- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591137710
作品紹介・あらすじ
2012年本屋大賞第3位!!
18世紀、水の都ヴェネツィア。
ゴンドラが運んでいくのは、
秘めた恋とかけがけのない友情――
生への限りない祝福に満ちた感動作!
18世紀ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、
孤児たちを養育するピエタ慈善院で、〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。
ある日教え子エミーリアのもとに恩師の訃報が届く――
史実を基に、女性たちの交流と絆を瑞々しく描きだした傑作。
大島真寿美(おおしま・ますみ)
1962年、名古屋市生まれ。92年「春の手品師」で第74回文學界新人賞受賞。
著書に『戦友の恋』『ビターシュガー』『羽の音』『やがて目覚めない朝が来る』『ゼラニウムの庭』『三月』などがある。
感想・レビュー・書評
-
18世紀ヴェネツィア。ピエタ慈善院は慈善院の前に捨てられた赤ちゃん達を養育していた。その中で音楽の才能のある子供たちは〈合唱、合奏の娘たち〉という楽団に入れられて、演奏会を行い、慈善院にとって大切な収入を得ていた。そして、その楽団に楽曲を提供し、指導していたのは、あのヴィヴァルディ。
お金持ちで、頭キレキレでクールな人と私が勝手に思っていたヴィヴァルディとは違っていた。
ヴィヴァルディは、気さくで温かくて、何よりも音楽を愛し、音楽を愛せる人が大好きで、決して才能のある子だけを贔屓にしていてわけではなかった。
決して裕福な出身ではなく、ヴァイオリンの旨かった理髪屋の息子で、彼を成功させようと必死だった父親の努力によって、ヴィヴァルディは音楽家の名誉と司祭という安定した身分を得ていたのだった。
司祭という立場を越えて愛した人の存在、養わなければならなかった家族、父親との確執、最後には彼女への愛もヴェネツィアへの愛も捨てて、ただ音楽だけを見つめて、ウィーンへ旅立ったこと。
この小説は〈合唱、合奏の娘たち〉とヴィヴァルディの活動を軸に書かれているのだと思ったがそうではなかった。むしろ視点が注がれているのは、〈合唱、合奏〉のメンバーに入りたくても、才能もなく、そもそもピエタの子ではなく、貴族の子であり、それなりに疎外感を感じていたヴェロニカや〈合唱、合奏〉からは外れ、途中で親探しを始めたエミーリア(主人公)やヴィヴァルディの死後、路頭に迷ってしまった彼の姉たちやヴィヴァルディが愛した、知性煌めくコルティジャーナ(高級娼婦)や、彼を何度も秘密裏にコルティジャーナの所に運んだゴンドリエーレらである。彼らは皆、「自分は幸せではない」と思う一面を持っているが、もう一つの共通点はヴィヴァルディの音楽に助けられてきたということである。一見関係がない、住む世界が異なる彼らがヴィヴァルディの思い出という共通項で結ばれ、幸せな晩年を過ごす。
ヴァイオリンの舟が天翔ける
遠いお空にまいりましょう。
わたしもそこへまいりましょう。
あなたはそこで待っていてくれるでしょうか。
わたしが行くのを待っていてくれるでしょうか。
ヴェネツィアには観光で一度だけ行ったことがある。24時間も滞在していなかったけれど。運河と橋で入り組んだ町。キラキラした海と運河。ゴンドラ。光と影。人々が仮面を付けて町を行き交うカーニヴァルの季節は神秘的なんだろうな。(私が行ったときはカーニヴァルの直後でカラフルな紙吹雪が道に沢山落ちていた)
あーあ、この小説の登場人物の一員になりたいな。
-
大人の絵本のようでした。
その世界に入り込めるのが楽しかったです。
それぞれ皆自立した女性達の物語です。
キラキラした世界、ワクワクする気持ちが伝わってきます。入り込めて読めてしまいます。
けれども、ラストはちょっと切ないです。
そこがまた良いのですが。
日常から離れて浸りたい時にはこの本の世界に行きたくなります。
-
ひとつの楽譜の行方を巡って、人間関係がつくられたり紐解かれたりする美しいお話でした。
音楽家の死をきっかけに、登場人物が共通の話題を持ち共感しあっていく過程が、時代も国も違うけれどもなんだか分かる気がしました。今の時代も、誰かが亡くなることで強くなる結びつきや縁があるなあと。ラストの歌のシーンはグッとくるものがありました。 -
この本のことは、何年も前に同僚が推薦してくれた。
ヴィヴァルディが出てくるとも聞いた。
音楽好きの端くれとして、気にはなっていたが、読む機会がなかった。
が、先ごろ大島さんの「渦」を読んで、はまったこともあり、さっそく読むことにした。
なんと、ヴィヴァルディは、物語冒頭でいきなり死んでいる!
