- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480815125
作品紹介・あらすじ
何度も同じものと闘う。誰もが逃げられない、生きている限り続く試行錯誤をとらえた小説魂あふれるエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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著者の長編小説、『プレーンソング』『季節の記憶』『カンバセイション・ピース』、とりわけ『季節の記憶』が書かれなかったら、現在と同じ僕はいなかった。「読まなかったら」でも「著者が存在しなかったら」でもなく、「書かれなかったら」と思える小説は、そう多くあるものではない。そんな著者の最新エッセイ集で、内容は、飼っている猫や芸術や東日本大震災について考えながら、人間の思考について考えていくといういつものスタイルなのだが、今回は「社会批判」や「批判への批判」といった社会的文脈が意識され過ぎていて、本人が〈まえがき〉で書いている通り、本領発揮でも新機軸を展開しているわけでもなく、著者ならではの大らかさも手応えも不足しているのだけれど、お陰でいつもより「取っ付き易い」ことは確かだろうし、それでも、凡百の文章家のエッセイよりはずっと「表現というものの息遣いに近い」。表現分野に身を置いている人には、本書収録の〈人は死なない〉だけでも読んでいただけると話しが早い。
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「小説家が小説を書くのは、小説を書くという行為を通じて何かを考えたいからだ。そして、できるなら人間の考えるという営みに関わりたい」(83 ページ)
物事を考えて、一度悟るのではなく、
たえず気持ちを向けて、何度でも悟ことを語るエッセイ。 -
いや、実際の話、私自身、臍をかんだことがないからよくわからないのだが、臍でなく臍の緒をかむということだろうか。他人の臍、もっと言えば我が子の臍をかんだりした故事でもあるのだろうか。私はやっぱり、猫の尾をかむのが性に合う。猫の尾をかんだ私は我に返って連載の最終回を書いた。
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ものすごくおもしろく読んだ。
言い回しがおもしろいのもある。「九五年頃、私は突然驚いたのだが」とか。
そんなことより、なんでこんなにこの人がおもしろいかっていうと、ちゃんと自分でいっぱい考えてるからです。人が理解できるような筋道で考えるのではなくて、自分のペースで自分なりに考えているからおもしろいのです。 -
なぜ保坂和志の著作はこんなにも興奮するのか。読後、よし頑張ろう、と思える本はそうない。
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制約から離れ疾走する文章を批評しようとせず、一緒に突っ走れ、というのは良かったが、あとは新聞レベルの陳腐な知識を元にした社会時評的なエッセイは悲惨としか言いようがない。単にニュースをズリネタにレベルの低いオナニーを公開しているだけだ。それから随分自分が早稲田の政経を出ているのが自慢のようで、そればっかり書いている。どうも人間的に問題のある人物なのではないか(だから小説家なんかやってるのだろうが)、身近にいたらたぶん距離をおいていただろう、という印象だ。
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保坂和志、何度か挑戦したけど、初めて読み切りました!
うっかりしてると置いてかれる… -
猫の介護も大変だなあと。。。
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書き手の語り口に、いつも偏屈で、尊大な攻撃性を感じるのだけれど、つい手にとってしまいました。自分で読んでおいてナンですが、まあ、こういう立ち位置の作家は必要かも知れないね。好きじゃないけど。
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タイトルにひかれて図書館より拝借。以下マークしたことば、等。
「人はある年齢に達したら、きっと生きることの意味を自分でない者のためにシフトさせてゆく必要があるのだ。」
「人類はもう長くない」というのはあと何年のことなのか? 宇宙の寿命が一五〇億年で、地球の寿命が五〇億年だと仮定したとき、“永遠”というのは何年のことなのか?
比喩的な意味でない場合の「不滅」「永遠」とはどれだけの長さなのかを私は本気で知りたいのだ。