- Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071403
感想・レビュー・書評
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数多の修飾語に彩られた美しい本。
情景描写が多いのに、しつこさを感じさせないのが凄い。
『アリスは、落ちながら』『雨』『探偵ゲーム』『シンドバッド第八の航海』が好み。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いかにもミルハウザー的なものから、古典的名作のパロディまで秀逸な短編集。
「シンバッド第八の航海」
最初の夢のような冒険譚で、がっちりと心を掴まれる。
「アリスは、落ちながら」
アリスがゆっくりと落ちながら、終わりの見えない不安も増幅していく。
「探偵ゲーム」
ゲームを行うロス家の人々の話しと、ボードゲームの登場人物の世界が同時に進行する。それぞれの思いが交錯して、面白い作品。 -
「ロバート・ヘレンディーンの発明」
「バーナム博物館」
「幻影師、アイゼンハイム」
この辺りはいかにもミルハウザーといった作品。
「雨」の表現がとくに好き。
溶けてゆく世界。 -
ミルハウザーはまだ2冊目ですが、自分ではサクサク面白く読み進んでるつもりなのに、どうも通常より読了に時間がかかる気がして不思議に思っていたところ、やっと理由がわかりました、心理や行動の描写じゃなく、情景描写が圧倒的に多いからだ!(気付くの遅いよ)。微に入り細にわたる、そのくどいくらいに執拗な細部の描写を、いちいち脳内でイメージ化しているからその変換に時間がかかるんですよね。たぶん映像で見せてくれたら、一瞬で理解できることなんだろうけど、自分の脳で、文字から映像に起こす作業は大変です。そしてミルハウザーのほうでは、その逆の作業(脳内にあるイメージを事細かに文字に起こしてゆく)がきっと大好きなんだろうなあ(苦笑)。
表題作の「バーナム博物館」は、ひたすら架空の博物館の展示物の説明、コミックスを文字起こしした態の作品「クラシック・コミックス#1」も、感情の入り込む余地はなくひたすら描写(コマに描かれた絵の説明)のみで、いかにミルハウザーが脳内イメージの顕在化に執着していたかが伝わってきます。
この短編集は奇しくも、作者同様、脳内のイメージをあまりにも綿密に想像(創造)したあまり、それが実体化するかのような作品が多く含まれていました。その最たるものが「ロバート・ヘレンディーンの発明」。そしてある意味「幻影師、アイゼンハイム」も、同じ系列のお話。あまりにも綿密に想像(創造)された被造物は、それ自体が独自の「生」を生きるようになってしまうんじゃないかという考えは、夢のようでもある反面、とても恐ろしい。
ボードゲームをする人々と、ゲームの駒たちのドラマが同時に進行する「探偵ゲーム」、絵葉書の中で物語が進行していく「セピア色の絵葉書」、スクリーンの向こう側に映画の登場人物たちの生きる世界がある「青いカーテンの向こうで」 、誰かに語られた物語の登場人物たちが自ら語る「シンドバッド第八の航海」「アリスは、落ちながら」、いずれも創造物たちが独自の命を生きているという共通点があり、つまりそれはもしかしたら自分が現実と信じているこの世界や自分の実体さえも、誰かの想像の産物に過ぎないのかも、という、マトリョーシカ状の一種のパラドックスに陥ってしまう危険を孕んでもいます。
余談だけれど今ドラマでやってる「泣くな、はらちゃん」の世界で、漫画のキャラクターたちが作者を「神様」と呼んでいるのを見るにつけ、やっぱり似たようなことを考えました(笑)。 -
たとえば聖フランチェスコのように、世界に対し、限りない共感を抱くことができれば、造り主である神に感謝し、御業を誉め讃えていればすむ。しかし、現実に生きていれば、何かしら世界の在り様に不備やら不満、或は異和を覚えずにはいられない。共感にあふれてこの世界に入ってきた子どもなら、この世界の現実に触れたときに感じる幻滅は、感受性の強い者ほど大きかろう。
多くの人は、その段階で世界と妥協し、それを受け容れることで大人になろうとする。大人は、何も造り出すことはない。只管、世界と慣れ、馴染み、それを享受しようとする。今ある世界に何かをつけ加えようとか、変革しようとか考える人間は、世界のすべてを共感を持って受け止めてはいないのだ。だから、その反感の徴として、作品を創造する。作家の仕事は、小さいながら神の代理人としての仕事である。
