- Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582760958
感想・レビュー・書評
-
松浦弥太郎氏のお勧め本と言うことで、タイトルに尻込みしながらも手に取る。
「生死の堺にある人が、どうしても生き抜こうとする場合、自分の仲間達以外のものを略奪するか、ひそかに盗む以外に方法はなかった。」からはじまる昔の日本の話。
飢饉、貧困、子減らし、人権なく扱われる人々等、主に明治以前の人々の暮らし。日本の民俗学と言うことでは興味深く読めるところも有るが、なかなか読みづらい。
【心に残る部分】
貧しい島の人は、その漂流物を目当てに船の難破を願う
享保の大飢饉 1732年
ひどい例だと村の20%以上の人々が餓死した
一般にこの時代の飢えた人々が、家畜の肉を食うことと人肉を食うこととの間に、犯すことのできぬ境界線をそれほどはっきりとはおいていないふうにみえることは、今日の常識からすれば少なからず野蛮で、戦慄すべきことかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「逝きし世の面影」へのカウンターとして。
炭鉱と女衒、後半のこの二つが印象深い。前者は人を人とも思わない労働環境に逞しく生きる女性が、後者はこれまでとは逆に人を使う側のある意味立志伝的な面白さがあった。
読むのに時間がかかりすぎたが、その分考えることも多く得るものもあった。 -
日常的な飢え、物乞いや掠奪の生涯、虐げられる女や老人――ついこの間まで貧しさの底を生き継いできた日本人の様々な肖像。忘れている昨日の私たち。解説=大月隆寛
-
貧しさゆえに庶民が背負った悲しい物語も、いつかは忘れられてゆく。
宮本常一による聞き書き「土佐檮原の乞食」が収録されている。何回読んでも楽しい。
彼らもかつては社会の構成員として存在していたことがうかがえるが、今では町で見かけなくなり、“乞食”が“ホームレス”という呼び名となり、排除や管理の対象となった。 -
気が滅入って読むのが辛い本でしたが、決して遠くない日本の現実物語でした。忘れてはいけないと思います。
-
5巻シリーズの1巻目。予想以上に中身が濃く、読み込むのに時間がかかって、珍しく一週間近くカバンに入ってました。
サブタイトルにもある通り、日本が貧しかった時代に翻弄され、過酷な環境に晒され、無残に死んでいった人々について、民俗学の視点を踏まえて記されています。一番古い時代だと1400年代、新しいところでは1950年ぐらいまでの話が収録されていて、ものによってはそんなに「遥か昔の話」ではないので、田舎で年配の方に話を聞いたら、同じような物語が語られるかもしれません。
貧しい時代は大変だったんだな、の一言で片づけるのはあまりに短絡で、紹介されている物語のうちのいくつかは、今の時代でも似たようなことが起きているな、と思わせられることだったりします。
例えば1800年代のコレラの蔓延について、当時の人々は沈没した異国船に積んであった毒酒が流れ出て魚が感染したため、魚を食べたら発症すると信じて魚を忌避したため、魚屋や漁師が困窮した、という記録があるようです。こうしたデマに振り回される傾向は、今も大して変わらないでしょう。民俗学を通じて古今東西変わらない人間の本質を見ることができます。
また、女郎や遊女について触れた章では、当時の性産業に身をやつすこと、あるいは身を売られることで、女性がどれほど苦悶に身を焼かれていたかということについて、具体的に知ることができます。これが分かると、例えば古典落語を聞く時に「吉原に身を売られる」ということが、どれほど重いことなのかを今まで以上に重く受け止めることができるようになるかと思います。
読み応えがあるので読了には時間がかかると思いますが、自分の国の暗い歴史を知ることも必要でしょう。読んでおく価値は充分にあると思います。 -
宮本常一の民俗史作品を読んでから、庶民の文化史に関する本を読んでみようと思って探してたら行き当たったのがこのシリーズ。あとがきが大月隆寛、昔、ナンシー関と「クレア」で対談の連載をしていた民俗学者だ。
本作は、シリーズのまとめ的な作品集。だから、いろんな時代、階層、職種にまたがった包括的な「圧制と生活苦にあえぐ庶民」の姿を描いている。
日本の民衆の、なんと貧しいこと・・・貧しいのは普通のことだったのだが、その貧しさもいろいろなのだが、食うためにはそのとき、その場で必要なことはなんでもやる、生き延びるために耐え忍んだという表現がふさわしい。ときには強奪、子殺し、堕胎、捨て子、口減らしのための売り子まで、とにかく生き延びることが最優先だった。自由も利かない、選択肢なんてないような生活だ。これがたった60年位前までの日本人の大多数だった。