作品を通し、教え子や家族らに語られる存在としてしか登場しないのだ。
舞台は18世紀のヴェネツィア。
ピエタ慈善院は、孤児たちを引き受け育てるキリスト教の施設。
かつて「赤毛の司祭」ヴィヴァルディは、この施設で育つ音楽の才能のある女児たちを教え、「合唱・合奏の娘たち」として育て、作品を書いて自活の道をつけさせていた。
そのヴィヴァルディが、突然ウィーンに行くと言い出し、そこで突然死んでしまう。
物語は元「合唱・合奏の娘たち」の一人で、四十代となった今もピエタにとどまり、経営を手伝うエミーリアの視点から語られる。
ピエタでかつてエミーリアたちと一緒に音楽を学んだヴェロニカから、ヴィヴァルディが自分のために書いた楽譜を探してほしいと頼んでくるところでストーリーが動き出す。
ピエタのパトロンでもある友の頼みに、エミーリアはヴェネツィアをあちこち訪ねまわることになる。
ヴィヴァルディの曲を歌ってスターになったジロー嬢姉妹、ヴィヴァルディ自身の妹二人、そして秘められた恋人でもあったコルティジャーナ(高級娼婦)のクラウディア。
それぞれ老境を迎えつつある女性たちが、過去と向き合い、お互いをいたわりあう関係が温かい。
ヴィヴァルディをクラウディアのもとに送り届けていた船頭のロドヴィーゴなど、味のある人物も出てくる。
映画で見たいような、魅力的な物語だった。
が、一方で憑依系の語りが多いのが特徴的でもあった。
語り手であるエミーリアが自分の舌を縛るタイプの人物だからか、他の人物が一人語りをする場面が多い。
そういう自由奔放な語りは、映画にすると失われてしまう部分なんだろうなあ。 -
水の都ヴェネツィアを舞台に、孤児院でヴィヴァルディの音楽を心の支えとして育った少女の半生を、彼女を取り巻く女たちの人生とともに淡彩で描いた作品。
ちいさな鳥かごのように彼女らを束縛するその都市から、いつか飛び立とうと思いつつも飛び立てずにいる「小鳥たち」の苦悩と葛藤。彼女らの自由への渇きは、はたして癒されるのか。。。最後のゴンドラの情景はうつくしい。軽い羽毛を手のひらで包むようにして、静かに、大切に読みたい物語である。 -
この作家の作品は何冊か読んできたが、ピエタを読んでみようと思ったことがなかった。舞台化されるという記事をみて興味を持ち手にとってみたが、何故もっと早く読まなかったのかと地団駄を踏む思いでいる。
「むすめたちよ、よりよく生きよ」
この言葉がこんなにも刺さるのはこの歳だからだろうか。 -
有名な作曲家のヴィヴァルディが司祭とピエタの音楽教師の職も持っていたことを初めて知った。ヴェネチアの風景を舞台に慈善院ピエタに係わる人々とその人達とヴィヴァルディの心の繋がり、ヴィヴァルディの音楽の才能と素顔を素敵に描いていた。
-
読み終わり、感激してすぐに再び読み始めた。読み落としの無いよう、一語一語確認するように。
もっと早く読んでおきたかった作品だと思った。でも今だったから、こんなに心を揺さぶられたのかもしれない。
コルティジャーナのクラウディアの圧倒的な魅力も羨ましく思ったが、貴族であるヴェロニカの苦悩に涙した。子供時代のピエタのエミーリアたちに対する想い、夫を失い孤独な生活の中での兄への失望。そんな毎日がエミーリアを介し、クラウディアとの出会いで大きく変化していくのだ。
たくさんの女性が登場する。そして絆が生まれる。それはみな、アントニオ・ヴィヴァルディ先生によってもたらされたものだ。そしてみなが懐かしく、先生との思い出を語ってゆく。私にもあっただろうか、そんな不思議な気持ちにさせてくれる作品だった。 -
文字で綴られた音楽
多くの小説の魅力は「構造的な美しさ」に依存している。
