1973年に生まれて: 団塊ジュニア世代の半世紀

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  • 東京書籍
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784487814688

作品紹介・あらすじ

《この世代の世代論は、ノスタルジーか残酷物語のどちらかである。そうではない本を書くことが本書の目的だが、そうなっただろうか。》――速水健朗(本書「あとがき」より)ロスジェネ、超氷河期、お荷物と言われ続けた団塊ジュニア世代のど真ん中ゾーンも、ついに天命を知る50代に突入。そんな世代が生きてきた1970年代から2020年代にわたる、日本社会、メディア、生活の変遷を、あるいはこの時代に何が生まれ、何が失われたのか――を、73年生まれの著者が、圧巻の構想力と詳細なディテールで描くノンフィクション年代記。既存の世代観を上書きする、反「ロスジェネ」史観の誕生!

感想・レビュー・書評

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  • «「当たり前」の前を考える»
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    バブル世代を扱った物語やエッセイは今まで何冊か読みましたが、団塊ジュニア世代について書かれた本は読んだことがなかったため、興味を惹かれて手に取りました。
    世代論なのかなと思いきや、1973年前後からの出来事や文明の進化を団塊ジュニア世代の筆者の目から冷静に綴るという内容だったのが新鮮でした。

    (世代に関する言及では、筆者の速水さんが自身の価値観や置かれてきた状況を「団塊ジュニア世代のサンプル」と位置づけた上で、(テレビの放映内容の話など)「住んでいた地域が違えば見える景色も違うよね」というスタンスで書かれてていたのが、視野が広くて好ましいなと思いました。
    実際、自身の無知を晒しだすようでお恥ずかしい話ですが、田舎で滅多に電車を使わない私はIT化が進んだ近年になってもなお、切符は駅員さんが穴を開けるものだと思っていたので、数年前に初めて自動改札を見て当惑したのを覚えています(笑)同世代の都会っ子の方にはありえない話なんだろうと思います。)

    「テクノロジーを使った道具が一度普及してしまうと、それ以前の生活の細部を人は思い出せなくなる。そこに今一度、想像力を持って挑む。本書はその試みである。」
    (P266)

    とあるように、1973年以降の出来事や時代の変化を思い出して振り返るという目的で書かれた本書ですが、特に興味深かったのはコンビニの話とパソコンの話でした。

    コンビニについては、85年には夜中にいなり寿司を買いに行こうとする女性のCMが流れ、当時評論家の浅羽さんはコンビニに立ち寄ることを「精神の揺らぎ」と表現し、コンビニを「欲望を叶える場」と捉えたとのこと。
    これを基に今のコンビニを考えると、当時はおそらく、おにぎりやお弁当、飲み物類を買う場だったところから、今はほんの数年前まで(チェーン店では)ミスタードーナツくらいでしか買えなかったドーナツ類が平然と並び、「コンビニスイーツ」の種類が格段に増え、スイーツやお菓子、ラーメン等で有名店とのコラボがなされ、ついには出来たてを販売する店ができ始めと、当時の比では無いくらい「欲望」が拡充しているのが面白いなと思いました。
    「便利になった」と一言で片付けてしまうこともできますが、これだけ欲望に塗れた場所が存在することに誰も疑問を持たず、むしろ欲望の拡充が奨励されているのかと思うと、コンビニってものすごく面白い場所だなと思いました。
    今日も今日とて、もはや無意識のうちにコンビニに足を向けている私は、精神が揺らぎまくっています(笑)

    パソコンについても、発売当時は遊び目的くらいでしか用途が無かったというのが興味深い話でした。
    今では仕事に必須のメールやWord、Excel等も、コンピュータができて進化した後から生まれてきたものなのだと思うと、今は当然のようにセットで使っているものも、ひとつひとつが凄い発明品なんだなと感じました。