いま読んでる途中だが、面白そうな章から読んでいる。女性に関する章と、子殺しに関する章を読んだ。
明治から戦後すぐくらいまでの生活の話だけれど、まあ、昔の女はよく働いたこと・・・身分制度でがんじがらめになってたのは男も女も同じだが、女の場合は男よりもさらに格が下だったので、庶民の生活はほとんど奴隷と同じである。
明治の機織の女工、紡績工場の女工(これはシリーズのほかの本に詳しい)、炭鉱、百姓、芸妓と遊女・・・小さいころから女の生きる先は限られていて、それこそ物心ついてから死ぬまで一生懸命働いた。
百姓のばあさんの回顧などは宮本常一の書いたものだと思うが(本には書き手の名前が書いてない)、苦労をいたわるような視線はとても優しい。百姓のばあさんの記述に、「人の情で4人の子を育てた。人の悪口はいわない、悪さをすれば情をかけてもらえない」というくだりがあって、尤もなことだと思った(P402)。
自分の作ったものに余剰があるとき、いや余剰が無くても、困った人があったらできる限りのことはする、そして人の悪口を言わず、何事にも感謝する。そうしないといざとなったときに誰も助けてくれないのだ。現実的な処世の術である。そのためには、がんばって働かねばならない。人の何倍も一生懸命やるのだ。
また、このおばあさんは「自然が助けてくれた」とも言う。戦前戦後の食糧難も、森に入って栗を拾って草の根を掘って乗り切った苦労。自然に対する謙虚な感謝の気持ちが、美しいなと思った。
こういう日本の庶民の姿勢は、とにかく、奢ることなく、謙虚に、人を助けつつ自分が困ったときには助けてもらう、そういう助け合いの精神が根底にある。人の子供でも、縁があったら助けてあげるのだ。自然にある神を敬い、謙虚に生きる。
伝えるべきは、日本文化のなかでは否定されてきた泥くさい精神ではあるが、自然を拝み、苦しさに耐えて黙々、粛々と自分のできることをやっていく民衆の美しさではないかと改めて思うのだ。
こう書くと、美化しているような感じもするけれど、決してそうではなくて、日本人が誇りにするべきはこういう精神だと思う。残念ながら、こんな共助の精神は、ほぼ死滅状態なんだろうけれど・・・
また、明治までずっと子殺しや堕胎がとても一般的だったことも驚いた。でも、日本ではいまも子供は親の所有物のように考えられているから、昔の延長線上にあるのかなと思うと納得である。間引きは、自分で産んだ子を殺したり産婆が殺したり、いろいろだったようだが、4人も子供を産んだ自分としては、親はつらかっただろうなと思う。10ヶ月もお腹で育て、産む時だって死と隣りあわせで産むのに、生まれたらすぐに息の根を止めるんだから・・・考えると暗黒の時代のように思えるが、これがたった百年前のことなんだから・・・日本のどこが近代国家??という感じである。
ここまでひどい貧困状態が書かれている本なのだが、唯一の希望があるとすれば、人間、相当の限界でも生きていけるのかな、と思えることだ。将来、食べ物にも事欠くような状態になったらどうするか、サバイバルについて考えることができる。いいのか悪いのかわからんが。
あとは、国なんて頼りにしちゃいけないな、ってこと。何かあったら、普通の人は、徹底的に骨までしゃぶられます。西洋的な国民国家の概念は、たぶん日本は外面だけで、中身は違うと思う。
昨年からの原発関係の対応を見るだけでも、私はこの点だけは確信している。 -
宮本常一民俗学
-
聞き取りなのか?引用なのか?よくわからないために、どの程度真実なのだろうか?
史実であるというよりも、まぁそんなこともあったんだろうね程度で読む方が良いのでは無いだろうか?
お話としては、興味深く読めた。一言一句真実だとは思えなかった。 -
昔読んだ。ちょうど10年ぐらい前だったと思う。再読。
なにやらあやしげな世界を階級史観でぶったぎっていく、なんだか痛快な本。
あとがきで大月隆寛が韜晦した文章を書いているけど、その通りで、内容とコンテキストの両方が楽しめる。
民俗学に詳しいわけじゃないけど、その理念というか、立ち位置は分かる。歴史は英雄豪傑風流才人が作ってきたものではない。
そういうまっとうかつナイーブな視点に、満州になだれ込んできたT-34戦車のような階級史観。またこれが歯切れがいいよ。当時はどうだか知らないけど、今読むと、香具師の口上のような小気味良さがあって。
それに、「マンガ日本昔ばなし」流の田舎言葉。「わしは〜〜しただ」ってやつ。それもある種のイデオロギーに基づく記号化なのじゃないかと思うと、テキストの奥深さを思う。
さらに加えて、この題名。
重層的に面白くなってしまい、さらに、読んでいてふつうに面白いのですよ、この本は。