カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622075394

作品紹介・あらすじ

虐殺の原因と経緯、ソ連に同調した連合国の隠蔽工作、ゴルバチョフの沈黙、歴史家の責任まで簡潔に分析する決定版。スターリン体制を象徴する事件の真相。2008年、ハンナ・アーレント政治思想賞を受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 第二次世界大戦はナチス・ドイツのポーランド侵攻作戦によって始まるが、その時ポーランドの東側からは、ポーランドに住む人々を救うためという名目でソ連もまたポーランドに侵攻した。
    これは独ソ不可侵条約が結ばれた時にヒトラーとスターリンの間でポーランドの分割が密約されていたからだ。
    この侵攻作戦によって多くのポーランド国軍兵士がソ連の捕虜となったが、スターリンはその中から将校や聖職者など2万人以上を射殺するように命じ、死体はカチンの森の地面に埋められた。

    ナチスがユダヤ人という人種の絶滅を図ることで第三帝国を打ち立てようとしたように、ソ連はポーランドの国を支える階級に属する人々を排除する事で、ポーランドという国を無くし、ソ連の支配地としてしまおうとしたのだ。
    結局、情報公開、ペレストロイカを進めたゴルバチョフもこの事実を知りながらも認めることができず、ソ連がこの虐殺を認めたのはエリツィンが大統領になってからだった。

    このカチンの森の虐殺が何を意図して行われたのか?
    それをソ連が長く認めようとしなかったのかは何故なのか?
    そして、ソ連と協力していた連合国、イギリスやアメリカはそれをどう捉えていたのか?

  • とうとう買ったぞ、カチンの森事件について。
    スターリンの悪行。
    スターリンにとっては、ポーランドは目の上のたんこぶの様な存在だったと思う。
    何せ、ソビエトより優秀なポーランド人将校、政府の要人をカチンの森で銃殺。
    事件のことは、噂ではあったがスターリンを断罪した、スターリンの次の書記長フルシチョフですら口外せず、イギリス、アメリカにも抹消させる様圧力をかけ、ようやくゴルバチョフが1990年に情報を開示した。

    知りたい。

  • アンジェイ・ワイダの映画に衝撃を受け、歴史学上の考証として現時点での決定版とされている本書を手に取る。2008年、ハンナ・アーレント政治思想賞受賞作品。

    本書の最大の特徴は、「目撃証言」「加害者の告白」に一切頼らず、各国の公式文書、とくに旧ソ連のそれを徹底的に分析していること。

    独ソによる占領後、ロンドンに置かれたポーランド亡命政府はソ連に対し捕虜の所在確認を繰り返し要求する。完全無視だったソ連が突然それに応じたのは、ドイツがソ連に宣戦布告し、旧ポーランド軍の協力が必要になったからだった。すでに虐殺を終えていたソ連が返した回答は「その多くが満州に逃亡した」というもの。信じられるわけもない。

    そうした中、ドイツ軍がカティンの森で多数の遺体を発見。世界に向けて大々的に公表する。しかし、ドイツと戦争中の英米は、諜報を通じて真相を知りながらこれを無視。「この件については口をつぐめ」、チャーチルの命令を伝える「公式文書」が残っている。

    ニュルンベルク裁判でソ連側検察が「カティンはナチスの犯行」と立証しようとして失敗。同じソ連出身の弁護人が徹底的に抵抗したからだった。そういう良心はどこの国にも存在した(この弁護人は数か月後「不慮の死」を遂げることになる)。

    不思議なのは、これほど都合の悪い文書でも、破棄してしまおうという決断はだれも下さなかったこと。現代国家、いわんや一党独裁国家にとって文書は政権の正当性の証。統治の根幹を揺るがす判断はフルシチョフにもゴルバチョフにもできなかったのかもしれない。(なお、著者がきちんと留保しているように、グラスノスチ(情報公開)を進めたゴルバチョフがことカティンについてだけは最後までためらった(ことも文書化されている)本当の理由は、不明のまま。最終的には共産党崩壊後にエリツィン大統領が公開を決断した)。

    ITの進化でもっとも研究が進む分野のひとつが、実は近現代史だといわれている(文書の検索能力が高まるから)。今後、それぞれの立場にとって都合のよいものも悪いものも明らかになるだろう。我々にできるのは謙虚になることだけだ。

