森に眠る魚 (双葉文庫)

著者 :
  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575514643

感想・レビュー・書評

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  • 角田光代ワールド全開。本来絶対的存在である我が子(と自分自身)を、次第に「比較」の中でしか愛せなくなっていく女たちの狂気がリアル。完全なフィクションとして接しないと引き摺り込まれるので注意。

  • 物語に出てくる女性たちと同じくらいと思われる年齢だった頃の自分を思い出す。
    後悔が大半をしめるので、読後は気持ちが沈んだ。
    登場する女性それぞれに共感する部分があり、人物が細やかに描かれている。
    人は縛りの中で生きているんだとあらためて感じたが、その縛りは自分で作っているものではないかとも思う。
    この物語を通して、自分の生き方を考えさせられた。

  • こわかった〜〜
    ちょっとしたホラー小説。

    今はLINEやSNSがあるからこの小説よりももっとママ達は生きづらいだろうと察する。

    自分よりも何百倍も大事であろう子供のことだと他人と比べてしまうのはどうしようもないだろうなぁ。
    登場人物の5人の母親達は狂ってるようでまともだと思う。人間そんなもんだよなー。
    でも男の人が読んだら”バカらしい”の一言で終わりそう。

  • アメトークでオードリーの若林さんが紹介されていたと思う。
    「ママ友」というキーワードに反応して猛烈に欲しくなったが、自宅近くの本屋には在庫が無く・・・。
    そんなことを職場の先輩に話したところ、購入してプレゼントして下さった。
    本当にお優しい(T_T)

    幼稚園や小学校くらいの子供の母親を経験したことがある人であれば、誰かしらにぐっと感情移入できるかもしれない。
    私は田舎の母親なので、受験には縁が無いが、それぞれの母親の持つ感情はとてもよくわかる部分があった。
    短い時間でぐっと入り込んでしまった。

    もう少し大きな展開があっても良いかなと思ったが、十分楽しむことができた。

  • 1999年に起こった「文京区幼女殺人事件」(通称:お受験殺人事件)を題材にした小説であり、数年前のドラマ「名前をなくした女神」の原作になった小説。

    女同士のドロドロを描かせたら角田光代さんの右に出る者はそうそういない、といつも思う。
    探り合ったり、貶め合ったりしながらも、実際顔を合わせたときには何事もなかったように笑顔で振る舞う。崩れるギリギリのところで保たれる関係。
    その裏側にあるのは不安や嫉妬。というのは、学生時代から子どもを持つ親に変わっても、変化することはないものなのかもしれない。

    未婚で子どももいない私が読んだ第一の感想は、ママ友って面倒くさい…というものだった。自分自身だけの人間関係ならば多少孤独を感じても平気だけど、自分の振る舞いが子どもの人間関係にも影響を及ぼすと思うとそういうわけにはいかない。
    幼稚園や小学校の受験は田舎に住む私には身近ではないけれど、都会に住んでいて子どものお受験に励む母親というのは実際たくさんいるのだろうし、そんな中でママ友同士のトラブルというのもたくさんあるのだろう。
    幼稚園や小学校に通う立場である子どもは蚊帳の外で、実際は親同士の戦争であるというのが滑稽だとも思う。
    子どものためを思うから幼稚園から良い所に行かせたい。それは愛情なのかもしれないけれど、そのために子どもに苦しい思いをさせるのは果たして。自分が誇らしくありたいから子どもを良い所に行かせたいだけではないのか?
    そういう感情ってはっきりと線引き出来るわけじゃないから難しい。
    健康で育ってくれれば、とは思っていても、出来の良い子どもに育てば誇らしく思うのは当然だろうから。

    まだ幼い子どもを持つ5人の女性、それぞれの目線で描かれていく連作のようなつくりの小説。年齢も、立場も、生い立ちも、家庭の経済状況も、当然みんな違う5人。
    違うから子育てに対してもそれぞれ違う考え方を持っているはずなのに、関わり合うことで影響を受け合って、最初は友好的だった関係がだんだんと変化していく。
    ほんの少しのズレやすれ違いが思い込みに変わって、緩やかな雪崩のように関係が壊れていく恐ろしさ。大袈裟ではなく身近にありそうだからこそゾッと背筋が寒くなる。

    でもいつも思うのは、角田さんの小説には“ひかり”を感じる。
    ドロドロしていて痛々しくて恐ろしくても、その先にはまだ未来があるんだと思わせる不思議な力強さがある。
    実際は殺人事件にまで至ってしまった出来事が、小説では…。

    容姿、年齢、夫、経済状況、そして子どもの出来に至るまでが嫉妬の要素になる“ママ友”。その中で本当に信頼出来る関係を築くのは不可能なのだろうかと、考えてしまった。

  • 5人の仲良しママ友が、子供のお受験をきっかけに歪んでいく物語。

    嫉妬、仲間外れ、、
    誰かと比べたってキリがないのに、
    やっぱり同じ土俵に立つ者同士
    比べてしまうのだろうか。

    いつまでもみんな仲良し、みんな一緒であることなんてできるはずもないのに。

    そう思いながらも、私も自分の子供が例えば公園とかで
    遊んでいる他の子供たちより言葉が遅かったりとかすると
    落ち込むことはある。
    高価なブランドの服や小物を身に着けている子供を見ると
    羨ましいなと感じることはある。