自分の想像した人物や世界をわざわざ提出しようというのだから、そこには何か、世界に対して言い分があるにちがいない。ところが、多くの作家は作品の舞台として現実の世界を選ぶ。いや、むしろ現実以上にリアルであろうとさえする。ごく稀に世界をひっくり返そうとする人物を描くことがあったにせよ、人物自体の存在は現実をなぞっている。大人の読者を想定する以上、それは当然だろう。
ミルハウザーの描き出す世界が、時を少し遡った時代であったり、ヨーロッパや東方の国であったりするのは、作家の現代世界に感じる異和の現れである。大人になることは、自分の愛するもので溢れた世界を喪失することを意味する。繰り返しその作品に登場し、ミルハウザーの強迫観念と化した自動人形や博物館は、矮小化された人間とその世界にほかならない。
ミルハウザーは現実の世界に敬意を表したりしない。傲岸なまでに自分の夢見る世界を構築して見せようとする。主題が変わらないのも題材が似てくるのも当たり前だ。彼こそが世界の創造者なのだ。作品世界は彼の夢想によって形作られている。彼こそは小さな神なのだ。作家には、自分ひとりの手で、自分の欲する世界を創造する必要があったにちがいない。
「ロバート・ヘレンディーンの発明」は完全な空想によって作られた女性が現実世界の浸出によって歪みはじめ、やがて崩壊に至る物語。ポオの『アッシャー家の崩壊』や『ウィリアム・ウィルソン』の影響が見られる。この作家にはめずらしく夢想に対する自虐的な言及が目立つアイロニーに満ちた作品である。
生きている人魚や本当に空を飛ぶ絨毯を見ることができる「バーナム博物館」。その内部は、決して終わることのない工事で、常に迷路のように変化し続ける不思議な博物館。いつ入場しても驚きに出会える、作家の愛してやまない世界の縮図である。
「シンバッド第八の航海」は、富裕な商人で、かつて船乗りシンバッドであった男の回顧譚、今現在冒険の渦中にあるシンバッドの物語、そして、千一夜物語の比較文学的考察、という三つの異なったテクストが、分断され、交互に記述されるというポスト・モダン風な構成を持つ。「探偵ゲーム」とともに、物語の登場人物と話者が入れ子状にメタ・レベルに立つボルヘスを思わせる作品。
「幻影師、アイゼンハイム」は、作家の独壇場である、孤独な芸術家の苦闘ぶりを描いた作品の系譜に属する。気になるのは、「ロバート・ヘレンディーンの発明」といい、この作品といい、主人公が精魂傾けて創り出すものが、実体の伴わない幽霊のような存在であることだ。かつては、子どもの頃に夢見たものへの確固とした信頼の上に立ち、小さくとも現実に存在する物を制作していた主人公が、1990年に出版されたこの第二短編集で現出させた物が、実体を欠いた観念のお化けのようなものであることに興味を覚えた。さしものミルハウザーも、この時期、夢想の実体化という飽くなき夢の追求に、疑問を感じはじめていたということだろうか。 -
幻術師アイゼンハイムの原作
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幻想文学って夢と現実が混ざるようなのもあれば、幻影と現実、虚構と現実、の組み合わせのものもある。現代アメリカの作家であるこの人の作品で、懐かしくさみしく美しく、読んだ人のこころにしみるのはまぎれもなく幻影、だとおもう。故郷なき新大陸アメリカの郷愁よ我は汝を愛す...!!過去たくさんの人々にあいされてきた文学作品を下敷きにしたものや、一見クラシカルでありきたりなミステリー小説にほどこされたゲーム盤のしかけなど、憎いね!小憎らしいね!!クックゥゥ〜!!って唸っちゃう短編ばかりで、その並び方もなにげに素晴らしい。T・S・エリオットの詩の『漫画訳』小説にはたまげた!!!
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過去の航海を思い返すシンバッドと
不思議な国に迷い込むシンバッドの「シンバッド第八の航海」
空想上のオリヴィアとデートをする「ロバート・ヘレンディーンの発明」
落下中のアリスの思考をたどる「アリスは、落ちながら」
映画館のカーテンの裏に忍び込む「青いカーテンの向こうで」
弟の誕生日に集まった兄弟と彼女の「探偵ゲーム」
見るたびに違う印象を与える「セピア色の絵葉書」
不思議な展示品ばかりそろった「バーナム博物館」
アルフレッドの「クラシック・コミックス#1」
突然の大雨にずぶぬれになる「雨」
元家具職人で天才奇術家の「幻影師、アイゼンハイム」
ブックデザイン:田中一光/田中デザイン室 カバー装画:喜多村紀
不思議な物がごちゃごちゃしている雰囲気が好きです。
「アリスは、落ちながら」「セピア色の絵葉書」「バーナム博物館」とか。
あとは自分の技を追求する「幻影師、アイゼンハイム」も好き。
「雨」のシュールな具合も何とも言えず。
わかりづらいものもあるんですが総じて不思議な印象。