- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622048695
作品紹介・あらすじ
オーストリアの作家トーマス・ベルンハルト(1931‐1989)の代表的長編小説をここに刊行。主人公フランツ‐ヨーゼフ・ムーラウが両親と兄の死を告げる電報を受け取るローマの章「電報」と、主人公が葬儀のために訪れる故郷ヴォルフスエックを描く章「遺書」からなる本書は、反復と間接話法を多用した独特の文体で、読者を圧倒する。ベケットの再来、20世紀のショーペンハウアー、文学界のグレン・グールド。挙げ句には、カフカやムジールと肩を並べる20世紀ドイツ語圏の最重要作家と評価されるベルンハルトとは、いったい誰なのか。
感想・レビュー・書評
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自らの出自に関するほとんど全てを嫌悪、現在の環境全てから断ち切った生活をしていたが親・兄の死によりそれらを回顧(という次元の話ではない…)しなければならなくなる主人公。改行なし、反復の繰り返しによる文章がどうも止まらなくなり。つーか過去話が因縁に満ち溢れていておもしろすぎ。ドイツ語に関する意見にも超共感。「ドイツ語で考えドイツ語で話すと、あの言葉の非人間的な重圧のせいであっというまに麻痺が襲ってくる」!!
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馬鹿が嫌いで親が嫌いで故郷が嫌いで、そういう私怨をグダグダ書いているだけなのにどうしてこんなに面白いんでしょうねぇ。
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ローマで暮らす主人公のもとに、両親と兄の死を知らせる電報が故郷から届く。
物語が始まるや否や、主人公は、家族を、祖国を、カトリックを、ドイツ的なものを、田舎を、とにもかくにも自分の価値観に合わない全てを、これでもかとひたすらに悪罵し続ける。
家族の死の知らせを受け取っても悲しみなんて微塵も湧きあがってこない。ただただ憎しみを吐露し続けるのである。
主人公の気持ちが分かる気もする。
家族に否定され続け、世の中に絶望してもなお生き続けるためには、自分の価値観に合わないものを全て否定し去ることで、自分の存在を正当化するしかない。
これだけのページを悪口が書き連ねてあっても、最後まで嫌な気分にならずに読めるのは、主人公の強気な態度の裏に、自分に対する自信のなさという、誰もが多かれ少なかれ抱いている気持ちを感じ取るからなのかもしれない。
そしてもうひとつのテーマは、「精神的な人間」がぶつかる、周囲の不理解、孤独だろう。 -
4.04/107
内容(「BOOK」データベースより)
『オーストリアの作家トーマス・ベルンハルト(1931‐1989)の代表的長編小説をここに刊行。主人公フランツ‐ヨーゼフ・ムーラウが両親と兄の死を告げる電報を受け取るローマの章「電報」と、主人公が葬儀のために訪れる故郷ヴォルフスエックを描く章「遺書」からなる本書は、反復と間接話法を多用した独特の文体で、読者を圧倒する。ベケットの再来、20世紀のショーペンハウアー、文学界のグレン・グールド。挙げ句には、カフカやムジールと肩を並べる20世紀ドイツ語圏の最重要作家と評価されるベルンハルトとは、いったい誰なのか。』
原書名:『Auslöschung』(英語版『Extinction』)
著者:トーマス・ベルンハルト (Thomas Bernhard)
訳者:池田信雄
出版社 : みすず書房
単行本 : 224ページ(上巻)
メモ:
死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」 -
イライラしたときに読みたくなって。
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あのアゴタ・クリストフが「偉大な作家」と呼びそのユーモアへの賞賛を惜しまないオーストラリアの出身の作家、トーマス・ベルンハルトの代表作。ユーモアと言ってもそれは東欧特有の笑うに笑えない黒いユーモアであり、本作では故郷への嫌悪と家族への怨嗟が強迫観念を具現化したかのように改行も挟まず繰り返し繰り返し語られる。家族の死を契機に溢れ出る呪詛は己の矮小さの裏返しであると同時に、割り切れぬ不条理に対する足搔きでもある。下へ下へと落ちていく負の重力に抗えぬ身を嘲笑う、これもまた語ることの快楽の一つのあり方。
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で、どうやって「消去」するんだ?