- Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591090909
感想・レビュー・書評
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自分の好きな作家についての評文が載っているらしい、という事を知り手に取った。
読み終えて既読、未読の本も含め、この方と自分は割と読書傾向が似ているらしい事が分かり、紹介された本の数々に改めて思いをはせると共に、その夭折を残念に思った。
自分自身の感性をどうしても変えることができなかった故の結果だろうが……身の回りの好きなもの達を次々語る楽しげな口調が次第に変質していく日記文はとても痛ましく、結末が悲しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自ら決める。
ってな事で、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』
2001年6月13日から自らの意志でこの世を去る2003年4月26日までのネット上で発表された彼女の日記。
好奇心から読み始めて、ぐちゃぐちゃな感情へと引きずり込まれる。
中盤までは二階堂奥歯と言う人間の真っ直ぐさ、濁りの無い強烈な真っ直ぐさに興味を持ち惹かれていく感じ
中盤過ぎからは徐々に曲がり出してくる真っ直ぐさに目を背けたくなるが、目が離せない
結末を知っているのに、ハラハラしながら読んでる背徳感と言うのか
分かりたい、分かりたくない、分からない、分かりえない
何でと思うわしに、二階堂奥歯もなんで分かってくれないのと思うんじゃろうか
これは本人しか分からない事であると思うし、本人でも分からない事じゃないかと思う
真っ直ぐ過ぎてほんの少しええ加減さも許されない、選択しない、出来ない状態じゃったのか
自ら決めるボタンを押せるのは真っ直ぐな人、真面目な人が多いんじゃないかとわしは思う
自らを最大限否定して真っ直ぐに肯定しているのか
ええ加減なわしはボタンは押せないな
その境地まで辿り着いて、無事に生還したT氏と呑みながらその時の話を聞いてみたい。
2022年12冊目 -
知らない多くの本が引用されていて読書の幅が広がるのでとても参考になる。
内容自体は引き摺り込まれる人が多いだろうなといった感じ。特に他人の傷と自分の傷を重ね合わせる人にとってはつらいかもしれない。
何かドカンとしたインパクトがあるわけではないけれど日記の中に常に漂う躁鬱のような感情は人を惹きつけるカリスマのような何かと何をやっても自分が救われることのない矛盾性を感じた。 -
大大大好きな本なんです。
今回が読むの3周目なんだけど、一番刺激的だった気がする。
こんなふうに自殺してみたい…こういういなくなり方をしたい!
憧れだか同化願望だか、つまり人によっては劇薬になりうる魔力。
それがこの本にはある…できれば文庫版より、原本を手に取ってみてほしい。
より奥歯さんの魔法にかかれるから。
原本はもう絶版みたいなんだけど、私は中古で買った。
奥歯さんの魔法にかかっていたかった…また人間的に成長した時に、もう一度奥歯さんに会いたくなった時に、読み返したい本。 -
自分で作り出した山に駆け上がり、眺望に感激した。山を作ると相対的に谷ができるのだけど、それには目をつぶって飛び込んだ。今思うと、あの頃の私は無敵状態だった。でも、闇雲にダッシュし続けると、とんでもないところで無敵状態が終わるのだった。
自分が必要とされていない時も外界に存在して意識を持ち続けないといけないから、悲しいこともある。
道具になりたい。特異的な容器となって、自我を手放し全一性の光の中に溶けてしまいたい。でも、「私」をあずけて楽になっていいの?
この躰からあふれ流れるもの、それは例えば涙ではなくて、私の意思、わたし。もっと溶けて流れてゆけ。私がなくなるまで。
何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることができる。
感情はせいぜい利用すること。最大のエネルギー源だから。
あなたが大切に思っているものを、私は今でも大切に思っている。大丈夫だから。安心して。それを信じて構わないから。あなたが愛しているものを、愛しなさい。
自分自身から離れれば離れるほど、作り物になればなる程愛されることを知っている。しかし、その身体は作られたときから崩壊が始まっているのだ。
崩壊が必ず来ると知っていながら見る未来。だって、崩壊の原因は自分自身なのだから。自分自身によって内側から浸食されつつある存在価値。ねえ腐っていく音聞こえないですか?私の中から腐っていく音聞こえないですか?