ナボコフやツヴァイクの作品はまさにその好例だと思う。
読者はその精緻に組み立てられた構造と仕掛けに酔い、読後感を味わう。
この作品の魅力はそれらとはまた異なる。
構造がまったく気にならず、まるで美しい旋律の鼻歌のように会話や情景がハーモニーを描く。
作品中、会話と情景描写、心理描写に切れ目がなく、流れる淸水を眺めているような気持ちになる
考えて見たらそうだろう。心の中では会話と思いと感情と風景がシンフォニーのように淡々と流れるのが人間だ。
時代の流れから取り残され、かといって弾かれるわけでもなく、徐々に下り坂を下っていくひとたちが主人公。
彼女達を動かしているのは、ノスタルジアのように見える。
でも、なんと美しいエンディングだろう。
幸せとは、毎日眺めている石垣の中、たったひとつの石つぶの中に、幼い自分が付けた傷を発見する事なのかもしれない。 -
登場人物の女性たち、みんながそれぞれにそれぞれの人生でヴィバルディに繋がってて、そして最後に楽譜の裏に書かれていた詩が、詩の内容からこれ以外考えられないくらいの形で出てくる。神に祝福された物語。
遠くで戦争、自分には関係ないと思っているヴェネチアの人々。歴史の流れの中で崩れていくヴェネチア共和国のあり様。今の日本の市民や政治家にも重なるような。
登場人物の誰に光を当てて読む?女性だけでなく、男性も。何度も読みたくなる。
何年にわたる話しなんだろう。主人公は最初すでにもうそんなに若くはない。でも最後まで読むと決して年寄りではなかったはず、なのに人生を達観しているような、それはピエタの娘だから?人生の終着が見えてきた頃でも、人との繋がりで人生には彩りや感動や、神の祝福がきっとあるんだ。 -
クラシックコンサートへ行く道中読むために購入しました。
スイスイ読めてファンタジーの世界に行ける本だと思います。夜寝る前の読書にピッタリでした。 -
どのシーンを切り取っても1枚の絵画になるような慈しみ深い物語。ヴィヴァルディ先生やピエタの娘たちを中心に緩やかにのびてゆく水流を、ヴァイオリンの音色を聴きながら、ときおり唄をくちずさみながら、私たちを乗せたゴンドラは進む。いとしい友人たちとのかけがえのない出会いと別れを繰り返しながら、いっしょに祈りながら、ゆっくり進む。
いま世界中そこここで先生の音楽は生きている、と中庭で弦を楽しむ彼女らに思いを馳せる。胸に残る1冊。 -
ヴィヴァルディ先生の周りの人々の物語。話が進むにつれて、面識のなかった登場人物が繋がっていって、ヴィヴァルディ先生を囲む輪のようになるのが感じられて面白かった。エミーリア、ヴェロニカ、クラウディアの3人の夜のシーンがとてもよかった。私も3人と一緒に思い出を共有したような気持ちになり、その後のストーリーにぐっと引き込まれた。最後のシーンは絵のように美しかった。
途中でしばらく読むのを中断してたので、ところどころ前のページで場面を復習しなければならなかった。一気に読むべきだった、残念…。 -
よろこびはここにある。
思わず涙腺が緩み、ラストへと進む。緩やかに。緩やかに。
人生において、人は誰もが主人公と言われる。
でもそれは、人と人を繋ぐ役割の人の存在が、それぞれのストーリーをドラマティックに、深みのあるものに導いて行くのだと気づかせてくれる。
エミーリア、クラウディア、ヴェロニカ、ジーナ、アンナ マリーア。
昨日より、今日より、明日より、
よりよく生きよと、皆が語りかけてくれる。
大切にしたい素敵な一冊。
-
ヴィヴァルディ先生(実在してた)との関わりのある(架空の)女性たちの交流が描かれていました。
