- Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569760841
感想・レビュー・書評
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2020-5-27 anazon p50%
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ここまで断定してしまっていいのかなぁ...と思いもするけれど、納得感は大きい。とはいえ、これも一説なんだけど。
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地理・地形・土木の観点から史実を読みといていく一冊。
トンデモ本なような気がしないでもないが、ミステリー小説を読んでいるようで興味深い。
大阪城や延暦寺がいかに抜群の立地であったかがわかる。
利根川大工事や吉良家への仕打ちなどを読んでいると、徳川家康の執念深さと忍耐強さにゾッとする。 -
本書、全体的にはなかなかおもしろかったです。地形や歌川広重の浮世絵から歴史的事象を考察するという内容で、ミステリー調の雰囲気があります。ただし題名と中身ですが、「日本史の謎は「地形」で解ける」、というのは本書を読む限り言い過ぎではないかと思いました。本屋で目につくためにも少し誇張して言ってしまえ、というところかもしれませんが、歴史は人文社会系だけでは説明できないのと同様に、地形だけでも説明できないと思います。しかしそのあたりは寛容に読み進めていけば、本書はなかなか面白いと感じました。全部で18章からなっていて、家康や赤穂浪士、遷都など多様な事象が取り上げられていますが、読者諸氏はそれぞれピンとくる章と、全然ピンとこない章とが出てくるのではないでしょうか。また著者は浮世絵が好きなようで、特に広重の絵からインスピレーションを得ています。これはなかなか面白い。ある種の推理小説風です。しかし広重に詳しい人であればご存知のように、広重の絵は架空の事象も描かれていたり、見る人を飽きさせない良い意味での脚色があることで有名です(雪が積もらない蒲原を積雪の絵で描くなど)。ですから広重の絵を100%当時の写実的なものとして解釈することは相当危ういのですが(現実にはなかった要素を絵の中に入れている可能性が十分ある)、本書はそういう細かいところはおいて、ある種の推理小説を読んでいるような気持で読むと面白いと思います。
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地形から人の感情や歴史の動きを説明していて面白い。地域文化を知る上で地形観点から分析するヒントになりそう。
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土木(河川事業)の専門家の視点で論じられ、「なるほど」とうなずける話もあれば、「う~ん」と唸ってしまうトンデモ話(信長の比叡山焼き討ち、赤穂浪士)も。
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該当する時代の地形からアプローチし、歴史上の疑問に仮説を与えてくれる一冊。
登場する地名をすぐに訪れたくなるほど、熱量のある筆致でした。とりあえず浅草寺と泉岳寺に行きたい。 -
2022/9/18
・6000年前のは気温が現在よりも数度高く、海水面が5mほど高かった。これが「縄文海進」
・日比谷入江の埋立によって居住空間を増やすとともに船が接眼するための水深を確保した
・利根川の東遷は会の川締切から始まり、赤堀川の掘削と拡張と100年単位の大事業だった
・平安京に遷都した桓武天皇の時代にはまだ夷が残っており、京都への出入口である逢坂の関を守る比叡山延暦寺を創建して、征夷大将軍を任命した
・鎌倉幕府の成立期には京都の人口は20万人ほどで周縁はスラム化しており、周辺ははげ山が多く出水が増えており、衛生状況が悪かった。そのため疫病で4万人以上が死亡する事態となっており、これを嫌った頼朝は鎌倉を本拠とし続けたのかもしれない
★当時人口重心が関東に大きく移ってきており、その関東の力を利用するためだと思う
・船を使えば伊豆から三浦半島、房総半島は近く、頼朝は決起前から関係を築いていた可能性がある
・鎌倉は三方を山に囲まれ、南は遠浅の海である。遠浅の海は船での接岸が難しく攻撃が非常に難しい