崩れる寸前までは完璧でいるから。崖から落ちるまでは見事に踊って見せるからね。
私がぐずぐずして全てを言葉にするのを拒み続けるならば、運命はもっと悲惨な状況を用意することで、無理やり壁を越えさせるだろう。けれど、ストレスは一向に減らない。
私達は強くない。賢くない。悟らない。ずっとは。ずっとのあいだは。でも、一瞬なら。一瞬なら強くなれる。一瞬なら賢くなれる。一瞬なら悟れる。一瞬なら、水面を破ることさえも。自分からさえ跳ね上がることができる。そして私達は、それを思い出にする。
苦痛は眠りに似ている。自我を手放して休むことができるから。
どうしても疲れたならば、苦痛を求めなさい。苦痛があなたを支配している間だけは、目を閉じて意識を飛ばしてもいい。
行き止まりに見えていた道にまだ先があると気づかせてもらえることは喜びだ。
私はどんどん空っぽになっていった。空っぽになりながら、心の底から絞るようにして、悔しいと思った。
「私」は目を閉じることによって、世界を遮断したかのように思い込むことができる。しかし、「私」は〈私〉を閉じることはできない。
しなければならないことは可能なことでなければならない。
逃げ道はある。逃げなければならないものから逃げ出すんだ。立ち直るな。退却しろ。あなたは敗北したのだから。退路を探すんだ。
でもね。これだけは知ってて。本当はね。本当の本当はね。世界はあなたのことを愛しているよ。あなたの周りの人々も。あなたが幸せでいられますように。あなたが世界に許されますように。あなたが、あなたを、あなた自身を許せますように。 -
まだ復刊される前に、びっくりするような値段で古書店で買った。二階堂奥歯という人は、もう亡くなっているということを除いてもとても遠い世界にいる人。少女時代だった自分のバイブル的な本。
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友人に勧められた本。内容を熱く解説してくださっただけでなく「この図書館に置いてもらえるようにリクエストしておいたから、行ったら読めます!」と所蔵図書館まで教えてもらっておりながら、その勧めから半年程間が空いてしまいました。ようやく例の図書館で借りて、途中高速で飛ばしつつも最後まで読了。
読んでいてまず、大変趣味の良い方だったんだな、ということがよく伝わってきました。
と同時に、哲学科を卒業したての、膨大な知を読み尽くしたインテリ(であろうと背伸びをしている一人の女性)であることがこれでもかという程理解させられる文章。いや、記録、というべきか……。
ともかく、「生きていたんだよな、この人」という感慨を持ちながら一つ一つの文章を読み解くのは大変に複雑な感情を伴う作業であり、とても心地いいと言える読書ではなかったです。
なかったのですが、日記ひとつひとつの記事に妙に「読ませる」力のある言葉が毎回数々散りばめられており、その力強さがまた「あぁ、やっぱり生きていたんだよな、この人」という思いを強く抱かせるのでした。
多分、私はこの人と趣味が合って、生きてお会い出来てたら延々、お互いが好きな話をし続けられる気がします。同じく哲学科卒だし。
何というかな、お読みいただければ分かるように、二階堂奥歯という人物と言葉を交信出来る人間は、非常に少なかっただろうと想像出来ます。
ただ、読み終えた今、私は多分この人と交信可能な人間の1人なんじゃないかという妙な確信めいた自信は抱いておるのですね。
この本を読み終わった現在にあっては、「もう17年も前に亡くなった一人の女性」なんですが、今生きてそこにいる人のように二階堂奥歯という人を感じられるくらいには、この人の人となりが非常によく分かる。
そして感じることには、
「いっ、いるわぁ〜。こういう哲学女子」
別段私が人生の中で出会ってきた人の中では珍しい部類ではなかったのでした。むしろいる。どこにでもいるとは言わないが、いるところには必ずいるわこういう子。
そして、そういう子に限って「背伸びしたがり」なのです。
そもそも「背伸び」以外に哲学書なんかを紐解くモチベーションなど無いと言えば無いんですが。
背伸びしてる自分が好きで、背伸びに伴う努力や苦労が深い造詣として多方面に渡っていればいるほど尚優越感が満たされるような精神構造をしているのです。優越感を満たそうとする欲求が「物欲」「読書欲」として現れるのです。必然的にタロット、クトゥルフ、貞操帯、SF、コスメ、怪獣……と非常に「趣味の良い」オタクと化していきます。よく分かります。よく分かりすぎてつらい。
2003年4月から急に日記の記述が物々しくなるあたりのちょっと前から前兆はあったと思いますが、結局この大変趣味の良いお嬢さんが自死しなければいけなかった理由は、よく理解出来ません。
書かれてない部分で多分何かあったと推測し、せめて例の4月頭の段階で良い精神科にかかるか何かがあったなら、と思うくらいしか、彼女の死について私に出来ることはありません。
お墓は「東北のどこかの山の上」ということだそうで、めっちゃ近いところにいるな、と思いつつ
「バカだなあ」
と、私も思って本を閉じたのでした。 -
うかつに感想を書けない。まだ書くだけの力が自分にないと感じる。
数日気分が落ち込みました。
引用されている本が気になるのでこれから読書の幅が広がりそう。
そういう意味でも一読の価値ありです。
不謹慎は承知の上で、これだけ惜しまれてそれだけの才能があって、羨ましく妬ましい。