  • ソ連によるポーランドの指導階級の抹殺に関する本。

    ナティスは、その人種思想にもとづきユダヤ人の抹殺を行ったが、ソ連は、その階級闘争的な思想にもとづきポーランドの指導者階級をただそこに属しているからというだけの理由で抹殺した。(しばしば、これらの概念は混じりあって、ナティスとソ連の両方で、どちらの虐殺も行われていた)

    ソ連によるポーランド指導階級の抹殺の中心となるのは、カチンの森。カチン以外の場所も含めて、2万人くらいの人が虐殺されている。

    当時、ソ連とナティスは、独ソ不可侵条約をむすび、ポーランドの分割を密約した。それぞれの占領地域におけるポーランド人・ユダヤ人の捕虜を元々の出身地をもとに交換し、それぞれの地域で虐殺したのだ。

    そのソ連側での処刑地であるカチンについては、皮肉なことに、第2次世界大戦中にドイツが独ソ不可侵条約を破って、東ポーランドに侵攻したときに、発見し、ソ連の正統性を貶めるために使おうとした。

    が、イギリスやアメリカは、当時同盟国であったソ連のこの犯罪については、知らないふりをした。そして、戦後のニュルンベルク国際軍事裁判で、ソ連は、カチンの森での虐殺はドイツによるものであることを主張。その主張には反論もあり、通らなかったのだが、この裁判はナティスの戦争犯罪を議論している場であるということで、それ以上、議論は深掘りされなかった。

    そして、その後も、この事件に関する資料は、ゴルバチョフ時代まで含めて、隠匿され、ソ連崩壊後にようやく資料にもとづく調査が可能になって、その内容が徐々にわかってきた。

    ナティスは、熱烈な反共産主義だったので、ソ連とは当然敵対関係のはずだったのが、突如、独ソ不可侵条約を結び世界を驚かした。が、実は、やっていることは非常に近かった。一時、日独伊三国同盟にソ連もいれて、反民主主義の同盟を作ろうという構想もあったようなので、もし、そうなっていたら、歴史はどうなっていたんだろう?と考えてしまう。(外務省革新派の白鳥敏夫は、「ソ連は共産主義だったが、今は、実態としては共産主義ではなく、全体主義国家であるから、同盟できるかもしれない」といったことも言っていた。ここでは、「全体主義」が、欧米の「個人主義」「民酒主義」という概念に対抗するイデオロギーとして、肯定的に使われている)

  • 大戦史を頭に入れてから読めば良かったと思いつつも、歴史はその時代時代の首脳によって、変えられてしまうものだと、そういう認識をもつべきだと強く思わせてくれた。

    ソ連のイメージそのままだけど、今のプーチン体制のロシアも同等の不信感。
    いまも、ロシアだけでなく、ドイツ、イギリス、他のどこかの国に、カチンに関わる秘密文書があるのだろう。

    階層浄化。
    最近の世界を見ると、階層の、意識の隔絶感が増してきているのではないか。

    この本を読みつつ、今に繋がってるものがあると感じた。

    どれだけの絶望の中、こと切れたのだろうか。
    なんて残虐、なんて身勝手、なんて法外国家なのか。

  • カチンの森事件という出来事があったことは知っていたが、とてもモヤモヤしたものがあった。この本は、これまでで分かっていることに基づいて、事件の背景、思想。実行命令の経緯。その後のソ連、ロシア為政者たちのこの事件に対する扱い等々が描かれており、虐殺の深刻さから見れば語弊があることは承知で、予想以上に面白く読めた。

  • 穴の中に幾重にも折り重なった遺体。初めて見たのはいつだったか。
    衝撃的だった。ここに何人が葬られたのか。考えてぞっとした。

    独ソ不可侵条約の元、ポーランドはナチス・ドイツとスターリンのソ連に
    蹂躙された。戦争捕虜としてソ連に連行されたポーランド軍の将校や
    知識階級は、いつのまにかどこかへ消えた。

    カチンの森。そこへ連行された将校たちは銃殺され、次々と穴の中へ
    放り込まれた。

    本書では公開されたソ連時代の極秘文書を引用しながら、スターリン
    時代からゴルバチョフが正式に謝罪するまでのソ連およびロシア国内
    での本事件の隠蔽と、ナチス・ドイツへの責任転換、西側諸国(主に
    イギリス)がいかにこの事件を無視して来たかを総括的に論じている。

