なんだけど、そうでない人も一定数いて、そういう人は地として常に「生きる意味」を問うて生きている。まあわたしのことだが。「人生」の手前の「生命」についての哲学を欲していた。
反出生主義は生まれてこないほうがいい、子どもを産むのは悪という理論である。なんとも極端な理論のような気もするが、理論ゲームのように構築された反出生主義の土俵に乗ってしまうとあらかじめ用意された枠組みに取り込まれ反論ができないようになってしまう。
反論を試みる時、別の土俵に立つことを意識しないといけない。反論の土俵として、仏教哲学やニーチェの思想を挙げつつ、著者は誕生肯定を唱えている。生きる意味を考えるよりもどうしたら誕生を肯定できるのか考えることを勧める著者にまっすぐに励まされた。 -
人は生まれたときから死に向かって歩み始める。そして死は悲しいものだとされている。それなのに人は、子どもが誕生すると喜ぶし祝福する。
死だけではない。人生には苦しいこと辛いことがたくさんあるのに、自分(の身体)を犠牲にしてでも子どもをこの世に産み落とそうとする母親は尊いものとされることが大半だ。子どもは生まれたいと言ってはいないのに。
それはどうしてなんだろう?
昔から漠然と不思議に思っていたことを考えた哲学の系譜があったことを、この本を読んで知った。反出生主義と称されるベネターを代表格とするこの哲学は、人間は、それだけでなく苦しみを覚えるすべての生物は、生まれてこない方がよかった、と結論づける。そしてこの生まれてこない方がよい、という思想は古代ギリシアや仏陀とそれ以前のインドの哲学から脈々とというか細々と繋がり、ショーペンハウアーに引き継がれている。なるほど…。
著者の、自分が生まれてこなかった世界と生まれてきている世界を比較はできないとする論法はよくわからなかったし、注釈を踏まえても主語を「森岡」と書く表記にも馴染めなかったが、本作は著者が構築を志す生命の哲学の序章であるとのことで、今後反出生主義を乗り越えて展開される予定の誕生肯定の哲学に、期待と懐疑の両方を感じる。
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反出生主義本が新聞で特集されていたので気になって。
生まれてこなければよかったと考えるのは確かにそうで、ベネターの著作によって反出生主義が注目されていることに対する考察本。
単に「生まれてこなければよかった」一言で片付けられてしまいがちだが、その思考をヨーロッパ哲学や仏教を紐解きながら整理していく。7章で言及されているように、「生まれてこなければよかった」という思想は綿密に紐解けるものであり、そもそも比較不能なものであり議論としては不完全なものである。(ここが肝なのだがちょっとその辺りの議論を理解するのに骨が折れて流し読みしてしまった…)
作者も述べているように、「生まれてこなければよかった」という思いには常に絡め取られ続ける。
個人的には、そう考える方が楽だし。
そうした考えを読み解き答え続けなければならないし、先人達もそうしてきた。 -
「私が存在していないこと」という反実仮想はありえるとしても「私が生まれてこなかったこと」という反実仮想は不可能だ(p.285)、というのは面白い論点。
しかしそうすると、結論は宗教性を脱色した予定説のようなものに落ち着いてしまいそうな気もする。
続刊を待ちたい。 -
夢中で読みました。明確な言葉で論理的に繰り返し確認しながら書いてくれてるので読みやすかった。また読み返します。何回かにわたって講義を受けた気分。手軽なハウツー本ではなくこれからも考えてゆく途上にある哲学です。人間への愛がある。自分の陥ってる状況がわかってきたし行き詰まった感覚から緩やかに解放されていくだろうという希望が見えました。
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ショーペンハウアー、デイヴィッドベネター、ウパニシャッドの本も読みたくなりますね。「人間の生命はなんの意味もない」「人類は計画的に絶滅するべきである」そして自殺反対論。地球上に一番いらなかったのは○○だったのか、と感心しました。でも、このような考えを人間が考えることができたのなら、そこだけは人間が必要だったのかもしれないね。とても考えることが楽しくなる本でした。
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読みながら頭に流れるのは「砂の果実」。調べたら太宰の「生まれて、すみません」からヒントを得た歌詞だった。anti-natalismはっきりと「反出生主義」という訳が与えられたのはいつなのだろう。昔から哲学で論じられ宗教でも語られた思想が、明確な日本語となって一大ブームとなっている。思想として捉えるべきものであり、考えなしに踏み込むには毒薬である。だから産むなは短絡的が過ぎる。
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哲学書としては読みやすい
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なんとなく浅薄な感が否めないのと、筆者も書いているとおり結局体感として乗り越えられていない
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