フィクションだけど、本当にあった話かのように思えた。ラストのシーンが一番感動を覚えた。
偶然のつながりも大切だなと感じた。
2015.1.3(1回目) -
18世紀の作曲家ヴィヴァルディと、彼を慕う何人かの女性たちを巡る物語。
ヴィヴァルディの死から物語が始まるのだけれど、感傷や感慨に浸るのではなくて、
むしろそれをきっかけにして、主人公の世界が広がっていく感覚が心地よかった。
失われた幻の楽譜を探すうちに彼女がどんどん積極的になって、行動的になって、
気付けば彼女は晴れた空の下、ヴェネチアの河に浮かぶゴンドラに乗り、穏やかな波に揺られ、
昔話を語り合える友と一緒に歌を口遊んでいた。
まるで死んでしまった作曲家が彼女を連れ出して導いたみたいに。
物語の傍らにはいつもヴィヴァルディの音楽が流れていて、ゴンドラを運ぶ水の音が聞こえていた。そして「ピエタの娘たち」の話し声も。
「音」が「空気の振動」であるのならば、彼が作った音楽も、彼女たちが息をしたその空気も、きっと今でも、私たちのすぐ近くにあるはずだ。
とても暖かい小説だった。 -
今まで読んだ大島真寿美の中でベストでした
-
海外文学とかだと
途中から飽きてきてしまうことが多いんだけど
なぜか海外のお話なのに
もっと読みたいと思わせる力のある作品
この作家さん、空に牡丹の時も
こんな感想だった
引き込む文章力が素敵 -
ヴィヴァルディの死から始まる。ピエタという修道院に捨てられた少女の視点で書かれたお話。仮面をつけてゴンドラに乗り、素敵な男性と路地を訪ねて歩くところが印象的だったが、再読して驚いたのは、仮面の男性との場面は道で声をかけられ、仮面を渡されレストランで話したところくらい。私が覚えていたのは妄想だったのか?譜面を探すのが目的だったが、そのためにいろいろな素敵な人と真実な交流をし、最後は胸を打たれた。
-
孤児院“ピエタ”と大音楽家ヴィヴァルディ。
消えた1つの楽譜を巡り、ヴェネツィアに生きる女性たちを描く。
史実を基にと書かれているが、どこまでが本当のことなのだろうか。
まるで大きな舞台を観ているようだ。
遠い外国の、遠い昔の物語に、いろんな女たちが生きている。
儚く勇敢で美しい、こんな女たちが、世界中どこにもかしこにも、昔も今も変わらず生きているのだ。
なんて頼もしいことなんだろう…
当たり前かもしれないけれど、
“ひとりではない”と思えることは、
何もよりも心を強くしてくれることなんだとおもう。
エミーリアも、孤独であってもひとりじゃなかった。
そしてそれは、自ら手を伸ばしたからこその繋がりだった。
《娘たち、よりよく生きよ。》
辿り着けなかったことは、きっと知らないままでいい。
彼の音楽に、彼が見たあの時の風景を感じる人たちが、いまもなお、
これから先何百年経ってもきっと繋いでいくのだろうから。 -
この本は、ともだちと初めてこばんで、
緊張して待ち伏せしてて、
本屋に行って買った本
舞台はヴェネツィア、
出てくる登場人物の名前も外人さんの名前で、
本の中の世界も、独特で、
孤児院で育てられた少女たちの話しで、
そこで養われた才能、音楽の世界の物語。 -
18世紀の時代背景の描写が物足りなかったけれど人間関係の過去現在の繋がりなどがわかりやすく気分良く読み終えられた。
-
舞台はベネツィア。タイトルのピエタは、孤児を養育する慈善院だが、「合唱と合奏の娘たち」を有しており定期的に音楽会も開いていた。バイオリンの教師としてピエタに関わっていたのがヴィヴァルディ。ピエタで育ち、主に事務の仕事をしているエミーリアは、ヴィヴァルディの死後、一枚の楽譜を探す仕事を通じて、ピエタ以外でのヴィヴァルディの姿を知っていく。最盛期のベネツィアを舞台に魅力的な登場人物たちの交流。読み終わるのがもったいないような一冊だった。おすすめです。