    「あれはドイツの仕業ですよ」。早くから消えたポーランド将校たちの
    噂は広がっていた。ソ連当局はその火を消そうと大噓を吐く。

    でも、ナチスの仕業であれば装身具から歯の詰め物まで、何もかも
    略奪されているはずなのに、発掘された遺体からは階級章はもとより、
    身分証明書、家族の写真等が発見されて。

    まぬけだな、ソ連ったら。あんまりにも大量に殺し過ぎて、そこまで
    手が回らなかったのか。

    これはソ連の罪である。そして、ポーランドをまるで人身御供のように
    扱った欧州の罪でもある。

    全体主義の恐怖。それがひしひしと伝わって来る。尚、遺体発掘時の
    写真が豊富に掲載されているので惨たらしい場面が苦手な人は
    要注意だ。でも、これが現実に起きたことなのだけどね。

  • 「カチン虐殺は「階級浄化」の縮図であり、アウシュヴィッツは「人種浄化」の縮図なのである。」

    なぜ浄化が必要なのか?
    国家の野望に、兼ねてからの憎悪、屈辱が相まって、到底同じ人間がするとは思えない暴挙に出ることになる。
    とても恐ろしい。

    真実を知っていた英米が、それを隠そうとしていたのがまた恐ろしい。

    なにが真実か見極める力をたとえ持っていたとしても、真実を主張すると生きていけない世界。そんな時代が繰り返されないことを願う。

  • 『消えた将校たち』を先に読んでおいてよかった。

    本書ではペレストロイカ以前に西側の研究者や事件の遺族らが喉から手が出るほど欲しかった資料が、あっさり提示される。全体像を俯瞰するには本書が最適だが、カチンが問題視されてきたのは1940年春に起こった事件そのものの異質さもさることながら、鉄のカーテンの向こうに隠された資料が開陳されないことによるWWII後のカチン事件追求の困難さによるところも大きい。この追及の困難さと、国家による隠蔽のこちら側とあちら側に立つことの違いを体感するには前掲書をまず読むべきだろう。

    将校たちがなぜ執拗な思想教育に屈せず、強い祖国愛と深いカトリック信仰心を貫いたのか(ゆえに矯正不可能と判断されて殺害されてしまう)。『消えた~』を読んで不思議に思っていたことの答えが本書訳者あとがきにある。

  •  列強に翻弄され続けてきたポーランド。その象徴ともいえる事件がカチンの森事件なのかもしれません。ソ連による虐殺、隠蔽。そして敵対するソ連とドイツは互いにカチンの件を利用しようと情報戦を繰り広げる。さらに西側諸国はともにドイツに立ち向かう連合国であるソ連の罪を糾弾することはできず、ソ連の嘘を黙認してしまう。そしてその嘘はソ連が崩壊する寸前までの数十年間ずっと維持されてきた。
     これはソ連の体制的な問題のみならず、この嘘の維持に加担してきた国際社会の問題でもある。こうしてグローバルな視点からこの事件を見ると同時に、そこにあるのは一人一人の遺体であり、ただ蹂躙されたのはポーランドという国なのだと感じざるを得ない。本書は、読者に新たな知見をもたらすと同時に、複雑な悲しみをもたらすと思う。

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著者プロフィール

ヴィクトル・ザスラフスキー
(Victor Zaslavsky)
1937-2009。レニングラードに生まれる。レニングラード大学で社会学を学び、母校で教鞭をとっていたが、1975年ソ連を出国、カナダに移住・帰化した。カリフォルニア、スタンフォード、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリの各大学で政治社会学を教え、最後は亡くなるまでローマのルイス・グイド・カルリ社会科学自由大学の教授。専門は第二次大戦後のソ連(ロシア)・イタリア政治関係史。著書 La Russia senza soviet 〔ソヴィエトのないロシア〕(1996)、Il massacro di Katyn 〔カチンの虐殺〕(1998)、Storia del sistema sovietico 〔ソヴィエト制度史〕(2001)、Lo stalinismo e la sinistra italiana 〔スターリン主義とイタリア左翼〕(2004)、Togliatti e Stalin 〔トリアッティとスターリン〕(共著、2007)他。

「2022年 『カチンの森【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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