- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569693613
感想・レビュー・書評
-
自分のワガママを認めさせ、相手のワガママを承認する話。
組織の中で1人を貫く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
無意識に私も相手に期待してしまっている部分があるなと思った。わたしはわたしが選択して、自分のやりたいようにやろう、そして、相手が自分のやりたいようにやっているのも許そう、そう思いました。
-
著者は、人間のある面がひどく嫌いという。いわゆる「よいこと」を絶対の自信を持って、温かい眼差しを持って強要すること。とりわけ、他人が喜んでいるときに喜ぶように、他人が悲しんでいるときに悲しむように共感することを強要する、他人の鈍感さと傲慢さが嫌いなのだという。
共感は演技を呼び起こし、共感する者は賞賛され、共感しないものは非難されるがゆえに、人々は必死になって演技する「共感ゲーム」が繰り広げられる。誠実さに対する神経が異常に発達した人間は、こうした共感ゲームにコミットすることが無性に不愉快なのだ。
他人からはどんなに馬鹿げて見えようと、自らの欲望にごまかしがないこと。著者は、世間体や金銭などを削ぎ落とし、自らが一番したいことをはっきり見定め、それに携わって人生を歩むべきであると主張する。
人は誰も、他人とは異なる個性を持ち、他人とは異なる経験や知識を持ち、他人とは異なる価値観と意見を持ち、他人とは異なる人生を送っている。誰が正しく、誰が間違っているなどということはない。誰もが自らに対して誠実に生きる権利があるはずだ。
この社会で不快なことは、自らに誠実であろうとすること、すなわち「世間の常識」に従わなかったり、多数派に参加しないことを、頭ごなしに、徹底的に叩こうとする人間がいることだ。自らの価値観が絶対であると誤解し、さらにそれを他人に強要するという二重の過ちを犯している。
共感ゲームは、いじめの構造と同じだ。自分が共感ゲームに参加しないと非難を浴びる。いじめる側に立たないと自分がいじめられる。残念ながら、その状態が「安定解」となってしまう。多数派に参加するか、参加する演技をしなければ、排除されることを覚悟しなければならない。自らに誠実であろうとする者は、常に努力して多数派を形成できるほどの説得力や人望を身につけるか、排除されることを厭わずに自らの道を突き進むしかないのだろう。
人が集まって同じことを行えば成果が上がるし、効率もいい。しかし、集団では主体性が失われることもあるし、個性を活かすこともできないし、社会の多様性も失われる。すべての人間がそうした「戦略」を取る義務などない。自らの道を選ぶのも自由である。 -
そうか人間嫌いにもルールというかコツがあるのだな。
-
虚礼的な共感ゲームが今の日本に蔓延っている
というのには大いにうなずいたけれど、
やはり完全に(家族を含めた)他人に、100%期待しない生き方は
難しいな〜と思った。
この本にすっかり共感できるという人が、私にはまぶしい。
読み終わった後も自分の頭の中で猛烈に自問自答中。 -
中島氏の著作で初めて読んだのがたしかこの本だった。
当時のレビューです。
----------------
大多数の人間のことを『善人』と皮肉めいて終始呼称するところに驚いた。
けれども自分の心のとっかえ的なものがすっきりした気がした。
『人間嫌い』をカテゴライズし、曖昧な『人間嫌い』という概念を主観全開で定義する箇所は読む人によってはかなり嫌悪感を感じるだろうが
自分は人間嫌いなのかもしれないという人は読むべきだと思う。
なぜならば自分を『人間嫌い』だと思っている人の大半はこの著書に沿えば『善人』に分類されるであろうからだ。 -
人間嫌いにも種類があり、それを確認できたのは有益であった。
-
著者程ではないけど、人間嫌い。
共感ゲームは大嫌い。子供の頃から違和感は感じていた。
だから、人間嫌いの分析についてはかなりなっとく。
でも私には人生おりられるほどの勇気はありません。確実に世界が狭くなってる感はあるけど… -
タイトルの通り「すすめ」ではなく著者が過ごしてきた「ルール」の披歴。念のため。
-
自分も人間嫌いだと思ってたけど、これを読んでみたら全然そんなことなかったことに気づかされました。
人助けをして見返りを求めてしまう心理にはとても共感。他者に期待してしまうことによる弊害もあるので、他者になにも期待を抱かないのが、じつは賢い生き方かもしれないと思います。