- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480423979
作品紹介・あらすじ
現在、フリーター等プレカリアート(不安定層)問題について運動、執筆し、注目される著者の自伝。息苦しい世の中で死なないために。激しいイジメ体験→ビジュアル系バンド追っかけ→自殺未遂→新右翼団体加入→愛国パンクバンド結成→北朝鮮、イラクへ→右翼をやめるまで。文庫化にあたり、その後現在に至るまでを加筆。
感想・レビュー・書評
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非常に赤裸々な自伝。ファック隊の章のバンド名が気になるところである。
かなりこじらせているけど、なぜか不快にならないのが不思議。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
こわれ者の祭典の会長でありワーキングプアの問題に取り組む雨宮処凛さんの自伝。
アトピー性皮膚炎が原因のいじめに苦しんで楽になりたくて足掻いた日々親に言わないことでかろうじて自分を保っていた。
ビジュアル系バンドの音楽に救われ音楽雑誌の読者投稿欄を通じてビジュアル系バンドのファンと繋がり自分の居場所を見つけビジュアル系バンドの追っかけにはまっていく日々。
追っかけをやっていても出口が見えない中でリストカットや家庭内暴力に走り、天野可淡という人形作家の写真集に触発され人形作家を目指すもアトピーで挫折。
地下鉄サリン事件をきっかけに右翼バンド結成、自分の中の漠然とした自分や世の中に対する怒りや違和感を初めて言葉で表現することが出来て生き甲斐を見つけるが、自分の価値観を右翼団体に委ね自分の弱さから目をそむけているだけじゃないか、本当に変えたいのは情けない自分じゃないかという迷いの中で右翼バンドを結成し映画「新しい神様」の撮影の中で借り物の言葉で自分の怒りを表現出来て、自分のことを少しは好きになれた。そして右翼団体の脱退。
プレカリアート運動や反原発運動など絶賛世直し活動中。自らの正義感と生きる実感と居場所そして本当に信じられる物を求めて疾走する人生。
青春が美しいなんて誰が決めた?
汗まみれ涙まみれになって、コンプレックスや無力な自分にいらだったり、決して美しくないけど、良識や常識を疑い自分が感じる違和感と怒りに忠実に立ち向かう、そんなやり方でしか自分の居場所、生き甲斐は手に入らないことを教えてくれる熱い自伝です。
「怒りを忘れ、意味のない理性や良識の中に逃げ込んで、無責任と無気力に浸かりきったオマエラ!オマエラがまずこの退屈な平和から脱却せよ!当たり前の怒りを言葉にしてみろよ!」 -
いまや誰もが知る社会活動家、雨宮処凛さん。
彼女の幼少期から人生の前半のお話。
文庫化にあたり、その後現在に至るまでが加筆されている。
オンライン読後会の課題図書に上がっていたので図書館でかりて読んだ。しかし、オンライン読後会に参加するかどうか、正直躊躇う。就職氷河期の人が対象なので、それなりに辛酸を舐めた人が多いわけだが、誰も我が身の経験を他人と比較なんてできないのだ。過去にあったことを認め、過去のお話にしてしまうには、時間もかかるし、それなりの技術も必要である。
結果的に、就職氷河期と呼ばれる人々の群れを代弁する著作になってしまったという事実が、そしてこの本を選書した読書会の人々の鬱積した気持ちが慮られる。 -
雨宮処凛氏は元右翼の今は何か社会的な活動をしている人という程度の認識しかなくて、たまたま本屋でこの本があったから読んでみたら面白い。
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私はあまり読書をしない。本屋にはよく行くし、小説コーナーでは2時間くらいふらふら彷徨うことはよくある。だけど本を買いすらしないこともある。「私は映画でも演劇でも本でも音楽でも、"自分の気持ちと重なるか否か"でしか見れない(本著p106)」から、そんな作品を、そんな著者を見つけ出すことがなかなかできないからだ。しかし雨宮氏のこの言葉に同調できるのと、自分も中学あたりからサブカルに偏っているので知っている文化人や作品の名前が出て来て、ほくそ笑んでしまった、ああそんな作品と出会えた、と久しぶりに思えた。中途半端にサブカルに傾倒し始めて、全然同級生と馴染めなくて人殺しみたいな目をしてた自分に読ませてあげたかった。社会に出て行くのに不安しかなかったし希望も感じられなかったし、けれど若くて社会に属していないからこそできたことがたくさんあった。しかし中学、高校と卒業し学生である今でも重さは違えど彼女と似たような自傷行為や逸脱した性行動に走ったり何かに不満がある状態が不安定に続いていて、最近になってその問題に気づけたしこの本を読んで自分と重なるところがたくさんあり彼女の方が苦労しているし飛躍もしているから本当にリアルで個人的に面白かった。たくさん頁に折り目をつけた。また、読み返したい。