    そうやって周りと自分の子供を比較などしたくないものである。

    「よそはよそ、うちはうち」
    自分が小さい頃は親がこの言葉をいうと
    なんて都合の良い言葉なんだと思っていたけど笑、
    実はとっても素敵な言葉なんじゃないかとふと思った。

  • 未婚男性なので登場人物に共感は持てなかったが、
    結婚をし、母親になるって事はATフィールドを強固にする可能性大なんだな、怖気がした
    タイトルの森が社会と雑多な意識、魚が閉じられた世界と歪んだ自我って事なのかな

  • ママ友なんて作るもんじゃない。そもそもママ友ってどんな関係といえるのか。友とつくほどの間柄に果たして人はそう簡単になれるものなのか。胸がざわつく内容だった。

    世の中を見渡せばママ友がいて良かった、という人だっている。こんなおどろおどろしいことになったことなんか一度もなーい。そんな人だっている。
    そんな人達とこの作品のママ5人は何が違っていたんだろうか。

    ママ友という関係がうまくいかない形ではないのかもしれない。
    そこに適度な気遣いがあり、互いに踏み込まない暗黙の了解があり、粛々とそのルールに則って行動する人であれば成功したと言えるのもしれない。ママ友という形を否定はしないが継続するのは身も心も削られるものであることは避けようがないと感じる。

    疑心暗鬼。それが明暗を分けたのではないかと思う。
    馬鹿にされているんじゃないか、子供の頭が悪いと思われているんじゃないか、稼ぎが少なくてかわいそうと思われているんじゃないか。
    たらればが大きな疑心暗鬼を生み出し無いものがあるようにみえ、あるものが見えなくなる。

    孤独な育児が生み出すしっとりとした孤独感は親であることや愛する我が子のために頑張る自分を鼓舞させながらも、自分にはそれしかないと思い込ませ、輝きを失ったなにかのように自身を感じてしまう。

    もっとこうだったら、もっとああだったら、ここでもたらればは止まず、そんな不安定な時に不安定な人達に出会って自分だけがこんな風に悩んでいるわけではないと感じることで運命共同体のような繋がりを勝手に抱いてしまう。

    わかってくれる、この辛さもしんどさも理不尽さも。旦那への愚痴も理解のなさも何もかも共用できる。そのうちとても親しい間柄だと勘違いする。
    こんなにあけすけに何もかも話せているのだから隠し事もないマブダチのようだと勘違いする。

    ところが蓋を開けてみれば各々がちゃんと個別に蓋をしていてそれに気づかない。蓋をされていることがわかるとそれを拒絶だと受け取る。信用されていない、言ってもわからないと思われていると憤慨する。

    たまに会う程度の人達だったからこそ、共通点があるというだけで親近感が増したのではないか。
    広く見渡せば我が子と性別も歳も好きなものも同じような子はたくさんいる。そのすべての人たちと腹を割って仲良くなれるかといったら普通はならない。でもそう思い込める。出逢った世界が小さければ小さいほど。
    こんな広い世界でたまたま、こうして出逢ったことが奇跡的なんだと美化できる。

    勝手に美化したマブダチは付き合いが進むにつれ、違和感が膨れてくる。でも同じ幼稚園に通っているし、子供同士は仲がいいし、明日も明後日も顔を合わせなければならないのだからこれくらいは我慢すべきなんだ、思い過ごしなんだと自己暗示をかけるもやはりそれは徐々に解けていき真実を目にしたときこんなはずじゃなかったと相手に対して一方的に裏切られたと憎しみや怒りを露わにする。

    同じ、ということだけで繋がれていた。
    少しでも何かが変われば関係も変わってしまうのだろう。

    ただ読んでいてこんな気持ちなったことあるわぁ、と頷けるところも多々あった。
    だよねー、わかるー。
    この一言がほろりとするくらい嬉しくなるのを知っている。
    この身も蓋もない行き場のない気持ちを知っている人がいて、わかるよーと言って受け止めてくれたら、あー、この人いいなぁとなる。
    つい、友達ではないはずなのに特別な感情を抱いてしまう。塞ぎようのない風穴があった。その風穴をママ友が埋めてくれたことで一気に盛り上がってしまうのかもしれない。

    子育てをしていて感じる孤独感はママ友ではなくて、共にするパートナーと分かち合いたいはずだ。
    これから子育てをする男性陣にもぜひ読んでみてほしいと思う。

  • 今、わたしは保育園児の子供を育てているけれど、周りと比べることなく過ごしている。
    それが、受験するとなればこんなふうになってしまうのだろうか?と考えてしまった。

    自分の身の回りにはいないけど、こういう面倒くさい心情、学生の時にはあったなあ、とリアルな女性たちの描かれ方にヒヤヒヤとした。

    終わり方は、なんともあっさりしていたけれど、それぞれの未来に希望を見出せるようで、よかったように思う。

    数名の方も書いているが、オードリーのラジオで若林さんが話にあげていたので、気になって読んだ。

  • 読みながら名前をなくした女神っていうドラマを思い出してたけど、解説を読んで初めてモチーフになった事件を知って驚いた。途中、名前のない不気味な「彼女」の描写があったのはそういうことだったのか。時代設定も。



    たまたま近く住んで、たまたま歳の近い子を産んだだけで、知り合って、仲良くなって、でもそれって本当に友達なんだっけ?という違和感がありありと描かれているお話。

    なんか、誰もが「これでよかったんだっけ?」と思いながら生きてるんだよな、というのを改めて思わされるお話だった。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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