- Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582702880
作品紹介・あらすじ
ベルクソン、フロイト、ベイトソンの思想、モリエール、カフカ、サルトルの文学、チャップリンやタチの映画などの新しい読解から、この永遠の謎の解明に一石を投じる、ブルデューとともにLiber叢書を立ち上げた現代フランスの知性による画期的な哲学エッセイ。
感想・レビュー・書評
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絶賛されているお笑い芸人がいて、年末のお笑い番組で見るんだけど、周りが爆笑しているのに何が面白いのかわからない。納得がいかずにユーチューブでいくつか作品を見てみるのだけど、やはり何が面白くて皆が笑っているのかわからない。
それは、とても奇妙で不快な世界。
そういう観点で本を探して、こんなこと研究してる人がいるのか!と感動した。笑いの感覚っていうのはなんとも難しいなあと。古典の漫才ではたぶん人の思い浮かべる生活習慣にブレがなくて、共通認識を得やすい世界観だったのだと思う。
何が笑えて何が笑えないのか。笑いとはなにか。
真正面から真摯に取り組んでいてとても好感をもった。紹介されている喜劇を見てまた考えてみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ベルクソン 笑いの種類
・繰り返し
・ひっくり返し
・系列交叉
物事はそれ自体において滑稽なのではない。ある特別な機能、つまりある話や行為や状況を枠に入れるという機能を果たすがゆえ滑稽となるのだ
枠の内外
枠のないこの領域が、極めつきの<不気味なもの>の領域である
詩人は言葉と言葉をぶつけて、それらの殻を破り、類の一般概念と固有名詞に分解する以前の、生命の花の蜜に溶けた言葉を取り戻す。そのことにより、たとえ短い時間であろうとも、生と言葉は結びついて新しいかたちを描き出す -
読みたい。
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ほんとうに生きている生は繰り返さないとベルクソンは言う。生きるということは、驚きに満ちたものであり、しなやかに適応することである。
人間は必然的に狂っているので、狂っていないということも狂気の別の様態において狂っていることである、とパスカルは言っている。
想像力と注意力、そして恐怖その他についての驚くべき鋭い記述を通して、パスカルはこの言葉の中身を存分に示そうとしている。
滑稽さは自然現象ではないというのである、すなわち、人はそれ自体笑うねきものである性格を笑うのではなく、ある特別な枠の中に入った性格が滑稽だから笑うのである。ということはつまり、あらゆる欠点ばかり美展すらも滑稽になりうるということだ。
笑いは既存社会に執着して、粗野で卑猥で下品と笑いが弱いものにしている。笑いは実際に簡単に低俗化する。しかしそれは笑いが不安定だからである。そうした堕落から笑いを守らなくてはならない。なぜなら笑いの機能は人間社会に本質的なものだからである。笑いは夢の新関であり、神秘に接して花を開き、熱狂のさなかにそれ自体が神秘に達する。笑いは人間的な意味の本質的な弱さを明らかにすつつ、しかしその弱さを振り払う手段を与えてくれる。 -
図書館で借りた本。
和訳が回りくどすぎて、理解が難しかった。
またゆとりのあるときチャレンジしてみよう。