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著者の(現在の)政治的信条に共鳴する人もしない人も、一度は読んだ方がいい本。壮絶の一言。
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右翼時代までの雨宮さんの「自伝」。多くの彼女の著作で語られる彼女の半生の詳細が語られています。正直、「痛々しい」。でも現代が多くの彼女のような存在を踏みにじることで「繁栄」してきたわけだし、その中で「この道しかない」という言説が少なくとも多くの人々の支持を受けて彼らに権力を渡してきたことも事実だと思う。彼女が壮絶な歴史をネタに向こう側に行かなかったことは救いだと思う。
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サイトのエッセイにて書評してます。
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俺にとって、雨宮処凛とは、もどかしい存在である。はっきり言って言論人としては、支持できない。朝日新聞に「プレカリアートのマリア」と呼ばれ、社民党の福島みずほと懇意にし、「週刊金曜日」の編集委員を務める(どれもこれも俺が大嫌いなメディア)。俺がたまに読むウェブマガジン「マガジン9」の連載も、「甘ったれた事ばかり言ってんじゃねぇよ」と、歯がゆい気持ちにさせられる。俺は保守的な人間であるが、なるべくはリベラルな言論にも、一理を見出だしたい。が、雨宮処凛のそういった言論に一理を見出だした事はない。
が、その一方で、勝手な親しみを抱いている。俺と年が3つしか離れていない為、趣味が被っているのだ。雨宮のゴスロリの格好、俺は中高生時分はバリバリにビジュアル系大好き人間だった為ちょっと嬉しかったり(この本の中にもZi:killの歌詞が引用されていてニンマリしてしまった)、いじめ体験、小林よしのりに影響されていたり、「戦後民主主義」に対して違和感を抱いていたりというのは共通してるし、また俺が唯一全著作を読んでいる作家見沢知廉の弟子だったり、一緒にサブカル話をしたら(そんな機会は一生ないだろうが)、盛り上がるんではなかろうか、と妄想してしまう。そもそも俺が雨宮を知ったのは、大槻ケンヂのエッセイであるし。
と、言論人としては嫌いであるが、気になって仕方ない人間なのだ。で、この自伝を読んでみた。
正直、う〜んとなってしまう部分も多々あったし、努力が至らなかった部分を社会のせいにしてる様に感じる箇所も多々あった。けど、自分を正直にさらけ出している様は感服した。
壮絶ないじめ体験を書く一方で、近所の犬を虐待したり、子供を誘拐しようとした事、母親にかなり強力な暴力をふるった事、ビジュアル系バンドの追っかけをしていた時の性生活の乱れっぷりを正直に書いている。読んでいて、眉をしかめてしまうが、いじめの被害者、悲劇のヒロインとしてだけではなく自分の悪い部分、普通の人なら隠してしまいたい過去を正直にさらけ出す姿勢には好感を覚えた。
また、右翼団体に入ったり、元オウム信者と交流したり、北朝鮮に行ったり、雨宮が組んでいた愛国パンクバンド維新赤誠塾のライブをイラクでやったり、と、行動として支持できないが、思い込んだら実行してしまうエネルギー、右、左関係なくまっしぐらに現場に突っ込んでいく姿勢は、凄いとしか言い様がない。
けど、この自伝を読んだ事により、俺にとっての雨宮処凛の認識が変わったかと言うと、そうでもなかったりする。
今後の雨宮処凛はどんな活動を行うんだろうか?俺は多分、雨宮の言論を好きになる事はないが、同世代の人間としてちょろっとは応援したい。
俺としては、雨宮に適度に冷めた目線を持って、良き左翼の翻訳者になって欲しい。あと、見沢知廉の回顧録とか評伝を書いて欲しいな。