    バブル世代からはひとくくりに「草食」という見方をされてきた団塊ジュニア世代の
    ひとりの視点から見てきた歴史を見るとどうなるのかというのを垣間見られたのは興味深かったですし、何よりも、今当たり前だと思っているモノや事の裏側にどのような歴史があったのかを学べたのが面白かったです。

    【ひとりごと】
    半沢直樹シリーズに触れる中で、『ロスジェネの逆襲』で出てきた森山や瀬名といったロスジェネ世代のキャラクターが速水さんの目にどう映ったのかがとても気になるところ。この世代の方が外からの評価をどのように受け取っているのかを、もっと聞いてみたいなと思います。

  • 【きっかけ】
     まさしく1973年生まれである自分にとって、育った時代そのものが一冊になった。
     そういう一冊だからこそ集中力を保ちつつ読むことができた。少しずつだったけど。

    【感想】
     50年経つのかという思いと、これから先どうなるのかという不安がないまぜな気持ちにさせられた一冊だった。著者の意図としては、ノスタルジーにならないよう構成など気を使って書いていたようだが、全般的に自分は完全にノスタルジーに浸った。1980、1990、2000年代記。団塊ジュニア世代として多数派の人口も50歳前後の時がきた。
     この本を買った動機の一つは最近の生きづらさもある。頑張ってここまで来たけど息切れしてきた。どこまでも世代として人が多いということは今の時代、同世代格差とか分断とかいろいろ言い募られる。自分以外の人の生き方はどうであったのか知りたいということもあった。

     どこまでどうように頑張ればいいのか。という自分の思いは読んで当てが外れたが、紋切り型の文章、スバっと展開の切り替えも早くその時の時代の空気感は伝わった。反ロスジェネと帯にあったが、これを読んだからと言って今が変わることはない。
     ロストはロストなだけにそこまでのことを著者が意図したかどうかわかりかねた。また、これからの10年をどう生きるかという指標ができるわけでもない。これを読んで同時代を俯瞰し自分自身をどう納得させてられるかという本だと感じた。
     自分はそういう意味でもノスタルジーを感じたし大いに懐かしんだ。

  • 私、1973年(昭和48年)生まれ。
    単純だが、これが本書を手にした理由。

    そして、著者速水健朗氏も同じく1973年生まれの同級生(残念ながら、知り合いではない)。

    本書は著者が物心ついたころ(10歳位)から、2020年あたりまでの日本を政治、芸能・サブカル、事件・事故、スポーツなどあらゆる角度から振り返る。

    一読して思ったのは、昔の話の方が圧倒的に面白かったということ。
    昔とは要は、昭和ということになるが、これは著者も私も幼少期から中学3年までということになり、早いもので、そこから35年以上の月日が流れている。

    昔の話の方が面白く感じたのは、「そういえばそんなこともあったよね~」など、「あの時」の感慨が喚起されたからかもしれないし、「あの時」の自分の感性が今に比べて研ぎ澄まされていたからかもしれない。

    では、具体的にどんな話が出てくるかというと、本書で一番印象に残っているのは、「ロス疑惑」。

    若い人はこれだけ聞いても意味不明かもしれない。

    しかし、我々世代でこれを聞いて知らない人はいないといっても過言ではなかろう。

    ロス疑惑が起きたのは1981年(昭和56年)11月のこと。
    この事件の面白いところは、この事件が注目されるようになったのは、事件が起きてから2年半後であったこと。

    当時は昼過ぎに学校(小学校)から帰ってテレビをつけると、どの局もロス疑惑を報じていた。
    そして、このロス疑惑の主人公は三浦和義。

    そして、その後の1985年9月に三浦は逮捕された。
    自分がこの事件を知ったのはまさにこのタイミングであった。時に、私は小学6年生。

    少し、大人の世界も理解できるようになりつつある年ごろになっていた。

    簡単に事件を振り返ると、LA旅行中であった三浦夫妻が何者かに銃撃され、妻の一美が頭部に銃弾を受け意識不明(のちに死亡)、三浦自身も足を撃たれ軽傷。

    これだけなら、さほどメディアも騒がなかっただろうが、三浦は妻に保険金1.5億円をかけていた、妻の死後2か月でモデルと同棲、そのモデルも後に失踪と続き、メディアが食いついた。