-
ずっと読みたいと思いながら、中々手が出なかった作品。
とてもよかったです。もっと早く読めばよかった。 -
18世紀ベネツィアが舞台の作品。 作曲家ヴィバルディの死去をきっかけに、様々な人々の関わりが現在形で進行していき、過去の隠されていた部分も少しずつ現れてきます。今とは全く違った時間の流れの中、美しい絵画でも観ているような印象を受けました
-
本屋大賞、2012年3位。良質の美しい小説。「四季」の作家のヴィヴァルディにゆかりのある孤児院ピエタを中心とする話。今まで読んだことない世界であり、展開に予想がつかず引き込まれていく。最初だけ少ししんどいけど、すぐ、平易だが美しい文章、メリハリのきいたてきぱきとした展開、ところどころウルっとくる逸話に安心して身を任せていける。子供の頃読んだ世界名作文学のよう。ミステリー的な要素もあり、さまざまな謎がじょじょに明らかになっていくのも心地良い。自分の読解力のなさからか、縁談が壊れたた真相は明らかにはならなかったような気がするけど。小手先の技に頼らず、変な刺激や違和感を織り込むこともなく、全編静かに緩やかに流れていく。文学の王道と思う。
-
『ピエタ』というタイトルの絵画を、展覧会や、あるいは美術書などで見た事がある。
磔にされた十字架から下ろされたキリストを胸に抱く、母マリアの絵だ。
わき腹から少量の血を流すわが子を抱きとめる、母の嘆き、悲しみ…
そんな事を思い浮かべるせいか、哀しい慈しみ、母性などを思い浮かべるタイトルだ。
この作品は史実をもとにしており、ヴィヴァルディは実際に『ピエタ慈善院』で音楽を教えていたとのこと。
登場人物の女性たちは、皆、老境にさしかかっている。
にもかかわらず、「よりよくいきよ、むすめたち」の、娘たちという言葉が、彼女たちの今をも指すものだと、迷い無く思える。
静謐な雰囲気をまとう、温かい涙のような物語だ。
「本屋大賞」発表の雑誌を読んでいたら、過去の本屋大賞のランキングが出ていて、2012年の3位に「ピエタ」が入っていま...
「本屋大賞」発表の雑誌を読んでいたら、過去の本屋大賞のランキングが出ていて、2012年の3位に「ピエタ」が入っていました。ほほう、評価が高かったんだと思っていて、Macomi55さんのレビューを見ると、おおーっ、「ピエタ」を読まれたんだと驚きました。レビューを読ませていただいて、読んだ時の気持ちを思い出しました。決して、ハッピーエンドじゃないけど、なにか温かな気持ちになったんですよね。ヴィヴァルディがますます好きになる感じですよ。「四季」ばかりでなく、いい曲がいっぱいあります。
コルティジャーナのクラウディアさんがヴィヴァルディの曲を聴いて色々な景色が見えると言ってヴィヴァルディを喜ばせたと書いて...
コルティジャーナのクラウディアさんがヴィヴァルディの曲を聴いて色々な景色が見えると言ってヴィヴァルディを喜ばせたと書いてありましたが、本当にヴィヴァルディの曲からは色々な鮮やかな景色が見えますね。
ヴィヴァルディは亡くなっても関わった人たちに音楽だけでなく、“友情”という贈り物をしたのですね。
それにしても、ヴィヴァルディの楽譜の存在については本当に色々謎が残されているんですかね?今日古本フェアに行ったらヴィヴァルディの楽譜の謎を題材にしたミステリーがありました。買いませんでしたが。
なるほど「友情」 楽譜の謎を題材にするとは、面白そうですね。
なるほど「友情」 楽譜の謎を題材にするとは、面白そうですね。