- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480858092
感想・レビュー・書評
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戦前日本の「内に立憲、外に帝国」という標語。実は両者は併存したのではなく、逆ベクトルの綱引きの継続だった、というのが日中戦争開戦までを分析した筆者の一貫した視点だ。筆者はその根拠として、日露戦争前は国民は戦争を望んでいなかったこと、大正政変が桂内閣を退陣させ陸軍師団増設を止めたこと、逆に若槻内閣が満州事変を止められなかったこと、等を挙げている。
が、どうもすっきりしない読後感。筆者のいう「立憲」の外縁が自分には不明瞭なためか。筆者が「立憲」と見なしているとおぼしき原敬・高橋是清の政友会内閣が普通選挙法導入に反対し続けたことから、「民主主義」と同じではないと述べている。また、「リベラルな」政党内閣が戦争を抑え込むと筆者が述べているところ、「立憲」とはそこまで限定されたものなのか。
仮に「立憲」を、デモクラシーや政党政治のように広めの意味で取れば、本書の中でもむしろ反例が目につくぐらいだ。「大正デモクラシー」は軍拡には抵抗したが対中国・朝鮮の侵略には目をつぶったとのこと。また大正期の憲政会は国内では普通選挙制を主張する一方で二十一か条の要求を擁護。昭和期には政友会の方が「帝国」へと大転換。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
副題は「日中戦争はなぜ防げなかったのか」。1874年の台湾出兵に始まり、1937年の日中戦争勃発までの約60年の日本の政治体制の変遷を、「立憲」化と「帝国」化という二つのファクターを軸に考え、軍部の暴走を抑えられず、日中戦争に突入していった負の歴史を振り返りながら、なぜ止められなかったのかを明らかにしていく。現代の常識的観点からすれば、言うまでもなく「帝国」化は悲しむべきことであり、「立憲」化は喜ぶべきことである。しかしこの二つの歩みがつねに同時進行していたわけではなく、「立憲」が強い時には「帝国」は抑制され、「帝国」が強い時には「立憲」は息をひそめる、という形になっているのではないかと筆者は主張する。(例外的時期もある、らしい。)そして「内に立憲、外に帝国」のような両者の併存を意味する言葉で日本近代史を理解するのは間違っている、という。そして1.戦争が起こらない限り、デモクラシーを鎮圧することはできない、2.一旦戦争が起こってしまえば、戦争が終わるまで、デモクラシーには出番がない。この二つを前提にすると、問題は次の一点に絞られてくる。すなわち、デモクラシーが戦争を止めるにはどうしたらいいのか。そしてその問いに対する答えを一言で要約すれば、デモクラシー勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる、ということである。詳細→
https://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou28002.html -
政党内閣は515で終焉を迎えたが、その後も立憲政治は続いたという点については留意する必要がある。が、「昭和デモクラシー」によって結果的に戦争に突き進んでしまったとも言えるわけで、この辺は社会大衆党の台頭(社会主義と戦争との親和性)にフォーカスして検証してく事の重要性を再認識させられる。
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明治期から昭和戦前期の数多くの歴史書の中で、「帝国と立憲」という視点に注視した本は初めてみた。
戦前日本は、朝鮮半島と大陸に一貫して進出していき、日本のほとんどすべての指導層がその道を疑うことなく進んでいったのだと小生は理解していたが、本書は決してそうではないと考察している。
このような見解は多くの歴史学者の中でも他にみられないのではないかとも思えた。実に新鮮である。
また高橋是清が「中国政策の本質的転換論」を提起していたことも初耳だった。小生の無学を恥じるものであるが、日本の戦前期が決して侵略一本槍では無かったことに安堵感をも感じた。
坂野潤治氏の著作はほとんど読んではいるが、この本はそのいずれよりも読みやすい。本書を高く評価したいが、さて本書の視座は順当なのだろうか。まだまだ学びたいものである。
2017年9月読了。 -
東2法経図・開架 210.6A/B19t//K