    当然、小学6年生の私には上記経緯や話の内容などすべて理解できるはずもないが、それでも、ワイドショーで映し出される三浦の風貌やメディアの論調からか、何かこの事件の不気味さや大人の汚さみたいなものを直感的に感じ、ずっと心に引っかかっていた事件であった。

    著者の言葉を借りれば、「赤いソアラ(三浦が乗っていた車)、ペイズリー柄のシャツ、ハンティングワールドのショルダーバッグ、レイバンのサングラス、どれも強烈な印象を残した」といっている。

    本書を読んで事件の概要や流れが分かり、この年になってやっと世間が大騒ぎした理由もわかった。

    さらに付け加えると、三浦はその後の裁判で無罪となった。いわゆる冤罪事件である。

    ロス疑惑にずいぶん紙幅を割いてしまったが、もうひとつ著者が強調していて印象に残ったのは、「失われたメディア、フォーマットへの想像力(またはこだわり)」である。

    これは、例えば、スマホが普及する前、それは電話といえば家か公衆電話という時代(厳密には昭和60年代(1985年以降)からポケベルがビジネスレベルでは使われていたがそれは捨象する)。

    そんな時代に人々はどうやって外で待ち合わせしていたのか。
    また、音楽を聴くにはレコードに針を落とす、またはCDプレーヤーにCDを置いて再生ボタンを押す、音楽を聴くにはこのような所作が当然あったのだが、その一瞬の緊張感を今のスマホで気軽に音楽を聴くやり方では味わえない。

    こんな日常の些細な変化が実はすごく重要なこと、そして、著者は最後に、こんなちょっと「前の生活の細部に思いをはせ、今一度、想像力をもって挑む、その試みが本書である」と結んでいる。

  • 筆者と同世代(75年生まれ)なので登場する物事、事件は懐かしさを感じつつ、自分はこう思ったなと、速水さんと対話するような感じで読んだ。
    見たことはない『北の国から』の中に出てくる、「買い物もパソコンでできるようになるし、サラリーマンは会社でなくても家からパソコンで仕事帰りできるようになる」は速水さんも指摘の通り、かなり正確な未来の予言かつ作家(北の国からの)の期待を裏切るものだったと思う。でも団塊jジュニア世代は双方の言い分がわかるそんな世代でもあるのではないかと感じた。家にこもってテレビゲームする子どもももはや、eスポーツとして市民権を得ている。それは決して悪いことではないように感じる。むしろ、批判は過去の極端なノスタルジーではないだろうか。(そこに付随する既得権を手放せない)
    また、大学進学率についても、80年代は26.5%であった点について会社や大学のブランド化の始まりについても描かれているがまさにいま、自身のキャラクターをカテゴライズする先駆け(例えば韻脚とか陽キャとか)かと思った。
    一番、共感したのは『景気がいい時代、バブル時代に生きていたかったという声を良く耳にするが、当時の一般庶民は、好景気にむしろ腹を立てていた。儲かっているのは、株を持っているものと土地を待っているものだけ。庶民は、マイホームを旡夢見ることすら許されない。』(ユニコーンの名曲 大迷惑を思い出す)という箇所。あの頃、小学生だったがむしろ沖縄、北海道に飛行機で行った!というのですらちょっとした羨望の的でお金もちの子どもの方が少数派だった。(むしろ家族旅行はいまのが充実してないか) 
    他にもいろいろと懐かしい点はあるが、好景気の恩恵があったのは一部だと思う。
    世代で語る、というのはともすれば分断化や変なカタルシスに陥りそうだけど冷静に書いていると思う。小室ファミリーやモー娘。の考察も面白かった。
    ただある意味、バブル世代にせよ、氷河期世代にせよ、ある程度の年齢になると金枝篇みたいに犠牲にならざるを得ないのかな。何らかの恩恵に預からず、損な役回りであったとしても。誰だって生きてりゃ年を取るし貧乏くじを引くときが来るのではないだろうか。そこから離れようともがくほど生きづらくなる人も多くなる仕組みになっているのは辛い。いろいろと考えさせられた。