・日本は平安時代に牛車が多く描かれているがその1/3は暴走している姿であり、去勢を行わなかったこともあり牛馬の制御に失敗した。江戸時代には牛車が描かれることは少なくなり車輪文化が発達しなかった。特に長距離移動では、山がちで湿地帯が多く車輪が用をなさなかった。東海道において一部海路が使われたのは濃尾平野が当時統御できない湿地帯であったためである。元寇の失敗も馬の活用がうまくいかなかったのも一因かもしれない
・半蔵門から伸びる甲州街道は尾根筋の道で、浸水することがなく見通しが良くて高所からの攻撃を避けられる条件の良い街道である。また、半蔵門は橋ではなく土手となっており、裏門ではなく将軍が使う正門であった可能性が高い。土手であるため警備が厳重である必要があり、親藩や旗本宅で固められていた
・吉良家は源氏棟梁の分家だった足利家の分家で将軍代理もだしており一門衆の筆頭だった。吉良家はもともと三河守護であり、その分家から今川が生まれた。徳川家とはもともと領地を接する深い仲だった。高家筆頭として朝廷との折衝を任されてきたが、松の間での刃傷事件後の扱いは悪く、邸宅を江戸郭内から川向(下総) の両国に移された。これが襲撃を可能にした。高輪大木戸と品川宿の間に泉岳寺があったことは忠臣蔵のテーマパークとしての観光地化に有利に働いた
・江戸の飲水の確保は、初期では小石川用水(のちの神田上水)の開削と虎ノ門堰堤が支え、のちに玉川上水が加わった。明治期の近代水道によって淀川浄水施設が作られ、堰堤は埋め立てられ、貯水機能は小河内ダム(多摩湖)など山奥の上流に移され、水確保のインフラが一般市民に意識されなくなった。
・隅田川の治水は昭和初期の荒川放水路の完工で完了したが、江戸時代には大きな課題だった。そこで自然の台地だった浅草を使い日本堤と隅田堤に囲まれた遊水地を作ることで治水をはかった。浅草は日比谷などとは異なり浅草寺が1000年以上の歴史を持つ中洲の台地だった。更に日本堤には明暦の大火後に吉原、隅田堤には桜並木と料亭街を誘致してその維持に当てた。
・アダムとイブの子である、カインとアベルは前者が農耕民で後者が遊牧民であった。神がアベルの捧げ物に興味をもったことを妬んだカインはアベルを殺してしまうを
・大和政権は大陸の影響を色濃く受けた政権であり、潮流によって大陸からの人やものが入ってくる福岡から水運がよい大和盆地を最初の本拠とした。大阪湾から大和川を遡ると、当時の大和盆地は湿地湖であり船による移動が容易だった。シルクロードの執着地点として正倉院に収められている宝物が集まり発展したが大和川流域は面積が狭くすぐ資源を使い尽くしてしまい遷都を余儀なくされた。
淀川、鴨川、琵琶湖の淀川水系は流域面積が大きい上、琵琶湖を使って、日本海側、太平洋側、東日本にもアクセスが良く1000年の都となった。奈良は交流軸から外れ発展から取り残されたタイムカプセルとなった。
淀川流域の資源も枯渇が見られるようになったあと、より広い利根川流域の江戸が首都となり、さらに街道と廻船といった全国流通を整備し、全国の木材用地や鉱山を天領とすることで流域の資源への負担を減らすことで長期での繁栄を可能にした。
福岡は大きな川がなく開放的な地形で、食、安全、エネルギー面ではネガティブだったが4大都市に数えられるほどに発展したのは潮流によって大陸からの玄関口になっていたため。交流軸の一本で大都市となった
・大阪や堺は緑が少ない。それは庶民や商人の町であり、東京のような権力者による土地の緑地確保がされなかったため。大きな緑は全て権力者によるもの
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気楽に楽しい
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日本の地形から謎を解いている作品。
歴史はミステリ。
視点を変えれば今まで見えていなかった事が見えてきます。
京都がなせ都になったのか?
鎌倉になぜ頼朝は幕府を開いたか?
江戸に移封れた家康の本当の苦労とは?
当時の地形・気象・インフラなどの事実資料から謎を解いていきます。
今までの歴史は人文観点からの物語の為、いろいるな考えがあり議論や多様な作品が生まれています。
只その当時の地形や気象、現在のインフラから考えると又違った歴史の解釈が見えてきました。
学校の授業も歴史を地理や理科などと組み合わせれば、もっと違った物事が見えてくるかもしれないと思いました。歴史・時代小説を読んで感覚が変わってくると思います。
18章に別れ、各々に江戸・大阪・近畿・比叡山なか福岡などの謎が地形から解かれていくので、自分の興味ある土地の謎を読んでみても良いかもしれません。
そして最後の最後に推理ゲームとして、あの歴史上の最大ともいえるあの謎にもチョッとだけ触れています。