  • 【History】1973年に生まれて / 速水健朗 / 20231115 / <47/1021> / <271/181918><R>
    ◆きっかけ
    ・日経広告

    ◆感想
    ・とても面白かった。懐かしさもこみ上げ、ついのめりこんで、あっという間に読了。引用に記載した通り、単なる歴史というファクトの記録だけではなく、その背景にどのような常識やメディア環境があったのか丁寧に説明されていて、納得度が高かった。
    ・団塊ジュニアのジュニアが生まれなかったというのは、その世代にとってはジュニア時代の激しい競争がない分、よかったのかもしれないが、ひとくくりに語れなくなったという点で少し寂しさも残る。。。
    ・もし自分の世代に興味を持ってくれているのなら、折を見て子供たちにも読ませてみたい。

    ◆引用
    ・これは歴史記録である。誰もが簡単に過去の出来事に触れることができるが、その過去を想像するときに、前提となる常識やメディア環境はいまのそれとはまったく違っていた。それがこのフォーマットへの想像力という話の本質でもある。

  • ロスジェネ世代について、さまざまな事件や出来事から1-2ページで述べたエッセイ。幅広いので、何かしら引っかかるエピソードがあると思う。

    この手の本を読まない人には、懐かしむことができると思うし、若い方には、TVで放映されているこの時代の背景をザックリ知ることができると思う。

  • 著者よりも少し後に生まれたX世代ではあるけど、ほんとうに面白く読んだ。グリコ森永事件の声明文が届いた日に日航機墜落事故が起こっているとか、銀座のアップル日本旗艦店ができたのは2003年なのか、とか。東北震災くらいまでの事件やカルチャーの濃度が濃すぎて、正直ここ10年の時間経過がなんとなく薄く感じるのは、きっと歳をとったからなんだろうなと少し寂しくなったりもした。あとがきに書かれていた、最初に世に出た時のフォーマットがなんだったかを忘れずに想像力を持った方が良い、というメッセージがとても響いた。クエストラブのミュージック・イズ・ヒストリーもぜひ読んでみたい。

  • 難しいのは、現在に近い現代史を論じる時には、どうしても既視感を覚えることがあるということ。その人ならではの切り口というのが、なかなか見つからない。
     だから、どうしても1973年生まれの人たちの独自性というものが、それほどクッキリとは浮かび上がってこない。
    楽しい世俗的な読物になって、そこで終わったしまう。
      
     

  • 著者の生まれた1973年からの50年間を社会、政治、経済、サブカルチャー、事件、風俗などを語りながら振り返る。
    私は著者と世代が違うので共有できてない情報もあったが、概ね面白く振り返ることができた。携帯電話やインターネットがなかった時代にどうやって生活していたか、思い出させてくれた。

  • 1973年生まれです
    私の人生をそのまま
    著者がレビューしてくれていて
    めっちゃ有難い本です
    懐かしいことや、そーいやそーやったんよなー、といったことだらけで、読んでいる間は至福の時間でした。

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著者プロフィール

速水健朗 Kenro Hayamizu1973年生まれ。食や政治から都市にジャニーズなど手広く論じる物書き。たまにラジオやテレビにも出演。「団地団」「福島第一原発観光化計画」などでも活動中。著書に『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(朝日新書)、『1995年』(ちくま新書)、『都市と消費とディズニーの夢』(角川Oneテーマ21)、『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)などがある。

「2014年 『すべてのニュースは賞味期限切れである』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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